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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

雉も鳴かずば撃たれまいに 金城兄弟への「攻撃」

2009-07-19 08:37:33 | ★集団自決
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「SAPIO」7月22日号の「ゴー宣」が、沖縄のサヨク勢力に与えた衝撃は予想以上に大きかったようだ。
 
集団自決訴訟の被告側応援団の一人目取真俊氏が「金城兄弟への攻撃を許してはならない」と自ブログで声高に叫んでおられる。
 
だが目取真氏が憤激するにしては、「SAPIO」の記事は、何も目新しいものではなく今回小林よしのり氏が初めて公開したわけでもない。
 
集団自決論争に多少でも関心のある人の間では夙に知られた事実であり、沖縄での出張法廷でも本人の口から証言された事実である。
 
ただ、沖縄マスコミを中心にした被告側が金城兄弟を哀れな被害者に仕立て上げるため、彼らの「不都合な事実」と意識して報道してこなかっただけの話であり、
 
さらには被告側の論点ずらしのため、大方の読者がそれと理解できなかっただけの話である。
 
それを小林氏はわかりやすい漫画という手段で説明しただけであり、問題を明確にした小林氏の労をねぎらうことはあっても、目取真氏が突然声を荒立てるべき筋合いのものではない。
 
金城兄弟が自分の犯した罪の深さに悔いて他人に責任転嫁することなく、
 
神に祈って贖罪の人生を過ごしていたのなら、戦時中の特異な状況の惨劇を、今さら咎め立てするものはいなかっただろう。
 
だが論理的に破綻した屁理屈で「軍の命令だった」と自著や講演会等で強弁するのみならず、
 
法廷に立ってまで「軍の命令」を主張し続けたのなら、当然反対論者の追及は覚悟の上のことだったはず。
 
それに彼らを「軍命あり派」のシンボルに仕立て上げた被告側応援団も当然金城兄弟が反対側の論難の矢面に立たされるのは想定内のことであろう。
 
金城兄弟が攻撃の的になることに憤慨するのなら、彼らを矢面に立てた勢力こそその責任を問われるべきではないか。
 
それを今頃になって「金城兄弟への攻撃を許してはならない」とは笑止千万である。
 
破綻した理屈の金城兄弟を、敢えて「軍命あり派」の象徴に祭り上げ、反対派の矢面に立たせた勢力こそ許してならないのではないか。
 
金城兄弟のなかでも弟・重明氏が「軍命あり派」の象徴として派手に情報戦の先頭にたっているが、
戦後島に残った兄・重栄氏は、昨年までは、筆者の知る限りほとんどマスコミに出ることもなく、「軍命あり」の責任転嫁もしていなかった。
 
それが、昨年のNHK特集番組に引っぱり出されて以来、無理やり(筆者にはそう見える)、「軍命あり」の証言を強いられ、当然のごとく反対派の矢面に立たされることになった。(そう見える)
 
してみると、弟・重明氏が「責任転嫁」の確信犯であるのに対し、兄・重栄氏が反対派の攻撃の矢面に立たされるのはいささか気の毒な気もしないわけではない。
 
だが、NHKの番組に繰り返し出演し、「軍命はあった」という証言をしたのなら当然反対派の攻撃を受けることは覚悟のことであったはず。
 
同じ集団自決の体験者でも、座間味島の山城安次郎氏のように当初こそ「赤松の暴状を訴える」という虚偽の証言をしたが、その後島を出て一切の弁解もなく、又一片の弁解の文書も書残すこともなく真実を墓の中に持ち込んだ人もいる。
 
一方の金城重明氏は、沖縄県内はおろか本土各地に飛んで「軍命はあった」と現在でも講演活動を続けている。
 
彼の過去の行為が「SAPIO」に絵で描かれたからといって今さら騒ぎ立てる方がおかしい。
 
こんな諺が脳裏を過ぎる。
 
雉も鳴かずば撃たれまいに。
 
以下過去記事の再掲です。
 
                     ◆
 
 
 
 裁判尋問「言葉失った」 「集団自決」で金城さん
埼玉】「集団自決」(強制集団死)における隊長命令をめぐって争われている訴訟や教科書検定問題について考える集会(埼玉弁護士会主催)が5日夜、さいたま市のさいたま共済会館であった。渡嘉敷島の「集団自決」を生き延びた金城重明さん(沖縄キリスト教短大名誉教授)が講演し、昨年9月に那覇地裁で行われた所在尋問(出張法廷)で証言した際に原告側弁護士の尋問で厳しく追及されたと述べ、「法廷後の数週間は悩むどころではなかった」と苦しい心境を明かした。
 所在尋問で金城さんは被告の岩波書店の証人として出廷した。法廷は非公開だったが、金城さんは「あれは法廷なのか。法廷は公平と正義ではないのか。原告側弁護団は『ああしただろう、こうしただろう』と犯罪を吐かせるような形だった。私は腹が立ったというより言葉を失った」と、怒りを込めて振り返った。(略)
 
(2/6 )
                       ◇
 
>原告側弁護団は『ああしただろう、こうしただろう』と犯罪を吐かせるような形だった。私は腹が立ったというより言葉を失った」
 
金城氏のこの発言を見て思わず脳裏に浮かんだ諺が、雉も鳴かずば撃たれまいである。
 
金城氏が悲惨な体験を語ることに異議を挟むものはいないだろうが、体験の事実を語るに留まらず、
 
自己弁護の「軍命令」をかたくなに主張し、裁判の証人にまでなれば、原告側弁護団に厳しく追及されるのは当然のこと。
 
反対側の追及に対して
 
「私は腹が立ったというより言葉を失った」というのは、
 
むしろ論理の矛盾を突かれ狼狽して「言葉を失った」というのが正確ではないのか。
 
肉親に手をかけた贖罪意識で、論理を踏みにじるような「軍命」発言をしなければ、弁護団に追及されるような禍を招かずに済んだはず。
 
金城重明氏の証言はこれまで地元紙は勿論本土大手紙でも幾度となく報道されている。
 
特に地元紙では肉親を手にかけた「悲劇の主人公」といった点を強調して紹介されているが、マスコミは彼が犯したもう一つの「原罪」については触れていなかった。
 
                      ◇
 
■NHK特番「渡嘉敷島の集団自決■
 
2月1日19時30分に放映されたNHK「渡嘉敷島の集団自決」を見た。
 
「集団自決」の生き残り 金城重栄、重明兄弟が改めて証言した。

弟の重明氏は戦後島を出て本島に在住し「集団自決」の語り部として地元マスコミは勿論本土大手新聞でも再三登場し、証言を綴った著書もある有名人である。
 
一方、兄の重栄氏(81歳)は戦後も島に残り、農業に従事していたというが、少なくとも私の知る限り、これまで証言者としてマスコミに登場することはなかった。
 
弟重明氏の証言はこれまであらゆるところで発言しているので、主として兄重栄氏の発言を追ってみた。
 
6人妹弟の長男で当時18歳の重栄氏は病弱のため兵役に就けなかったが、その分だけ「日本軍の役に立ちたい」という気持ちが多く「島を守ってくれる」と信じる日本軍に親近感を持っていたという。
 
3月25日米軍の艦砲射撃が始まる。
 
その凄まじさは『鉄の暴風』と言われる。
 
金城一家は両親と弟妹の6人で壕で隠れるが艦砲射撃は朝から晩まで続き、米軍はついに3月27日上陸を開始。
 
その時軍服らしきものを着た二人の人物が現れ長老達に何か話していたようだが内容は砲弾の音で聞こえない。

その男は手りゅう弾を二個ずつ呉れたが、彼が兵器係であったことは 後で知った。

自分達兄弟には手りゅう弾はなかった。

3時過ぎ村長が「天皇陛下万歳」を叫び、次々「集団自決」が始まった。

「生き残ることへの恐怖」が自決を加速させた。

木の棒で肉親に自ら手を下す、・・・それは家族への愛であった。  

このまま死ぬより1人でも敵を倒して死のうと切り込みに向かう途中、日本兵に遭遇し島がまだ玉砕していないと知った。 

番組では語られなかったがその後二人は日本軍の陣地で数日過ごすことになる。

                     ◇

曽野綾子さんが『集団自決の真相(ある神話の背景)』を出版する1年前の1971年。
 
沖縄在住の作家星雅彦氏が、渡嘉敷村の村長や駐在巡査や村民から「集団自決」の取材をし、それをまとめて雑誌「潮」(1971年11月号)に発表した。
 
雑誌「潮」1971年11月号
特別企画・沖縄は日本兵に何をされたか
星雅彦(作家)

集団自決を追って

修羅場と化した西山盆地

 
(略)
ウシが気が変になったように、「クルチ、クミソウリ」(殺してください)と小声で繰り返し言っているとき、七歳になる二女は「死にたくない、死にたくない」と泣き叫んだ。長女は妹を腹の下に隠すように押えつけ、ただ恐ろしさのあまりじっとしていた。そのとき、阿波連の青年たちがワイワイ騒ぎ立てながら走ってきた。血の気のない顔で、彼らは何やら奇声をあげ、まだ生きている人を探し出しては、持っている梶棒で撲殺するのだった。 
 
その中の金城重明(現牧師)という十六歳の少年がウシの側へ近寄ってきた。学校で成績がよいと評判の少年だった。彼は立ち止まった。と、いきなり直径十センチぐらいの棍棒を振り上げ、「まだ生きているのか!」と叫び、妹を抱き押えて後込みしている長女の頭へたたきつけた。ギャツという声が短く走り、頭から血が流れた。少年はもう一度たたきつけた。娘たちは動かなくなった。それから少年は血走った目をむいて、ウシを見た。ウシは祈るように、「重明……」と小声でいって目を閉じた。ガーンと頭が割れるような音がした。ウシは額の上を二度叩きつけられるのを感じた後、意識を失った。 (略)
 

                   ◇

以下は金城氏証言「集団自決は家族への愛」よりの抜粋です。

 渡嘉敷島で「集団自決」を体験し、生き延びた金城重明沖縄キリスト教短期大学名誉教授(78)が岩波側の証人として出廷。「(島に駐留していた)赤松嘉次隊長が指揮する軍の命令なしに『集団自決』は起こり得なかった」として、日本軍の強制を証言した。
(略)

当時16歳だった金城さんも母と妹、弟を手にかけた。 軍の命令で陣地近くに集められていた金城さんら住民の下に軍の自決命令が出たようだとの話が伝わり、村長の「天皇陛下万歳」の号令で「集団自決」を始めたと具体的に証言した。
 「『天皇―』は玉砕の掛け声。村長が独断で自決を命じるなどあり得ず、軍命が出たということ」とし「集団自決」の直接の引き金に軍の強制があったと明言した。
 金城さんは家族を手にかけた時の気持ちについて、「米軍が上陸し、(惨殺されるかもしれないという思いで)生きていることが非常な恐怖で、愛するがゆえに殺した」と語った。
 (略) 原告代理人は会見で「村長が自決命令を出すはずはなく、軍命だったという金城氏の証言は推論にすぎない」などとして「金城氏は集団自決の隊長命令を語る証人として資格がないことがはっきりした」と述べた。

(琉球新報 9/11 )

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罠にかかった小林よしのり 護送船団方式の沖縄論壇

2009-07-18 09:22:44 | 未分類

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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小林よしのり氏の「沖縄は言論封殺の島だ」という主張に対し、作家の目取真俊氏が、

やれ「新聞社側の編集権」だの「掲載に耐える内容がないから」だのと的外れの反論をしているようだが、このお方、沖縄にお住まいだというのに沖縄の新聞の実情には疎いようだ。

なるほど沖縄は「活字のある所にサヨク在り」と言われるように、沖縄紙は目取真氏のようなサヨク作家にとっては極めて住み心地のよい言論の場所カも知れない。

だが、目取真氏のようなサヨク論者を批判する人にとっての沖縄は、これほど住み心地の悪い所も類を見ない。

沖縄紙の一読者として二紙を購読してきた筆者が見るに、沖縄論壇は目取真氏がいうような甘いものではない。

例えば目取真氏が縷々弁明する小林よしのり氏との琉球新報紙上の論争についても、土俵であるべき琉球新報が目取真氏を援護しているし、小林氏には反論のチャンスを与えないまま、別のサヨク学者に大きな紙面を提供して、数を頼んで(三回連載)小林叩きをした。 

そこには「編集権」とか「反論権」等を通り越して、新聞が首謀した「護送船団方式」による小林氏の言論封殺としか読者の目には映らなかった

ここでいう「護送船団方式」とは目取真氏のようなサヨク論者を沖縄紙が援護しながら、一見公平を装って反対論者と討論させ、結果的には数を頼んで袋叩きにする卑劣な討論方式のことである。

そのときの状況は「罠にかかた小林よしのり」という見出しで、雑誌『WILL』に寄稿した。

記事では新聞社を中心にした「護送船団方式」による卑劣な異論封じ込めを「沖縄イニシアティブ方式」として説明した。 

『WILL』の記事も引用してある過去ブログの抜粋を以下に再掲する。

目取真氏が主張する沖縄紙の「編集権」や「反論権」がいかに見せ掛けだけの噴飯物であるかは『WILL』記事の引用部分を読めば一目瞭然である。

                   ◆

小林よしのりvs佐藤優の大戦争!罠にかかった小林よしのり

佐藤優氏は、「護憲」、「沖縄の血」、「沖縄独立」といった沖縄紙が喜ぶようなキーワードで沖縄紙に擦り寄って、「集団自決訴訟」では「手榴弾で自決したのだから隊長命令がないはずはない」と尻尾を振って見せている。
 
おまけに中央文壇で売れっ子のラスプーチン先生とあれば、沖縄紙が、泣いて喜んで紙面を望みどおり提供する。
 
沖縄紙は自分と異なる意見には編集権云々で言論封殺しておきなが同じ意見であれば、内容を検証することなく無節操に紙面を提供することは実証済みである。
 
これは沖縄紙の特質をモロに表した大爆笑劇である。

琉球新報の大失態!幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」

 
「沖縄紙は偏向しておらず、むしろ公平である」
という佐藤氏の意見は、沖縄紙に対する不勉強か、さもなくば佐藤氏独特の「相手に近づくためには無節操に揉み手をするインテリジェンス・ポリシィ」と揶揄されてもしかたがない。
 
沖縄には、少なくとも沖縄マスコミには、小林よしのり氏がいう「同調圧力」や言論封殺は存在する。
 
沖縄紙の言論封殺については、「沖縄イニシアティブ方式」と揶揄される卑劣な手段で沖縄紙の論壇から異論を述べる多くの「識者」が放逐されている。
 
実は小林よしのり氏もこの「沖縄イニシアティブ方式」犠牲者である。
 
沖縄の作家・目取真(めどるま)氏が琉球新報で小林氏を批判というより、罵倒したのがことの発端であった。
 
ことの詳細は雑誌『WILL』増刊号に「これが沖縄の言論封殺だ」というタイトルで、筆者(狼魔人)が寄稿してあるので読んで欲しいが、一部を抜粋して以下に引用する。
 
『WILL』増刊号掲載
 
『これが沖縄の言論封殺だ』
 
(前略)

