AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

「兄弟の中で何番目に生まれたか?」「上と下に男がいるか、女がいるか?」(ピーナッツ)

2010-08-15 21:29:11 | AKB48
先週、「エチカの鏡」という番組で、やってたんだけど、"人は、兄弟の中で、何番目に生まれたか?"&"上と下に、男がいるか?女がいるか?"によって、基本的な性格が形成されたりするらしい。
僕は、血液型とかは、あまり、信じないんだけど、こういうのは、結構、信じてる。
10年?いや、もっと前かな? とにかく、そういうのを、ずっと研究しているって人が、テレビに出てて・・・
"プロ野球で、ホームラン王のタイトルを獲得したのは、50余年の歴史の中で、長男では、リー選手だけ(それも、1回)…つまり、99%が、次男&三男だった!"というデータを紹介していて…そんなのを観たからだ。
(ちなみに、チームリーダーやキャプテンは、第1子が、圧倒的に多いんだって)。
だから、ものすごく、興味を持って、この番組を観てた。なっちゃんは、"真ん中っ子"…それを、頭に入れた状態でね。

ところで、"真ん中っ子"っていうのは、上と下に比べて、ポジションが、ハッキリしないため、自己主張を少し強めに発信する事により、世の中に対して、アピールしていくものらしい。で、その訓練を、小さい頃から、ずっとしているもんだから、性格的に強い子が育つ。(なるほど!?)
そして、そんな、"真ん中っ子・女性"が、最も大成する最強パターンが、[兄・本人・弟]の順なのだそうだ。(なっちゃんじゃん!)
上と下に、女の子がいる場合は、自分が比較されて育つため、どうしても、"ひがむ"部分が出てきてしまうが、兄弟の中で、自分だけが女なので、"ものすごく可愛がられた!"という記憶だけが残る。また、兄弟と一緒に遊んだりする事によって、たくましく、性格的に、サッパリとした子に育つ傾向にあるらしく、その結果、男性的な性格をも内包?し、将来、男の人に好まれる存在となっていくらしい。
あと、個人的に思ったんだけど、"しっかり者"と"甘えん坊"(ツンデレ?)…2つの面を、なっちゃんが見せているのは、ごく自然な事だったりして・・・。
ただ、夕食時に、最後のウインナー1個を、男兄弟の中で、取り合ったりした(ケンカした)経験から、年頃になっても、多少、がさつ…というか、下品に見える行動が、チョイチョイ出るらしい。(そうなのかな?)
しかし、"常に、人間関係の中で生きてきた!"という思いがあり、外の世界でも、人との関係を最も大事にする性格に育っている事が多い…という長所がある。
ただ、弱点としては、小さい頃から、ハッキリとしなかった自分の位置を定めてくれる『ブランド的なもの(例えば、「開業医」とか…)』そういう言葉に弱いという特徴があるのだそうだ。(気をつけて!)

ところで、女性同士で、最も相性がいいのが、"真ん中っ子・女性"と"1人っ子・女性"なんだって。
理由は、お互いが、お互いの立場に、憧れがあるから…。
つまり、真ん中っ子は、"1人っ子だったら、良かったのに…"と思って生きてきた。1人っ子は、"上と下がいたら、いいのにな…"と思って生きてきた。この関係性で、このコンビは、成り立つ。そして、このコンビ…わりあい、末永く上手くいくものらしい。
"1人っ子・女性"…なっちゃんに近しい人でいうと、浦野一美,柏木由紀。(でた!でも、なるほど!) そして、ゆきりんが、以前、"自分以外なら、誰が、キャプテンか?"という質問で、選んでいたのが、なっちゃん。ちなみに、"弟持ち長子"の高橋みなみ&秋元才加…。(あっ!キャプテン…なるほど!) で、2人が選んだのも、自分とは、全く違った兄弟構成の人。(でも、これは、あんまり、関係ないか…コンビじゃないし)

それよか、1人…気になる人物…。
"姉持ち末っ子"の渡辺麻友。ぶっちゃけ、アイドルに最も向いているのは、もちろん、末っ子的性格全開のホームランバッター…つまり、まゆゆのようなタイプ(兄弟型)らしい。
ちなみに、このパターンの場合の妹は、"お姉ちゃんが、(私のために)何とかしてくれる!" どこか、姉に対し、"甘える"というか、"召し使い的な気持ち"を持って、成長していくものらしい。
"真ん中っ子"のなっちゃん・・・"末っ子"のまゆゆ。実は、「渡り廊下走り隊」は、まゆゆにとって、ものすごく居心地のいい場所なのかもしれない。(ちなみに、らぶたんも、[兄・本人]の末っ子・・・なっちゃん、大変?)
育つ環境を考えた時、もしかしたら、まゆゆは、アイドルとして完璧なのかも?…チョット、そう思った。

そして、これは、個人的な妄想なんだけど、小林麻央,浅田真央,渡辺麻友…いつか、この3人の「グータン・ヌーボ」が観てみたい(別に、「僕らの時代」でも、OK!)。どれだけ、考え方、似てるんだろう?
で、次の週は、小林麻耶,浅田 舞,まゆゆのお姉ちゃん…。
こういう研究は、100%じゃないかもしれないけど、結構、面白い。 
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10期生、アイドルの本質 (ナッキー)

2010-08-15 12:11:24 | アイドル論
今月、初めて大場美奈のモバイルメールを購読しているのですが、10期生を一人一人写真つきで紹介してくれています。

