北海道寄宿舎教育研究会の研究集会に話しに来ている(「子どもの権利と生活教育実践の課題-インクルージョンと特別学校」)。
歴史を縦糸に、国際的な広がりを横糸に、その交点で生活実践を深めるということにしたいと思った。
資料は、レジュメを出していたので、それでと思ったが、急遽、その場で、画像や映像も含めて示したいと思ったので、パワーポイントをつくった。
結局、2時間。そんなに続かないと思ったが、話をしてしまい、それでも時間が足りなかった。
北大、学術会館。100人くらいの参加(下支えは数人の人でよくもここまでがんばっているなぁ)。
「夜明け前の子どもたち」見たことのある人は数人。広報「人」の映像もみせて、就学猶予免除の姿も見せた。
北海道の高等養護学校の寄宿舎の実情はたいへんらしい。それだけ、要望が強いと言うこともあるようだ、しかし、北海道の養護学校の配置の問題もある。高等部増設運動をやっていた先生にもあった。もう退職をしているようだが、しかし、資料は沢山あるということだった。そんな資料も大切である。
歴史を縦糸に、国際的な広がりを横糸に、その交点で生活実践を深めるということにしたいと思った。
資料は、レジュメを出していたので、それでと思ったが、急遽、その場で、画像や映像も含めて示したいと思ったので、パワーポイントをつくった。
結局、2時間。そんなに続かないと思ったが、話をしてしまい、それでも時間が足りなかった。
北大、学術会館。100人くらいの参加(下支えは数人の人でよくもここまでがんばっているなぁ)。
「夜明け前の子どもたち」見たことのある人は数人。広報「人」の映像もみせて、就学猶予免除の姿も見せた。
北海道の高等養護学校の寄宿舎の実情はたいへんらしい。それだけ、要望が強いと言うこともあるようだ、しかし、北海道の養護学校の配置の問題もある。高等部増設運動をやっていた先生にもあった。もう退職をしているようだが、しかし、資料は沢山あるということだった。そんな資料も大切である。
蜷川知事は、障害児のための学校をつくると約束したのではない。
日本独自のグローバルな教育の観点から、障害児教育保障を述べていたことも知られていません。
教育の「植民地主義」が、あるように思えます。
包括的、日本語訳はいい中身でしょう。
日本独自の障害児教育の上に他国の障害児教育を学ばないと「模倣」「植民地主義」だ、と思います。
高等養護学校構想が出たとき反対しました。
北海道のあの広い地域から、また通常の養護学校よりランクが高い、と言う発想に 小さな養護学校こそ多くと政策を示しましたが、北海道で苦労されている教職員のみなさんに連帯を贈ります。
2006年夏の全障研の40回大会の開催にあたって、挨拶をしました(「まほろば-全国障害者問題研究会第40回全国大会(奈良)の挨拶2つ」)。開催要項に掲載されているものとは、別の原稿を用意して話をしたので、実際の挨拶は報告集などには掲載されていません。
映画「学校」の猪田さんの奈良への修学旅行と「幸福」をめぐるホームルームのことを引きました。それを引き継ぐと、山田洋次の「学校Ⅱ」の舞台が、北海道の高等養護学校での話になります。竜先生を演じたのが西田敏行。養護学校をテーマにしたことで、いろいろな批判もあったようです。ちょっととってつけたような「台詞」もいれないといけなくなったようで…。
全障研の大会は、39回が北海道でおこなわれ、その次が奈良でした。北海道とは不思議な縁です。そんなことも含めて、講演の映像のしめは西田局長の率いる「探偵ナイトスクープ」「車いすの旅」にしました。「幸せ」って、日々の暮らしの中で微笑んでいる、笑いやユーモアがある時だと思うからです…。
憲法で示された「幸福追求権」、それは国連の提案した「発達への権利」と重なるものがあります。第三世代の人権が「発達権」でそれを追求して国連の動向を真摯に分析していたのも田中昌人先生でした。田中先生の訳語と訳文は、発達に引き寄せすぎと思えるのですが、通常の場合の訳にはない独自のものがありました。それは意訳に過ぎるのではとおもったり、しかし、そういう訳ができるように議論が進めばいいと思ったり…。いつも考えさせられるものでした。