■「沖縄イニシアティブ」方式
 平成二十年三月二十七日付け琉球新報「声」欄に次のような投稿が載った。
《県民大会論争について  浦添市 S・S・(62歳)
 3月20日(の)本欄は良かった。県民大会への賛否両論が併記され、どうすべきか迷った人も結論が出せたと思う。新聞の使命は「偏見なく真実を報道」。だが、偏りがちなのも現実。その点、投稿は両論併記が簡単だ。 賛否を決めるときは多少稚拙でもそうしてもらえばと願う。(以下略)》
 琉球新報は時折、アリバイ作りのように自社論調にそぐわない「投稿」「寄稿」を掲載する。右のS氏は琉球新報の一見公平に見える両論併記の裏に潜む「沖縄イニシアティブ」方式という卑劣な言論封殺手段をご存知ないのだろう。
 二十日の「声」欄の論争も一見両論併記に見えるが一人の投稿者を複数の反論者で袋叩きにする「沖縄イニシアティブ」方式そのものであった。
 「沖縄イニシアティブ」方式の由来は後に譲るとして、最近の例では目取真俊氏と小林よしのり氏の論争に琉球新報はこの汚い手を使った。

■罠にかかった小林よしのり
 その経緯を「ウィキペディア」が、次のように書いている。
《目取真は『琉球新報』でも小林を中傷。小林は自ら申し出て反論文を掲載。だが反論一回きりという条件だったため、以降は『琉球新報』と目取真のコラボによる小林中傷特集としか言い様がない些かアンフェアな状況に。沖縄に巣食う同調圧力の象徴とも見なされている。》
 また、最近発売された小林氏の著書『誇りある沖縄へ』(小学館)には、琉球新報と小林よしのり氏とのやり取りが次のように説明されている。
だいたい、この連載には「目取真(めどるま)・小林論争を中心にというサブタイトルがついとるけど、わしは目取真俊への反論は一回しかさせてもらっていないんだからね。 〇七年十一月三日に目取真が「風流無談」というコラムでわしを批判した後、琉球新報の記者が「何回かの連載になってもいい」と言うから反論を書くことにしたのに、書き始めた途端に「小林さんの反論は今回限りにさせてもらいます」と言ってきた。(中略)。
 で、わしの反論が掲載された一週間後には、目取真の再反論が紙面に載った。さらに渡名喜(渡名喜守太・沖縄紙を根城にする左翼学者―筆者注)の連載も始まった。でも、わしはもう反論させてもらえない

 このくだりを読んで、琉球新報の罠に見事に引っかかって憤慨する小林氏の姿が想像され、失礼ながら思わず吹き出してしまった。
 琉球新報の常套手段を知らずにこの「論争」を読んだ読者は、おそらく次のような印象を植え付けられただろう。
「沖縄の作家や学者はすばらしい。あの論客の小林よしのりが、たった一回しか反論できず論破されたあげく尻尾を巻いて逃げたのだから」と。

■沖縄紙の共同開発
 では、そもそも沖縄マスコミの常套手段である「沖縄イニシアチブ」方式とは何なのか。
「沖縄サミット」を目前にした二〇〇〇年五月~六月、沖縄の新聞紙面を賑わせた「沖縄イニシアティブ」論争に端を発する。
 沖縄の新聞を舞台に、沖縄の保守系学者が沖縄の将来を展望した政策論を発表したが、これを、数を頼んだ沖縄の左翼学者が袋叩きにした。その論点は肝心の政策論からイデオロギー論に摺りかえられ、左翼学者を支援する沖縄紙の画策もあった。
 そのために以後、沖縄の保守系学者は物言えば唇が寒い状態に置かれ、沖縄二紙は左翼学者の独占状態になる。(略)(『WILL』2008年8月増刊号 「これが沖縄の言論封殺だ」より抜粋)

                   ◇

「佐藤優講演会」で「小林よしのり講演会」に関して述べた部分で書き漏らしたことは次の通り。

佐藤氏は、沖縄紙の言論封殺を知ってか知らずか、

「沖縄紙は公平だ」と述べて、「反対意見は載せてくれない」という沖縄大学M教授の言葉を引用して同氏を次のように批判した。

「新聞が掲載しないのは載せる内容ではないからだ。新聞が掲載するような中身のある論文を書いてみよ」(要旨)

その後続けて、会場の記者にM教授との公開討論を呼びかけていた。

沖縄紙主催の論戦には、くれぐれも「沖縄イニシアティブ方式」にご用心を。

「おまけ」

沖縄紙の言論封殺を書いたエントリ

「輩」は使用禁止用語?小林よしのり氏沖縄講演会

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続・週刊新潮の「集団自決特集」の全文紹介 【追記】

2009-07-17 06:55:52 | ★集団自決

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前稿に続いて週刊新潮記事の後半部分です。(太字強調は引用者)

                  ◆

週刊新潮2009年7月16日号

「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない

沖縄「言論封鎖社会」

櫻井よしこ  

こうして07年10月16日、「パンドラ・・・」は再会された。だが、連載は数年どころか1年も経たずしてまたもや突然、終わった。「もう終わり」と告げられた氏は最終章の執筆に入った。「僕は最終章でどうしても集団自決は軍命ではなかったことを伝えたかった。一話完結。それでも編集者は書き換えを要求し僕は突っぱねた。琉球新報は社長を含めて協議したそうです。結論は、ボツ。ですから、連載は形としては終わっていない。最終回なら末尾に、<おわり>と記されますが、いつものように<火曜ーー土曜に連載>となっています」こうした経過の末に、両氏は今年6月9日の記者会見に臨んだのだ。

取材対象を黙殺

それにしても、96年に上原氏の「軍命はなかった」という記事を報じた琉球新報が今なぜ軍命否定の報道を否定するのか。上原氏が語る。「05年夏に始まった大江、岩波裁判、07年に問題となった教科書検定問題で、沖縄タイムスと琉球新報は、一貫して軍命はあったとという「論調で報じています。それで私の記事を載せるのは具合が悪いと考えたのではないか。彼らの主張の根拠の完全な否定ですから」これでは琉球新報は、自説を通すためには事実さえも握りつぶす新聞だと言われても仕方がないだろう。

「琉球新報も沖縄タイムスも、黙殺が得意技です。僕らの異論がなかったかのようにしようとしています」と上原氏。星氏も彼らの陰湿な「黙殺」を感じている。「私はこの三十数年来、琉球新報で3ヶ月に1回「美術月報」を執筆してきました。ところが先の論文を巡って対立したあと、暫くたった去年3月、突然、「美術月報」の執筆から外されました。 例の論文掲載を拒否した文化部部長が「星さんの文章は難しいから」と言ってきました」

沖縄のメディアの異論黙殺は本来なら取材すべき対象にまで及ぶ。大江裁判で原告の梅澤氏側の代理人を努める松本藤一弁護士が語る。「沖縄タイムスと琉球新報は、大江氏と岩波書店を訴えた我々の裁判に関して、ひたすら我々の主張を否定するかのような報道をしてきました。しかし、提訴以来4年、彼らは一度も我々を取材していません」松本弁護士は、沖縄のメディアはアメリカの統治下で日本離反政策の報道規制に慣れてしまったために、今も、日本を批判する言論が身についてしまったとのではないかと分析する。

集団自決の真実が余りにも無視され、不条理が横行する背景にメディアの問題があるのは明らかだ。上原氏が、最後に、非常に言いにくいことだがと前置きして、援護金の問題について語った。「集団自決の遺族の一部も援護金を貰っています。両深や親族を手にかけて、軍令だと主張し、戦後、億単位のお金を受け取っている。こんな話、恥ずかしくて世界に通用しないですよ」氏の言う「億単位」とは、定められた支給額のうち最高額の年額196万6800円に、戦後の年数を掛け合わせたものだろう。援護金が遺族の生活の一助となっていることを誰よりの知っていたのが今は亡き赤松氏だった。氏は、すべての不条理に関して一言も弁明せず亡くなった。

梅澤氏も沖縄の人々には心底、同情している。メディアの役割はこうした事柄を事実に沿って報道することだ。だが、現実に上原氏や星氏は言論の場から排除され、活躍の場を奪われつつある。一連の関係について問うと、琉球新報は、上原氏の連載を一方的に中止したことはない、星氏の寄稿の不採用も本人納得のことで、集団自決法報道はこれまでの「蓄積」と「裏付け」に基づいていると回答した。沖縄タイムスは「検討中です」と、わずか一行の回答だった。この種の言論封殺が沖縄の未来に影を落とすのだ。

 (完) 

【追記】

かなりの数の転記ミス、文字脱落等がありましたので訂正しておきましたが、他にもミスがあればご一報ください。訂正いたします。

櫻井よしこ氏が自ブログで新潮記事をアップしています。

特集 「 『集団自決に軍命はなかった』と口に出せない沖縄『言論封鎖社会』 」2009年07月16日 

 

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週刊新潮の「集団自決特集」の全文紹介

2009-07-17 00:01:50 | ★集団自決

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苦情や抗議、嘆願はこちらへどうぞ。⇒ezaki@nirai.ne.jp

                                            *

「集団自決特集」掲載の週刊新潮7月15日が発売されて1週間経過した。

5月11日の『うらそえ文藝』による星雅彦、上原正稔両氏の集団自決に関する告発、そして両氏による記者会と、沖縄二紙の捏造体質への告発は続いた。

新聞社としての信用にも関わる致命的な告発にも関わらず、沖縄二紙は沈黙を通してきたが、その波紋は週刊新潮、SAPIOと飛び火していった。

衝撃を受けた左翼ブログは一斉に得意のレッテル貼りや罵詈雑言でこれに応じているようだが、彼らが騒げば騒ぐほど波紋は広がるという皮肉な結果に陥っている。

週刊新潮の特集記事の全文を、2回に分けて以下に引用する。

                  ◆

週刊新潮2009年7月16日号

「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない

沖縄「言論封鎖社会」

櫻井よしこ  

沖縄戦での悲劇、集団自決。そこに運命はなかった、と訴えた沖縄のドキュメンタリー作家らの言論を地元メディアは黙殺した。意見表明さえ許されない沖縄の言論封鎖社会の実態とは、果たして如何なるものなのかジャーナリストの櫻井よし子氏がレポートする。

沖縄で生まれ育った上原正稔氏は、長年、沖縄戦を取材してきた。戦争という極限状態は、個々の人間の真の姿を否応なく剥き出だしにする。醜さとともに、至高の美しさも見せてくれる。その人間模様に魅せられて、上原氏は、ドキュメンタリー作家として戦時下の人間の行動を追ってきた。沖縄戦の悲惨さが際立つ理由のひとつは、日本軍が住民を守るどころか足手まといとして突き放し、死に追いやったとされてきたことだ。米軍上陸を目前にした1945年3月、日本軍が住民に命じたとされる集団自決である。

“集団自決の軍命”を最初に報じたのが『鉄の暴風』だ。50年に朝日新聞から、後沖縄タイムスから出版されている。ノーベル文学賞の大江健三郎の氏は同書を基に『沖縄ノート』を著し、集団自決は軍令だったとした。沖縄生まれの上原氏は、軍命は当然あったと信じていたが、取材を通して軍命はなかったと突き止め、衝撃を受けた。氏は07年沖縄の有力紙『琉球新報』での連載「パンドラの箱を開ける時、沖縄戦の記録」でそのことを取り上げようとした。すると、信じ難いことに「新報の方針に反する」として掲載を拒否され連載は中断されたのだ。

異論を封じる琉球新報をはじめ、沖縄のメディアの異常さについて、氏は、小さな文芸誌『うらそえ文芸』第14号(09年5月刊)の星雅彦編集長(77)との対談で詳細に語った。続いて両氏は6月9日、記者会見も行った。沖縄出身の言論人が、公式に記者会見で集団自決軍令説を否定したのは初めてだ。それだけでも報道する価値はある。だが、地元の2大紙、琉球新報と沖縄タイムスは完全に無視した。両氏の記者会見開催までの経過を辿ると、沖縄のメディアが抱える欠陥とその偏向体質が見えてくる。

7月2日、両氏に那覇市内で会った。上原氏は沖縄の人間にとって、集団自決軍令説は「生まれたてのヒナ鳥が最初に見たものを母親と思い込む刷り込みのようなもの」だと語った。「私は今66歳、沖縄に生まれてアメリカ統治下で育ちました。ロングセラーを続ける『鉄の暴風』で刷り込まれた沖縄戦の印象は長年私の中に残っていました。集団自決の軍命は、当たり前のこととして、あったと。何の疑いも抱かなかった。曽野綾子さんが(73年に)『ある神話の背景』を発表して、軍命はなかったことを詳述したときも、そんな話が本当に成り立つわけがないというくらいにしか、読めなかった」

氏の沖縄戦の取材は80年代から始まり、83年には「1フィート運動」を立ち上げた。「沖縄戦に関するアメリカの映像資料などを収集し、戦争の実態を伝えていく運動です。わずか5ヶ月で1000万円が集まりました。しかし、金目当てで活動に参加する人々の醜さも見た。反戦・平和運動とはこんなものかと嫌気が差しました」

氏は自分を反戦・平和の闘士と誤解してほしくないと強調する。戦争で人間が試され、千差万別の究極の物語が生まれる。その間の姿に興味があると語る。沖縄戦の取材を深めた氏は、85年、沖縄タイムスに「沖縄日誌」を150回にわたって連載した。「戦時中のニューヨーク・タイムスの報道に興味を持ち米国の公文書館などで資料を読み漁り、沖縄に紹介したのです。当時、僕はまだ、集団自決は軍命だという前提に立っていました」変化は突然やってきた、氏自身が渡嘉敷島を訪れたときだ。同島では住民300人以上が赤松嘉次大尉の命令で集団自決をしたとされていた。

曽野綾子氏が丹念な取材で軍命説を覆したのも渡嘉敷島でのことだ。「僕はグレンという米軍人の手記の内容を確認するために渡嘉敷に渡ったのです。そこで当時のことを知る数少ない生き残りの金城武徳さんと大城良平さんらから「軍命などなかった」と聞いた。心底、驚いた。大城良平さんは自分の奥さんが自決しているんです。赤松大尉を問い詰めた大城さんは、住民を死なせるので機関銃を貸してくれと村の指導者が言ってきたが赤松大尉が断ったことを知ったそうです。僕の先入観は真っ向から否定され、崩れていきました」

「沖縄の人々の責任」

実は上原氏は、このときの取材の成果を96年1月1日から同25日まで琉球新報で報じている。連載「沖縄戦ショウダウン」には、赤松隊長の副官だった知念朝睦氏の言葉が、次のように引用されている。「赤松さんは自決命令を出してない、私は副官として隊長の側にいて、隊長をよく知っている。尊敬している。嘘の報道をしている新聞や書物は読む気もしない。赤松さんが気の毒だ」 軍命を否定した上原報道は意外にも、96年当時、なんの非難も受けなかった。「むしろ反応は上々でした。担当記者もよく調べたと言ってくれたほどです。けれど、人間は忘れてしまう。その後、大江氏に対する裁判が始まり、教科書の集団自決記述が問題になり、軍命の有無が殊更話題になりました。そして、私は琉球新報の記者から再び沖縄戦の連載を持ちかけられました」