10期生の顔と名前がまだ完全には一致できていない私には、うれしい企画。要約しますと、


なかまったぁこと仲俣汐里ちゃん!!
まさかの同い年です
なかまったぁわ超おしゃれで礼儀正しい子
しかも超超超努力家なんです
目が超ぱっちりしてます
まだまだ仲良くなれるので←もっと仲良くなってみなるん!って呼んでもらえるようがんばる。


いずりなこと伊豆田莉奈ちゃん!!
いずりなも中3なのにおしゃれなんです
でも人懐っこいのでよく来てくれて今でわ超仲良しです
よく阿部マリアちゃんと金沢有希ちゃんと3人で居ます
いずりなわダンスを習っていたので超ダンスが上手いです
でも上手いなかにもかわいさがあって見てて癒されます
ちなみにいずりなの特徴わ満面の笑み
あの笑顔にやられる人もいるはず。いずりなの笑顔に注目


金沢有希ちゃん!!
小森さんに似てるってよくゆわれる
スタイルがよくて超しっかり者
はっきりしていてすごく頼れます
北海道から上京
これからどんどん輝く子だなとか勝手に思っているので注目です。


感想です。
「ダンスを習っていたので超ダンスが上手い、でも上手いなかにもかわいさがあって」
という表現に、アイドルという文化の本質を感じました。

ダンスが上手いから素晴らしい とはならないアイドル文化

ダンスが上手い、でもアイドルとしては輝かない人もいる

ダンスが下手、でもアイドルとして輝いている人もいる。

大場美奈のいずりな評は、
ダンスが上手い、でも、アイドルとして輝いている。

何気無い表現で、アイドルの本質を、語っています。

ナッキー
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アイドルで感動させるには、アイドルという伝統芸能を継承し継続する「仕組み」が必要 (ナッキー)

2010-08-15 00:00:00 | アイドル論
ししまるさんの記事 を読んで、「小賢しい演出や企画が作り出す安っぽいショー」「コンセプト」からは、感動は生まれず、「アイドルに感動する。王貞治やイチローに感動するのと同じ理屈。」であるとの記載に、同感した。

長い間アイドルファンを続けていて、アイドルにとって一番大事なのは、
「アイドルが、アイドルらしい歌を歌う」ことを、どのように、継続していくかだと、私は痛切に感じてきた。

アイドル冬の時代と言われた頃、テレビでは「アイドルが歌を歌うのを見せる」ことでは、視聴率を上げられなくなり、つまり金を稼ぐことができなくなり、
その10年前だったら、アイドル歌手として大成したであろうアイドル(タレント、芸能人)が、歌う機会を与えられずに、

放送作家のシナリオ・コンセプト通りの、お涙頂戴のテレビ定番の茶番や、
明らかに嘘を本当だと見せかけているショー (演じる方も、見る方も、嘘だと分かっているけど、本当かもしれないから、面白がって見るという予定調和の世界) 
ししまるさんが、ずばり「「小賢しい演出や企画が作り出す安っぽいショー」と的確に表現されたものを、見せ続けられた私は、

「アイドルが歌を歌うことにより輝く時代」は復活しないものなのかと嘆いていました。

広末涼子、SPEED、モーニング娘。、松浦亜弥と、歌うアイドルは継承されていきましたが、80年代のように、アイドルに感動することは少なかったのです。

そして、2005年12月にスタートのAKB48、私がはまったのは、2007年のチームB1stステージ。 アイドルに感動して、夜も眠れなくなったのは、何年ぶりだったでしょうか。いや、生まれて初めてだったかもしれません。

秋元康が、AKB48を世に出したことで、一番価値があることは、
AKB48の人気がブレイクして、毎日テレビでAKB48を見ることができるようになったことではなく、
AKB48シアターでの公演を10年は続けると宣言し、シアター公演で、「アイドルが、アイドルらしい歌を歌い続ける」だと、私は思います。

テレビ番組というのは、視聴率を上げないと継続できないので、アイドルファン以外の一般大衆にも受けるような演出をせざるをえない。 (それが本当なのか、やらせなのかは、論じる意味はなく、演出しないテレビ番組はないという前提で考えるしかない。) 

テレビとは、コンセプトであり、仕掛けであり、演出であり、企画であり、「王貞治や、イチローと同じレベルの感動を、テレビに出るアイドルで得る」ことは、絶望的に難しい。

アイドルが、アイドルの歌をテレビで歌うことが出来た、そして、テレビで歌うアイドルに、「王貞治や、イチローと同じレベルの感動を感じる」ことができたのは、1980年代で終わってしまった、と私は思います。

ここからは、推察ですが、テレビの現場で働いている秋元康も、上記の私と近い感覚を持っていて、
アイドルがアイドルの歌を歌うという伝統芸能を継承し継続する「仕組み」を作らないと、アイドルそのものが死滅してしまう
と考え、AKB48シアターという「仕組み」を作った。

秋元康が「アイドルが歌を歌う仕組み」を作った動機が、「金を儲けたいから」なのか、「面白いから」なのか、「仕事だから」なのかは、どうでもよく、

AKB48というアイドルが、アイドルらしい曲を次々と世に出し (シングル曲ではなく、シアターのセットリストのこと)、アイドルという文化を、継続して鑑賞することができる ことに、感謝したい。 研究生公演を見て、そう感じました。

私の見た研究生公演は、「王貞治や、イチローと同じレベルの感動」には届いていなかったのですが、同じ種類の感慨を呼び起こす公演でありました。

ナッキー
コメント (1)
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