慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

日本書紀研究1(蘇我一族)

2020年03月04日 | 天皇論
蘇我氏は悪者でなかった

 ☆教科書でも「横暴の限りを尽くした」とされた一族

『日本書紀』の編集者
 ☆舎人親王等の皇族の他、中臣鎌足の子・藤原不比等も編纂にかかわる
 ☆不比等が自家の正当性を強調し、鎌足を英雄扱いにし、蘇我氏を悪役に仕立て上げた
 ☆日本書紀での蘇我氏の記述
 *蘇我蝦夷が天子だけの特権である「祖廟」を建てた
 *上宮王家(聖徳太子の一族)の私民を勝手に使役して墓を造営した
 *蝦夷の子・入鹿も天皇をないがしろにした
 *上宮王家を滅亡に追い込んでいる
 ☆これを見れば、蘇我氏が悪人といわれるのも無理はないのだ
史学界では「蘇我氏見直し論」浸透する
 ☆「蘇我氏見直し論」
 *本当は、蘇我氏が改革の旗振り役
 *中大兄皇子と中臣鎌足はそれを潰しにかかった反動勢力だった
 ☆天皇家は6世紀頃から屯倉という直轄領を増やして実力をつけた
 *天皇家は、中央集権体制の足がかりを築いた
 *これに大きく貢献したのが蘇我氏だった
 *こうした功績を蘇我氏のものにしたくない
 ☆「大化改新」と呼ばれる大改革を用意したという見方もできる
 ☆『日本書紀』で、大化2年改新の詔が出されたいう記述がある
 *大宝律令や養老律令に似た記載部分がある
 ☆「改新の詔」は『日本書紀』の編纂者が書き加えた可能性が高い
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『『日本書紀』と天皇126代』


日本書紀研究1(蘇我一族)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)


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『日本書紀』とは何か?(4)

2020年03月03日 | 天皇論
『日本書紀』とは何か?

『日本書紀』が編集された時代の世界
 ☆大陸では、唐王朝が中央アジアから砂漠地帯までの大帝国を築いていた
 ☆朝鮮半島では、新羅が統一王朝を築き発展を遂げていた
 ☆現在の中国東北部には渤海という国があった
 ☆奈良時代遣唐使が派遣されていた
 *大陸の文化や技術が日本にもたらされた
 ☆日本は、中国や朝鮮に対して自国の歴史を示す必要があった
 ☆その意味で作成されたのが『日本書紀』
 *当時の東アジア世界の公用語漢文を用いてまとめられた
『日本書紀』を編集に参照した史料
 ☆『古事記』の基本史料とされる『帝紀』『旧辞』他
 *朝廷の外交記録や豪族の先祖にまつわる記録等参照
 ☆これらの史料や伝承には記述の食い違いがある
 *このまま書くと内容に矛盾が生じてしまう
 *『日本書紀』には「一書(いっしょ)」と呼ばれる異伝が収録されている
 *物語展開の『古事記』との大きな違い
日本書紀に卑弥呼が出てこない理由
 ☆卑弥呼は中国の歴史書『魏志』「倭人伝」にしか出てこない
 ☆『古事記』や『日本書紀』に卑弥呼の名が出てこない
 ☆その要因の明確な理由は定かでない
 *編者たちは、中国の歴史書と整合性を取るのに無関心だった
 *卑弥呼に関する史料がまったくなかった
 *天照大神や神功皇后など、『日本書紀』に出てくる女性説
 (卑弥呼に当てはまる女性がいたのではないか)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『『日本書紀』と天皇126代』






『日本書紀』とは何か?(4)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)

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この国の深淵をのぞく2(学習院)

2020年03月02日 | 天皇論
「皇族教育機関」の終焉

 ☆目白駅からほど近くに学習院大学の正門がある
 *門標「學習院大學」は、第18代院長安倍(哲学者)の揮毫
 ☆安倍は、敗戦で存廃の岐路に立たされた学習院を再興した「中興の祖」
 ☆奥には小さな「乃木号碑」が建つ
 ☆乃木は幼い昭和天皇に質実剛健の明治精神を説いた
 ☆乃木と安倍という、戦前と戦後を代表する名物院長の足跡
 *校舎群のはざまにひっそりと遺されている