大江氏の裁判とは、座間味島で集団自決を命じたとされる梅澤裕元少佐らが、「沖縄ノート」の著者の大江氏らを名誉毀損で訴えた裁判のことだ。05年に提訴された同裁判は、大阪高裁が「元戦隊長らが直接住民に命じたかどうか判断できない」とする一方で、名誉毀損は認めない判決を下し、現在、最高裁に上告中だ。上原氏は先の取材で、島の元住人、比喜喜順氏から「赤松さんは人間の鏡。我々住民のために、一人で泥を被り、一切弁明することなくこの世を去った。赤松さんのご家族のためにも、本当のことを世間に知らせてください」と頼まれた。事実を知った今、赤松氏や梅澤氏を悪者に仕立て上げた沖縄の人々の責任は重いと上原氏は感じている。

真実を明らかにして、両氏の名誉を回復し、謝罪すべきだと考えている。そんな思いもあって、上原氏は新たな連載の誘いを受け入れた。氏は96年の連載で取り上げた集団自決軍命説を否定する記事も再度書くつもりだと、あらかじめ琉球新報側に説明し、連載のタイトルを「パンドラの箱を開ける時」と決めた。連載は07年5月26日に始まり、第1章は6月16日に終わった。第2章は翌週の6月19日から始まるはずだった。「ところが、6月18日、琉球新報に行くと、担当の若い記者がとても怖い顔で、『上に来い』と。5階に行くと、別の3名の記者がいて、『これ(第3章の記事)はストップする』と言うのです。

理由をきくと『新報の方針に反する』『96年の沖縄戦ショウダウンと同じじゃないか』と難癖をつけて拒むのです」 上原氏は、記者が週末に上京していたことを思い出した。「大江裁判が継続中であり、記者は否定したが、彼が大江氏にあって相談した可能性があると推測した。琉球新報との話し合いは1時間を越えた。上原氏は4人に吊るし上げらたと感じた。「こんなことでは連載は続けられない。第2章を載せないのなら、他の章も含めて連載を止めるぞ」 記者が言った。 「ああ構わんよ」 上原氏が振り返る。 「薄ら笑いを浮かべ、僕を見下すような視線でした。ここまでくれば売り言葉に買い言葉。僕はすぐに記者会見を開くと言った」 だが、翌日、記者が再度、接触してきた。「上司の当時の編集局長にうまく折り合いをつけるように言われたのでしょう。彼は僕の長年の友人です。彼から、記者会見だけは止めてくれ・・・・・と頼まれ、僕は渋々、承諾したのです」

「掲載拒否」

丁度同じ時期に「うらそえ文芸」の編集長の星氏も似たような経験をした。「上原さんの連載中断の約ひと月後、私も琉球新報から原稿掲載を断られました。集団自決軍命説を否定する内容です。文化部の部長から「今回は掲載できない」と言われました。理由は「今回の状況にあわない」というそれだけでした」

星氏は沖縄県の文化協会会長、県立芸術大学理事長、国立劇場おきなわの理事をつとめる人物だ。そのような人物が、今、軍命はなかったと公に発言しているのだ。「私の場合は、なぜ、今まで公に発言しなかったのかと問われるべきかもしれません。なぜなら、もう40年も前沖縄の本土復帰の前から軍命説に疑問を抱いていたからです。1960年代末に、「沖縄県史第9巻」の執筆を依頼され、沖縄戦の実地調査で「鉄の暴風」に出てくる地域にも足を運びました。そして発見したのは「鉄の・・・・・」の多くの間違いでした。地名、日付。極めつけは集団自決を命じたとされる梅澤隊長が朝鮮人の慰安婦と一緒に死んだと書いていた。周知のように、梅澤さんは今もご健在です。

梅澤さんが軍命を下したと証言した宮城初枝さんにも会いました。けれど様子がおかしい。梅澤さんのことを問うと口を噤むのです。そのときから私は軍令を疑い始めたのです。
星氏は、或る日、「鉄の・・・」の取材者として活躍した大田良博氏に尋ねた。「梅澤さんは死んだと書いてあるが、まだ、生きている、おかしいぞ」「まあ、そんなところもあるねぇ」と太田市は苦笑いして、口を噤んだという。「私は長い間明確な発言を控えてきました。おだやかな表現で問題提起しただけです。にもかかわらず、琉球新報は掲載拒否です」 一方、連載中断で上原氏の言論を封鎖した琉球新報は上原氏に新しい接触を試みていた。中断から4ヶ月後、先の編集局長直々に、連載開始を依頼したのだ。

但し、集団自決は軍命ではないと書かないという条件が、口頭で、伝えられた。「僕はそこで突っぱねてもよかった。けれど、連載は数年間ということだった。僕の側にも伝えたい物語がたくさんあった。いつか真実を書くチャンスもあると期待した。また連載再開の道筋をつけた編集局長をこれ以上傷つけたくない思いもあった」

(続く)

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漢奸の墓は暴いて唾棄せよ! これぞ中国の文化 【追記】あり

2009-07-16 06:48:51 | 未分類

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文末に【追記】あり

《SAPIOの告発に反応するサヨクブログも多いが、遂に当日記も「悪徳言論人」「低劣右翼」はともかく、芥川賞作家センセから「漢奸」という身に余る呼び名を頂くことに相成った。(爆)》

芥川賞作家とは「悪逆非道の日本軍」への怨念をエネルギーにブログを開設し、異論に対しては罵詈雑言を浴びせている沖縄在住の作家目取真俊氏のことである。

ゴーマニストの無知と錯乱

「全体主義の島」というおバカな嘘

沖縄タイムスや琉球新報の論調を批判する当日記を「悪徳言論人」や「低劣右翼」などとレッテル貼りする左翼ブログの存在は承知しており、そこで数人のお仲間が集まって当日記のことを「裏切り者」だの、「ヤマトの犬」だのと悪口の限りを尽くしているのも承知し失笑をこらえながら拝読していたが、

それにしても「漢奸」とは驚きだ。

「漢奸」とは裏切り者のことを意味し、正確には中国(漢)を裏切る売国奴(奸)のことを指す。 

日本を裏切るのではなく「中国を裏切る者」とは、さすが中国を母国と慕う芥川賞作家センセ、その豊富なボキャブラリーは相手を罵倒するときにも、ご自分の立ち位置は中国にあるようだ。(爆)

日本を売った売国奴の尾崎秀実やその手先である沖縄・名護出身の宮城与徳を救国の英雄であるかのように扱う沖縄論壇。

そこで育った作家センセなら、相手を罵倒する場合も「漢奸」の言葉が自然に出るのであろう。 

使用する言葉にも骨の髄まで「媚中・反日」の怨念が染み込んでおられるようだ。

ちなみに「漢奸」と中国に罵倒される代表的人物には、先に述べた川島芳子の他に日本に留学し知日派であった汪兆銘が知られている。 

汪兆銘は「漢奸」として国民党の刺客に狙撃されるが、その傷が元で、1944年、治療のため来日した名古屋にて客死する。

遺体は南京郊外に埋葬されたが、墓を暴かれることを恐れ、棺はコンクリートで覆われた。

だが終戦後の1946年、国民党は、墓のコンクリートを爆破、汪の棺を取り出し、遺体は灰にされた後、野原に捨てられたという。

「漢奸」の墓を残すわけにはいかないという執念深さが垣間見れる中国文化である。

日本には平将門の首塚に見られように朝敵とされる平将門も没すれば丁重に葬って慰霊する文化があり、中国が「漢奸」に遇する様に墓を暴いてまで、死者を冒涜する文化はない。

中国を母国と慕う作家センセが相手を罵倒するのにはやはり「漢奸」の言葉が一番相応しいのだろう。

それしても・・・漢奸ね~。

将来は筆者の墓も暴かれて、骨はゴミ箱にでもばら撒かれるのだろうか。

恐ろしや~、ブルブル。

 

【追記】

日本には死者に鞭打つ文化はない!

【海南】跪いて謝罪する「東条英機像」を製作(写真)_



 



  海南省のあるホテルに8日午前、日本のA級戦犯である東条英機が中国の人々に跪いて謝罪する彫刻が登場し、市民の注目を集めている。

  彫刻は、ホテル側が「現代の若者が歴史を忘れず、中華民族の再興という使命を担っていくように」との願いを込めて特注したものという。(編集UM) 

  「人民網日本語版」2004年1月10日

 

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何時まで続く金城重明の強弁 渡嘉敷島の集団自決

2009-07-15 20:26:00 | ★集団自決

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沖縄タイムスの教育面で、大学生に講演する金城重明氏の記事を見つけた。 ウェブサイトにも載らない同記事を「逆風ってすばらしい!」の縁側さんが一刀両断しているので紹介したい。

◆以下引用

久々に集団自決関連の記事を。

本日の沖縄タイムスに渡嘉敷島の集団自決の生き証人と一応はいわれている(実際は単にたくさん殺した人なのだが)金城重明氏(80)が言いたい放題の講演会を開いている。以下転載。

「集団自決」実相 学生たちに語る キリ学 金城重明さん

 沖縄戦時の渡嘉敷島で「集団自決(強制集団死)」を体験した、金城重明さん(80)を招いた講演会が、11日、沖縄キリスト教学院大学で行われた。 (中略)

 金城さんは、沖縄本島上陸前になぜ米軍が慶良間諸島に上陸したか、当時天皇は神であると教えられ「天皇のために死ぬのは名誉」とたたき込まれていたこと、米軍上陸の1週間ほど前には通常では民間人の手に渡ってはいけない手りゅう弾が役場の男子職員に手渡されたことなどを説明。それから渡嘉敷島に米軍が上陸したあと、どのように人々が集められ、命令が伝わり「集団自決」が行われたか、話した。金城さんは、「殺そうとしてやったのではない。生き残ることが恐ろしかった。愛情ゆえのこと。軍の命令で追い込まれていった」と戦後64年苦しみ続けていることをゆっくりと語った。

 学生たちは、静まりかえって聴き入り、涙を浮かべる者もいた。

 上原志野さん(保育課1年)は、「資料を調べる中で軍命はなかったとするものも多く自分の中で混乱していた。お話をあらためてうかがい、「軍命はあった」とあらためて思った。自分でいろいろ調べた後で聴くと重みが全然違う」と、感想を話した。

                               (転載おわり)

う~ん。金城氏、80歳にもなってまだまだ大嘘吐き通すつもりのご様子。まぁ死ぬまで改心することはねーな。世間ではこーいう人間のことを「人でなし」というのですが・・。このじーさんの犯した罪については、SAPIOの「ゴー宣」をご覧になれば一目瞭然です。あるいは、沖縄在住の狼魔人氏の「狼魔人日記」が詳しいです。

記事に戻るが、

沖縄本島上陸前になぜ米軍が慶良間諸島に上陸したか?

:特攻艇の部隊がいることバレバレだったからさ。

米軍上陸の1週間ほど前には通常では民間人の手に渡ってはいけない手りゅう弾が役場の男子職員に手渡されたこと?

:防衛隊(地元の人間)だろ?兵役経験者だよ。

渡嘉敷島に米軍が上陸したあと、どのように人々が集められ、命令が伝わり「集団自決」が行われたか?

:地元の人間同士で集まって地元の人間同士で自決したのです。軍命?アホか!

金城さんは、「殺そうとしてやったのではない。生き残ることが恐ろしかった。愛情ゆえのこと。軍の命令で追い込まれていった」と戦後64年苦しみ続けていることをゆっくりと語った。

:いーや、殺意満々ですよ。愛情ゆえ?家族以外の人間も多数殺しておいてよく言うぜ。軍の命令で追い込まれていった?はぁ~、日本語の理解が遅すぎだぞ、金城翁よ。80だろ?大学の名誉教授だったんだろ?生き残ることが恐かった→愛情ゆえ→軍の命令で追い込まれた・・・・・。このじーさんボケてんじゃねーのか?

ところが、聴講した学生は「命令はあったとあらためて思った」だとさ。話し手もアホなら聴き手もドアホ。こいつらには思考力がないのかね?

このじーさんや過去にエントリーした宮城晴美などのせいで、「者」と呼ばれ、不遇のうちに人生を終えてしまった赤松氏。また現在90歳を超えても真実をはっきりさせるまで死ねないと頑張っている梅澤氏。言葉にならない辛いことも多々あったはずだよな。この金城は牧師だよ。大嘘つきで、人に罪をなすりつけ、それを語り続けている最低の人間が牧師なのです。

キリスト教徒の皆さん!同じ信者に人でなしがいるのですぞ。恥をしりなさい。

◆引用終了                    

                  ◇

縁側さんの的確な批判で、これ以上付け加えると蛇足になるが、

一つだけ補足すると金城氏は、「米軍上陸の一週間ほど前に手りゅう弾が住民の手に渡った」と主張しそれが軍命令の証拠というが、米軍攻撃を全く予想していなかった赤松隊長がその時期に住民に自決命令を出す根拠はない。

ちなみに米軍が渡嘉敷に上陸した3月27日の一週間前、3月20日の「陣中日誌」には次のようなのどかな記述がある。

3月20日 晴

第一次戦闘配備計画完了のため戦隊は本二十日、二十一にちの二日間を休養日とし各隊休養す。 戦隊長は村民の労を慰うため村長以下各指導者と共に会食し労をねぎらった。>(陣中日誌)

ここには軍が住民に手りゅう弾を配って自決命令を出す緊迫した雰囲気は微塵もない。

それどころか住民の協力に感謝した戦隊長(赤松)が、住民を会食で接待し労をねぎらう和やかな雰囲気しか読み取れない。 おそらくは興が乗ってカチャーシーでも出てきそうな和気あいあいとした雰囲気であったのだろう。

 

集団自決問題の入門には次のサイトが要領よくまとめてあるので参考になる。

沖縄戦集団自決命令問題

週刊新潮もSAPIOも現在沖縄で発売中のようで、その時期に学生相手に全く整合性のない「軍命論」を語らされる金城重明氏もある意味お気の毒なお方だ。

自分の殺戮行為が赤裸々に描かれているSAPIO最新号をテキストにしての講演会ならその蛮勇を褒めたいが、おそらく未だ目を通してはないのだろう。

SAPIOの告発に脊髄反応するサヨクブログも多いが、遂に当日記も「悪徳言論人」「低劣右翼」の罵詈雑言に続いて、

芥川賞作家センセから「漢奸」という身に余る呼び名を頂くことに相成った。(爆)

