西アフリカのコートジボアール(象牙海岸共和国)で、
時間厳守コンテストなるもの?が行われ、優勝者の
地元弁護士に約700万円相当の家がプレゼントされたという。
このコンテストは、遅刻が経済に与える悪影響ついての
認識を高めることを狙いに、現地の広告会社が考案したものだという。
コンテストでは、候補者が時間に正確であるかどうかを調べるのに、
職場での抜き打ち検査などが行われ、その結果、時間厳守に優れた
ビジネスマンや公務員9人に賞が贈られたそうである。
所変われば何とやら…である。しかし、アフリカには列記とした
アフリカンタイムが存在する。一言で言うと時間にルーズなのである。
そして、約束も確実に守られないのが一般的である。
もう10年以上も前の話だが、私はその日、マラウイの首都
リロングウェイからケニアのナイロビに飛ぼうとしていた。
予定では午前10時くらいの出発の予定であったが、飛んだのは
10時間遅れの夜8時を過ぎていた。その理由がなんと「パイロット
がまだ来ていない」であった。結局、遅刻の理由が何だったのかは、
わからなかったが、本当に信じられないのは、この飛行機が離陸して
からであった。
問題の飛行機、エアマラウイが10時間遅れで離陸した直後に、
機内で1本のアナウンスがあった。内容は「この飛行機は予定を
変更して、ブランタイヤに向かいます」というものであった。
ブランタイヤはマラウイ第2の都市である。
離陸するまでは、確かにナイロビ直行便だったはずである。
それが飛んでから行き先が変更になったのだ。
しかも、ブランタイヤを経由してナイロビまで飛ぶのではなく、
ブランタイヤ止まりの国内線フライトになったのである。
私達はすでに、全員出国審査を済ませていた。もちろんブランタイヤ
に着いた後、先ほどの出国手続きは取り消され、全員再入国となったが…。
そして、この行き先変更の理由は「政府による緊急事態である」との
ことであった。
どうやら国のおえらいさんが、飛行機を私物化したようで、前方の席には
それらしき人物が何人か直前に乗り込んでくるのが見えた。
時々ある、発展途上国の話ではある…。
そして翌朝、私達はこの飛行機でまた、首都のリロングウェイに戻され
さらに数時間待たされた後、ナイロビへと運ばれた。結局、普通に飛べば
2時間程のところを、26時間もかかってしまった。
まさに、アフリカンタイムとアフリカンシステムの集大成な出来事であった。
それにしてもこのような中、航空会社にクレームを言っていたのは
数人の欧米人だけであり、当のアフリカ人は実にのんびりと構えていた。
慣れたものである。
「アフリカの水を飲んだものは、再びアフリカに帰る」というような
言葉がある。
日本のジャパンタイムとは、対照的なアフリカンタイムであるが、
時々、あのような時間に拘束されない世界がとても懐かしくなる。
今度はいつ行けるだろうか…。(当分無理だろうな…。)
![](https://www.myanmar-teak.com/image/logottb6.gif)
時間厳守コンテストなるもの?が行われ、優勝者の
地元弁護士に約700万円相当の家がプレゼントされたという。
このコンテストは、遅刻が経済に与える悪影響ついての
認識を高めることを狙いに、現地の広告会社が考案したものだという。
コンテストでは、候補者が時間に正確であるかどうかを調べるのに、
職場での抜き打ち検査などが行われ、その結果、時間厳守に優れた
ビジネスマンや公務員9人に賞が贈られたそうである。
所変われば何とやら…である。しかし、アフリカには列記とした
アフリカンタイムが存在する。一言で言うと時間にルーズなのである。
そして、約束も確実に守られないのが一般的である。
もう10年以上も前の話だが、私はその日、マラウイの首都
リロングウェイからケニアのナイロビに飛ぼうとしていた。
予定では午前10時くらいの出発の予定であったが、飛んだのは
10時間遅れの夜8時を過ぎていた。その理由がなんと「パイロット
がまだ来ていない」であった。結局、遅刻の理由が何だったのかは、
わからなかったが、本当に信じられないのは、この飛行機が離陸して
からであった。
問題の飛行機、エアマラウイが10時間遅れで離陸した直後に、
機内で1本のアナウンスがあった。内容は「この飛行機は予定を
変更して、ブランタイヤに向かいます」というものであった。
ブランタイヤはマラウイ第2の都市である。
離陸するまでは、確かにナイロビ直行便だったはずである。
それが飛んでから行き先が変更になったのだ。
しかも、ブランタイヤを経由してナイロビまで飛ぶのではなく、
ブランタイヤ止まりの国内線フライトになったのである。
私達はすでに、全員出国審査を済ませていた。もちろんブランタイヤ
に着いた後、先ほどの出国手続きは取り消され、全員再入国となったが…。
そして、この行き先変更の理由は「政府による緊急事態である」との
ことであった。
どうやら国のおえらいさんが、飛行機を私物化したようで、前方の席には
それらしき人物が何人か直前に乗り込んでくるのが見えた。
時々ある、発展途上国の話ではある…。
そして翌朝、私達はこの飛行機でまた、首都のリロングウェイに戻され
さらに数時間待たされた後、ナイロビへと運ばれた。結局、普通に飛べば
2時間程のところを、26時間もかかってしまった。
まさに、アフリカンタイムとアフリカンシステムの集大成な出来事であった。
それにしてもこのような中、航空会社にクレームを言っていたのは
数人の欧米人だけであり、当のアフリカ人は実にのんびりと構えていた。
慣れたものである。
「アフリカの水を飲んだものは、再びアフリカに帰る」というような
言葉がある。
日本のジャパンタイムとは、対照的なアフリカンタイムであるが、
時々、あのような時間に拘束されない世界がとても懐かしくなる。
今度はいつ行けるだろうか…。(当分無理だろうな…。)
![](https://www.myanmar-teak.com/image/logottb6.gif)