AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

アイドルは明日いなくなるかもしれない (ナッキー)

2010-06-17 22:11:18 | アイドル論
佐伯美香がチームBメンバーだった頃、「アイドルは明日いなくなるかもしれないのだから、今日の佐伯美香をしっかり、見ておかないと。」と言って、キャン待ち立ち見や、モニター観戦を付き合ってもらいました。テッドさんにとって、私のフレーズは、耳にたこ。
自分は、チームBだったら、何でも見たい人だったので、一人より、テッドさんと二人の方が楽しいかと、思って誘っていただけ。

森紗雪が、学業に専念のため引退 と聞いた時には、
もっと、がんばって、名古屋の公演をもっと見に行けばよかった と反省する一方、
自分なりに努力して名古屋に行って、森紗雪を、何回かは見ることができたので、よかったと思う気持ちが交錯しました。

最初にファンになった時のチームBのメンバーの中にも、
強制的に卒業させられたメンバー
学業に専念するために卒業したメンバー
体調不良でやむなく引退した佐伯美香
運営の都合で、SDN48に移籍してしまった浦野一美(ステージでまだ会えるから、よしとしなければならないでしょう)

ずっと、残って欲しいのに、いなくなってしまったメンバーがいます。
そして、研究生のセレクション。
アイドルを好きになった瞬間に、そのアイドルを別れる日のことを考え、彼女がアイドルでいる間は、一生懸命応援しよう (鑑賞しよう が正確な表現かな) と、毎回毎回、繰り返し繰り返し、思うのです。

研究生と出会った瞬間に、彼女がいなくなることを意識する私は、セレクション強制引退にも、「ついにこの日が来たか」と思う一方で、悲しむという感情はあまり起こらない。好きな研究生なら、「もっと見ておけばよかった。」とは思います。

ナッキー
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研究生セレクション審査について その2 (ナッキー)

2010-06-17 21:47:41 | アイドル論
研究生セレクション審査について という記事を書きました。

セレクション審査をして辞めさせるなら最初から雇うなという意見
ビッグなアイドルを世に出すには、積極的に採用し、向いていない子は早目に辞めさせよ

というのが、両極端の意見のようです。
私は、自分が応援している研究生が、セレクションで辞めてしまう時に、次のように感じます。

辞めてしまうのは残念。
短い間だけど、私を楽しい気持ちにさせてくれて、ありがとう。
ほんの短い間でも、ステージで、オンデマンドで、研究生として出演している彼女を見ることができて、嬉しかった。

私が好きになるタイプのアイドルは、必ずしも大衆の人気を集めるアイドルではないし、大衆の人気を集めるアイドル(天地真理・ピンクレディ・キャンディーズ・松田聖子・小泉今日子・中山美穂・SPEED・前田敦子)に、相対的には魅力を感じない。例外は、山口百恵ですが、彼女は、アイドルとしては、桜田淳子の二番手だったので、山口百恵が大衆の人気を集めたアイドルという感覚はない。 (山口百恵は、大衆の人気を集めた女優であり、歌手ではあるが。)

桜田淳子より、山口百恵
松田聖子より、河合奈保子
小泉今日子より、堀ちえみ
中山美穂より、西村知美
前田敦子より、平嶋夏海

研究生として、AKB48デビューを果たさなければ、知ることができなかった研究生に、魅力的な子がいます。
そういう研究生を、世に送り出し続けることは、やめないで欲しい。

大勢の研究生をステージに立たせれば立たせるほど、私が好きになる研究生が増えていく、研究生の人数を絞られてしまうと、私が好きになる研究生の数は減ってしまう。

では、研究生としてデビューさせた子を、セレクションで辞めさせてしまうのは、よいことなのでしょうか、いけないことなのでしょうか。
私が、研究生本人の立場だったら、あるいは彼女の保護者の立場だったら、どう感じるでしょうか。 自分は、極めて、楽天的な性格なので、
「アイドルになりたかったけど、だめだったか。一瞬アイドルを演じたけど、大成することはできなかったなあ。」
「アイドルを目指して、がんばるだけがんばったけど、その夢はかなわず。アイドルだけが人生ではないのだから、次の夢に向かってがんばって欲しい。」 と思うと想像します。

自分の娘は、人がよすぎて、他人を押しのけてでも、有名になることを目指す芸能界には全く興味がない。父親がこんなにアイドル好きなのに、アイドルを目指すはずもない。よって、単なる想像です。