止まらぬ皇族の学習院離れ
 ☆戦後も近年までは皇族も例外なく学習院に学んだ
 ☆内親王のほとんども同窓の旧皇族・華族と結婚した
 ☆学習院も伝統をどう保持するかという難題を抱える
 *近年は女性皇族の学習院大学離れが目立つ
 ☆波紋は初等科と幼稚園の志願動向にも影響を及ぼした
学習院の皇室との伝統的蜜月時代は終わった
 ☆天皇の孫世代の最年少で唯一の男子悠仁親王
 *お茶の水女子大附属幼稚園から同小学校に入学する
 *将来は、学習院に皇族の在籍がなくなる可能性も出てきた
 ☆学習院と皇室との蜜月関係が続く時代は終わった
 ☆学習院の初等科合格発表、後に慶應義塾幼稚舎などが発表される
 *多くの辞退者が出る
 ☆高等科と女子高等科の各200人の卒業生
 *半分近くの学生が、早稲田・慶應・明治・立教。青山学院など他大学に転じる
 *残りが、学習院大に進んでも、他校出身者が入学してきて大学では少数派になる
 ☆学習院といえば、幕末に公家の学習所として出発した
 *宮内省管轄の華族学校をルーツとする
 *「皇室ブランド」と大らかな校風が強みだった
 *大学のブランドカランキングの上位で健闘している
 ☆学習院の戦前からの「伝統力」の継承は同校の大命題
 *敗戦後の連合国軍総司令部(GHQ)の占領下
 *華族制度廃上により存廃の岐路に立たされた学習院
 *宮内省関係者らが懸命に働きかけ私立学校として存続する道を選んだ
 *皇室の庇護から離れ私学として生きる道のりは険しい
 *安倍院長らは、寄付金集めや大学開設、東大などからの教授集めに奔走した
 *桜友会も支援した
 ☆リベラリストであり、尊皇家を自任する安倍は宮中関係者との人脈も広い
 ☆現在の院歌も安倍が作詞し、「海ゆかば」の作曲者が曲をつけた
 ☆戦前の学習院と戦後の学習院とは連続か断絶か
 *同校関係者にとっての永遠の課題
教職員と「桜友会」が院長選挙で対立
 ☆牧歌的な時代は過ぎ去り、学習院長選びで、″異変″が起きた。
 ☆院長は、教職員、桜友会、父母会などで構成する同校評議員会で選出される
 *桜友会などと、教職員側と意見が合わず
 *学習院史上初めて記名投票による選挙となり、桜友会と父母会が勝利した
 ☆東大など他校出身者の多い教職員会と「伝統」重視する桜友会と意識のずれ
 ☆桜友会とは、陸軍の同窓会「桜会」、海軍の「水桜会」が一本化した
 *敗戦により直宮以外の皇族は皇籍離脱し華族も軍も消滅し、桜友会も休止状態
 *大学の設立・規模拡大に伴い、今や会員数は12万人近くにのぼる
 ☆学習院評議員会で桜友会や父母会代表が多数を占める
 *学習院にとっての「伝統」の重さを物語る
「精神論」を貫けなくなった
 ☆「団結」を強調せざるを得なかったことに桜友会側の苦哀もにじむ
 ☆「戦前、戦後と一貫する学習院の伝統とは何か?
 *安倍は「正直であれ」「精神的貴族たれ」と答えるのが常だった
 ☆偏差値競争、就職率に拘泥する他校とは一線を引く
 *無私で誠実な心根を育てる教育こそが、学習院の伝統
 *とりも直さず皇室のあるべき姿とも重なる
 ☆時代の流れの中で「伝統」の精神論を貫くのが難しくなっている
 ☆学習院が誇る「皇室ブランド」が、再び不死鳥のように蘇る日は来るのだろうか
現在、学習院に在学する皇族は愛子内親王だけ
 ☆東大など他大学出身の”外様”の教授・教員・事務方
 *「古色蒼然とした『伝統』一本槍の桜友会
 ☆院長選考が前代未間の記名投票による選挙となった
 ☆その後の経過をみると
 *文部教育学科、国際社会科学部の新設、奨学金の充実等
 *「外に開かれた」教育体制整備が具体化しつつある
 ☆関係者の危機感が共有されてきたようにみえる
 ☆学習院も、ひとつの曲がり角を曲がったのかもしてない
                        (文中敬称略)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の聖域ザ・タブー』






この国の深淵をのぞく2(学習院)
(ネットより画像引用)






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『日本書紀』とは何か?(3)

2020年03月02日 | 天皇論
『日本書紀』とは何か?

