8月8日の朝日新聞の書評を引用する。さて、どんな本の書評でしょうか。
引用開始
書名:星と輝き花と咲き
著者:松井今朝子
評者:酒井順子 エッセイスト
AKB48のメンバーたちは、恋愛禁止なのだそうです。
アイドルでもフランクに恋愛する人が多い時代に、そのルールは目立ちます。
AKB48のみならず、聖子ちゃんにしても、百恵ちゃんにしても、女性アイドルと恋愛や結婚という問題は、常にファンの心をつかむものです。
処女性こそがアイドルの最大の魅力だとしたら、恋はアイドルにとって最大のタブー。
しかしアイドルは、一人の若い娘さんなのであり、恋をしないはずがないのですから。
(以上が前振り、ここから書評が始まる。書評の部分は省略して、後半の締めの部分へ続く)
綾之助は、立派に選んでみました。
その選択は、アイドルとして頂点を見たからこそ、下すことができたのではないかと思われる。
つまりこれは、運命と選択の物語だったのでした。
「あれも、これも」という人ばかりの今であるからこそ、
「あれか、これか」という生き方をする女性の潔さが今は新鮮なのであり、
その新鮮さをだすために、AKB48も恋愛禁止にしているのかもね、と本書を読みながら私は思っていたのでした。
引用終わり
AKB48が恋愛禁止というネタを論じた評を、このブログで誰かがとりあげていた記憶があり、同じ論者=酒井順子なのかと、チェックしたが、違う論者だった。
こちらの記事 松本侑子「現代っ子だけに、おニャン子クラブと比べる素人臭さがなく洗練されている。正統派アイドル路線なのでもちろん恋愛はご法度。片思いはいいらしいが、両思いはバツだそうです。」
さて、冒頭の書評は、明治時代の女義太夫を論じた本である。
明治時代の芸能と、平成のAKB48を結びつけるのは、牽強付会であり、芸能というジャンルは共通だが、何ら共通点がない。
義太夫愛好者が、AKB48なるアイドルになぞらえて論じられていることに、不快感を抱くのではないかと、AKB48ポジションの私は心配してしまう。
論者の酒井順子が、この本を読んで、AKB48を連想したのは、主人公の女義太夫は、「明治時代のアイドル」というキャッチコピーに、単純にものせられたからだと推察する。
宣伝の書評をネットより、2件引用する。
人気も才能も桁外れの竹本綾之助
人気に惑わされず一途に芸の道を生きる明治のトップスター綾之助と、ステージママとしてその活躍を支え続けた母。しかし、その二人三脚の日々は、唐突な終わりを迎えて…。日本最初のアイドルとファンのどこまでの熱い物語。
講談社のHP
その少女の声に、姿に、日本が夢中になった
馬車鉄道に錦絵(ポスター)がはためき書生たちは人力車を追いかける。
元祖アイドル+元祖追っかけ!
新聞に「アイドル」という言葉が出てくると、「ソ連のアイドル・ゴルバチョフ」であり、「社会党のアイドル・土井たか子」であれ (←本当にこういう新聞記事があった)、くまなく、もれなく、チェックしている私だが、明治時代にもアイドルがいたというのは初耳である。
女義太夫を「アイドル」と定義してよいものか、この本を読んで、自分自身の目で判断してみたいが、
「出版社の講談社が、アイドルというキーワードを宣伝に入れることで、売り上げを伸ばそう」
「現代のアイドル好きが、明治時代のアイドルに興味を持って、本を買うかもしれない。」
という商業主義の匂いを感じる。
書評者の酒井順子は、さらにAKB48になぞらえることで、講談社の作戦にのっている。
そして、私は、商業主義の罠にはまっていると自覚しながら、この本を買う。
まさか、
「AKB48チームBのファンよりというブログは、芸能欄以外に、AKB48という文字を見つけると、必ず引用して、間接的に宣伝してくれる。」
と、講談社が考えたとは思わない。このブログには、そんな影響力はないのだから。(理性では分かっているが、つい妄想した。)
不必要に引用されるほど、AKB48は、世の中の知名度を獲得した。その例として、記録を残した。
KC