個人主義だけど個人とは、連帯がある。ニースのプロバンスの鉄道の窓口で売っているプロバンス鉄道のDVDが欲しくて3日窓口に行ったけれど切符を売っている男性は、グッズ売りの女性が労働時間との関係で来てないから売れない、と言う。帰国が迫った日に最終なのでDVDを指差して あんたの目の前にあるこれ、これ、としつこく言ったけど時間を指差して、ノン。
日本では考えられない分担主義。でも、働く人々は仲がいい。
ストライキするとき、組合員より未組合員が多く集まって大集会する。組合の違いも乗り越えて。カンパもぐっすり集まる。
なんでもかんでももそこで働いている人ー個人の責任としないヨーロッパの多くの国々。
その文化と生活を踏まえたヨーロッパの取り組みが日本に紹介されていない。
個人と集団。
田中先生は、それを非常に意識していた。O大学のT先生は、早くからイギリスの教育行政を研究されていたので意見交換されていた。
このディーセント・ワークの実現のためにという副題は、ディーセント・ワークの日本語訳がないとしていたILO日本事務所が「働きがいがある」と訳してしまったため、著者と相談して、ディーセント・ワークという言葉をあえて使って、的確な日本語訳が見つかるまでみんなに意見を投げかけようとの合意のもとに副題をつけたものである。
上野名誉教授は、
「副題に『ディーセント・ワークの実現のために』が付いている。この英語の的確な日本語はないらしい。
これは、近ごろの文化人たちがやたらに日本語を英語に置き換えるのとは、本質的に異なる。 彼らは、自分の表現力の貧しさを隠すためである。[ディーセント・ワーク]の適切な日本語訳がないということ自体が、日本の貧しさを象徴しているとも言える。
しかしその意味することは、前文に記されている。ー以下略ー」
と現在の学術分野の訳語問題を述べられています。参考までに。
たしかにそのように思えるところもあります。今から訳30年以上前にソビエト心理学研究会でルビンシュテインの心理学をめぐって論議があったらしいです。
ルビンシュテインはスターリン粛正の生き残りのために著書の中にスターリンの引用を採り入れていたため、その後、スターリン批判が広がってルビンシュテインの心理学が全面否定されたそうですが、彼の心理学の論理の正当性を評価すべきだという意見が出されたそうです。
その時、田中先生は、発達の原動力は、外部の働きによる。内部の働きによる。
などの問題を私たちに問いかけはじめられ、戸惑ったことがあります。
その後、難解なルビンシュテインの「一般心理学の基礎」を読み終えたときに、田中先生の発達の原動力と内化、外化との関連が解った気がしました。
「訳にはない独自のもの」を今は意訳と言っていいのか、解釈・消化して創造した、と言っていいのか迷います。
ただ、ルビンシュテインの「一般心理学の基礎」にある生徒はどのような授業に関心を持ったのか、の変化を調査する手法は、自分自身の一年間や1時間ごとの授業を反省し、構築するものとして取り込んできました。
意外な結果が出て驚きましたが、田中先生の1年間の中での発達の飛躍期(秋)、一日の発達の飛躍時間(夕方)などの発想に繋がったのではないか、と思っています。
だから、「通常の場合の訳にはない独自のものがありました。それは意訳に過ぎるのではとおもったり」の気持ちは充分分かる反面、実践的には、ルビンシュテインの弱点を克服した新たな提起であったとも考えています。
田中先生が訳語問題でジョン万次郎のことを調べて 彼の英語力 発音表記 の確かさに感激されていました。
またジョン万次郎が何歳の時に漂流し、アメリカで学んだのか。
それによって アメリカ語の獲得が規定されているとも言われていました。
ジョン万次郎の英語テキストが京都に残っています。
ぜひ、読んでください、と言われました。
また京都は、空襲の被害が少ないため高校の図書館に戦前の貴重な文献があると西京高校の図書館に行って調べておられました。
あの徹底ぶりは、驚くばかりです。