『日本書紀』がまとめられたのは奈良時代前期
 ☆天智、天武天皇の時代からの律令国家づくりが完成目前の時代
 ☆701年大宝律令が制定・施行され、律令国家として宮都・平城京が造営された
 ☆元号の継続化、『風土記』の編纂、度量衡の制定、銭貨の鋳造などが行われた
 ☆天皇を中心とする国家体制がつくられた
 ☆『日本書紀』の編纂でも中心的な役割を担つた藤原不比等(中臣鎌足の子)が台頭
 ☆その後の藤原氏繁栄の礎を築いた
『日本書紀』の時代女性天皇が多い理由
 ☆日本では、過去に8人10代の女性天皇が存在した
 *内6人8代は飛鳥~奈良時代に即位している
 ☆この時代に女帝の即位が相次いだ理由
 *有力豪族の蘇我氏や藤原氏の意向があったのでは
 ☆両氏は、自分の娘を天皇家に嫁がせて縁戚関係を結ぶ
 ☆生まれた子が即位することで政権基盤を強固なものにした
 ☆彼らにとつて避ける必要があったこと
 *血縁関係が薄い皇子が即位すること
 ☆有力な男子皇族がいない場合
 *女性皇族を中継ぎとして即位させる
 *次の候補者が成長するのを待った
『日本書紀」をまとめることを命じた天武天皇
 ☆天武天皇は元の名を大海人皇子
 ☆中大兄皇子(天智天皇)の弟
 ☆兄の崩御後、古代最大の内乱壬申の乱に勝利して即位
 ☆律令国家の礎を築いた
 ☆「日本」の国号と「天皇」の号を最初に用いたのは天武天皇といわれる
 ☆この国の支配者が、天皇であることを諸外国に対し明確にした
 *天皇とは「天の下をあまねく統治する神」を意味する
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出典、『『日本書紀』と天皇126代』






『日本書紀』とは何か?(3)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)
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『日本書紀』とは何か?(2)

2020年03月01日 | 天皇論
『日本書紀』とは何か

『日本書紀』は、誰がまとめたの
 ☆『日本書紀』の編纂は、天武天皇が6人の皇子と6人の官人に記録を命じた
 *「帝紀および上古の諸事」に関しての纏め
 ☆編纂期間は40年近く
 *最初は川島皇子や忍壁皇子らが編纂の舵取り役
 *最終的には舎人親王の下で完成した
 ☆舎人親王は、天武天皇の子
 *『日本書紀』の完成後は皇族勢力の長老として朝廷に君臨した
『日本書紀』の書かれている期間
 ☆天地のはじまりから初代神武天皇を経て持統天皇に至るまで
 *天皇家の事績と系譜を記載している
 ☆最新の研究によつて、「信憑性が乏しい」とみなされている記述もある
 ☆古代の権力者たちが真実を隠そうとし、印象操作をしようとした痕跡も見られる
『日本書紀』の意味は
 ☆最初から『日本書紀』とする説
 ☆元々は『日本紀』だつたが、途中から『日本書紀』になつた」との説
 ☆中国の紀伝体の史書には「書」(『漢書』など)の文字が使われている
 ☆『日本紀』に「書」の字をつけたという見方もある
 ☆「紀」とは、君主の治世を編年体にしたものを指す
『六国史(りっこくし)』
 ☆『日本書紀』の後に5つの史書が編纂された
 ☆総称して「六国史」と呼ばれる
 ☆数十年ごとに編纂され、古代律令政治の主要事業の一つだった
 ☆『日本三代実録』を最後に作られなくなった
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出典、『『日本書紀』と天皇126代』




『日本書紀』とは何か?(2)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)
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『日本書紀』とは何か?(1)

