木曜日、金曜日はつかれた。とくに、金曜日は、1ヶ月の内もっともストレスのかかる会議の日、その会議の後、全障研の運営委員会にいって、いろいろ話をきいた。「最近の若者の意識がわからない…」ということが議論されていた。土曜日は、その疲れを引きずって、午前中、仕事で、午後から京都駅周辺で、フィルムのことでOさんと、修論のことでKさんと、寄宿舎の件でYさんとあう。途中で、頭がまわらなくなった…。
どうも、この間、歴史と今後の課題の重なりと違い(これまでとこれからの連続性と非連続性について)がどこでも論点になっているように思う。
新しい市民運動を提唱する日置さんの本もそんな観点から読んだ-日置真世『日置真世のおいしい地域づくりのためのレシピ50』(全国コミュニティライフサポートセンター、2009年)の続き
○実践の新たな担い手の登場…?
職人ヘルパーの元炭坑マンの畠山さんのこと(p.184)
働いていた太平洋炭鉱が1年前に閉山し、再就職にあたっては「これからは福祉だよ」と家族のアドバイスをもらいヘルパー資格をとっていたのです。…福祉と全く畑違い経歴の持ち主でしたが、すぐにヘルパーとしての類稀な才能を発揮し、「カリスマヘルパー」と評されるようになりました。
畠山さんは、重い自閉症の子どもたちの動きを理解したり、うまくコミュニケーションをとったり、言葉にできる理論ではなく、まさ職員技で人の行動を分析的に見ています。(若年性痴呆症の人や強い行動書0卯が員のある自閉症の人への優れた対応)…畠山さんいわく、炭坑の仕事は非常に危険な現場。そこで働く人の心の動きや性格を細かく把握するなどの人に対する配慮欠かせないから、そんなところでも鍛錬されたのではないかということでした。その話を聞いて対人援助の専門性は人間性と密着して、非常に普遍的なものであると確信したのです。
釧路は、水産業の不振、炭鉱閉山などで就職が厳しい地域です。こうした就職難は、事業者としては非常にありがたいことでした。求人を出すと多様な人材が多く応募してくれるからです。
○今の時代に見合った取り組み…批評家を排し、自分にひきつけて、一人称で語る(当事者として)
今は、今の時代の社会に合った取り組みがあるし、その地域にはその地域の事情があり、資源があり、そして、その地域に合ったやり方があるのです。それには見本がないから自分たちで、試行して検証して、構築しなければなりません。地域の課題を至らない部分やダメなところなど、課題を指摘することは意外に簡単です。…でも、私はそんなことにはちっとも意味がないと思います。大事なのは、「じゃどうしたらいいのか?」「そういう自分は、何をするのか?」ということではないでしょうか。(p.274)
どうも、この間、歴史と今後の課題の重なりと違い(これまでとこれからの連続性と非連続性について)がどこでも論点になっているように思う。
新しい市民運動を提唱する日置さんの本もそんな観点から読んだ-日置真世『日置真世のおいしい地域づくりのためのレシピ50』(全国コミュニティライフサポートセンター、2009年)の続き
○実践の新たな担い手の登場…?
職人ヘルパーの元炭坑マンの畠山さんのこと(p.184)
働いていた太平洋炭鉱が1年前に閉山し、再就職にあたっては「これからは福祉だよ」と家族のアドバイスをもらいヘルパー資格をとっていたのです。…福祉と全く畑違い経歴の持ち主でしたが、すぐにヘルパーとしての類稀な才能を発揮し、「カリスマヘルパー」と評されるようになりました。
畠山さんは、重い自閉症の子どもたちの動きを理解したり、うまくコミュニケーションをとったり、言葉にできる理論ではなく、まさ職員技で人の行動を分析的に見ています。(若年性痴呆症の人や強い行動書0卯が員のある自閉症の人への優れた対応)…畠山さんいわく、炭坑の仕事は非常に危険な現場。そこで働く人の心の動きや性格を細かく把握するなどの人に対する配慮欠かせないから、そんなところでも鍛錬されたのではないかということでした。その話を聞いて対人援助の専門性は人間性と密着して、非常に普遍的なものであると確信したのです。
釧路は、水産業の不振、炭鉱閉山などで就職が厳しい地域です。こうした就職難は、事業者としては非常にありがたいことでした。求人を出すと多様な人材が多く応募してくれるからです。
○今の時代に見合った取り組み…批評家を排し、自分にひきつけて、一人称で語る(当事者として)
今は、今の時代の社会に合った取り組みがあるし、その地域にはその地域の事情があり、資源があり、そして、その地域に合ったやり方があるのです。それには見本がないから自分たちで、試行して検証して、構築しなければなりません。地域の課題を至らない部分やダメなところなど、課題を指摘することは意外に簡単です。…でも、私はそんなことにはちっとも意味がないと思います。大事なのは、「じゃどうしたらいいのか?」「そういう自分は、何をするのか?」ということではないでしょうか。(p.274)
釧路は、水産業の不振、炭鉱閉山などで就職が厳しい地域です。こうした就職難は、事業者としては非常にありがたいことでした。求人を出すと多様な人材が多く応募してくれるからです。
非常に気になります。この方が太平洋炭鉱(日本最後の炭鉱として言われたが、別会社が操業しているらしい)のどの分野で働いていたのか知りませんが、採掘などの現場なら「じん肺」や健康問題を抱えたまま介護職に就かれたとしたら、あとあと健康障害が生じるからです。それでなくても介護職の健康被害は眼を覆わんばかりです。
