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心意気
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『蔦屋重三郎(蔦唐丸)』『狂歌・狂名』『江戸っ子』

2025年03月10日 | 有名人
🌸蔦屋重三郎、吉原に誕生す2

蔦屋重三郎、狂名「蔦唐丸」を名乗り「吉原連」に仲間入り
 ☆狂歌三大家たちの作る狂歌に触れ、江戸っ子たちは思った
 *西行レベルの和歌は詠めないが
 *この程度の狂歌ならオレだつて詠めるぜと思った
 *狂歌は「大喜利」に近く、同好の士たちが集まって楽しむものだった
 ☆クチコミで輪を広げていき、 一大狂歌ブームが巻き起こった
 *バブリーな田沼時代の雰囲気にもマッチして
 *江戸中に広まり、猫も杓子も毎日毎日狂歌三昧の日々だ
 ☆著名な狂歌師たちが「連」と呼ばれるグループを作った
 *「連」とは、仲良し連中が集まって狂歌を詠み合い
 *そのあとはドンチヤンやるという楽しい会のことだ
 ☆酒好き狂歌好きが集まりドンチャンやる場所
 *男衆にとって一石二鳥の遊び場、「吉原遊郭」になる
 ☆吉原をホームグラウンドにしていたのが、蔦重だった
 *二十歳そこそこの若者なのに
 *すでに吉原に精通していた蔦重は
 *狂名「蔦唐丸」を名乗って「吉原連」に参加していた

「かばちゃ」に「さる」ふざけた狂名はご愛敬
 ☆江戸の有名な狂歌連の有名どころ
 *唐衣橘洲の「四谷連」、四方赤良の「四方連(山手連)」
 *朱楽菅江の「朱楽連」など、武士中心の連のほか
 *歌舞伎の五代目市川国十郎とその取り巻きが作った「堺町連」
 *吉原を中心とした「吉原連」もあった
 ☆蔦重の属した吉原連のメンバー
 *加保茶元成(かぼちゃのもとなり)、猿万里太夫(さるまでだゆう)
 *我らが蔦重他

 *「かばちや」と名乗った妓楼主人、大文字屋市兵衛は二代目
 ☆当時、妓楼主
 *人としての八つの徳目「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」を
 *忘れた人という意味で「忘八」と呼ばれ、蔑まれていた
 *初代市兵衛はそのダーティーなイメージを逆手に取った
 *自虐的に「かばちゃ」と名乗り、ひょうきんに踊る自分の姿を
 *滑稽な肖像画にして売り出し
 *商売繁盛につなげたなかなかタフな商売人だった

江戸っ子の「洒落っ気」と「反骨精神」
 ☆京や大坂などの上方文化に対して
 *江戸も負けてねえ一 というところを見せたい
 *伝統ある和歌をパロって笑いを誘う
 *これらはすべて、江戸っ子の洒落っ気と反骨精神の表れだ
 ☆江戸っ子の特徴としてよくいわれるのは
 *「粋で鯔背(いなせ)」「金離れがいい」「人情家で涙もろい」と
 *ここまでは嬉しいプラスの評価だ
 *一方で「見栄っ張り」「向こう見ずの意地っ張り」と
 *あまり嬉しくない評価もいただくことがある
 *さらに「短気で喧嘩っ早い」「金はないけど威勢はいい」
 *「駄洒落ばかりで底が浅い」となってくると、言い返す言葉もない
 ☆「宵越しの金は持たねえ」っていう有名なセリフ
 *ただイキがっているだけじゃねぇ
 *町人の半分以上が職人だったから生活費が足りなくなれば働き
 *日銭を稼いだらパーツと使うのが粋で、こんな川柳がある
  『江戸っ子の生まれそこない金を貯め』
 ☆町人は、当時貯金するにも銀行なんてないし、保険もない
 *物欲を満たそうにも四畳半一間の裏長屋に何も置けない
 *仲間が今月ピンチとなれば
 *無利子・無担保、返済期限なしで貸し与えるのが人情家
 *粋な江戸っ子の心意気、金は天下の回り物ってこと
                         (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『眠れないほどおもしろい蔦屋重三郎』




『蔦屋重三郎(蔦唐丸)』『狂歌・狂名』『江戸っ子』
(『眠れないほどおもしろい蔦屋重三郎』他より画像引用)

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