2020年02月29日 | 天皇論
『日本書紀』とは

『日本書紀』は、どんな本
 ☆『日本書紀』は720年に完成した歴史書、日本に伝存する最古の正史
 *正史(国家が編纂した正式な歴史書)
 ☆全30巻で、ほかに1巻の系図(現存していない)があった
 ☆『日本書紀』の述べている内容
 *天皇が日本列島を支配している事を説明した書
 *天皇は、天照大神という神々を統べる神の子孫である
 *天皇は、神から地上世界の支配を託された
 *天皇がこの国の支配者であることの根拠を示す
 ☆原本は、ないが写本は多く残つている
 ☆現存する最古の写本は、平安時代初期のものとされる
『古事記』との違い
 ☆最古の歴史書『古事記』は、『日本書紀』より前に完成した
 ☆全3巻、神代から推古天皇までの歴史をまとめている
 ☆『日本書紀』と同様、漢文で書かれている
 *日本語の響きを漢字で表すことにこだわりをみせている
 *『古事記』と『日本書紀』では表記が微妙に異なる
 (「須佐之男命」と「素箋鳴尊」等)
 *『古事記』と『日本書紀』に書かれている内容はほとんど同じ
 ☆二つの歴史書が同時に作られた理由
 *天皇の系譜や伝承を正しく伝えるために『古事記』の編纂を開始した
 *途中で、中国の史書に対抗できる本格的な史書が求められるようになる
 *その為、『日本書紀』も同時並行で作られ始めた
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出典、『「日本書紀」と天皇126代』




『日本書紀』とは何か?(1)
(『「日本書紀」と天皇126代』記事より画像引用)

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「日本書紀」のポイント6(26巻~30巻)

2020年02月28日 | 天皇論
『日本書紀』のポイント6

26巻、斉明天皇
 ☆皇極女帝の重詐
 *舒明天皇の皇后、孝徳天皇とは同母の弟
 *天武天皇の母である
 ☆有間皇子の変
 ☆西征と天皇崩御
 *朝鮮半島への軍事介入
27巻、天智天皇
 ☆西海の防御を固める
 ☆近江遷都
 ☆藤原鎌足の死
 ☆大友皇子を太政大臣に任じる
28・29、天武天皇
 ☆飛鳥浄御原宮の造営
 ☆飛鳥浄御原宮の造営
 ☆皇親政治の開始
 ☆吉野の盟約
 ☆律令編纂と帝紀の記録の開始
 ☆八色の姓の制定
 *「真人、朝臣、宿禰、忌寸、道師、臣、連、稲置」の八つの姓の制度
 *天皇を中心とした新体制確立のための政策
30巻、持統天皇
 ☆大津皇子の変
 ☆藤原京へ遷都
 ☆文武天皇への議位
 *『日本書紀』の最後に記される第41代天皇(女帝)
 *天武天皇の皇后
 *天武天皇の崩御後に朝政をとる
 *皇太子の草壁皇子が亡くなった後に即位した
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「『「日本書紀」と天皇126代』記事、日本書紀」のポイント6(26巻~30巻)
(ネットより画像引用)













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「日本書紀」のポイント5(21巻~25巻)

2020年02月27日 | 天皇論
『日本書紀』のポイント5

21巻、用明・崇崚天皇
 ☆穴穂部皇子の殺害
 *欽明天皇の皇子、聖徳太子の叔父
 *皇位を望み物部守屋と結託したが、蘇我馬子に殺された
 ☆蘇我馬子と物部守屋の激突
 ☆法興寺の創建
 *奈良県高市郡明日香村にある飛鳥寺の前身
 ☆崇崚(すしゅん)天皇の暗殺
22巻、推古天皇
 ☆女帝の即位
 ☆聖徳太子の摂政就任
 ☆蘇我馬子の葛城県(奈良県の歴史的地名)の要請
 *飛鳥時代の政治家、貴族
 *敏達朝で大臣に、 以後用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕えた
 *54年権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築いた
 ☆新羅征伐の再開
23巻、舒明天皇
 ☆推古天皇の後継問題
 ☆遣唐使の派遣
 ☆災異の多発
24巻、皇極天皇
 ☆皇后の即位(斉明天皇)
 ☆山背大兄王(やましろおおえの)一族の最期
 *厩戸皇子の子、母は蘇我馬子の娘
 ☆蘇我氏の権勢
 ☆中大兄皇子と中臣鎌足の出会い
 ☆蘇我蝦夷・入鹿父子の滅亡
25巻、孝徳天皇
 ☆新政権の発足
 ☆難波長柄豊碕宮の造営
 *摂津国難波にあった飛鳥時代の宮
 ☆孝徳天皇と中大兄皇子の対立
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「日本書紀」のポイント4(16巻~20巻)

