東海テレビのセントレアの国際線ターミナルの映像、駐機場に旅客機が一機も止まっていなかった。中韓と香港路線の停止、それ以外も多くの便が減便。原油価格が下がり続けてもレジャー気分など程遠い状況で、元に戻るのは容易ではないなと思わせる映像だった。
新幹線も在来線も利用客が激減しているのだとか。そんな中、一昨日の日曜日、名古屋駅の東海道線のホームの隅に人だかりができていた。皆、大きなカメラを首から下げている。撮り鉄だと一目でわかる格好だった。どうも特別な列車が走る日らしい。自粛モードとは言え、オタクの世界にはそれを乗り超える行動力があるようで、なんとなくホッとする。そういえば、先日、娘に連れられて行った名古屋駅近くのアニメイトも、狭い店内にもかかわらず激混みだった。どうもオタク趣味の世界はコロナ騒動とは無縁らしい。
撮り鉄の話に戻ると、その撮り鉄集団の中には小学生らしき子供も少なからず見かけた。彼らは効率よく場所取りを進める大人の集団の中でいかに良い場所を確保しようと頑張っていたのが微笑ましかった。私が小学生だった昭和55~56年頃にもブルートレインブームがあり、度々、上野駅や東京駅に出かけていたのでちょっと懐かしかった。
小学6年生の夏休みに友達3人で新潟県の直江津というところへ出かけた。子供だけでの初めての遠出だった。直江津が目的地になったのは3人の田舎がそれぞれ長野県にあったからだ。計画は大宮駅から夜行の「越前」という名の福井行きの急行列車に乗り、深夜に新潟県の直江津に途中下車する。そこで日本海側を走るブルートレインや昼間に走る特急列車を撮り、その日の昼に特急列車で長野駅まで戻った。長野駅で私は私鉄に乗り変え1時間ほどのところにある母方の実家へ向かい、友人二人は飯山線に乗り換え、一人は横倉というところまで、もう一人はたしかその3つか4つ先の駅にそれぞれの祖母か祖父の家に向かった。
小6での3人旅は、行く前から楽しみで仕方なく、夜行列車の中でも興奮して眠れず、ずっと起きていた。周囲の大人は子供らだけの私たちに食べ物をくれたり、何かと世話を焼いてもらった記憶がある。直江津駅では、深夜に子供たちだけで鉄道写真を撮る私たちに駅員さんが良くしてくれた。車内での食事は駅弁だったので、早朝に改札を出て3人で食事をした。当時の国鉄の割と大きな駅前には、お酒やつまみのようなものまで出す、大衆食堂的な24時間営業の店があった。そこで友人の一人がキツネそばを頼み、セルフで入れる天かすを入れすぎて、その後、撮影中に気持ち悪くなり、ゲロを吐いたのも良い思い出だ。私たち子供3人は親がいない解放感がとても心地よく、食事も買い物も自分たちだけでやれる自由さと、その非日常的な感覚がとても楽しかったのだと思う。今思えば、遠くへ行くことに興味を持った一番最初の出来事だったような気もする。
様々なことが自粛傾向にある今、旅やエンタメは特に後回しになってしまうところもあるが、人にとって文化や芸術、芸能にスポーツ、そして生活圏外の見聞は食べ物や栄養と同じくらい必要なことだと思う。
過剰な自粛は慎みたい。
新幹線も在来線も利用客が激減しているのだとか。そんな中、一昨日の日曜日、名古屋駅の東海道線のホームの隅に人だかりができていた。皆、大きなカメラを首から下げている。撮り鉄だと一目でわかる格好だった。どうも特別な列車が走る日らしい。自粛モードとは言え、オタクの世界にはそれを乗り超える行動力があるようで、なんとなくホッとする。そういえば、先日、娘に連れられて行った名古屋駅近くのアニメイトも、狭い店内にもかかわらず激混みだった。どうもオタク趣味の世界はコロナ騒動とは無縁らしい。
撮り鉄の話に戻ると、その撮り鉄集団の中には小学生らしき子供も少なからず見かけた。彼らは効率よく場所取りを進める大人の集団の中でいかに良い場所を確保しようと頑張っていたのが微笑ましかった。私が小学生だった昭和55~56年頃にもブルートレインブームがあり、度々、上野駅や東京駅に出かけていたのでちょっと懐かしかった。
小学6年生の夏休みに友達3人で新潟県の直江津というところへ出かけた。子供だけでの初めての遠出だった。直江津が目的地になったのは3人の田舎がそれぞれ長野県にあったからだ。計画は大宮駅から夜行の「越前」という名の福井行きの急行列車に乗り、深夜に新潟県の直江津に途中下車する。そこで日本海側を走るブルートレインや昼間に走る特急列車を撮り、その日の昼に特急列車で長野駅まで戻った。長野駅で私は私鉄に乗り変え1時間ほどのところにある母方の実家へ向かい、友人二人は飯山線に乗り換え、一人は横倉というところまで、もう一人はたしかその3つか4つ先の駅にそれぞれの祖母か祖父の家に向かった。
小6での3人旅は、行く前から楽しみで仕方なく、夜行列車の中でも興奮して眠れず、ずっと起きていた。周囲の大人は子供らだけの私たちに食べ物をくれたり、何かと世話を焼いてもらった記憶がある。直江津駅では、深夜に子供たちだけで鉄道写真を撮る私たちに駅員さんが良くしてくれた。車内での食事は駅弁だったので、早朝に改札を出て3人で食事をした。当時の国鉄の割と大きな駅前には、お酒やつまみのようなものまで出す、大衆食堂的な24時間営業の店があった。そこで友人の一人がキツネそばを頼み、セルフで入れる天かすを入れすぎて、その後、撮影中に気持ち悪くなり、ゲロを吐いたのも良い思い出だ。私たち子供3人は親がいない解放感がとても心地よく、食事も買い物も自分たちだけでやれる自由さと、その非日常的な感覚がとても楽しかったのだと思う。今思えば、遠くへ行くことに興味を持った一番最初の出来事だったような気もする。
様々なことが自粛傾向にある今、旅やエンタメは特に後回しになってしまうところもあるが、人にとって文化や芸術、芸能にスポーツ、そして生活圏外の見聞は食べ物や栄養と同じくらい必要なことだと思う。
過剰な自粛は慎みたい。