「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」
よく知られている鴨長明の『方丈記』の冒頭である。年報のはじめにを書くにあたって、ふと頭に浮かんだのがこの一節である。
歴史の流れの中で、この2015年度という年はどう評価されるのだろうか。まだその流れの中にあって、そこに「浮かぶうたかた」としては、客観的にとらえがたいというのが正直なところである。少なくとも、大学については、ある意味で、総括が求められる画期となる年度ではないかと感じるところである。
国立大学が国立大学法人に移り、第1期の6年を経て、第2期が2015年度で終了する。第2期中期目標計画の最終年度が今年度である。国立大学法人法の成立の際には、大学の自主性が高まり、より自由闊達に研究や教育ができるという一部の言説があった。当初からその幻想への批判は大きなものがあったが、その批判以上に大学の教育研究環境は大変な事態に至った。運営費交付金は、この12年間で年間1%ずつ削減されるのであるから、たとえて言えば、100人の教員が1年間に1人ずつへっていく、本学でもすでに10名以上の教員が減ったと考えたらわかりやすいだろう。事実、わたしたちの教室も、田辺先生が退職されて以後、障害児心理学のポストは補充されていない。事務も、附属も、学部・大学院もである。経常的な経費は削減されるのだが、教育や研究を維持しようとすると、競争的資金の獲得をしいられ、自由どころかさらなる書類の山と格闘しなければならないし、また、競争的資金の規制の中で自由度を失ってしまうことが強められた。とんでもなく大変になった-それが、実感である。
第三期中期計画目標が文科省に出される6月頃、文科省から次のような通知文書がだされた。
「教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」
この一文を普通に読めば、教育学部や文系学部・大学院全体の廃止や転換を文科省が求めたように受け止められても仕方ない。そもそも、この12年間でそれを強いられ、日干しにされてきたのであった。文科省の正直なところに沿うように考えを及ぼすと、大学という高等教育機関のみならず、国民すべての「知」や「教養」そのものが干上がってしまうのではないか-いよいよ「ゆく河の流れ」は絶えてしまうのではないかと危惧せざるを得ない。
一昨年、「ミッションの再定義」なるものを文科省は、大学に要請してきた。教育大学・教育学部は、「教員採用○%」を掲げる経営体となれということだった。その背景には、教員の大量退職を迎えて(これは一時のことなのだが)、これまで国立大学が担ってきた小学校教員養成に対して私学経営陣が生き残りをかけて参入したということがある。それに伴って「教員養成の質保障」ということが強調されてきた。しかし、「質保障」といっても、文科省の事務官にその質的な評価を行うことが出来る訳でもない。畢竟、それは形式的でトンチンカンなものとなってしまう。15回分の講義のシラバスの重箱の底をつつくような文言いじり、そしてそれに対応する業績の記入の要請など…。そのような点検をしている時間と労力、そしてそれにつきあわされている大学側の時間と労力を、もっと建設的なものにつかうならば、この国の未来も輝くのにとついついため息をついてしまう。「質保障」という名の規制の強化でもあるのである。そもそも、戦後教員養成の出発において、「大学における教員養成」が掲げられたのは、教員養成を閉じたものではなく、学問・科学と教育を結んでいくという方向性があった。前提としていた大学における「知」の基盤に根づき、さらに、教員は、生活という台地から栄養をとりながら成長していくという成長モデルをもっていた。しかし、免許更新制にせよ、教員養成の質保障にせよ、その基盤となる科学と生活とは切り離されたものとなってしまう。大学や人間への信頼や寛容というものを旨とする教員養成論は水脈を絶たれてしまっているかのようである。これまで、課程認定の作業をしてきたものとして、この間の教員養成認可の文科行政は信じられないことばかり…それだけ、高等教育と教育の世界の「劣化」が進んでいるのであろうか。
市場経済至上主義の「強者」の声高なものいいの前に、平家物語の冒頭を思い起こさざるを得ない。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」