「漢奸」という大迎な命名をされ、思いは一瞬にして時空を越え、赤い夕日が映える満州の広野を荒馬で駆け回る川島芳子の幻影を見た。 

男装の麗人川島芳子(本名・愛新覚羅 顕シ)は、戦後「漢奸」の咎で中華民国に処刑された。

続く

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中国に包容力を求める沖縄タイムスの恥さらし

2009-07-15 06:45:35 | 未分類

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沖縄タイムス 2009年07月13日 社説 

[少数民族政策]
不満解消へ包容力示せ

中国西部にある新疆ウイグル自治区の区都ウルムチで起きた大規模な暴動から12日で1週間。市民生活は表向き、平常に戻りつつあるというが、暴動で露呈したウイグル族と漢民族の対立感情を解消するのは容易でない。

 胡錦濤国家主席は、暴動発生で主要国首脳会議(サミット)参加を取りやめ、滞在先のイタリアから急きょ帰国した。中国政府の受けた衝撃の大きさを物語っている。

 10月に建国60周年の慶事を控え、社会の安定を最重視する胡錦濤政権は、各地で散発的に噴き出す「少数民族の異議申し立て」にどう対処していくのだろうか。

 中国には総人口の9割を超える漢民族と、ウイグル族、チベット民族など55の少数民族がいる。

 少数民族が集中的に居住する地域を民族自治地区に設定し、中央政府の統制の下で、限定的に自治権を認める―というのが中国の少数民族政策だ。

 中国政府が今、最も神経をとがらせているのが新疆ウイグル自治区やチベット自治区での独立運動の動きである。中国政府は2009年1月に発表した国防白書で「国家の統一と安全を脅かしている」と、これらの動きを名指しで批判した。

 だが、出るくいはたたくという鎮圧的姿勢だけでは、多数派の漢民族と少数民族の対立の火種を断つことはできない。経済格差や宗教の自由の制限、民族差別などによって生じている少数民族の不満を和らげる民族融和策を打ち出すことが必要だ。

 新疆ウイグル自治区のウルムチで起きた今回の暴動は、ちょっとした「ボタンの掛け違い」が民族感情を刺激し、暴発を招いてしまう民族問題の危うさを浮き彫りにした。

 事の発端は、広東省のおもちゃ工場で6月26日、ウイグル族と漢民族の労働者が乱闘になり、ウイグル族2人が死亡したことだ。ネット上の書き込みがうわさとして広がった結果、だといわれる。

 これに反発したウイグル族がネットなどで抗議行動を呼びかけ、5日、ウルムチに集結した。

 デモ隊は鎮圧に乗り出した武装警察と衝突。穏やかなデモが暴動化し、180人を超える死者を出してしまった。

 7日にはヌンチャクやこん棒、刃物などを手にした漢民族がウイグル族を非難しながら行進し、一触即発の状態に陥った。政府でさえ制御困難な民族主義の激情。その危険性を痛感したのは中国当局のはずである。

 清朝が崩壊し半植民地状態に陥って以降、内戦を経て中華人民共和国が成立するまで、中国は国際社会から「病める巨象」といわれてきた。

 あれから60年。中国は驚異的な経済成長を遂げ、「昇竜の勢い」にある。08年8月の北京五輪では金メダルラッシュにわいた。

 だが、その一方で、自治区での暴動が多発し「危うい大国」というマイナス・イメージを国際社会に与えている。「安定した社会」の実現のため、胡錦濤政権は、少数民族が抱える不満に向き合ってほしい。

                     ◇

「ウイグル騒乱」を、〈ちょっとした「ボタンの掛け違い」が民族感情を刺激し、暴発招いて・・・〉と捉える沖縄タイムスの現状認識にあきれ返ってしまう。

〈ちょっとした「ボタンの掛け違い」〉とは、本人がそれとは知らず間違ってしまったことが他人の目には奇異に見えるという意味であることは小学生でも分かること。

アメリカに35年以上住むという方の説明によると、「ボタンの掛け違い」は、英語ではこう言うらしい。

 put buttons in the wrong holes/buttonholes.
 
なるほど、英語の表現でも「間違ったボタン穴」に気がつかず掛けてしまったいうニュアンスであり、それと気がつけば「正しいボタン穴」に容易に掛け変えられる。

ここで重要なのは、「本人が意識していない行為」であるということであり、己の間違いに気がつけばやり直しが容易にできるということも意味する。

だが今回の「ウイグル騒乱」は果たして中国政府当局がそれとは知らず「ちょっとした」間違いで行ったことの結果だといえるのか。

前に引用したメルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」に、こういうくだりがあった。

中国共産党の遣り方は世界の常識の百八十度、反対側にある。

血の弾圧をすればするほど、出世するのだから。胡錦涛もチベットで民衆の不満を血の粛清でのぞみ、とんとんと出世階段を駆け上った。》

そう、胡錦涛・中国の民族弾圧政策は確信犯的であり、過去に胡錦涛がチベットに行った民族弾圧を考えれば、

「ちょっとしたボタンの掛け違い」なんてトンチンカンな社説を書けるはずはない。

沖縄タイムスは全てを承知で「世界の常識の百八十度、反対側にある」中国に「少数民族の不満解消のため包容力を示せ」と言うのだろうか。

これは八百屋に魚を求めるようなもので所詮は実現不可能な無い物ねだりだに過ぎない。

胡錦濤はチベット虐殺の張本人だった

 
■世界最悪の独裁者に「包容力」を求めるは、ないだろう。

ワシントン・ポストの付録誌『パレード』が発行している世界最悪の独裁者ランキングにて、胡錦濤は2004年以降選出されている。それによると、2004年には第3位、2005年には第4位、2006年には第6位、2007年には第4位、2008年には第5位、2009年には第6位に入っている。主な理由はメディア統制、インターネット監視、30万人強制収用である。(ウィキぺディア

 

■胡錦濤がチベットで行った少数民族弾圧

1988年胡錦濤はチベット自治区党委員会書記に就任したが、チベット自治区の区都ラサではデモ活動が起こっていた。1989年1月19日、ラサにて公開裁判をおこない、前年3月に起きた抗議運動に加わって逮捕された僧侶に死刑判決を含む重罪判決を言い渡した。その際、僧侶の頭を押さえるなどチベット民衆に対する見せしめとなった。その直後の1月28日、パンチェン・ラマ10世が急死したが、多くのチベット人は胡錦濤がそれにかかわったと信じている。同年3月には抗議運動が大規模なデモ行進にまで発展したため、胡はラサ全市に3月8日午前零時から戒厳令を布告した。戒厳令布告は天安門事件に先立ち中華人民共和国史上初めてのことであった[21]。日本では、この時にチベット独立運動を押さえ込んだことで党指導部の信頼を勝ち得たと言われることもあり、2008年のチベット動乱の際にもメディアで批判される根拠となった。その後、1989年6月に天安門事件が勃発した際も、その民主化運動のチベットへの波及を防ぐため、ラサを戒厳令下に置いた。以降チベット自治区の最高責任者にあった4年間、「1.分離主義の弾圧、2.経済建設を推進」する政策を実行した。(ウィキ)

                     ◇

タイムス社説は結びでこう書いている。

<自治区での暴動が多発して「危うい大国」というマイナス・イメージを国際社会に与えている>

中国のウイグル弾圧は、中国が「危うい大国」というマイナスイメージという次元の問題ではない。

中国の少数民族に対する弾圧は、中国が危険な国そのものであることの象徴である。

少数民族弾圧で中国のトップにのしあがった世界最悪の独裁者・胡錦濤に「少数民族に包容力を示せ」とトンチンカンな社説を書く沖縄タイムスは、世界の恥さらしだと思う方

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焼き鳥による豚肉文化の抹殺?!【追記】あり

2009-07-14 17:55:38 | 食文化

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臭みの無いオリジナルブランド『石垣山羊』のご紹介

2021-08-26 05:52:53 | 食文化

 

プロフィール画像

NO!残紙キャンペーンサイト

 

⇒最初にクリックお願いします

 

代表者あいさつ

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 うみそら牧場代表取締役 玉津博克からのご挨拶です。

 当社設立の経緯、目指す方向性など表明させて頂きます、http://umisora.okinawa/?page_id=599

石垣山羊

 当社のオリジナルブランド『石垣山羊』のご紹介です。

 臭みがなくてコクがある石垣山羊をお知りになりたいかたはこちらをご覧ください。

うみそら3点セット

 当社製品~やぎスープ、やぎ汁、やぎ刺し~をこちらから購入することができます。

 お中元などの贈答品としてもご利用ください。

※ 通販用の外部ページへジャンプします。

https://umisorayagi.thebase.in/

 

【豆知識】

沖縄方言で山羊(やぎ)をヒージャーという。

山羊は髭を生やしており、沖縄方言で髭(hige)はヒジ( hizi)という。

そして髭のある者をは語尾をのばして(ヒジャ―)という。山羊(ヒ―ジャー)は髭のある動物でヒージャーと転化した。

        

 
文末に【追記】あり

最近の沖縄タイムスは少しヘンだ。

先日の土曜日(11日)、友人達との飲み会で、その沖縄タイムスが話題になった。 

またしても捏造記事かと思ったらそうではなく、「最近の沖縄タイムスの見出しは三流週刊誌並みだ」とはタイムス購読者N君の弁。

以前に沖縄タイムスの見出しは「東スポ」並みだ、と揶揄したら「東スポ」に失礼だと切り返されたことを思い出した。

土曜日(11日)のタイムス一面と社会面のトップ見出しを見たらこうなっていた。 一面のトップですよ!

◆一面トップ

働けど苦難の波

父の責任 離婚で暗転

お金は全部母ちゃんにあげた

 

◆社会面トップ 

夜空の下 公園へ

胸に自負 家族頼らず

昼はビクビク、人がいないと夜は安心できた

どうやら連載特集<生きる譜>を一面トップと社会面トップに持ってきたらしいが、社会面はともかく、一面トップでこの見出しはないだろう。

それとも沖縄タイムスは捏造新聞の汚名を返上するため、紙面を「東スポ化」して読者を煙にまくつもりなのか。

                   ◆

そして翌日(12日)のタイムスは、同じく一面と社会面で「焼き鳥特集」ときた。 

これでは、一転、まるでグルメ新聞ではないか。

沖縄タイムス一面 2009年07月12日 社会 

本格「焼き鳥」 南に定着

開店しやすさ背景/食の本土化 店舗急増
 
焼き鳥は庶民の味として県内でもファンが広がっている=那覇市久茂地「一巡」

 生肉や炭火などにこだわった本格的な焼き鳥店が県内で増えている。開店資金が少額で済み、技術が手早く習得できることが背景にあるようだ。今後も本土企業が店舗拡大を狙い、県内大手も系列店増を図る見通しで、飛ぶ鳥を落とす勢いで増加している。食文化の専門家は、交流人口増加に伴う沖縄食文化の「本土化」が進んだ一例だとみている。(特別報道チーム・中島一人)

 県飲食業生活衛生同業組合(當山政順理事長)によると、沖縄本島の「焼き鳥専門店」は、2003年度の60店舗が09年3月末には91店舗。約1・5倍に増えた。特に目立つのが那覇市の22店舗増。同市では焼き鳥を扱うくし焼き・炉端店も284店舗が営業する。

 津波古清史さん(39)は200万円をためて脱サラ。04年、美栄橋駅前に23平方メートルの「串清」を開業した。「焼き鳥店は小さなスペースで営業可能。機材も少なく、冷蔵庫と焼き台だけで済む」と魅力を語る。

 久茂地川沿い「白鳥」の大谷明正さん(30)は06年に屋台で出発した。元手は15万円。「焼く作業は簡単だが奥が深い」と味の追究に余念がない。

 那覇市内に店舗を構え、県内焼き鳥事情に詳しい国仲憲一さん(37)は「焼き鳥店は開店資金も安く、技術習得も早くできる」と店舗増の背景には開業の手軽さがあると分析。焼き鳥ファンの増加も店舗増を後押ししている―とみている。

 個人経営が大部分だが、大手も店舗を拡大する。

 大阪に本社のある「大吉」は1989年に県内初出店し、今では11店舗。「焼き鳥の味とヘルシーさが県民に浸透し、知名度もアップした」とみて、20店舗まで広げる考え。県内資本の「串角」も2003年、那覇市久茂地に本店を構えて以降、12店舗まで増やしており、「好物件があれば今後も出店を検討する」という。

 沖縄の食文化に詳しい金城須美子琉球大学名誉教授は「豚肉文化である沖縄に、鳥料理やあぶる・焼くといった調理法はほとんどない」と焼き鳥の異文化性を指摘。焼き鳥店の増加は「復帰後に炉端焼きが流行したが、さらに人の交流が増えて本土文化が入り、定着した形」とみている

                   ◇

 2009年07月12日 社会面 

焼き鳥 熱いサバイバル/激しい競争へ 知恵絞る【社会】

サイドメニュー充実・負けない一品・数種の塩で食す提案


 県内の焼き鳥店は那覇市での増加が著しいが、最近は郊外へも広がりつつある。競争激化による淘汰の時代を迎えることが予想され、各店舗は生き残りに向けて知恵を絞っている。(特別報道チーム・中島一人)

 地域別の「焼き鳥専門店」は、2003年度からの6年間で、那覇市が22増の66店、南部が4増の11店、中部は4増の13店と、都市部で競争が激化している。

 新規出店の増加に既存店の危機感は強い。

 「他店が増えた影響と不況で客足は落ちている」と話すのは、那覇市首里で12年間営業する「鳥ほり」の真栄城徳雄さん(50)。

 同市壺屋で20年続く「勝ちん」の勝連朝健さん(55)も「勝ち負けの時代に移った」と危機感を抱き、「メニューを増やし、絶対に負けない一品が必要」と生き残り戦略を描く。

 キャリア26年の林悟さん(53)=同市久米「木綿屋」=は「固定客をあきさせないようサイドメニューも充実させたい」と話した。

 顧客獲得のため味やサービスを追求するのは新規参入組も同じだ。浦添市のパイプライン沿い「鶏坊」の平良一也さん(34)は、洋食の経験を生かして焼き鳥に数種類の塩を添える新たな食べ方を提案する。

 一方、焼き鳥店の急増ぶりに、県内業界の先駆者は目を丸くしている。

 那覇市桜坂周辺で、1960年前後から93年まで「ときわ」を営んでいた金城春さん(85)と、2006年まで46年間にわたり「灯」を営業した城間常子さん(76)は「本土建設業の客が多く、タレや焼き方なども教わってメニューも研究した」と60年代を懐かしみながら、店を長く続けるには味の研究が大切だ―と経営の“コツ”を指摘した。