ナッキー
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セレクション審査に賛成 (KC)

2010-06-17 21:18:14 | アイドル論
こちらの記事に頂いたコメント の感想を書きます。

悟空さんのコメント
お金が発生する舞台に立たせた時点で、
運営は責任をとらなきゃいけない立場のはず。

感想: セレクションで落とすことにより責任をとっている。これ以上ステージに立たせるとお金をいただけません、だから辞めさせます という論理。 私は別に運営の手先として書いているわけではないが、このように解釈している。

悟空さんのコメント
後藤真希のような起爆剤を探しつつ
駄目そうだったら切ればいいやって感じなのかな。
…そう邪推しちゃいます。 

感想: 邪推ではなく、まさに、これが真実。AKB48が今後生き残るためには、新しい人材・起爆剤が必要。私はアイドルファンなので、素晴らしいアイドルが世に出る仕組みとしてセレクション審査に賛成。
 「お金をとる価値のない研究生をステージに立たせてしまうことがありますが、その中の何人かは、皆様に大金を払っていただけるビッグなアイドルになります。将来のビッグなアイドルを発掘するには、研究生を大勢合格させる必要があるんです。その結果、大勢の研究生をセレクションで辞めさせなくてはなりません。」 と、運営はストレートに書けばよいと思う。

杏さんのコメント
運営側には子供を預かっている責任と
大人としての義務を肝に銘じて欲しい
子供に対しては「見世物としての競争」でなく
「教育のための競争」であるべきです。
どのような仕事であれ、仕事は社会の公器です

感想: アイドルは見せ物である。見せ物として通用しないと(運営・大人が)判断する子供は、早く見せ物という職業を辞めさせるべきである。それが大人の責任。
オーディションの段階で、見せ物に向いている子供か、そうでないかを判断するのは、難しい。最初から見せ物に向いている子供は、芸人としては魅力的だろうが、アイドルとしては魅力的ではない。

匿名さんのコメント
私はセレクション審査には賛成です。
ジャニーズJr.のようにいつまでもデビュー出来ずに先輩のバックダンサーをやり続けたり、何の発表もなく辞めていくことを考えたらいいことだと思いますよ。

感想:私も、セレクション審査に賛成。その理由は、匿名さんと同じ。

長年、アイドルというジャンルのファンを続けてきたが、一番の不満は、正式な引退発表がないこと (正式な引退発表があるのは、上位数パーセントの有名アイドルだけ)

昔のアイドルファンは、いつ引退してしまうのかを知るためだけに、ファンクラブに入っていた。
今は、ブログや、プロダクションのHPを読んでいれば、引退が分かることもある。が、必ず分かるわけではない。

セレクション審査という制度を導入したAKB48は、アイドルファンの心情を理解していると、最初に聞いた時に感じた。

アイドルは、いつかは、アイドルを引退するのだから、ファンはその日をきちんと迎えたい。

KC
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認知的不協和から逃げないこと (ししまる)

2010-06-17 20:45:59 | AKB48
認知的不協和という言葉をご存知でしょうか。知らない方のために、簡単に説明します。

これはアメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された社会心理的用語で、人がその内面で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表すものです。で、人はこれを解消するために、自分の態度や行動を変更していくと説きます。

例えば、タバコを吸う人がいて、でも彼はタバコが肺ガンを引き起こすとも知っている。タバコを吸う自分と肺ガンを恐れる自分の二者がいて、その間で不協和・不快感を起こす。これを解消するために最も適切な方法はタバコを止めること。でも禁煙はつらいので、別の方向に「自分の態度や行動を変更していく」。
つまり、タバコを吸う人の中にも健康長寿の人はいる、と考えたり、交通事故で死亡する人の方がずっと多い、と考えたり、タバコが病気を引き起こすのではなくタバコを吸わずにはいられなくする現代社会のストレスこそが問題なのだ、と考えたりしてタバコを吸う自分を認めようとする。

あるいはこういう実験を見聞きしたことはありませんか。教室のような所に十数人の人がいる。被験者以外は全員が実験協力者です。先生のような人が現れて、黒いカードを示し「何色ですか」。被験者以外は全員「白」と答える。最初は驚き違うと主張する被験者も、周りがずっと「白」と言い続けると、ほとんどの人が最後には自分も「白」と言ってしまう。これも認知的不協和を解消しようとする行動です。

