島国の日本では考えられないことだが、9歳のときに迷子になったまま
生き別れた息子がミャンマー、タイを放浪したのち10年ぶりに帰って
きて、涙の再会を果たしたという中国は貴州省での話である。
今からちょうど10年前、遊ぶのに夢中だった9歳になる龍くんは、
地元の駅に停車中の雲南省、昆明行きの列車によじ登り遊んでいたのだが、
そのまま列車が出てしまい、その後、昆明からミャンマー、タイへ10年
もの間、漂流生活をするハメになった。
彼の話では、昆明に着いた後、一人の広東省出身の男に出会うことになる。
男は龍くんの手に「緬甸(ミャンマー)」の2つの字を書くと、「そこは楽しい
ところだよ。行ってみないか」と誘ったのだそうだ。その当時の龍くんは
まさかミャンマーが外国だなどとはつゆ知らず、ついて行くことにしたとのこと。
ミャンマーとの国境の街「景洪」に着くと、ミャンマーの農場を経営する夫婦に
紹介され、1年あまりそこで働き、その後、お寺に預けられ学校へ。さらに
1年が過ぎたころ、今度は仲間と一緒にタイに渡りゴルフ場でボールボーイをする。
この間に彼はミャンマー語とタイ語を覚える。3ヶ国語を使える彼は、ゴルフ場
ではたくさんの客から通訳として重宝がられたらしい。
そして、今年2月のある日、中国からタイに出張で来ていた男性が、龍くんが
働くゴルフ場の近くで食事をした折、言葉が通じず困っていたところ、レストラン
の主人が龍くんを連れて来て通訳をさせたのだそうだ。その男性は不審に思い
龍くんに身の上を尋ね、彼は中国に戻るとすぐ龍くんから聞いたことを元に
警察を通じて身元を捜すことになる。すると一ヶ月も経たずに龍くんの両親と
連絡が取れ、タイのゴルフ場で龍くんは母親からの電話を受けることができた
という話である。
何だかあまり苦労もせず、自由にやりたいことをやってきたようで、「この
話は、ほんとうかよ!」と思うところもあるのだが、何はともあれ、人身売買
されずに済んだのは不幸中の幸いだろう。ミャンマーの農場で過酷な労働を強いら
れたわけでもなく、仲間とタイに渡ってお金を稼いだりしてたわけだから、
それなりに放浪生活をエンジョイしていたのかもしれない。また、自力で帰ろうと
思えば帰れたようにも思えるのだが…
しかし、3ヶ国語を話せるのは、これから発展する国境ビジネスでは、重要な
役どころである。10年間家族と離れてはいたとはいえ、彼にとっては、
語学のキャリアまで積めて、結果的に迷子になってよかったのかも…という
展開ですらある。
彼にはぜひ、この語学を生かして大きくステップアップしていただきたい。
![](https://www.myanmar-teak.com/image/logottb6.gif)
生き別れた息子がミャンマー、タイを放浪したのち10年ぶりに帰って
きて、涙の再会を果たしたという中国は貴州省での話である。
今からちょうど10年前、遊ぶのに夢中だった9歳になる龍くんは、
地元の駅に停車中の雲南省、昆明行きの列車によじ登り遊んでいたのだが、
そのまま列車が出てしまい、その後、昆明からミャンマー、タイへ10年
もの間、漂流生活をするハメになった。
彼の話では、昆明に着いた後、一人の広東省出身の男に出会うことになる。
男は龍くんの手に「緬甸(ミャンマー)」の2つの字を書くと、「そこは楽しい
ところだよ。行ってみないか」と誘ったのだそうだ。その当時の龍くんは
まさかミャンマーが外国だなどとはつゆ知らず、ついて行くことにしたとのこと。
ミャンマーとの国境の街「景洪」に着くと、ミャンマーの農場を経営する夫婦に
紹介され、1年あまりそこで働き、その後、お寺に預けられ学校へ。さらに
1年が過ぎたころ、今度は仲間と一緒にタイに渡りゴルフ場でボールボーイをする。
この間に彼はミャンマー語とタイ語を覚える。3ヶ国語を使える彼は、ゴルフ場
ではたくさんの客から通訳として重宝がられたらしい。
そして、今年2月のある日、中国からタイに出張で来ていた男性が、龍くんが
働くゴルフ場の近くで食事をした折、言葉が通じず困っていたところ、レストラン
の主人が龍くんを連れて来て通訳をさせたのだそうだ。その男性は不審に思い
龍くんに身の上を尋ね、彼は中国に戻るとすぐ龍くんから聞いたことを元に
警察を通じて身元を捜すことになる。すると一ヶ月も経たずに龍くんの両親と
連絡が取れ、タイのゴルフ場で龍くんは母親からの電話を受けることができた
という話である。
何だかあまり苦労もせず、自由にやりたいことをやってきたようで、「この
話は、ほんとうかよ!」と思うところもあるのだが、何はともあれ、人身売買
されずに済んだのは不幸中の幸いだろう。ミャンマーの農場で過酷な労働を強いら
れたわけでもなく、仲間とタイに渡ってお金を稼いだりしてたわけだから、
それなりに放浪生活をエンジョイしていたのかもしれない。また、自力で帰ろうと
思えば帰れたようにも思えるのだが…
しかし、3ヶ国語を話せるのは、これから発展する国境ビジネスでは、重要な
役どころである。10年間家族と離れてはいたとはいえ、彼にとっては、
語学のキャリアまで積めて、結果的に迷子になってよかったのかも…という
展開ですらある。
彼にはぜひ、この語学を生かして大きくステップアップしていただきたい。
![](https://www.myanmar-teak.com/image/logottb6.gif)