わが国が障害者権利条約を批准して、2016年2月には2年を経た。障害者権利条約は、第35条で、締約国に批准して2年目に国連障害者権利委員会に報告をすることを課している。その政府報告案がだされている。障害者権利条約を批准するための障害者基本法の改正と障害者差別解消法の成立に基づいて、この4月から、合理的配慮の提供も含めた障害者差別への公的な対応がなされることとなった。障害のある人達の権利が実現され、それが障害のない人達の権利をより豊かなものとしていくような共生社会を創造してゆけるような主体の形成(学校教育を含めて)が求められている。それが、高等教育の場での課題ともなろう。障害のある人達の教育をもっぱら考えあってきた、わたしたちの教室がその蓄積を生かして大いに発信していくことが求められている。
子どもたちと教育の現場の状況は厳しい。いじめや不登校、発達障害を抱える子どもたちの課題、障害や貧困・生活上の課題を持つ子どもをめぐって、取り組まなければならない課題は山積している。歴史的な課題の前に、私たちの蓄積してきたものは何かを再度確認する必要があるだろう。
すでに、昨年度、附属小学校特別支援学級(19クラス)の50周年の記念行事があった。今年度は、附属中学校特別支援学級(5組)の創立50周年を祝う会が開かれた。いよいよ、来年度には養護学校教員養成課程が設置されて50周年になる。『20年史』『30年史』に学びながら、『50年史』として、学部改組、大学院の改組、特別専攻科の設置、センター設置などさまざまなことがあったことも記録に残しておく必要がある。来年度早々の宿題として残しておきたい。
4年前に学部改組がなされて、本学は教員養成一本となった。2015年度はその完成年度となった。今回卒業する卒業生は、その第1号である。また、特別支援教育特別専攻科は、今年度で閉じることとなる。この経過については、昨年度の年報に詳しいので繰り返さないが、特別専攻科最後の修了生となる。新たに、来年度より、教職大学院に特別支援教育のコースが設置されると共に、修士課程の学校教育専攻教育臨床・特別支援専修も改組され、人間発達専攻発達教育臨床専修の中に特別支援教育の内容が継承されることとなる。特別支援教育研究センターは、3年ごとの特別経費を得て、3度目のプロジェクトの締めの年度となった。これまでの9年間にわたる、特別経費のプロジェクトお疲れ様でした。
50周年を迎える来年度の新たな出発に対して、課題の大きさにたじろぎを感じないかといえば嘘になる。不安は禁じ得ない、しかし、「ゆく河の流れは絶えない」ことを信じて、みなさんとともに歩んでいきたい。卒業生・修了生のみなさんの前途に期待しつつ、これまでの縁のあった先生方、学生・院生、卒業生の皆さんの健康を祈念すると共に、今後のご指導、ご鞭撻をお願いする次第である。
よく知られている鴨長明の『方丈記』の冒頭である。年報のはじめにを書くにあたって、ふと頭に浮かんだのがこの一節である。
歴史の流れの中で、この2015年度という年はどう評価されるのだろうか。まだその流れの中にあって、そこに「浮かぶうたかた」としては、客観的にとらえがたいというのが正直なところである。少なくとも、大学については、ある意味で、総括が求められる画期となる年度ではないかと感じるところである。
国立大学が国立大学法人に移り、第1期の6年を経て、第2期が2015年度で終了する。第2期中期目標計画の最終年度が今年度である。国立大学法人法の成立の際には、大学の自主性が高まり、より自由闊達に研究や教育ができるという一部の言説があった。当初からその幻想への批判は大きなものがあったが、その批判以上に大学の教育研究環境は大変な事態に至った。運営費交付金は、この12年間で年間1%ずつ削減されるのであるから、たとえて言えば、100人の教員が1年間に1人ずつへっていく、本学でもすでに10名以上の教員が減ったと考えたらわかりやすいだろう。事実、わたしたちの教室も、田辺先生が退職されて以後、障害児心理学のポストは補充されていない。事務も、附属も、学部・大学院もである。経常的な経費は削減されるのだが、教育や研究を維持しようとすると、競争的資金の獲得をしいられ、自由どころかさらなる書類の山と格闘しなければならないし、また、競争的資金の規制の中で自由度を失ってしまうことが強められた。とんでもなく大変になった-それが、実感である。
第三期中期計画目標が文科省に出される6月頃、文科省から次のような通知文書がだされた。
「教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」
この一文を普通に読めば、教育学部や文系学部・大学院全体の廃止や転換を文科省が求めたように受け止められても仕方ない。そもそも、この12年間でそれを強いられ、日干しにされてきたのであった。文科省の正直なところに沿うように考えを及ぼすと、大学という高等教育機関のみならず、国民すべての「知」や「教養」そのものが干上がってしまうのではないか-いよいよ「ゆく河の流れ」は絶えてしまうのではないかと危惧せざるを得ない。
