ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

たくさんの「あきらめ」…

2011年01月15日 22時45分27秒 | 生活教育
北海道からの帰りの際のアクシデントの疲れが引かない。飛行機の中で読んだのが、北海道寄宿舎研究会の研究集会で講演をしてくれた日置さんの本、日置真世『日置真世のおいしい地域づくりのためのレシピ50』(全国コミュニティライフサポートセンター、2009年)は、できちゃった事業-「入り口は軽いノリ・結果は大仕事」のことを書いている。

この本では、いろいろ考えさせられることが多いが、その前提として、たくさんのあきらめ(当たり前でない暮らしで折り合いをつけている家族や当事者たちのたくさんのあきらめ)を受け止めることからはじめることがあると感じた。

僕らは多くのあきらめを強いてきた、強いている。時として、それを「ぶれない」「一貫性がある」「筋が通っている」などといって、賛美したりする。そんな現実に対して、常々、違和感を持ってきたことも事実だ。規則だとか、ルールだといったところで、結局は、たとえば教師にとって都合のいいいいわけのことが多いのだ。

それに関連した部分を摘記しておこう。

「無理をしてでも、必要とされることをリアルタイムで実現することは、みんなの意識を何よりも変えているということがわかっていたからです。これまで、弱い立場にいる人たちは「障がいがあるから仕方がない」「障がい児を育てているのだから仕方ない」「こんな自分だから悪いのだ」「誰に何を言っても無駄だ」とたくさんの我慢やあきらめをしてきました。言い換えると、あきらめや我慢がもはや当たり前の状態になっているのです。しかし、「こんなものがほしい」「こんなことで困っている」「自分らしく生きたい」と表現すること、解決の道が開ける、自分の声が社会を変える原動力jに成る、我慢する必要はない、自分が目指す自分らしい制かgつを語っていいのだ、夢を抱いてもいいのだという気持ちになってきたのです。(中略)これまでいろんな意味でチャンスの無かった人たちが「使おう」「相談してみよう」という気持ちをせっかくもったのに、「いっぱいです。使えません」とはどうしてmこ言えなかったのです。だって、また「やっぱりね」って、それまでよりももっと強くあきらめてしまうからです。
…だからこそ、中途半端になることは承知しつつも走り続けていたのです。(p.224-225)。

「一人の力は小さくても、たくさんの人が力を出し合うことでおもしろいことができる」ことを実感を持って知ることが大事。
何をやりたいのか(実施主体の動機)よりも、何が地域に求まられているのか(必要性)と自分たちができることは何か(独自性)がもっとも大事。大事なのはなによりも「必要性」
「どんなことがあっても、みんなが必要としていることをしている限りは誰かがたすけてくれる。なんとかなるんだ」という経験。

障害の当事者でなくてもl、みんな地域の「生活の当事者」であるということ

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