世の中至る所こういう状況は転がっていて、ハタから見れば変なことや、後で冷静になれば自分でも変だと気づくことを、渦中にいるとわからなくなってしまう。特に頭の良い、教養のある人がこれにハマると物凄い理屈をつけてその変なことを正当化しようとする。こういうことが国政で起きれば、国家の行く先まで変わってしまう。だから恐ろしい。

さて、AKBが好きな人の中には、あまりにも好きすぎて、AKBがすることなら何でもかんでも好意的に見てあげたい、AKBの周りで起こっていることの全てを素晴らしいものとして積極的に評価してあげたい、というように考える傾向を持つ人もいる。平たく言えばファンの贔屓目ということですが、これはAKBファンである自分とAKBに対して批判を向ける自分とを両立させることがあまりにも苦痛だから起こってしまう、認知的不協和の回避行動です。でも例示したように、そういう行動が愚かであることは明白です。冷静になり、自分の中で起きている認知的不協和から逃げることなく向き合っていただきたい。

やったもの勝ちを許さない、という態度も必要です。

AKBに限らず、世の中の様々なことに対し常々思っていることですが、やったもの勝ちが得をするという状況に我々は馴らされ過ぎているのではないか。「覆水盆に返らず 」という言葉もありますし、やってしまった事を無かった事には出来ない。会社などでも何かトラブルがあった時は、「誰がやった」「何故やった」は後回しで、まず起きてしまったことに対して全社を挙げて最善の対策を取ることが肝要だとされます。もちろんこれは当然の話。ただ、「覆水盆に返らず 」という現実や、起きてしまったことに対しての最善の対応という、大人な対応が当たり前になりすぎて、起きた事そのものを批判する力が社会全体として低下しているように感じます。

AKB選抜総選挙の報道では「如何なるアイドルグループもやらなかったタブーに挑戦した」といった表現を用いたメディアがいくつもありました。でも、タブーに挑戦!ってカッコいいですか。タブーって「禁忌」ですよ。乱暴に言えば、社会秩序・社会道徳の破壊ということです。もちろん扇動的に使われていることぐらいわかります。でも、扇動的だとしても、この表現が好んで選ばれたことに鈍感であってはならない。

選抜総選挙とセットリストベスト100に対して私は、音楽グループとして「前代未聞の珍事」と書きました。もっと言えば音楽の冒涜だと思っています。芸能ビジネスという視点で見れば違う意見もあるかもしれない。でも広く芸能ビジネスというジャンルの中の、音楽という狭いジャンルの中で確かな実績を残したいなら、一般の音楽愛好家が眉を顰めるようなことをしてはならない。そんなことを続ければアイドル音楽は日本の誇る音楽文化ではなくなる。世間に理解されないただのオタク文化になってしまう。芸能ビジネスという大雑把な視点だけで論じていてはAKBを堕落させる。音楽グループとして世界に認められるAKBとなるような視点を持つことが、もっと求められるべきでしょう。

だから、AKBが(運営が)今後も色々な珍事を起こすだろうけど、それをそのまま受け入れてはならない。自分の内面に認知的不協和が起ころうとも、きちんと向き合い、言うべきことは言わなくてはならない。

私だって、AKBが嫌いで言っているわけではありません。

ししまる

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「会いに行ける」コンセプトを疑え! (ししまる)

2010-06-17 20:43:43 | アイドル・AKB48 興行の手法・人気
運営のしていることには、秋元康のしていることには、実は昔から呆れることが多かった。ただ、自分の考えだけが全てではないし、多くの人が支持することなら暫く様子を見ておこうと考えなくもない。だからこれまでは黙っていることの方が多かったのですが、選抜総選挙がらみでもはや受忍限度を超えてしまったので、今回はいろいろ一気に書いています。

で、これはもう根本の話になってしまいますが、「会いに行ける」コンセプトを疑え!という話をします。

AKBが初期の頃、「会いに行けるアイドル」という話を初めて聞いて私が真っ先に思ったことは「アホかっ!」です。凄いとか新しいなんて一切思わなかった。

会いに行けるって、誰が会いに行けるんだ? 秋葉原の小さな劇場から一歩も出ずに、「いつでも会いに来てください」って、馬鹿じゃなかろうかと思いました。

地方のファンは、コンサートツアーなどで自分の住む地域の近くまでアイドルが来てくれるからこそ「会いに行ける」。特に北海道や九州や沖縄のファンは、アイドルが来てくれるのを心待ちにしている。でもAKBは(というか運営は)、初めからそういう遠方のファンを切り捨てている。