                     ◇

なるほど、焼き鳥大好き人間の筆者としては、店の紹介もあるし興味深い記事ではあるが、何も一面と社会面の二面を使う必要もなかろう。

沖縄人は「泣き声以外は全部食べる」といわれるほど豚肉を好む県民で、沖縄は豚肉文化そのものといえる地域である。

米軍占領下の時代に米軍によるステーキやハンバーガーの普及により、牛肉文化も一部発展したが、鶏肉文化は不思議と沖縄では馴染みが薄い。 

沖縄料理の中でも鶏を使った料理は、ぶつ切りにした鶏肉を冬瓜などと一緒に煮た汁物があるようだが、ソーキ汁のように一般的ではないし、街の食堂のメニューにもない。

従って焼き鳥文化が盛んになるのは記事がいう、本土との「交流人口増加に伴う沖縄食文化の『本土化』が進んだ一例だ」という説には説得力がある。

多くの焼き鳥屋さんが紹介されているが、記事の中に筆者が知る店があったが、現在の久米の店に移転していたことは記事で始めて知ったくらいで最近は縁遠くなっていた。

その店「木綿屋」は以前は西町の沖縄不二ホテル(現在は名前が変わって沖縄ポートホテル)裏でご夫婦で経営していた。

他店にはないカリカリに焼いたシロがあるので、それをを目当てによく通った。 

店主の林さんはバブル崩壊前の松山が華やかなりし頃、確か「ふうらいぼう」という一風変わった焼き鳥屋で修行をしていた。

「ふうらいぼう」はこれまでの安かろうまずかろうの薄汚い焼き鳥屋のイメージを一新し、焼き鳥の種類も多種で味もよかったが価格は高めであった。 それでも大繁盛していたのは焼き鳥の味だけではなく、別にも理由があった。

沖縄で焼き鳥屋といえばオバーかオジーが店主で、ヤマト風にいってもタオル鉢巻のオヤジが主というイメージだが、「ふうらいぼう」はそのイメージを破って、和服の年増の美人ママが店主であった。そのためか、焼き鳥よりもママがお目当ての客も多かったと聞く。

ところが大繁盛している筈なのに、何かワケありだったのか、突然閉店し、「ふうらいぼう」のその後の消息はようとして不明であった。

それが西町の友人の事務所の近くにあった「木綿屋」に偶然立ち寄ったら「ふうらいぼう」の「焼き」を担当していた林さんが独立しているのを知った次第。

筆者の好みの味の「ふうらいぼう」と同じ味を引き継いでいたのでしばらく通ったが、退職とともに「引きこもりオヤジ」と化してしまい、自然と足が遠くなっていた。

それで、今回の記事で久し振りに懐かしい名前を知ったわけなので、 当然現在の久米の店には行ったことはない。そのうちシロを食べに行ってみようかとも思う。

タイムス記事の焼き鳥屋の中に知っている店を発見し、懐かしさの余りについ脱線してしまったが、沖縄タイムスが焼き鳥の食文化を一面と社会面を使って報じる狙いは、次のくだりあたりにあるのだろうか。

<沖縄の食文化に詳しい金城須美子琉球大学名誉教授は「豚肉文化である沖縄に、鳥料理やあぶる・焼くといった調理法はほとんどない」と焼き鳥の異文化性を指摘。焼き鳥店の増加は「復帰後に炉端焼きが流行したが、さらに人の交流が増えて本土文化が入り、定着した形」とみている。>

この金城教授のご託宣が時間とともに転化して、「沖縄の伝統的豚肉文化を日本の鶏肉文化が侵略、放逐した」とか、

「鶏肉による沖縄文化の抹殺」なんてことを叫ぶ基地外は出てこないことを望みたいもの。 

そういえば木綿屋の林さんは本土出身だと聞いたが奥様は沖縄県人と聞いた。 これもヒガミ根性丸出しの琉球民族派の基地外にかかると、

「ウチーナームーク(沖縄婿)は、琉球民族の民族浄化だ! 一刻も早く国による琉球民族の先住民認定を!」となるのだろうか。(爆)

そして「琉球民族は豚肉が食べたいのに、日本民族の食文化弾圧で泣きながらヤマト文化の焼き鳥を食べている」と絶叫する基地外が出てきたりして。

勘弁して欲しいね。

 

結局タイムスの言いたいことは、これかね。⇒縁側さんの沖縄タイムスの連載その3

【追記】

沖縄タイムスが誤ったメッセージを送り続けると、「フリー沖縄!」を叫ぶ中国人が出てくるとは思っていたが・・・。

実際にいたと聞くと沖縄人としてはショック!

以下は読者のchudoさんのコメントの一部引用です。

聖火リレーの時に長野へ赴いたプロチベットの人々が「フリーチベット!(チベットに自由を!)」と叫ぶと、在日中国人(留学生)らが一斉に「フリー沖縄!」と叫んでいたのが印象的でした。>
タイムスよ、いい加減にしろ!

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続・ウイグルと沖縄 歴史の見方(改訂版)

2009-07-13 06:36:46 | 未分類

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今朝の沖縄タイムスは、「ウイグル騒乱」について「ボタンの掛け違いによるものだから、中国政府は不満解消に包容力をしめせ」とトンチンカンな社説を書いている。

タイムスは胡 錦濤が若くして中国のトップにのし上がった理由をご存じないようだ。

一方、チベット弾圧やウイグル弾圧と、日本の沖縄に対する政策とを同列に扱う反日主義者がいるようだが、元沖縄の教師のトラネコさんがその愚かな思考を一刀両断しています。

以下引用

歴史の見方(改訂版) 2008年11月27日

過日ある酒席で50代後半の男性と同席した。
仮にA氏と呼ぶ。
A氏とのいろんな話の中でこんな話が出た。

沖縄と日本政府」との関係は「チベットと中国政府」の関係に酷似しているというのだ。
つまりチベットは中国に侵略された。
沖縄もかつて江戸時代初期の薩摩藩、明治時代には琉球処分によって、
日本政府の「侵略」を受けた。
チベットへは中国政府がインフラ整備し鉄道を通し豊かにしたが、
言語を奪い、歴史文化やチベット文化を破壊した。
沖縄も日本政府がインフラ整備し経済投資して本土並みに豊かにしたが、
本土との通信、交通が活発化するほどウチナー文化が失われていった。
だから「日本における沖縄」は「中国におけるチベット」だというのだ。

その場は酒宴でもあるし、ほかにも人がいるので場の雰囲気を壊してはいけないので、
あえて私は反論せずに黙って聞いていた。
しかし内心では、なんと短絡的で浅薄な発想なのだろうと私は思った。
A氏は教養もあり、温厚誠実で、ある意味立派な紳士である。
しかしこのような人物でも、ある種の屈折した歴史観を持っているのに驚いた。

本当に沖縄とチベットの状況は酷似しているのだろうか?

まず事実関係だけを客観的に見ると、チベットも沖縄も元独立国家であった。
それを強国の「侵略」によって国家消滅させられ、国家併呑されたのは事実である。

しかしその事実の歴史的背景や国際情勢を付加して分析すると、
決して沖縄とチベットが同列に論じられることは成立しない。
そのことを見ていく。


「沖縄侵略」の薩摩藩は17世紀、明治新政府の時代は19世紀で、
この時代は西洋列強の植民地主義、帝国主義の時代である。
世界中が弱肉強食の論理で動いていた時代である。
地政学的な位置にあって軍事力の脆弱な国家、地域は強国に呑まれる時代であった。
沖縄(琉球王国)は薩摩侵略の1609年以降薩摩の「傀儡国家」として存続し、
1879年の廃藩置県で王国が消滅し、沖縄県として日本に組み込まれた。
しかしこれはあくまで日本への併合であり植民地政策ではなかった。
このことは後の台湾や朝鮮半島政策とも同様である。

植民地とは宗主国の一方的搾取と奴隷的待遇におかれるということである。
併合とは併合主体国と同じ政策や恩恵を国家に保障されるということである。


チベットは第二次大戦後の民族自決の時代に、
列強の植民地が次々独立していったころに中国共産党の軍事介入で侵略された。
そしてそのときおびただしい寺院や文化財が破壊され、大量虐殺が起こった。
そして現在に至るも中国共産党によるチベット人絶滅政策は続いている。

チベットでは漢民族の政策的移住が国家によって推進され、
チベット人は仕事を奪われ、行政には殆ど漢人が独占し、
主要な産業、企業もチベット人は就職できない。
無論チベット人は中央官庁など絶対に就職できない。
漢人支配による徹底的な民族差別を国家政策で強行している。
しかも子孫を作らせない為、若い婦女子は共産党によって、
強制的に上海などの経済発展した東沿岸部に連行され、
そこで就職させられ、現地の漢族男性と結婚させられている。
これも民族浄化の国家政策である。

中国政府が青蔵鉄道を敷いたのは、チベットの発展に貢献する目的ではない。
チベットの豊富なレアメタルや地下資源を運び出すためと、
対インド戦略の要所として、チベットの氾濫を速やかに鎮圧できるように、
人民解放軍派遣を迅速に行う目的である。

一方沖縄はどうであったか。

明治維新のころ沖縄は既に薩摩藩の支配下の琉球王国であった。
これは薩摩の経済的支配であり、植民地支配であるといえる。
しかし明治政府の場合だが、日本への帰属を拒否した琉球支配者層を警察権力で
強制的に押さえ込んで「併合」したことは事実であるが、決してチベットのような
民族大虐殺や文化財の徹底した破壊行為などはなかった。

しかも何度も書くがこの時代は帝国主義の時代である。
軍備の脆弱な小国、しかも地政学的重要性のある地域では、
確実に大国に呑み込まれることが常識の時代であった。
琉球王国は弱小国家であった故に薩摩に侵略されたのだ。

この点はチベットも同じである。
仏教を信じてひたすら仏に祈っておれば、国家は安泰であり、
軍事は殺生に通じてよくないことだといった無関心さが、
中国軍にあっという間に蹂躙されてしまったのだ。
日本の「憲法真理教」信者と同じである。

「もし沖縄が中国に帰属していたら?」言う程度の想像力は働かせたいものである。
これについては「幻の沖縄独立論」でエントリしたとおりである。



明治時代の富国強兵政策のなかで、方言抹殺
という「文化破壊」をされたとA氏は言う。

しかし当時徴兵制のあった時代、
軍隊での命令伝達系統を円滑化する目標もあり、
東北でも九州でも日本全国方言を使っていた地域は、
国語教育で日本語の標準化が進められたのであって、
沖縄だけが特別方言抹殺というわけではなかった。

ただ沖縄の場合は方言というより琉球言語といえるほど、
日本本土よりも言葉自体が歴史的推移の変化に追随していなかったため、
また音韻変化が著しいために、言語の標準化が本土より強制的であった面はある。

しかし先にも述べたように、この時代は帝国主義の時代であり、
日本が列強の植民地にならない為の急務の国家課題であり、
そのためにはどこかに軋轢や不幸が生じるのは、止むを得ない措置であった。

また現在でもウチナー口(沖縄方言)が衰退しているのは事実だが、
これは沖縄だけでなく、方言衰退は全国的な現象である。
それは交通、通信、流通などの発展に伴なって起きてくる普遍的現象である。

逆に全国各地の地域の郷土芸能なども、
年々後継者不足で保存会が苦慮している中において、
むしろ沖縄は市民レベルで普遍的に継承され愛されでいる点では、
全国的にも地域文化の保存度は高いほうだと思う。
むしろこれは誇れる文化であると思う。
しかも国立郷土劇場は沖縄文化の保存、育成に国が建てたものである。
決してチベットのような文化破壊を国政が行っているわけではない。


また私の悪い癖である話の脱線である。

朝鮮半島政策でも日本は朝鮮民族の文化保存に尽力した。
現在の韓国は「日帝の七奪」と言って、日本は朝鮮文化を破壊したという。
しかし朝鮮総督府ハングルの普及に努めている。
現在ハングル文字が朝鮮半島に普及したのは日本のお陰である。
そもそもハングル文字は第十五代朝鮮王によって使用禁止された文字である。
朝鮮教育令では朝鮮語は必修とされ、初の朝鮮語辞典も作られた。
朝鮮語辞典など朝鮮の歴史上初めてのものである。

1897年日本の小倉昇平氏がソウル語を標準語として、
漢字・ハングル混じりの文章を体系化した。つまり日本語の平仮名的使用である。
朝鮮語、ハングル学史」で漢文教育主体で90%以上が文字の読めない朝鮮人達を
教育するために使いだした。
1913年に本格的に小倉昇平、金沢昇一郎博士によりハングル教育が始まり、
朝鮮半島に教育が出来る様に成った。

現在韓国、北朝鮮に言語教育が普及し国民が読み書き出るようになったのは、
日本人言語学者と教育学者を中心とする専門家の努力によるものだ。

これは何度強調してもし過ぎることはない。

創始改名20パーセント近くの人が行っていないし、
日本帝国陸軍の将軍や国会議員朝鮮名で堂々と名乗った朝鮮人もいる。
現在の在日が日本人名で犯罪を犯し、本名を隠しているのと大違いである。
日本語の強制は朝鮮半島が日本に併合されたのだから、
日本語教育は当然であり、それ奨励されるべきである。
にもかかわらず、日本政府がいかに朝鮮人ですら出来なかった、
朝鮮文化の保存と普及をしたかが良くわかる。

現いかに嘘八百の歴史を教えているかがわかるだろう。
真面目に救いようのない○○民族である。


話を戻す。

政府の沖縄への投資についてである。
私の私淑する沖縄の保守論客である恵隆之介氏によれば、
廃藩置県以降の明治政府の沖縄政策は、莫大な国費の投資があったそうだ。
沖縄の本土復帰以降2000年まで10兆4千億円もの巨費を政府は沖縄に投じている。
また戦後の米軍統治下でも、米兵の悲惨な事件や被害は声高に叫ばれるが、
米軍が沖縄に建設した各県立病院、看護学校、琉球大学、県立博物館、幹線道路などは、教育でも報道でも殆どの県民に知らされない。
マスゴミと教職員組合は「アメリカ帝国主義」からの恩恵は極力隠しておきたいのだ。

<参考>「わが沖縄県民よ 忘恩の民になるのか」恵隆之介
http://www.cosmos.ne.jp/~ryunosuk/jp/jno5.html


チベットでは中国の侵略以降人口が激減し、120万人が虐殺され、
現在600万人のチベット人に対し、750万人の漢人がチベット内にいる。
チベットのように中国政府(=共産党)の国策で弾圧と搾取と民族浄化
現在も進行中であり、しかも北京五輪前にそのことが世界中から非難された事も記憶に新しい。

沖縄県の人口は沖縄戦で10万人の死者を出して昭和20年で51万人だったが、
昭和49年には100万人突破し、現在では132万人に伸びている。
まさに半世紀で二倍以上の人口増加である。


こうしてみてきただけでも、チベットと沖縄が決して同列に論じられないことは
誰の目にも明らかである。
表面的な現象面だけ見て沖縄とチベットを同列に扱う感覚には、
まったく世界情勢、時代背景、国家体制、植民地政策
などの観点がすっぽり抜け落ちているのである。


前にも書いたが歴史を見る目は多角的視点が必要である。
表面的な現象面だけの視点では大変な誤解を招く。
私は自虐史観も嫌いだが、卑屈な被害者史観も嫌いである。
根拠のまったくないウリナラ史観(何でもかんでもわが国最高)も嫌いである。
これらに共通するものはいかに自国民は無能で脆弱であったかというパラドックスであり、民族の虚弱メンタリティーの表れである。

歴史的事実もどの様な観点で見るかによっても、
その解釈は様々であるといえる。
我々は出来るだけ幅広い視野で歴史の事実を見ていきたいものである。
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ウイグルと沖縄

2009-07-12 07:05:26 | 未分類

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■ウイグルの民族弾圧と沖縄政策を同一視する愚■

今年は1609年の「薩摩侵攻」以来400周年ということで、沖縄タイムスを先頭にした沖縄マスコミは「薩摩の琉球侵略」と「琉球処分」を日本民族の琉球民族に対する侵略だと捉える大キャンペーンを張っている。

日本に対する「被害者意識」を煽るようなこのキャンペーンは、沖縄タイムスの場合毎週月曜日に沖縄県内外の学者・研究者を総動員した「薩摩侵攻400年特集」として現在も連載中である。

明治期の「廃藩置県」も明治政府による強引な琉球民族への侵略であると捉える「被害者史観」は、

一部の活動家による「琉球民族は先住民として認定せよ」という国連への働きかけにまで進展している。

不思議なことに、これら活動家は根っこのところで「反日」を謳う在日、、左翼アイヌと結びついており、一様に「日本が過去に行った少数民族への弾圧」を激しく糾弾する。 

かれらを連帯させる接着剤の役目をはたすのが、「差別」であり、日本では誰も相手にされないセネガルのドゥドゥ・ディエンなる「差別オヤジ」を沖縄に招聘して、講演会をさせ「沖縄は差別された島」と認定させてしまった。 

この国連ブランドを使って日本全国行脚する「差別オヤジ」にかかると、目に映るものは全て差別に見えるらしく、米軍基地も(日本による)差別であり、朝鮮人の違法滞在を告発するのも差別だという。

基地は差別か ドゥドゥ・ディエンって何モノ?

