田村一二の著作について、そのよってきたものを探っている。
謎が多い?? というか、だまされているみたい。
糸賀一雄、池田太郎とともに、近江学園をつくった人。近江学園時代のことをNHKの小山賢一は次のように回想している(『追想集糸賀一雄』)。
「(「園長は不在です。田村先生ならおりますが」)田村先生? 私は田村先生が園長さんだとばっかり思って来たのだった。「手をつなぐ子ら」で先生の名を知り訪れたのである。/そのほかに園長さんがいるとはいったいどんな方なのであろう。ともかく田村先生にお会いしたいと、校庭に出てみたがどこにも見当たらない。知恵遅れの子らが五,六人遊んでいるだけである。/「先生はどこにもみあたりませんが」と事務所に戻ると、そんなはずがないと事務の先生が校庭に出てくれた。/「おりますよ、あそこに」と指されても、私にはいっこうに見つからない。変だなあ? と砂遊びの子らの傍らまで来ると、事務の先生が、「田村先生、お客様です」と声をかけて。「へえ!」と大きな声で顔を上げた砂まみれの顔、まさにこれは普通児ではない、それが田村先生だった(後略)」
晩年は、狐の絵を描いて過ごしているが、狐だか狸だか? その残した謎について書いていきたい。