「いや、AKBは当初はアキバ発信のアイドルグループとして生まれたのだからそれはそれでアリなのだ」という反論を私個人は受け入れない。だって考えてもみてよ。あのおニャン子を作った秋元康が、秋葉原ドンキのミニ劇場に集うファンとの交流を最大限に尊重するような、こじんまりした牧歌的なアイドルグループを手掛けるワケがない。富と名声が大好きな秋元康なら初めからビッグな頂点を目指していただろうことは、おニャン子時代からの氏の発言の歴史を見ればわかること。そして時はまさにアキバカルチャーブーム。アキバ発信は、そこに乗っかり衆目を集めるための方便だと考えるのが妥当。最初から私はそう思っていました。仮にそれが正しいとすれば、切り捨てられた地方のファンは舐められたものです。そうやって「会いに行ける」コンセプトをバンバン打ち出しテレビや雑誌に取材させ、結果、AKBの看板コンセプトとして定着させた。ずっと1箇所でしかやらないことも、言葉巧みにPRすれば「ブレない」という評価にもつなげられる。

でも私がずっと感じていたのはこんなこと。

そりゃ確かに東京とその近郊は人口は多いしアイドルを応援することに対する抵抗感を持つ人も地方に比べれば圧倒的に少ない。だから集客効率は抜群。客がどんどん集まり始めれば世間の注目も一気に浴びる。でもそれを逆に言えば、地方に出向くなんて効率悪いことはやってられない。ビッグになるには看板コンセプトを如何に早く定着させAKBの名前を如何に早く浸透させるかだけが運営の最大の関心事。来られないファンのことなんか二の次だ。

それでもアイドルという商品は人で出来ている。以前書いた言葉を引用すれば、「本来、人は創造の客体ではなく主体だから、人が表現できる事の範疇はあまりにも広く、売り手が予想だにしない芸術性を受け手側が感じることも多い。だから商業主義でありながら商業主義を軽く突き抜けていく可能性に富んでいる」。そうして運営が意図しない価値をファンが勝手に見出し、たぶん運営が予想していたよりも遥かに突然に、そして遥かに大きく、AKBはブレイクした。

昔は鼻高々に「会いに行ける」コンセプトを自画自賛で語っていた秋元氏も、さすがに最近のインタビューではトーンダウンしていますね。最近観た、ある番組のインタビューでは、「当初は会いに行けるアイドルというものを目指していたわけですが・・・」と、さも今は違うものを目指し始めたかのような言い方をしていました。というのも、インタビュアーが先に劇場公演の凄まじい競争倍率を取り上げ、もはや簡単には会えないAKB人気を以って秋元氏をヨイショする発言をしていたからです。ここで「ひとりでも多くの人に会えるように体制を見直したい」とでも言ってくれれば私も秋元氏を見直すところですが、彼はそんなことは言いません。「会いに行ける」は看板としてキャッチフレーズとして機能すればそれで良い。実態がどうであろうとお構いなし。で、今度は「ファンの思いを反映させるため」との名目で、「競争・対決・序列」コンセプトを得意げに語り始めました。でも秋元氏の言う「ファンの思い」って何なんですかね? 大堀恵がらみで私は、嫌な思いだけしか頭に浮かびませんよ。

例えば「甘い股関節」の一件では、「念願のソロデビュー」と「売れなかったらAKB卒業」というアメとムチが与えられました。でもこの試練って運営が作り出した、無くても良い試練、必然性の無い試練、もっと言えば茶番です。一応は乗っかって、彼女と一緒に泣いたり笑ったり感動したりしていましたけど、最終日にギリギリで1万枚のセールスをクリアすることは初めから決まっていたのでしょう。感動のAKB続投が決まった翌年、早くもSDNへの完全移籍が通告されちゃいました。結局彼女は面白いようにおもちゃにされ慰み者にされたに過ぎません。そしてファンである私も同じように振り回され、つらい思いばかりを味わい続けました。それが私という「ファンの思い」です。

