久しぶりに、京都へ遊びに行き、大原見学に行きました。
その時、直ぐに頭に浮かんだのは寂光院でした。
寂光院は聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立されたそうです。
初代は聖徳太子の御乳人が出家し、その後代々高貴な家門の姫君らが法燈を守り続けています。
第二代の阿波内侍は、崇徳天皇の寵愛をうけた女官です。
第三代の建礼門院徳子が入寺し真如覚比丘尼となった。
源平の戦に破れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔い、終生をこの地で過ごされ閑居御所です。
また、江戸時代には、豊臣秀頼や徳川家康、淀君らが再興に手を尽くしたそうです。
本堂前西側の庭園は、平家物語当時のままで、この庭園は幽翠で哀れに美しく、当時の余韻を残しています。
本堂前北側の庭園は、回遊式四方正面の庭で、林泉・木立・清浄の池として表現され、幽翠な趣のこの名園作庭されています。
大きな南蛮鉄の雪見燈籠は、太閤豊臣秀吉の寄進で桃山城にあったものを移ました。
何回行っても、気の休まる素晴らしい場所です。
春・夏・秋・冬行っても、その時々で違う面を見せる素晴らしい場所です。
是非とも一度行くことをお勧めします。
その時、直ぐに頭に浮かんだのは寂光院でした。
寂光院は聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立されたそうです。
初代は聖徳太子の御乳人が出家し、その後代々高貴な家門の姫君らが法燈を守り続けています。
第二代の阿波内侍は、崇徳天皇の寵愛をうけた女官です。
第三代の建礼門院徳子が入寺し真如覚比丘尼となった。
源平の戦に破れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔い、終生をこの地で過ごされ閑居御所です。
また、江戸時代には、豊臣秀頼や徳川家康、淀君らが再興に手を尽くしたそうです。
本堂前西側の庭園は、平家物語当時のままで、この庭園は幽翠で哀れに美しく、当時の余韻を残しています。
本堂前北側の庭園は、回遊式四方正面の庭で、林泉・木立・清浄の池として表現され、幽翠な趣のこの名園作庭されています。
大きな南蛮鉄の雪見燈籠は、太閤豊臣秀吉の寄進で桃山城にあったものを移ました。
何回行っても、気の休まる素晴らしい場所です。
春・夏・秋・冬行っても、その時々で違う面を見せる素晴らしい場所です。
是非とも一度行くことをお勧めします。