「生活教育」「生活指導」という言葉を調べているが、なかなか難しいことが多い。
大学院にいた頃の研究室・講座の名前は、今はないが「教育指導講座」「教育指導研究室」で、研究には、「発達指導」と「生活指導」二つの柱があったように思う。指導教官だった方は、発達を中心にして研究をしていたが、亡くなった近藤郁夫先生などの先輩の院生達は、生活指導を研究していた。両者は対立するものでもなかった。僕は、どちらかというと、後者の方にぼんやりといたようにおもう。このことは、また書こうと思うが、そんなわけだから、「生活指導」という言葉に思い入れがある。
とはいえ、この「生活指導」ということば、いろいろ変遷があって、今日に至る。昨日この言葉に偶然また出会った。人間ドックの総合健診成績書の中である。
総合判定のあとに、「生活指導」の項目があって…
「体重を減らしましょう。塩分を減らしましょう。食事量を少し減らしましょう…」などと記載されている。
医療や福祉の中で「生活指導」という用語が使われているが、こうして「指導」がなされるとちょっと辛いなと思う。
今日の一日
朝、ゆっくり目で、電車で大学へ。駅でコーヒーも飲めたし、本屋にもいけた。これだけでも、気持ちが変わる。
紀要の訂正を検討して、再度、修正し、提出。午後から、退職の先生の最終講義へいく。その人がよくわかる…。
研究室で、院生と話をするが、どうもすれ違う。まだ、頭が疲れているのか?4時過ぎに、19日の講演の件で、連絡があったので、いそいで、パワーポイントと資料をつくる。いろいろやっていて、結局、2時間くらいかかって、送信。
作業所の物品販売の配達があり、その他ろいろ相談することもあったので、別の先生の所に行って用件をすます。講座の弁当代、新入生歓迎の研修会の講師の件、実習ハンドブックの件、話の中でテープ起こしの原稿の直しがあることに気づく。
帰りに、体育の先生と一緒になり、いろいろ話をする…。
家で、メールいろいろ。
大学院にいた頃の研究室・講座の名前は、今はないが「教育指導講座」「教育指導研究室」で、研究には、「発達指導」と「生活指導」二つの柱があったように思う。指導教官だった方は、発達を中心にして研究をしていたが、亡くなった近藤郁夫先生などの先輩の院生達は、生活指導を研究していた。両者は対立するものでもなかった。僕は、どちらかというと、後者の方にぼんやりといたようにおもう。このことは、また書こうと思うが、そんなわけだから、「生活指導」という言葉に思い入れがある。
とはいえ、この「生活指導」ということば、いろいろ変遷があって、今日に至る。昨日この言葉に偶然また出会った。人間ドックの総合健診成績書の中である。
総合判定のあとに、「生活指導」の項目があって…
「体重を減らしましょう。塩分を減らしましょう。食事量を少し減らしましょう…」などと記載されている。
医療や福祉の中で「生活指導」という用語が使われているが、こうして「指導」がなされるとちょっと辛いなと思う。
今日の一日
朝、ゆっくり目で、電車で大学へ。駅でコーヒーも飲めたし、本屋にもいけた。これだけでも、気持ちが変わる。
紀要の訂正を検討して、再度、修正し、提出。午後から、退職の先生の最終講義へいく。その人がよくわかる…。
研究室で、院生と話をするが、どうもすれ違う。まだ、頭が疲れているのか?4時過ぎに、19日の講演の件で、連絡があったので、いそいで、パワーポイントと資料をつくる。いろいろやっていて、結局、2時間くらいかかって、送信。
作業所の物品販売の配達があり、その他ろいろ相談することもあったので、別の先生の所に行って用件をすます。講座の弁当代、新入生歓迎の研修会の講師の件、実習ハンドブックの件、話の中でテープ起こしの原稿の直しがあることに気づく。
帰りに、体育の先生と一緒になり、いろいろ話をする…。
家で、メールいろいろ。
これも自己責任の一環で、パブリックヘルスー公衆衛生という講座が医学部でなくなっているという。
体重を減らすのをトヨタがはじめたようである。ランキングさせて社員の体重を減らさた。
でも、体重を減らさせられて死んだ人もいる。家畜的労働衛生という予防医学の先生は言う。
昨年も施設で働く人がボロボロになっていたので、長時間労働を止めるように言ったら守った。
6時まで帰るようにしたら6キロ体重が減ったとメールが来た。
長時間労働はあらゆる公共のものを破壊する、というヨーロッパの労働関係者は言っていた。
長時間労働と不規則勤務の指導がなく、個人防衛だけが強調される。
社会から隔絶された生活はない。
しかし、社会から切り離した生活が意図的に広められている。
教育分野の生活指導も同じようにされているように思える。
かっての生活指導は、ロマンと感動があった。
長時間労働・不規則勤務をして体重を減らすと死の四重奏がまっている。
哲学の道。なぜ疎水の小道にあって、瞑想にふけったのか、またその時間が着想の時間だったのか。
日本の医療は、社会医学を否定しているように思える。
餓死する人は、直前は健康だったのか。
WHOの健康の定義をめぐる国際論争が、日本ではほとんど知らされていない。