チュチェ思想の武者小路公秀とドゥドゥ・ディエン

⇒市民外交センター(http://www005.upp.so-net.ne.jp/peacetax/2006SGC.pdf 

彼らがもう一つ根っこで繋がるの「集団自決問題」における「悪逆非道の日本軍」で象徴される「反日思想」である。

折りしも7月に入ってからの「ウイグル騒動」が世界の批判を受けているが、

何にでも便乗するのがお得意の「売れない某評論家センセ」までが、ウイグル騒動は日本のアイヌ・琉球民族への民族弾圧と同じだと叫び出しているのには開いた口が塞がらない。

この議論で民族弾圧とか民族浄化、民族抹殺というおぞましい言葉が出てくるが、民族関連の言葉を思いつくままに書き並べるとこうなる。

民族対立、民族弾圧、民族浄化、民族抹殺、民族同化、民族融和、・・・・そしてジェノサイド。

民族抹殺というとヒトラーの顔が思い浮かぶし、民族浄化というとコソボ紛争のミロシェヴィッチが思い浮かぶ。

だが現在進行形のウイグル、、チベットで行われている民族弾圧や民族浄化を明治政府が沖縄に行った政策とを同列で論じる人の脳ミソこそ、どうなっているのか興味のあるところである。

はたして上記に並べたどの文言が、明治政府が沖縄に行った政策で連想されるか。 何も思い浮かばないのが普通の人の思考だが、敢えて選べと迫られたら民族同化あるいは民族融和くらいのものだろう。

但し琉球王国時代、王府の取り巻きの一部特権化階級たちがかつての特権を取り上げられたのを逆恨みして「差別だ」とか言ったことは想像できる。 

現に一部の特権階級は明治政府の統治を嫌って中国(清)に亡命している。(彼ら琉球王国はら清への亡命者を脱清人といった。)

武士階級の特権を明治政府に取り上げられ、桜島の噴火を見ながら怒り狂ったといわれる島津久光のような例は全国いたるところで起きた。

廃藩置県を琉球処分と捉える被害史観は歴史の視点を権力側である王府側から見た史観であり、その同じ史観で薩摩をみれば「薩摩処分」という歴史観も成り立つ。

そこで「琉球処分」とは、庶民の視点から見れば

琉球王府処分」だという歴史観が有力になってくる。

 

「ウイグル騒動」で新鮮な情報を流しているメルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」(第2659号平成21年(2009年)7月12日号)から引用記事です。(太字強調は引用者)

◆以下引用

駐屯の特殊兵団は百万人に

 新彊ウィグル自治区に駐屯の特殊兵団は百万人に増えていた
  王楽泉・書記は更迭説を跳ね返し「血の弾圧」を中央から評価

**************************

中国共産党の遣り方は世界の常識の百八十度、反対側にある。

血の弾圧をすればするほど、出世するのだから。胡錦涛もチベットで民衆の不満を血の粛清でのぞみ、とんとんと出世階段を駆け上った。王楽泉は中央委員である

さて中国はウィグル自治区の騒擾における死者の数を増やした。184名

犠牲者の民族構成は漢族の犠牲が74%だって!(新彊ウィグル自治区の最新の人口構成は漢族が73%)。

この数字は信憑性が薄い。まるで語呂合わせではないか。

世界ウィグル会議」(カディール女史が代表。ワシントン)は直ちに声明を発表し、「死者は最大3000名に達するだろう」。

またNYタイムズは「漢族のギャング団が武器を手にしてウィグル人を襲撃した」事実を明記した(7月11日付け、ネット早版)。

ウアルカイシ(吾爾開希)は台北で記者会見し、「天安門事件の死者を中国共産党は最初から最後まで作為した。今度も数千の犠牲がいるはずである」(『自由時報』)

蘇貞昌(前台湾首相)も同紙に寄稿して「自由と人権を尊重する立場から、われわれはウィグル人を支援するべきではないか」と訴えた。

さて、今時ウィグルの騒擾で長らく謎とされてきた「新彊兵団」(新彊に駐屯する特殊軍隊)の謎の一端が明らかになった。

正式名称は「新彊生産建設兵団」という。


 ▲石油ブームが漢族の人口を激増させ、ウィグル人を石油とガス産業から排除

既報のように毛沢東時代に中国人民解放軍という事実上の「侵略部隊」は山東、浙江省からの部隊が主力だった。後年、これに上海からの若者が追加され、1960年代には50万人といわれた。

簡単に言えば革命後、余力を新彊とチベットに侵略軍として派遣し、将棋のコマのように使い捨て、生き残っても中原に帰還して貰っても困る。食い扶持が減る。

だから現地に残留させ、「生産」とか「建設」とかの美辞麗句で飾り、実際は自活せよ、というわけだった。これが『新彊生産建設兵団』発足の経緯である。

『新彊兵団』は独自の養鶏場、養豚場、農場をもち、自作自給の食糧による駐屯を続けてきたため独立部隊の性格もあった。

この兵団のなかに党細胞と独自の行政、独特の自治、検察、司法どころか銀行も大学も持ち、企業経営も展開してきた。『行政』は中央組織をまねて「台湾弁事処」まである。

現有は14個師団、保有する農場は100以上、建設企業が500以上で社会事情の単位は3000もある。

100万人と推定される構成員の89%が漢族だという

同期間、住民の強制移動により中国各地から新彊に300万人が移住したため漢族の人口比がまたまた増えた。

ウィグル人の怨嗟の的となった王楽泉(新彊ウィグル自治区党書記)はソ連崩壊直後に新彊に入ったが、折からの石油ブームで採掘、輸送ビジネスを展開し、一族郎党を山東省から率いてきた。石油ブームにより200万人の新規移住があり、漢族の人口が増えていた。

もともと王は石油技術に明るく、また共産主義青年団(団派)出身のため、一時は胡錦涛との関係が緊密だったという説もある(NYタイムズ、7月11日)。

しかし16年という長きに亘る駐在は珍しく、赴任地が長ければ長いほどに利権の独占状態が進んでいることもまた事実であろう。
 

◆引用終了

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女心と沖縄戦の「定説」

2009-07-11 08:06:22 | ★集団自決

 

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■女心と沖縄戦の「定説」■

沖縄戦の「通説」とか「定説」と言われるものほどいかがわしいものはない。

座間味島の集団自決は「隊長命令によるも」という「定説」は、集団自決の生き残り宮城初江氏によってもたらされた。

初江氏は、その後それが「援護金」のために強制されたウソの証言であったことを娘晴美氏に書残した。

娘晴美氏が母の遺言である『母の遺したもの』(2000年12月)を出版することにより「定説」は逆転し、「隊長命令はなかった」が新たな「定説」となった。

沖縄戦研究者の吉浜忍沖国大助教授(当時)も琉球新報に『母の遺した』の書評書いて「〔書評〕『母の遺したもの 沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言』宮城晴美著」 「定説」とは違う真相語る (隊長命令はなかった)吉浜忍(2000年12月24日・琉球新報)として研究者の立場から「定説」を補強した。 

更にこの「定説」に沖縄タイムスがお墨付きを与えることになる。

『母の遺したもの』が沖縄タイムス出版文化賞を受賞するという栄誉と共に学術的にも社会的にも「隊長命令はなかった」が確固たる「定説」となった。

 〔沖縄タイムス 12月12日〕
第22回沖縄タイムス出版文化賞受賞作品が決まる

2001年12月12日・沖縄タイムス・朝刊
 正賞:『アンヤタサー』山里将人著
、『母の遺したもの 沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言』宮城晴美著

座間味島の集団自決の「定説」がタイムス、新報によって認知された瞬間だが、この「定説」は2005年の「集団自決訴訟」によって再び揺らぎ「隊長命令はあった」と元の「定説」に逆戻りする。

それに従って研究者達の「定説」も次々と姿を変えてくる。

例えば沖縄タイムスの「書評」で『母の遺したもの』は「『定説』とは違う真相を語るー隊長命令はなかった」と書いた吉浜氏の変節ぶりはこの通り。

沖縄タイムス2008年年11月18日

 ひと 

[魚眼レンズ]吉浜忍さん
沖縄戦の事実しっかりと
 「集団自決」訴訟の控訴審で原告の訴えを退ける判決が出たことについて「一審判決を踏襲したもの。おそらく原告勝訴にはならないと考えていた」と話す沖縄国際大学教授の吉浜忍さん。「当然の判決」と強調する。

 「カリキュラム上の問題で突っ込んで話はできなかった」と断りながら、自ら講義でも学生に対して同判決について触れ、説明したという。

 「沖縄戦の歴史的な事実関係をしっかり丹念に教えることが大事。学生は逆にスローガン的、感情的なものではなく、事実を踏まえた沖縄戦を学びたいという気持ちが強い」と指摘。

 「今後もこれまでの沖縄戦の証言を継続的に教えていきたい」と気を引き締めている。

 

沖縄では、新聞が作る「定説」には、たとえ研究者といえども逆らえないということが、吉浜氏の変節ぶりから垣間見えて興味深い。

吉浜氏は「書評」のことはすっかりお忘れになったようで、沖縄タイムス紙上で再度変化した「定説」を激しく主張されている。

2007年3月31日『沖縄タイムス』から。朝刊27面を転載。

沖縄戦 ゆがむ実相

 高校教科書に掲載された沖縄戦の「集団自決」の実態が国によって隠された。文部科学省は、今回の教科書検定で「軍命の有無は断定的ではない」との見解を示し、過去の検定で認めてきた「集団自決」に対する日本軍の関与を否定。関与を記述した部分の修正を教科書会社に求めた。同省が変更理由に挙げたのは「集団自決」をめぐる訴訟での日本軍の元戦隊長の軍命否定証言と近年の「学説状況の変化」。文科省の姿勢に、県内の関係者からは「沖縄戦の実相の歪曲」「殉国美談に仕立て上げている」と批判が出ている。
 沖縄戦研究者の吉浜忍沖国大助教は「検定意見で日本軍の『集団自決』への関与がぼかされたが、軍隊が誘導したのが実態だ」と沖縄戦の実相を指摘する。その上で「国によって沖縄戦が書き換えられた。これまでの研究や調査を逆転させようという政治的意図を感じる」。(略)

                    ◇

現在沖縄タイムスと琉球新報が捏造した「定説」に真っ向から異論を唱えている星雅彦氏と上原正稔氏が両紙の逆鱗に触れた形になり、事実上沖縄論壇から干された状態にある。

これを考えれば、沖縄の識者たちが、次々と沖縄二紙が変えていく「定説」に追随していくのもむべなるかなで、同情の念も禁じえない。

♪風の中の 

羽のように 

いつも変わる

女心・・・♪  (「女心の歌」より)

 

沖縄の学者さんたち、

お気の毒。(涙)

 

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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週刊新潮が集団自決特集!櫻井よしこが星、上原両氏にインタビュー

2009-07-09 06:36:57 | ★集団自決

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本日発売の週刊新潮に櫻井よしこ氏の「集団自決特集」が掲載されている。

タイトルはこれ。

「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」
日本ルネッサンス「拡大版」  櫻井よしこ

同誌の名物コラム日本ルネッサンスを4ページに拡大特集した記事は、沖縄二紙の捏造体質に対し勇気ある告発をした沖縄在住の作家星雅彦氏と同じくドキュメンタリー作家の上原正稔氏へのインタビューを中心に沖縄の「物言えぬ言論封殺社会」を激しく糾弾している。

5月11日の「うらそえ文藝」による告発以来、県庁での記者会見で追い討ちをかけるように沖縄二紙の「軍命による集団自決」という捏造記事と謝罪要求にも関わらず、これまで二紙とも沈黙でこれに答えていた。

もっとも沖縄タイムスと琉球新報は、夫々無知な文芸評論家と「転向の達人」の女性史研究家に反論にならぬ論文を掲載したが、新聞社としての正面からの反論は依然としてない。

両紙が動揺していることは両紙のOB記者達から漏れ聞く次のようなウワサでも判断できる.

