慶喜

心意気
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祐天寺散策(07/07/07)

2007年07月07日 | Weblog
祐天寺行くのは二回目です。今回は目黒区の名刹をお参りし、心を洗い、江戸文化に触れて徳川幕府文化に触れました。
是非とも1度行くことをお勧めします。

『祐天寺』浄土宗の名刹として知られ、開山は江戸中期の名僧祐天上人ですが、実際に寺を創建したのは高弟の祐海上人でした。
将軍吉宗より「明顕山祐天寺」の寺号が授与され、将軍の浄財喜捨や特別の保護を受けるなど、徳川家と因縁のある寺として栄えてきました
明治27年火災で由緒ある本堂などを焼失しましたが、再建されたものをさらに前部に祐天寺の紋、奥の頭貫に徳川家の葵の紋が彫られ欄間の彫刻もすばらしいです。
『正覚寺』1619年日栄上人によって開かれた初めは法華寺の末寺でしたが、後に身延山久遠寺の末寺となり、日蓮上人の命日に当たる日は、はっぴ姿にねじり鉢巻きの粋な若者達が、万灯を押し立てて境内で、笛や鉦の音に合わせて威勢良く練り歩きます。
『大円寺』天台宗延暦寺派で、大海法印が大日如来を祀り、祈願の道場を開いたことが、この寺の始まりと伝えられている。木造釈迦如立像・十一面観音立像・石造り五百羅漢像阿弥陀三尊・お七地蔵・とろけ地蔵 等が安置されています。
『目黒不動』不動明王を本尊とする関東最古の不動霊場である。
『東光寺』1365年、世田谷城主 吉良治家が、我が子の菩提を弔うために建立したと伝えられていますまた 軍事・政治上の拠点とする意図もあったようです。
碑文谷村の政治、文化の中心的役割を果たしてきた臨済宗であったが、江戸時代の初め頃に曹洞宗に変わりました。
『円融寺』起源は平安初期 天台宗 法眼寺と名づけられ、約400年後日源上人によって日蓮宗に改宗され、法華寺と改められその約400年後法華寺は取り潰しにあい、再び天台宗の寺に戻され、円融寺と三たび名を改め 今日に至っています
『常円寺』日蓮宗の寺で、1590年小杉常円が開基日信上人により開山、始めは法華寺の末寺でしたが、後に身延山久遠寺末となっています。
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