北海道3日目は廃線が決まった函館本線へ
路線バスで倶知安駅へ
ディーゼルハイブリッド車
倶知安を出ると最初の駅、小沢(ござわ)駅。
ここからはとなりの銀山までの勾配が厳しく、かつては日本最大級の蒸気機関車C62の重連の“急行ニセコ”が有名。銀山峠までの登り勾配への登坂のための機関士と機関助手との煙との闘いについては多くの映像が残っています。
最初にニセコに来始めた30年以上前には新千歳空港駅からは今のような直通バスはなく、函館本線で札幌小樽経由で倶知安へ。その時のディーゼル列車もやはり急勾配では耳をつんざくようなエンジンの大音響を出しながら、止まりそうに走っていました。
でも、現代のディーゼルハイブリッド車は難なく速度を落とさず走り抜けます。
時代の流れですね。
然別(しかりべつ)駅での交換
余市に近づくと町中へ
小樽駅。
知人が”小樽にはとんでもなくレトロな喫茶店“がある、とのことで急な雨で飛び込んだアーケードに入ってすぐに目の前に。
店内は撮影禁止ということですが注文したコーヒーと手作りのカステラ?
店内は撮影禁止ということですが注文したコーヒーと手作りのカステラ?
レトロな店内には数多くのカンテラ、サイフォンが展示されていて、それをみているだけで楽しいです。
アーケードを歩いていると石原裕次郎さんの写真があります。もう閉館されましたが“石原裕次郎さん記念館”が小樽にありました。閉館前に我が家も訪れました。
渋いですね
こんな面白いものも
南小樽駅近くに美味しいおみせがあるとのことで歩いていると桜が満開。
小樽駅と南小樽市の間は結構、上り下り多く、坂の町小樽を実感。
アーケードを歩いていると石原裕次郎さんの写真があります。もう閉館されましたが“石原裕次郎さん記念館”が小樽にありました。閉館前に我が家も訪れました。
渋いですね
こんな面白いものも
南小樽駅近くに美味しいおみせがあるとのことで歩いていると桜が満開。
小樽駅と南小樽市の間は結構、上り下り多く、坂の町小樽を実感。
上り下りを歩いていると地元の人たちがドンドン入っていくラーメン屋さん発見。目的のお店変更して飛び込んでみました
目の前でチャーシューを炙っています。
炙られたチャーシューの香ばしさが美味しいラー面積でした。
毎日夜、訪れているTOSHIRO’S BARの奥さんが誕生日とのことで何かを、とと思って観光客向けのお店が集まっている場所へ。北一ガラスのアウトレット店でスマホたてを。どこがアウトレットなのか、よくわかりませんでしたが。
昔ほどではないですが観光客も戻ってきています
そしてその後小樽駅方面へ
昔の手宮線跡へ。
昔の手宮線跡へ。
残っている線路の一番端で誰もいなかったので嫁さんと記念撮影
中々線路の上に立つのは難しくなってきました。若いときには問題なく線路の上を歩くとができたのに。歳と共にバランス感覚無くなっていきますね。
色んなポーズで。
中々線路の上に立つのは難しくなってきました。若いときには問題なく線路の上を歩くとができたのに。歳と共にバランス感覚無くなっていきますね。
色んなポーズで。
こんな人前では恥ずかしい写真も。
そうしたら遠くで我が家を観ていた若い人達がいっせいに似たようなポーズで写真撮り始めました。恥ずかしい!
小樽駅15:05発の倶知安行きで
小樽駅から暫くすると日本海が。
果物産地として有名な仁木。車で以前通ったときにはサクランボが。
リンゴ、ブドウ、サクランボ、スイカなどの果物が沢山あるので色々な果物畑の間をディーゼルハイブリッド車は走り抜けます
小沢駅の跨線橋も風雪を凌ぐためか片側は封鎖されています。
リンゴ、ブドウ、サクランボ、スイカなどの果物が沢山あるので色々な果物畑の間をディーゼルハイブリッド車は走り抜けます
小沢駅の跨線橋も風雪を凌ぐためか片側は封鎖されています。
心地良く列車の揺れに身を任せていると、終点倶知安駅の直前で急ブレーキ。
すると目の前を鹿が横切っていきました。
鹿も暫く此方を見ていました。
運転を再開して倶知安駅に入ると駅前のスキー場、旭ヶ丘スキー場が。レルヒさんが指導をしたのがこのスキー場
倶知安駅のかつて使用されていたホームは閉鎖
ここから昔は小樽駅へ向かいました。
もうすぐ北海道新幹線の駅ができる予定
夜は3日お世話になったbangbangの齊藤さんと奥さんと写真
そしてTOSHIRO’S BARのご夫婦と
翌日、北海道を離れる日、フェリーは夕方なので知人宅へ
その前に、以前から気になっていたニセコの”ストーン サークル“へ。
昔、縄文時代に縄文人もこの地でニセコアンヌプリをみていたのですね。
素敵な知人宅からは羊蹄山が見えるはずですが天気悪くて雲の中。
目の前は蕎麦畑でしたが、急遽、国の補助金で小麦畑になるそうです。知人は目の前の蕎麦の白い花が素敵だったのに、と。今年は白い花の代わりに黄金色の麦畑。
これもロシアのウクライナ侵略の影響ですね。国も慌てて小麦の時給率向上を
楽しく知人ご夫婦とお話をして昼過ぎにニセコを出て小樽へ
今回は、久しぶりの出航の銅鑼。
人が集まって“密”になるので中止されていた銅鑼。今回のフェリーは満室ではなく空いているので銅鑼をやったのかもしれません。以前は銅鑼のことを艦内放送で流していましたが、この日はなんの前触れもなく。
この日の夜は和食のコース
ただ、これから低気圧に近づいて行くので大きく揺れる、とのことで微妙に揺れを感じます。
北海道に因んだ新潟県を代表するお菓子を売店で買って北海道のウイスキー呑みながら。
夜は物凄い風と揺れでした。
朝は穏やかになり、水平線からの太陽の輝きで目覚め
朝の光に照らされた飛島
知人からいただいた倶知安の洋菓子店のドーナツをニセコの高野珈琲店さんのアイスコーヒーで。
占冠村のしもかぷ工房さんのククサで。
昔、仲間たちと遊んだ粟島をみたらまもなく新潟港
新潟港に入港する直前に新潟空港から離陸した飛行機が頭の上を
新潟港にはかつて新潟小樽直行便で使われていたフェリー”ゆうかり“が停泊。このふねにも南海も御世話になりました。この船は、なんといっても食事をしながら夕焼けをみることができるようになっていたのが素敵でした。
新潟港に入港して方向転を始めるといつもは下船案内があるのにこの日はその案内がありません。
しかも岸壁に付いても案内がないので、聞き漏らしたかと思って下船口へ歩いていくと、海上保安官が数人、走り回っています。
デッキに上がって外を見ると、車の下船口のタラップがあがったまま。
係員も立ち止まったまま
すると救急車が。
そういえば湾内での方向転換をする直前に救急車とレスキュー隊が港にはいってきました。
近くの人に聞いたら、朝早く、人か倒れていて大騒ぎだったとのこと。フロアが違ったのか我が家は気づきませんでした。
結局、1時間以上下船できず、ようやく10時半近くに下船
“あざれあ”と”ゆうかり“
いつも帰りに寄る”まつや“さん
燕の背脂ラーメンが絶品
背脂が浮いていますがでもギトギトしていません。
美味しかったです。
夜は、知人にいただいた鶏飯を。
天気は悪かったですが、スキー以外でも色色と楽しみを見つけました。
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