人生とはマラソンのようなものでもある。
走者によって距離もルートも違うし給水所の数も違う。
観客がいる時も有ればいない時だってある。
今の日本は、マラソン大会で走っているのに、
主催者が「走るな、走るな」と言っているような感じを受ける。
参加費とゆう税金を納めたならもう走る必要は無いと。
無理して走らず後ろから来るバスを待て。
途中まで走ってそれで十分とか。
そして多数の参加者も、それでいいと思っている。
では、走っているのは誰か。
・表彰台を目指している者
・走るのが楽しい者
・完走したい者
である。
辛い、苦しい思いをしてまで走らなくても良い。
そう考える者が増えている。
何時からそうなったのか分からないけど。
僕はTVの水戸黄門世代なので、
オープニングの歌にあるよう
後から来たのに追い越され 泣くのが嫌ならさあ歩け
と思っている。
走ってなくても歩いてでも前に進んでいたいのである。
これは仕事でもこの先の人生でも同じ事だと思います。
止まっていたら後から来る者に追い越されるのは当たり前。
だから僕は何事も「もういいや」とは思わないよ。
走者によって距離もルートも違うし給水所の数も違う。
観客がいる時も有ればいない時だってある。
今の日本は、マラソン大会で走っているのに、
主催者が「走るな、走るな」と言っているような感じを受ける。
参加費とゆう税金を納めたならもう走る必要は無いと。
無理して走らず後ろから来るバスを待て。
途中まで走ってそれで十分とか。
そして多数の参加者も、それでいいと思っている。
では、走っているのは誰か。
・表彰台を目指している者
・走るのが楽しい者
・完走したい者
である。
辛い、苦しい思いをしてまで走らなくても良い。
そう考える者が増えている。
何時からそうなったのか分からないけど。
僕はTVの水戸黄門世代なので、
オープニングの歌にあるよう

と思っている。
走ってなくても歩いてでも前に進んでいたいのである。
これは仕事でもこの先の人生でも同じ事だと思います。
止まっていたら後から来る者に追い越されるのは当たり前。
だから僕は何事も「もういいや」とは思わないよ。