北海道過労死弁護団の弁護士から「遙かなるチリ、心騒がせる国」のテーマで、日本では報道されていない33人の救出の背景と鉱山労働者(太平洋炭鉱は、海底鉱労働者とも言えるが。)の状況とEU諸国、そして日本のことを読んだだけに、ヘルパーとしての類稀な才能を発揮し、「カリスマヘルパー」と評される、ことを肯定できません。
何の共同、と思い1970年代京都教育センターの事務局長(専従)のOさん(ソビエト教育学を主に研究)に聞くと、研究者とは、大学院ではなくドクターコース等で学んだ人を言い、共同とは学校の教職員と研究者がともに教育を研究し、発展させていくことである。
だから、研究者と教職員が共同して研究をすすめるという意味がある、と説明された。
でも当初は、解らなかったけれど次第に解ってきた。
Oさんは専従の事務局長であったけれど、それまでは私のよく知っているR大学のO先生やS先生などが事務局をになっておられた。
京教組障害児教育部から京都教育センターの各教科研究会や各問題別研究会があるが、障害児教育研究の部会がない、と問題提起され、当時滋賀大学の藤本先生と京大の田中先生が代表者になり、科学的障害児研究会がつくられた。
だから、当時は逆に研究者からどんどん提起されることも多かったし、障害児教育についての教職員の疑問、問題など絶えず論議され、実践的に確かめたり、還元されたものです。
それまでは、京都の障害児教育には、それぞれの結びつきがあっても研究者集団と教職員集団との対等平等の関係はなかった。
tama先生の書かれている
しかし、そのことによって、他者を評価したり、考えあっていく対等性を確保しようとする試みはあってもいいと思う。
という文章に侘びしさを感じてしまいます。みんなが知恵を出し合い、共に行動し、研究・検証して、さらに実践を豊かにする。
1970年代当時以上の発展が見込める21世紀なのに。
論争は発展を産みます。最近、イタリアのコーヒーのトップブランドのillyが自社開発のすべてを公開し、各コーヒーメーカーと競合する企業運営をしていることを知り、驚きました。自社開発を隠していては、自社の発展もない。すべてのノウハウを公開することで技術力を高めると言いきるillyの歴代の社長の話。
共同研究、共同研究者などなど話されていたこととなにか共通するものがあるように思います。
創造と批判。批判から創造。
教育分野でなにか、空洞が出来ているようで、またそれを埋めれば飛躍的発展があるように思いますが。
と書かれておられますが、炭坑労働と介護福祉労働の両方の健康として捉えられほしいのです。
障害児学校の健康問題も含めて考えていただきたいなぁと思います。
それだけ真面目で真剣な人々の健康破壊は激しく、表向きに言えず、仕事を辞めたい、辞めたい、と言った悩んでいる人々が増え続けいる。
そのことをあまりに多く知るからです。
健康で安全に働くという当たり前のことが、破壊されている現実を改めないと、いい教育もいい福祉もいい医療も出来ないからです。
充分ご承知だと思いますが、書かせていただきます。
だから、健康問題の重視を書いていますが、以下アメリカの米国環境保護庁(EPA)の報告を掲載させていただきますが、多くの事例報告がなされています。
欧米では、壁の塗り替えにペンキなどやボンドなどの有害物質を使い塗り替えることが多くあり、そのことによる中枢神経系の影響が報告されています。
それらのことを踏まえないで、いわゆる発達障害の出現率を日本とアメリカとの比較で論じている研究者がいますが、有害物質による健康被害の面からアプローチしてほしいと思います。
以下一部掲載させていただきます。
鉛中毒は、米国環境保護庁(EPA)によって、子どもの健康に危険を及ぼす5つの有害物に含まれている。(鉛、空気汚染、殺虫剤、タバコの煙、水質汚染) 鉛は、非常に微量でも、神経系に障害を引き起こすことが知られている。
過去50年に75,000種類の新しい化学物質が地球環境にばらまかれており、それに伴う子どもの病気も増加している。たとえば喘息は1980年以来三倍に増え、小児がンは過去20年の間に10%増加している。
特に子どもは環境汚染の影響を受けやすい。なぜなら、まず子どもは体の重さに較べると大人よりも飲み、食べ、息を吸う絶対量が多いためである。また、子どもの生化学、そして生理学的機能は十分に発達にていないためである。
たとえば、古いペンキが剥がれ落ちたかけらを子どもが口にしてしまった場合、深刻な鉛中毒を起こす。また直接口にしなくても、古くなったペンキが最終的に埃になって吸い込まれるということも考えられる。
鉛中毒におかされているアメリカの子ども達は200万人、そのうち5歳までの子どもに限ると90万人に及ぶ。鉛中毒の症状は注意欠陥障害、学習障害、発達障害、聴覚障害、多動、知能低下、一部の筋肉麻痺などである。
(参考 戦前の訳です。)
ILO 鉛中毒に対する婦人及児童の保護に関する勧告(第4号)1919年10月29日(抜粋)
「婦人及児童使用の件、健康上有害なる作業」に関する提案の採択を決議し、
1 総会は、母性の機能に及児童の身体の発育に対し生ずる危害を慮り、婦人及十八歳未満の年少者を左の工程に於て使用せざることを国際労働機関の締盟国に勧告す。