2020年02月26日 | 天皇論
「日本書紀」のポイント4

巻16、武烈天皇
 ☆暴君として伝えられている
 ☆実在した人物かどうかについては議論がある
17巻、継体天皇
 ☆任那4県の割譲
 ☆継体天皇の大和入り
 ☆磐井の乱(近江毛野の派遣)
 *朝鮮半島へ出兵しようとした近江毛野率いるヤマト王権軍
 *進軍を筑紫君磐井がはばみ
第18巻、安閑・宣化天皇
 ☆屯倉の設置
 ☆那津(筑紫)官家の整備
19巻、欽明天皇
 ☆大伴金村の失脚
 *古墳時代の豪族(大連)、大伴室屋の孫
 ☆仏教公伝
 ☆任那復興の協議
 ☆任那の滅亡
20巻、敏達(びだつ)天皇
 ☆日羅(にちら)の進言
 *6世紀朝鮮半島にあった百済の王に仕えた日本人
 *敏達天皇に,国力増強など百済対策について進言した
 ☆蘇我馬子の崇仏と物部守屋の排仏
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「日本書紀」のポイント3(11巻~15巻)

2020年02月25日 | 天皇論
『日本書紀』のポイント3

 ☆倭5王(武、興、済、珍、讃)



11巻、仁徳天皇)
 ☆菟道稚郎子(うじのわきいらっこ)の謙譲(仁徳天皇の異母弟)
 ☆民の寵の煙
 ☆磐之媛皇后の嫉妬
 ☆難波の堀江の開削と茨田堤の築造
12巻、履中・反正天皇
 ☆仲皇子が黒媛を犯す
 ☆履中天皇、国史や内蔵(うちくら)の制度を整える
巻13、允恭(いんぎょう)・安康天皇
 ☆最古の地震記録
 ☆木梨軽皇子の情事
 ☆大草香皇子の暗殺
巻14、雄略天皇
 ☆眉輪王の変
 *父は仁徳天皇の皇子である大草香皇子
 *母は履中天皇の皇女である中蒂姫命
 ☆市辺押磐皇子の謀殺
 ☆葛城の一事主神
 *雄略天皇が、鹿狩りで、天皇一行と全く同じ恰好の一行に会う
 ☆彦狭嶋王(武寧王)の誕生
 ☆高麗、百済を降す
15巻、清寧~仁賢天皇
 ☆星川皇子の乱
 ☆億計・弘計兄弟の苦難
 *仁賢天皇は、日本の第24代天皇。(名は億計天皇)
 ☆飯豊青皇女の執政
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(『「日本書紀」と天皇126代』記事より画像引用)



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『日本書紀』のポイント2(6巻~10巻)

2020年02月24日 | 天皇論
『日本書紀』概略のポイント2

巻6、垂仁天皇
 ☆任那と新羅の争いの始まり
 ☆狭穂彦王の反乱(開化天皇の孫)
 ☆伊勢に斎宮たてる
巻7、景行・成務天皇
 ☆景行天皇、熊襲を討つ
 ☆日本武尊、東へ向かう
 ☆日本武尊、帰国の途で病没
巻8、仲哀天皇
 ☆神の啓示
 *神功皇后は、天皇が神の教えに従わずに崩御したことに心を痛めた
 ☆熊襲征伐に神功皇后が同行
9巻、神功皇后
 ☆新羅への出兵
 ☆百済、新羅の朝貢
 ☆新羅再征
 *夫の仲哀天皇が神罰にあたつて亡くなった
 *身重の神功皇后が三韓遠征を行う
 *百済や新羅の朝貢を約束させた
巻10、応神天皇
 ☆渡来人の来朝
 ☆韓人の池を掘らせる
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『日本書紀』のポイント2(6巻~10巻)
(『「日本書紀」と天皇126代』記事より画像引用)



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New York Times, FEB6 news

2020年02月06日 | 天皇論
New York Times他

Ex-C.I.A. Analyst Faces Trial in Biggest Leak of Agency’s History
Joshua Schulte, a computer engineer, gave reams of secret documents
to WikiLeaks revealing the agency’s hacking tools, prosecutors say.