新報の某OBはこう述べる。

「琉球新報が上原氏に行った言論封殺は一寸やり過ぎだった。あれでまともに上原氏とやり合ったら新聞社としての恥を全国に晒すことになる」

富村順一氏が、『鉄の暴風』が梅澤氏の死亡記事を30年も放置したことをネタに「沖縄タイムスから50万円を強請り取った」と上原氏が公言したことに対し、一方の沖縄タイムスの某OBは、こう述べる。

「新聞社としては致命的な発言をされたが、表立って戦ったら新聞社の負けだ。 何しろ強請った富村氏はまだ存命だから、本人が死ぬまで待つしか無いだろう。 確か50万円は富村氏の原稿料として処理したはずだが・・・」

両紙とも夫々「言論封殺」「捏造記事で強請られた」と新聞社としては致命的ともいえる告発を受けていながら、反論もできずただ沈黙を守るしかなす術が無いのもむべなるかなといえる。

ただ星、上原両氏とも沖縄で新聞を中心とした文筆を生業とする身であるから、両紙が時間をかけて県内各マスコミ・出版社関係に圧力をかけ、兵糧攻めにするつもりなのか目下両氏とも県内の文筆業は完全に干された状況である。

星雅彦氏については早い時期に沖縄県史の編纂のため数回にわたり渡嘉敷、座間味で聞き取り調査をしており、そのときの感想や論考を雑誌や沖縄タイムスに書残しているので、集団自決の文献研究の過程でその名を知る者は多いが、一方の上原正稔氏については氏が琉球新報に連載した「沖縄ショウダウン」が集団自決訴訟の原告側の証拠物件となったくらいで、余り知る人は少ない。

ただ、当日記の読者なら一昨年の琉球新報による言論封殺を受けた人物、そして自分が創始した「一フィート運動」が左翼集団に乗っ取られた人物ということで彼の勇名を知る人も多いと思う。

星、上原両氏の今回の告発で衝撃を受けたのは沖縄マスコミのみではなかったようで、悔し紛れに「両氏が沖縄マスコミに相手にされないので鬱憤晴らしにやった」とか、見当違いの罵詈雑言で自己満足している左翼ブログも散見される。

上原氏は新聞に長期連載の戦記掲載の他単行本の出版や、テレビの戦記ドキュメンタリー番組でも中心になっている沖縄戦史研究の第一人者である。

:第14回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品

又「一フィート運動」が左翼集団に乗っ取られた後も独自に沖縄戦のフィルムを発掘し、沖縄戦の研究では重要な役割りを果たしている。

例えばこんなふうに。

沖縄戦の映像を入手 上原さんが米公文書館から2005年3月11日

 

沖縄戦史の貴重な証人である両氏が沖縄二紙を正面から告発し地元マスコミは沈黙している異常な状況は本土マスコミが見逃すはずも無い。

また星、上原氏も県内で沖縄マスコミに無視されたまま、拱手傍観で、沖縄二紙の兵糧攻めを待つだけでは能がなかろう。

当然大手マスコミや有名ジャーナリストから両氏にアプローチがあり、両氏がこれを利用しても不思議ではない。

そこで冒頭で紹介した本日(7月9日)発売の週刊新潮が4頁に渡る両氏に関する特集記事となったわけ。

沖縄タイムスと琉球新報がいくら頬被りで、嵐の過ぎ去るのを待っていても、両紙の集団自決に関する捏造体質に対する星、上原両氏の告発は既にルビコン川を渡ってしまっている。

週刊新潮には星氏が沖縄タイムスに曽野綾子氏の『ある神話の背景』の書評を依頼された際に被った、衝撃の言論封殺が告発されていると聞く。

詳細は同誌記事に譲るが、沖縄タイムスは原稿依頼の際「強く批判してくれ」と星氏に強い圧力をかけたが、星氏がタイムスの圧力に多少は応じながらも、自身の調査も参考に公平な視点で原稿を書いたら、タイムス側に大幅に書き変ええらた。

星氏は書き変えられた原稿に不本意ながら納得し、掲載を受諾したが結局原稿はボツにされ、以後その原稿が日の目を見ることはなかったという。

常日頃は「言論の自由」を標榜する沖縄の二紙が自己が捏造し、読者を騙し続けてきた虚偽の記事を守るため、あからさまな言論封殺をしてきた事実が今白日の下に晒されようとしている。

沖縄二紙の卑劣な捏造体質は「集団自決の軍命令」という虚偽報道から、「新聞の言論封殺、捏造体質」という大きな火種に変わり、本体を焼き尽くす大きな炎となって両紙に襲い掛かっている。

身に降りかかる火の粉を手で払う程度の小手先の対処では、もはやどうにもなら無いほど沖縄タイムスと琉球新報は追い詰められている。

両紙の恥ずべき捏造体質は、今ネットのリンクによって全国隅々まだ拡散し、良識ある国民の非難の的になりつつある。

言論封殺の巨大ダムは、今崩壊を目前にして悲鳴にも似た断末魔の軋みを発しはじめた。

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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琉球民族は哀れな先住民か

2009-07-09 00:01:23 | 未分類

チベットへの「中国の同化政策」とアイヌへの「日本の同化政策」は、同じ問題であるとご高説を垂れる「売れない評論家」センセがいるらしいが、昨年の国連勧告に従えば「アイヌ民族も琉球民族も先住民族と認定せよ」というわけだから、チベットの民族浄化と沖縄県人の他県人との結婚も「民族浄化」として同じ土俵で論じなければならないことになる。

バカバカしい。

昨年友人間のプライベートサイトでこの問題で交したメールを想い出したので以下に引用する。

沖縄タイムス 2008年11月01日

国連「琉球民族は先住民」/人権委認定

文化保護策を日本に勧告


 【東京】国連のB規約(市民的および政治的権利)人権委員会は三十日、日本政府に対して「アイヌ民族および琉球民族を国内立法下において先住民と公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること」と勧告する審査報告書を発表した。

 同委員会の対日審査は一九九八年以来、十年ぶりで、人種差別・マイノリティーの権利として「琉球民族」が明記されるのは初めて。 勧告では、「彼らの土地の権利を認めるべきだ。アイヌ民族・琉球民族の子どもたちが民族の言語、文化について習得できるよう十分な機会を与え、通常の教育課程の中にアイヌ、琉球・沖縄の文化に関する教育も導入すべきだ」と求めている。

 国内の人種差別問題などで同委員会の委員らに働き掛けてきた反差別国際運動日本委員会は「日本政府はこれを重く受け止めて、国際人権基準に合致した履行に努めることが求められる」と評価した。

 同勧告をめぐっては、沖縄市民情報センター(喜久里康子代表)なども同委員会に琉球・沖縄に関する報告書を提出していた。

                   ◇

 
◆<皆さんへ

11月1日のタイムス朝刊に、「琉球民族は先住民」の記事が載っている。

国連のB規約人権委員会が日本政府に勧告するものである。「日本政府は、国内立法下においてアイヌ民族および琉球民族を先住民と公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること。」と勧告している。先住民族に認定されたのは、琉球民族とアイヌ民族である。勧告では、さらに「彼らの土地の権利を認めるべきだ。アイヌ民族・琉球民族の子供たちが民族の言語、文化について習得できるよう十分な機会を与え、通常の教育課程の中にアイヌ、琉球・沖縄の文化に関する教育も導入すべきだ。」としている。詳細は、上記「琉球民族は先住民」を参照されたい。この勧告を如何受け止めるか、諸兄の意見を聞きたい。 N>

◆<Nさんへ
今朝のタイムスで同じ記事を読み、言い表せぬ感情定まらぬ状況に、今朝から不愉快状況にありました。
ヤンバルクイナ同様絶滅危惧種の扱いを、人間にまで当てはめろとだれが何のつもりで言い出したのか、「琉球民族は先住民」といわざるを得ない問題がなぜ出てきたのか?国連の勧告内容にも大きな違和感があり、どのような背景過程を得た勧告案なのか知る必要があると思っています。
Eさんのブログ記事の「南北の塔」の活動家の異常に膨張した結果なのかどうか、EさんとNさんの分析・解説をお願いします。
*自立すべき沖縄にはほど遠く保護下にと、へし曲げられた要求を国連(全世界の人々に)はどんな理由解釈で勧告するというのか?仮に勧告後の琉球の民は、何かにつけ、我々は先住民であると、ことある毎に言い続けようと言うのか?  T>


◆<T君へ
 
 「琉球民族を先住民族に認定せよ」って?
 
大きなお世話だほっといてくれ。 極東の島国のその又小さな島の沖縄の実情を、
 
国連ごときがどれだけ知っているというのだ。
 
沖縄なんぞに関わらなくとも、世界には人種差別や人権弾圧の国が他に山ほどあるではないのか。 
 
国連はそんなに暇なのか。
 
いやいや、そうではない。
 
反日沖縄左翼が、「沖縄vs日本」の敵愾心を煽る目的で、在日朝鮮人、左翼アイヌと連帯して沖縄を反日の基地にするために、琉球大学の中国人教授たちと結託して国連人権委員会に働きかけた結果である。
 
先住民とは北米インデアン、中南米インディオ、豪州アボリジニのように、先住民として認定し保護が必要な場合もあるだろう。

だが、沖縄人には微塵もその必要はない。
 
地球儀にも載らない小さな島の人種問題で、国連人権委員会が、わざわざ口出しするのには訳がある。

 
反日という共通項で連帯した沖縄左翼と沖縄右翼(独立論者)が、琉球大学に巣食う中国人工作員の林(リン)教授と結託し、
 
同じ目的の沖縄タイムスに「沖縄人の四人に一人は独立希望」というヨタ記事を載せて、「日本vs沖縄」という対立構造を煽った成果がこれなのだ。
 
その一環として在日朝鮮人やアイヌ人との連帯も人知れず行われており、宮古島は「第二の竹島」化の危機にある。
 
「朝鮮人慰安婦の恨之碑」を沖縄中に群立させるため、在日朝鮮人による土地買収も進んでいると聞く。
 
沖縄で、国連に「先住民認定」を働きかけたのは、市民団体を騙る極左グループで、「沖縄市民情報センター」の喜久里康子というまだ30代の女。
 
 
彼女によれば沖縄は日本に差別されており、被差別団体の「」や在日朝鮮人、左翼アイヌと連帯すべきだという。
 
国連や人権と聞いただけで思考停止して、無条件に賛同するバカモノが彼女らをその気にさせている。
 
大きなお世話とはこのことだ。
 
人々が国家を形成して行く過程で、侵略された先住民は国家への従属を強いられ、奴隷化や虐殺によって弱体化され、絶滅希少化された例も確かに多い。
 
先住民の中には、かつては国家を持ち、繁栄を極めていたところもあり、これを「琉球王国の繁栄」に重ねる向きもあるが。 これを沖縄に当てはめるのにはどだい無理な話。
 
「琉球処分」を日本の琉球への侵略と捉えて、それにより沖縄が差別されたと主張する根拠に左翼が持ち出す呪詛の言葉が「人類館」「方言札」「同化政策」「皇民化政策」と羅列される。
 
だが、「琉球処分」は実は「琉球王国処分」だったという説が有力だ。
 
琉球王府とその取り巻きの特権階級(中国人が多かった)が住民を搾取し、一般住民は読み書きなどの教育を受ける機会すらなかったからだ。
 
 
廃藩置県の断行を指して「民民族差別」をことさら叫ぶ勢力がいるが、差別を売りものにする勢力こそ差別主義者である。
 
沖縄で反差別を叫んでいる連中の親の代、米軍統治下の沖縄では奄美大島出身者をオーシマーと差別し、宮古等の離島出身者を差別した。
 
戦前は更に酷く、那覇出身者でもシュリ出身者に差別され、那覇出身の伊波フユウが首里ニ中に進学したときは、言葉使いや習慣の差で差別されたと書いてあった。
 
 
先住民の尊厳と文化の継承・再生が「先住民認定」の目的というが、毎年全島各地でエイサー大会が盛んに(近所迷惑なほど)行われ、本土各地までも出張エイサーをしたり、琉球舞踊研究所が乱立し、新聞社は芸能コンクールで覇を競い合っている沖縄。
 
大学には沖縄方言の講座もある。
 
さらに莫大な国家予算を投じた国立組踊劇場があったり、県立芸大では琉球舞踊の師匠が教授を務めるような沖縄で、
 
何が「文化の絶滅」だ! 
 
何が「先住民認定」だ!
 
これを沖縄伝統の表現でいうと、
 
ゥワーバグトゥ(上辺事ー大きなお世話) という。  
 

一握りのの沖縄左翼の「プロ市民活動」を放置しておくと、
 
沖縄人は、性奴隷、人身売買、蜜入国者、同性愛者等と並び称される、哀れな被差者、そして
 
土地も文化も奪われた世にも哀れな被差別民族として、世界に恥を晒すことになる。
 
このような一部の左翼勢力の行動を認め、哀れな民族として世界に認めて欲しい県人がいるはずは無い。E>
 
 
           ◆
参考:
 
 
アムネスティ日本支部が発表
外務省の公式翻訳ではありませんが、全体を掌握するのに利用できます。
(略)

マイノリティへの差別
年金制度に関して、パラグラフ30で国籍者以外に対する年金からの除外を是正することが勧告され、移行措置をとることが求められた。またパラグラフ31では、朝鮮学校に対して、他の私立学校と同様の卒業資格認定、その他の経済的、手続的な利益措置が講じられることが求められている。最後にパラグラフ32では、アイヌ民族、琉球/沖縄の先住民族性を正式に認め、土地権、文化権などを認めるよう求められた。日本政府が、アイヌ民族を先住民族として認めながら、国連先住民族権利宣言にある先住民族としては未だに認めていない現状に対して、強い懸念を示し、それを是正することも含めているものである。(略)



最終見解原文:
http://www2.ohchr.org/english/bodies/hrc/docs/co/CCPR-C-JPN-CO.5.doc

アムネスティ・インターナショナル日本発表
2008年10月31日

                    ◆
 
この見解文を読めば琉球民族は文化も言語も奪われ、差別され人身売買の悲劇に遭い、性奴隷にされた哀れな先住民族とも取れる書き方だ。
 
勿論政府は正常な判断をしているが。
 
沖縄左翼と沖縄右翼が連携し、沖縄紙が煽る「国連勧告」など大きなお世話だ!
 