一昨年、「ミッションの再定義」なるものを文科省は、大学に要請してきた。教育大学・教育学部は、「教員採用○%」を掲げる経営体となれということだった。その背景には、教員の大量退職を迎えて(これは一時のことなのだが)、これまで国立大学が担ってきた小学校教員養成に対して私学経営陣が生き残りをかけて参入したということがある。それに伴って「教員養成の質保障」ということが強調されてきた。しかし、「質保障」といっても、文科省の事務官にその質的な評価を行うことが出来る訳でもない。畢竟、それは形式的でトンチンカンなものとなってしまう。15回分の講義のシラバスの重箱の底をつつくような文言いじり、そしてそれに対応する業績の記入の要請など…。そのような点検をしている時間と労力、そしてそれにつきあわされている大学側の時間と労力を、もっと建設的なものにつかうならば、この国の未来も輝くのにとついついため息をついてしまう。「質保障」という名の規制の強化でもあるのである。そもそも、戦後教員養成の出発において、「大学における教員養成」が掲げられたのは、教員養成を閉じたものではなく、学問・科学と教育を結んでいくという方向性があった。前提としていた大学における「知」の基盤に根づき、さらに、教員は、生活という台地から栄養をとりながら成長していくという成長モデルをもっていた。しかし、免許更新制にせよ、教員養成の質保障にせよ、その基盤となる科学と生活とは切り離されたものとなってしまう。大学や人間への信頼や寛容というものを旨とする教員養成論は水脈を絶たれてしまっているかのようである。これまで、課程認定の作業をしてきたものとして、この間の教員養成認可の文科行政は信じられないことばかり…それだけ、高等教育と教育の世界の「劣化」が進んでいるのであろうか。
市場経済至上主義の「強者」の声高なものいいの前に、平家物語の冒頭を思い起こさざるを得ない。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」
わが国が障害者権利条約を批准して、2016年2月には2年を経た。障害者権利条約は、第35条で、締約国に批准して2年目に国連障害者権利委員会に報告をすることを課している。その政府報告案がだされている。障害者権利条約を批准するための障害者基本法の改正と障害者差別解消法の成立に基づいて、この4月から、合理的配慮の提供も含めた障害者差別への公的な対応がなされることとなった。障害のある人達の権利が実現され、それが障害のない人達の権利をより豊かなものとしていくような共生社会を創造してゆけるような主体の形成(学校教育を含めて)が求められている。それが、高等教育の場での課題ともなろう。障害のある人達の教育をもっぱら考えあってきた、わたしたちの教室がその蓄積を生かして大いに発信していくことが求められている。
子どもたちと教育の現場の状況は厳しい。いじめや不登校、発達障害を抱える子どもたちの課題、障害や貧困・生活上の課題を持つ子どもをめぐって、取り組まなければならない課題は山積している。歴史的な課題の前に、私たちの蓄積してきたものは何かを再度確認する必要があるだろう。
すでに、昨年度、附属小学校特別支援学級(19クラス)の50周年の記念行事があった。今年度は、附属中学校特別支援学級(5組)の創立50周年を祝う会が開かれた。いよいよ、来年度には養護学校教員養成課程が設置されて50周年になる。『20年史』『30年史』に学びながら、『50年史』として、学部改組、大学院の改組、特別専攻科の設置、センター設置などさまざまなことがあったことも記録に残しておく必要がある。来年度早々の宿題として残しておきたい。
4年前に学部改組がなされて、本学は教員養成一本となった。2015年度はその完成年度となった。今回卒業する卒業生は、その第1号である。また、特別支援教育特別専攻科は、今年度で閉じることとなる。この経過については、昨年度の年報に詳しいので繰り返さないが、特別専攻科最後の修了生となる。新たに、来年度より、教職大学院に特別支援教育のコースが設置されると共に、修士課程の学校教育専攻教育臨床・特別支援専修も改組され、人間発達専攻発達教育臨床専修の中に特別支援教育の内容が継承されることとなる。特別支援教育研究センターは、3年ごとの特別経費を得て、3度目のプロジェクトの締めの年度となった。これまでの9年間にわたる、特別経費のプロジェクトお疲れ様でした。
50周年を迎える来年度の新たな出発に対して、課題の大きさにたじろぎを感じないかといえば嘘になる。不安は禁じ得ない、しかし、「ゆく河の流れは絶えない」ことを信じて、みなさんとともに歩んでいきたい。卒業生・修了生のみなさんの前途に期待しつつ、これまでの縁のあった先生方、学生・院生、卒業生の皆さんの健康を祈念すると共に、今後のご指導、ご鞭撻をお願いする次第である。