今日のセンテン5(基礎英語3、おもてなし英語)
I'm sure she did.
I beg your pardon ? (なんだって)
What's going on ?
You should think twice about this.
throne

5分間英語:

"Yesterday actions"
Home work
「空気感染」するのは、結核、麻疹、水痘の3つだけ
I was worried about Coronavirus because everyone was wearing a mask.
The mask was sold out at the pharmacy.
In Imado bus parking lot ,There was no bus stop,
because Chinese group customers no came.
Asakusa town, Ameyoko is also vacant Chinese group customers.
Coronavirus infection route
* Spray infection * Contact infection not Airborne.
The coronavirus has a long incubation period of 14 days.
Infection prevention methods will be careful to contact infeced person.
Pay particular attention to people coughing.
Stay away from within 2M.
Hand washing is also important, but it is not possible without water.
therefor It is important to wear gloves.
Cough particles(咳の粒子)
交差点(intersection)

I am inspired by the Chinese.
I will write a blog for my own study every day in English.
I think that there are many uncorrected sentences and mistakes.
Please forgive me.

I think that there is an unknown point in the description
because of my lack of knowledge.
For details, please check the source article, program and image.
Source: The New York Times.


Image citation from the New York Times article
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孝明天皇、維新への道を決めた選択

2020年02月05日 | 天皇論
幕末の“ラストエンペラー”~孝明天皇

 ☆江戸時代最後の天皇、孝明天皇
 ☆平穏を願った天皇が直面したのは、黒船来航にはじまる激動の時代
 ☆開国をめぐる政争の渦中で、歴史の分岐点となった天皇の選択
 *ペリー来航で国全体が動揺し、苦悩の連続を迫られた孝明天皇
 ☆「開国」か「攘夷」か、政争の中心にいたのが孝明天皇
 *天皇を巻き込んだ急進派による「大和行幸」計画
 *孝明天皇自身は、「攘夷」だが、「尊王」「大政奉還」を強く意識しなかったのでは?
 *公武合体(和宮を家茂に嫁がせる)派だったのでは
 ☆天皇の選択が、長州藩や薩摩藩のその後の運命を決めた
 ☆孝明天皇は若くして急死し、暗殺説がささやかれている

大和行幸の計画
 ☆「親征」すなわち、天皇が自ら軍を率いて「攘夷」を実行させる
 *長州藩の久坂玄瑞らが画策した
 ☆孝明天皇が石清水八幡宮へ行幸し、大阪城にいた将軍・徳川家茂も同行させる
 ☆天皇から家持将軍に「節刀」させ軍議を開く
 ☆徳川幕府も攘夷を行うしかない状況に追い込む計画
 ☆孝明天皇は、大和行幸を行わなかった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、NHK『英雄たちの選択』
















孝明天皇、維新への道を決めた選択
(『英雄たちの選択』テレビ画面より画像引用)


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崇神天皇は『ハツクニシラス スメラミコト』

2020年01月25日 | 天皇論
崇神天皇((出典の参照、一つ見方のご確認よろしくお願します)

 ☆日本の第10代天皇で、実在した可能性のある最初の天皇
 *3世紀後半ごろに実在した大王と推定されるが、定かではない
 ☆開化天皇の第二皇子、母は伊香色謎命で後の物部氏の系譜に連なる
 ☆異父兄に彦太忍信命(磐之媛の祖)。異母弟に彦坐王(神功皇后の祖)
 ☆即位5年から7年にかけて疫病が流行したが、大物主神を祀ることで治めた
 ☆即位10年、武埴安彦の反乱を鎮め、四道将軍を各地に派遣した
 ☆即位12年に戸口を調査して初めて課役を科した