左翼と連係する「国連勧告」など粉砕すべしと思う方、クリック応援を。
 
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幻の「先住民差別」 いつまで叫べば気が済むのか

2009-07-08 14:45:04 | 県知事選

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中国の「チベット弾圧」と「アイヌ差別」を同列に扱えと「売れない評論家」センセが主張していると聞くが、反日左翼の専売特許の幻の「アイヌ差別論」をまだ言っているのには驚きだ。

以下トラネコ日記さんの引用です。

まだ言ってる「先住民差別」

2009年07月05日

アイヌ民族の生活向上支援を 政府有識者懇の報告書素案

政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」(座長・佐藤幸治京大名誉教授)の報告書素案が27日、明らかになった。アイヌ民族と他の国民との間に残る格差の解消のため、アイヌを対象とした生活向上支援の必要性を打ち出したのが特徴。アイヌ文化の復興に対する国の責務も明記した。

懇談会委員の加藤忠北海道アイヌ協会理事長や高橋はるみ北海道知事らは施策実現のための新法制定を求めており、7月末にまとまる報告書には立法措置についても盛り込まれる見通しだ。素案は、アイヌを「先住民族」と明記。国の同化政策などがアイヌ文化に深刻な打撃を与えたと指摘し、「文化の復興に責任を負うのは国であり、国が主体となって政策を立案、遂行しなければならない」としている。生活水準や教育の格差が、差別につながり「アイヌとして誇りを持って生きるという選択を妨げている」とし、現在は北海道が道内在住者に限定して行っている就学などの生活支援を、
国が全国各地のアイヌに実施することも求めている。

中日新聞 2009年6月27日 18時20分
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2009062701000612.html




京大名誉教授か有識者か知らんが、またこんなのがでてきた。
また中日新聞だもんなwww大体報道の意図がわかろうというもんだ。
以前にも書いたが、日本で先住民規定というのは難しいと思う。

参考;「アイヌ民族は日本人ではないのか?
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2327031.html


ちなみに私の大学の同級生でアイヌ人がいたが、
彼は立派に国立大学を卒業し、結婚もし、高校の教諭もやっている。
私の知っているアイヌ人は彼一人だけだが、
彼はまったく普通の日本人としての生活を送っている。
無論アイデンティティはアイヌ人だろうが、
完全に日本人として「同化」している。

アイヌ民族と他の国民との間に残る格差」というが、
具体的にどんな格差がどれくらいあるのかが記事からはわからない。
少なくとも上記の同級生は公務員になって社会的にも活躍しているので、
ここで言う格差がわからない。


一方でこんな報道もされている。

アイヌ民族 認定基準を厳格化 

■道方針、協会に指導
道は26日の道議会予算特別委員会で、アイヌ民族の人たちの認定を厳格化する方向で検討する方針を示した。現在の戸籍ができる以前の「改製原戸籍」で確認することなどを検討している。北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)の羅臼支部の会員数が不自然な形で急激な増減をしたことに批判が集まったためだ。また、大学修学のための学費貸与額のほとんどが減免されていたことについても、今後は返還を前提とした制度を設ける考えを示した。

ウタリ協会羅臼支部では96年に会員数が2人だったのが翌年は208人に急増。02年には一転して74人に減少していた。道の調査では、当時の支部長が組織力を高めるため、家族全員を会員としていたという。また、「アイヌの人以外の人も会員になっていたようだという証言も得た」とした。
これまで、アイヌ協会の会員資格は、協会の支部長や市町村長の推薦で決まるところが大きかった。道は「アイヌ協会に対して厳格な審査を行うよう指導したい」として、認定基準も厳格化する方針を固めた。

大学進学のための学費貸与制度で、07年度で約千人、計約25億円の貸与額のほとんどが減免され、返済額は160万円にとどまっている。これについても「返還を前提とする制度が望ましい」として、今後、制度のあり方を検討するという。また、この制度についてアイヌ協会加入者以外のアイヌの人の利用率が低いことも問題視し、今後、広く制度を周知する考えを示した。  (古賀大己)
asahi.com 2009年06月27日
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000000906270003

奨学金未返還、免除に関しては2009年3月24日(火)のSTVニュース「どさんこワイド180」でも報道されている。



これを読む限り行政はアイヌ人だからといって特別差別をしているようには思えない。
むしろアイヌ人のほうが利権に群がっているように見える。
まるで在日特権か特権と同じではないか。

奨学金に関しても経済的に困難な者には、莫大な奨学金返還の免除までしている。
25億円もの奨学金をほとんどタダで彼らにやっているって、
むしろ殆どの奨学金貸与者が返還していないほうが問題だろう。

また一説によると、アイヌ利権というものが実際にあるそうだ。
以下未確認情報だが知りえたものだけ列挙する。

北海道内で例えば公園整備とかする場合、
そこが明治以前にアイヌ居住地であったりすると、土地使用料の要求とか、
アイヌ関係の遺跡とか何かの文化遺産などがあった場所だと、
そこへ博物館建設要求などが出るらしい。
それが実現しない場合はアイヌ人に対する慰謝料や賠償金の要求もあるという。
またアイヌ人が農業や酪農などを行う場合も、
アイヌ人以外の農牧業従事者よりも補助金がかなり多いらしい。

そもそも何をもってアイヌ人と認定するのか。
現在では殆ど純血のアイヌ人は存在していないはずだ。
これは私が約20年前に純血アイヌの末裔という60代の女性から聞いた話では、
その時点で純血アイヌは北海道内には数人のみだと言っていたのを思い出す。

1%でもアイヌ人の血が混在していればアイヌ人なのか?
或いは5割以上アイヌ人の血が入っていても、
みずからアイヌ人であると認めたがらない人もアイヌ人なのか?
そのアイデンティティがアイヌ人であれば血は関係ないのか?


これらのアイヌ人への補償だの賠償だの、文化保護だのの根拠は、
07年9月13日先住民族の権利に関する国連宣言からきているのだ。

その根拠は白人=欧米人は500年にわたって、
世界中の有色人種である先住民を殺しに殺しまくったことへの、
深い反省がそこにあるのである。

ちなみに国連でのこの宣言採択では、
アメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドは棄権した。
これらの国々が先住民に何をしてきたかを見れば、
なぜ棄権したのかがよくわかる。

南北アメリカ大陸で1億人とも1億4千万人とも言われる、
イヌイット、アメリカインディアン、中南米のインディヘナなどの、
先住民大虐殺などは日本の歴史にはなかった。

またオーストラリアではイギリス本国から囚人を開拓に引っ張り出し、
先住民アボリジニーをキツネ狩りみたいに楽しみながら虐殺し、
タスマニア島のアボリジニーは全滅させられている。
このような先住民を9割以上を殺害した歴史は日本にはない。

民度の低い極○○○者の末裔オーストラリア人が、
日本の捕鯨が残虐だなどという資格はないのだ。
さらにつけくわえればキリスト教牧師もアボリジニー虐殺を奨励していた。
この野蛮人達は先住民だけでなく、希少生物の多いこの地で、
袋狼やディンゴなどの有袋動物も絶滅させている。

アフリカでは先住民を家畜以下に扱い、奴隷貿易を行い、
一大産業にまで発展していった。これで大儲けした白人は少なくない。
ちなみに奴隷売買はアメリカが歴史上もっとも長い人身売買国家である。


日本人はアイヌ人に対し、
ここまで酷い民族浄化を行っただろうか?



さらに前回のエントリにも述べたが、
松前藩によるアイヌ人へ交易独占妨害や、
差別的政策を行ってきたことも事実である。
そのためにシャクシャインの乱やコシャマインの乱など、
松前藩との紛争もあったことも周知の事実である。

しかし欧米人のような先住民族絶滅政策などなかったし、
江戸幕府は松前藩にはアイヌへの酷使や差別を止めさせるように指導もしている。
しかも明治維新以降は旧土人保護法によって、屯田兵よりも優遇政策が取られている。
これに関しては「アイヌ民族は日本人ではないのか?」の山の上の井戸様のコメントに詳しい。

そして明治以降はアイヌ人は、その外観のために差別があったことも事実であるが、
欧米と同列に論ぜられるような過酷な差別であったとは思えない。
この時期に何ゆえにアイヌ人の権利回復とか文化復興とか、
或いはアイヌ以外の人との生活格差の是正とか、
そういう「民族利権」的権利主張が出てきたのか?


北海道アイヌの生活実態調査報告書」をみてみると、
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/NR/rdonlyres/A7397AEA-716C-4CC9-A796-531A4458C2D5/0/H18houkokusyo.pdf
29ページの生活意識のなかに平成18年の調査では、
「とても苦しい」0.3%、「多少困る程度」18.3%で計18.6パーセント、
「少しゆとりがある」51.4%、「豊かである」が29.7%で計81,1%である。
しかも持ち家率も8割以上もある。


また北海道アイヌ協会のHPを見ると、
http://www.ainu-assn.or.jp/about03.html
これまで差別された経験があるのかという問いかけでは(複数回答可)、
約45%がない、わからないが23%であり、計68%で、
差別されたは約17%で他人が差別されていたのを知っているのが14%である。
場所は職場が39%と最も多いがどんな職場かは不明である。

以上これを見る限りアイヌ人が生活で困り差別されているとは思えない。

またわからないのだが、アイヌ文化の復興というのは、
具体的になにを求めているのだろうか。
まさか民族衣装をきて観光地にあるアイヌ村みたいな暮らしをさせろというのではあるまい。
あるいはアイヌ記念館みたいな博物館建設を求めているのだろうか?

いずれにせよ、この時期にアイヌの権利だのアイヌ文化の復興だの、
何か胡散臭い利権がらみのいかがわしさを感じるのは私だけだろうか?

また本当にアイヌ人の人々が民族的アイデンティティを持っているのなら、
金銭がらみの要求は厳に慎まれたほうが、祖先の名誉の為だと私は思う。

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血で血を洗う「ウイグル人弾圧」!

2009-07-08 06:58:50 | 未分類

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中国が抱える「ウイグル問題」と「チベット問題」は、イスラム教徒と仏教徒の違いはあってもと同じく中国の喉に突き刺さった二つの小骨であり、扱い方によっては本体の命取りともなりかねない。

これまで同じ民族弾圧問題であっても、「チベット問題」に比べて「ウィグル問題」が日本のマスコミにあまり露出しなかったのはダライラマのような知名人で、英語で世界に発信する人がいないからだいわれ、これまでウィグル暴動のニュースは常に封殺されてきた。

今朝の各紙は鉄パイプをもって「ウイグル人を殺せ!」と街を闊歩する漢人の写真を掲載しているが、6月末の時点で漢人は既にこのような虐殺を行っていた。

【衝撃動画】ウイグル人を撲殺する漢人労働者の衝撃動画

先ほどのTBSニュースではウイグル人側の発表として虐殺による死亡者は800人とも。

「ウイグル族を何とかしろ」漢族、一部暴徒化 
 【ウルムチ(中国新疆(しんきょう)ウイグル自治区)=牧野田亨】5日の暴動で死者156人を出した中国新疆ウイグル自治区の区都ウルムチでは7日、多くの犠牲者を出したとされる漢族住民数千人がウイグル族住民に反発して集結し、「ウイグル族を殺せ」などと気勢を上げた。

 一部は暴徒化し、ウイグル族の商店を襲撃するなど民族対立が先鋭化している。新疆の地元当局は7日、事実上の夜間外出禁止令を出し、民族対立が激化し、社会の安定を揺るがす事態にならないように冷静な対応を呼びかけた。

 ウイグル族の店が並ぶ市中心部の解放南路。午後に入り、金属棒や木製の棒を握りしめた漢族住民がウイグル族の屋台をひっくり返し、食堂や建物の窓ガラスをたたき割った。武装警察部隊が催涙弾で鎮圧したが、住民たちはその後、市中心部をデモ行進した。

 ある漢族男性(26)は5日夜からナイフを携帯している。「あいつら(ウイグル族)がまた何か起こしたら、これで刺すためだ」

 「暴動の時、子供が殺されるのを見た。あいつらこそ何とかしろ」。別の場所では、住民を退散させようとする警官に、漢族女性は食ってかかる。「漢族は団結しろ」とかけ声が上がる。

 近くのウルムチ駅では、ウイグル族約30人が乱入し投石、数百人の利用者が駅舎に逃げ込む騒ぎが起きた。こうした騒乱が各地で起き、漢族の不安が、怒りに変わって爆発した。5日の暴動直後から、漢族の職場や居住区では「自警団」結成の動きが相次いでいた。

 ウルムチは漢族住民が増加し、ウイグル族を含む少数民族は人口の約4分の1。地元政府機関トップは漢族が占め、漢族とイスラム教徒のウイグル族とは、居住区も別。ウイグル族は顔の彫りが深く、両民族の違いは一目瞭然(りょうぜん)だ。

 ウイグル族居住区にも7日、漢族数百人が押しかけ、双方が投石を始めた。ウイグル族の男性は「ウイグルの女性が漢族に殴られ、けがをしたと聞いた」と、深くため息をついた。

 自治区トップの王楽泉・共産党委員会書記はテレビ演説を行い、「漢族の行動は社会の秩序を混乱させた」と批判、漢族とウイグル族双方に自制を呼びかけた。

(2009年7月8日02時00分  読売新聞)

 

 

ウイグル暴動の死者156人に=抗議行動続発、小競り合いも-中国
【ウルムチ(中国新疆ウイグル自治区)7日時事】中国新疆ウイグル自治区ウルムチで起きた暴動による死者は、7日までに156人に増加し、負傷者も1080人に上った。同日の新華社電によると、公安当局は暴動に関与した1434人を拘束するとともに、暴動を組織したとされる複数のグループに対する捜索を進めるなど、不穏な動きを徹底的に封じ込めている。(略)
(2009/07/07)



ウイグル暴動、怒りの理由/背景に民族問題、過酷な政策への反発も

中国新疆(しんきょう)ウイグル自治区の警察当局は6日夜、5日に発生したウイグル族による3000人規模の暴動による死者がさらに16人増え、計156人に上ったことを明らかにしました。

中国国営の新華社通信は、ウイグル族による「祖国を分裂させる試み」「暴力テロ」と報じていますが、この暴動の背景にはウイグル族に対する根強い差別や、中国政府による過酷な政策への反発があるようです。

事件の背景、検閲をかいくぐり現地からアップされた写真などを集めました。

中国の暴動、死者140人に

7月6日(月) 11時11分配信

【ウルムチ6日共同】中国新疆ウイグル自治区当局者は6日、区都ウルムチで5日夜発生した大規模暴動による死者が140人に上り、826人が負傷したと発表した。

記事全文
【関連ニュース】
新疆ウイグル暴動死者156人にまぐまぐニュース!
 

【事件の発端は?】

【大規模の暴動は本当に“暴力テロ”か? / 現地の様子】

【中華人民共和国の対ウイグル民族政策】

 

【中国“ネット検閲”のいま】

  • チベットと東トルキスタンの違い
  • チベット独立を中国が許さない本当の理由
  •                    ◆

    沖縄タイムス 2008年11月01日

    国連「琉球民族は先住民」/人権委認定

    文化保護策を日本に勧告

    【東京】国連のB規約(市民的および政治的権利)人権委員会は三十日、日本政府に対して「アイヌ民族および琉球民族を国内立法下において先住民と公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること」と勧告する審査報告書を発表した。(略)

                     ◇

    チベットやウイグルといった血で血を洗う中国の民族弾圧政策と「アイヌ差別」や「琉球民族差別」を同列に扱う国連勧告や、脳天気な左翼集団がいるのには呆れてしまう。

    沖縄タイムスは今年を「薩摩侵攻400周年」という被害者史観で捉え、左翼アイヌや在日との連帯を画策し反日運動を後押ししているが、中国の民族弾圧についてはもっぱら共同配信でお茶を濁している。

    国連勧告や沖縄左翼の蠕動は大きなお世話だ。

    極東の島国のその又小さな島の沖縄のことを、
     
    国連ごときがどれだけ知っていると言うのだ。
     
    沖縄なんぞに関わらず、世界には人種差別や人権弾圧の国がはいて捨てるほどあるではないのか。 
     
    国連はそんなに暇なのか。
     
    いやいや、そうではない。
     
    反日沖縄左翼が、「沖縄vs日本」の敵愾心を煽る目的で、在日朝鮮人、左翼アイヌと連帯して沖縄を反日の基地にするために、琉球大学の中国人教授たちと結託して国連人権委員会に働きかけた結果である。
     
    先住民とは北米インデアン、中南米インデリオ、豪州アボリジニのように、先住民として認定し保護が必要な場合もあるが、沖縄人にその必要はない。
     
    沖縄左翼に、琉球独立を叫ぶ沖縄右翼も加担しての国連への働きかけだと思うが、バカバカしいと放置したら本格的独立運動が起きないとも限らない。 
     
    革命は常に少数の大声を出す人間によってなされる。
     
    もっとも独立して、あっという間に中国の自治区にさせられるのがオチだが。
     

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    沖縄戦「集団自決」の謎と真実
    秦 郁彦
    PHP研究所

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