第10代・崇神天皇「タタリ神天皇」ではなく「スジン天皇」と読む
 ☆崇神天皇を記紀で読むと、驚愕の事実が浮上
 ☆崇神天皇の「生贄の儀式」
 *生きた人間が生き埋めにした皇子の葬儀
 (卑弥呼も「殉死」の葬儀を行っている)
 ☆崇神天皇が即位してから5年間、疫病が大流行し、人口が半分以下に激減
 *理由は、「大物主の意思(タタリ)である!」という
 *崇神天皇は、天照大神の解任、宮中から追い出す
批判を覚悟のうえで、崇神天皇を記載する
 ☆崇神天皇は、創始者「ハツクニシラス スメラミコト」、しかし日本伝統の天皇と異なる?
 ☆日本書紀の編集者である藤原不比等も、崇神天皇を嫌っていたのでは
 ☆崇神天皇は、大酒飲みで暴力的と、三輪神社で大酒を飲んでた記録もある
 ☆崇神天皇の「儒教思想」、根本にあるのは中国の儒教の思想なのでは
 *王権神授説・・・・王が人民を治める権限を神から授かること
 *人民を司牧・・・・馬鹿な人民を奴隷のように扱うこと
 *群臣の忠貞・・・・下のものは上のものに絶対服従すること
 ☆神⇒王⇒民の序列、日本の神道には全く見られない考え方
 ☆崇神天皇の時代から、突然中国の思想を語り始めた
 *中国と日本が頻繁に交流していたという記録はない
 ☆崇神天皇自身が、大陸からやってきたと見るほうが自然なのでは
 ☆崇神天皇の出身
 *始皇帝の命で日本に来た徐福の子孫、又は徐福本人
 *新羅に渡った、始皇帝の残党
 *秦氏が大陸から呼び寄せた雇われ天皇
 *騎馬民族の出身
 ☆崇神天皇は、歴代天皇の日本人のキャラとは全く異なる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『ウガヤフカアエズ王朝実在論』、『WIKIPEDIA』、YouTube『「倭国」の時代ー』












崇神天皇は『ハツクニシラス スメラミコト』
(YouTube『「倭国」の時代ー』より画像引用)


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『女系天皇』誕生は皇室消滅の始まり

2020年01月23日 | 天皇論
安倍首相は男系にこだわる一方、世論は女系天皇75%賛成だが

女性天皇と女系天皇の違いは
 ☆首相は「憲法改正は自分の手でやり抜く」と、再び改憲への思いを強く打ち出した
 *もう一つの狙いは安定的な皇位継承の議論を始めること
 ☆秋篠宮さまが「立皇嗣の礼」で内外に皇位継承第1位を宣言する
 ☆悠仁さまへの流れが強まることは間違いない
 ☆これで伝統的な男系継承が決定的にならない
 ☆世間には、「女性天皇」と「女系天皇」の違いすら、理解していない人たちが多い
 ☆皇位は男系男子により、126代にわたって継承されてきた
 ☆皇室典範では「皇位は、皇統に属する男系の男子が継承する」と定めている
男系維持へ旧皇族の復帰説も
 ☆政府関係者はコメントする
 *雅子皇后の病状の快復がめざましく、今後愛子さまに注目が集まってくる
 *朝日新聞やテレビ朝日などは間違っている
 (「女性が天皇で何が悪いのか、男女平等だ」という論陣)
 *中途半端に『女性・女系天皇』を容認してしまうのは将来に禍根を残す
 ☆国益を護る会の関係者もコメントする.
 *旧宮家にはは、非公式ながら皇族復帰に前向きな人たちもいる
 *現宮家に養子か、婿養子として復帰するという案も浮上している
 *現在は皇族が養子を迎えることは皇室典範で禁止されている
 (皇室典範改正か特例法の制定で、それは可能になる)
ついに小和田家が動き出した
 ☆雅子皇后は、代替わり以降、公務や宮中祭祀にも臨む
 *皇后としての歩みを進められている
 ☆宮内庁長官も西村氏に交代し、宮内庁の”空気”も変わりつつある
 ☆西村氏は警視総監や内閣危機管理監を歴任し、安倍政権とのパイプも太い
 ☆新長官ヘの内外の期待は大きい
 ☆雅子皇后の実家である小和田家も動き出している
 ☆小和田氏を知る外務省関係者はコメントする
 *父・恒氏は、雅子さまをサポートしたいという思いは強いでしよう
 *愛子様についても将来の女性天皇にとの気持ちも出てきていると思いますと
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS1月号』


『女系天皇』誕生は皇室消滅の始まり
(『THEMIS1月号』記事より画像引用)



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