競争を続けている限り、多分ファンの誰にでも何らかの痛みはつきまといます。私が感じた大堀恵ほどじゃなくても、常に、いつ自分の推しメンが転落していくのかをファンは心配しなければなりません。これが今、秋元氏の指揮の下、AKBの運営が繰り広げていることの実態。ファンの思いにまで序列をつけ面白がる。これが秋元氏の姿。

「会いに行ける」「ファンの思いを反映させる」「フォーマットを世界に輸出する」。秋元氏が目新しいコンセプトを自慢げに語り出した時が危険への入り口なのだと、いつも私は思っています。そして状況が変化しても、自らの愛しくかわいいコンセプトを捨てられずにしがみつきだした時こそが危険のピークなのだと考えます。

「会いに行ける」はもはや有名無実。「ファンの思いを反映」も思いのほか風当たりが強い。「フォーマット輸出」に至っては何ら具体的な絵は無く、思い付きを語っただけ。百歩譲ってそれらを不問に付すとしても、もう全国区の、しかも今や貴重な「テレビで会えるアイドル」になったのだから、役に立たないコンセプトは全部捨てて、80年代アイドルみたいにテレビ+全国巡業のふたつの軸足で活動した方がきっと地方の、遠方の、全国のファンは喜ぶ。いずれにせよ、自分の遊びのためにではなく、ファンの幸せのために仕事をしてほしいものです。それがファンから金を取る者の最低限の責務であり道徳です。でもこの男はそうではない。自分の満足が優先順位の一番だ。念願の東京ドーム公演を果たしたら、人気が翳る前に突然解散。秋元康って、自分の名声を保つためなら、そういうことも平気でやりかねない男だと思います。

ししまる
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大島優子センターイベントで感じたこと。 (ししまる)

2010-06-17 20:38:28 | AKB48
またまた書きます。先日の朝の情報バラエティ各番組では、初めて大島優子がセンターで歌ったイベントの様子が印象的に報道されていました。いちばん大きく採り上げていたのは「とくダネ!」でしたが、大島がセンターにいることの、そして前田がセンターにいないことの「違和感」を、来場したファンの声をたくさん交えながら、最も強調して伝えていました。

まあそれはそれとして。

私も「会いたかった」を大島センターで歌ったことに大きな戸惑いを感じました。次の新曲を大島センターにするのなら理解できます。それを目的に選挙をしたのだから何ら問題ない。でもこれまで前田センターで歌ってきた曲の頭をすげ替えるのは尋常ではない。

音楽って、複数ボーカルものは特に、どのパートを誰の声で歌うか、どんなフォーメーションで歌うかまで含めて、総合してその曲が成り立っているものです。それを考えないプロデューサーはいない。つんくがBerryz工房に曲を書く時は常に、メンバー各人の声の個性を掌握し、アイドルとしての見せ方も熟慮した上で、ボーカルパートを割り振っています。一度決めたものは当然ながら不動です。別にBerryz工房じゃなくてもアイドルじゃなくても、基本的にグループものは全てがそう。それは音楽家としての姿勢が当然そうさせるものだし、聴き手もそれをずっと聴いてきているから、その成り立ちの中に音楽が発するメッセージを見出している。また、聴き手ひとりひとりの持つ「思い入れ」を考慮しても、そこは弄っちゃいけないところです。

秋元氏もプロデューサーだから、そのプロデューサーがやったことには何らかの意図がある、と強弁するのは勝手ですが、普通の音楽愛好家はこういう行為を酷く嫌います。セットリストベスト100などと同様、普通の音楽家が決してしないようなことを、良くもまあ次々に平然と出来るものだと思います。

結局、秋元氏は自称作詞家・本性は策士か?、なんてふざけている場合ではなく、本当に、真っ当な音楽愛好家はこういう行為に怒りを感じるものだし、アイドル音楽の地位を不当に下げるものだと断じます。

そういえば1位となりセンターとなった大島優子も以前、サンジャポの総選挙取材に対して「こんなこと、意味あるんですかね?」と言っていました。今回「会いたかった」をセンターで歌った彼女は心から嬉しかったのでしょうか。

冒頭の番組で紹介された、あるファンの声。「自分は前田敦子のファンじゃないけど、この曲はずっと前田センターを見てきたし聴いてきました。違うものを見せられても戸惑うだけです。」 これが音楽を聴く者の、いちばん当たり前な感性であり意見でしょう。

ししまる
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『時代』を作りたいんだ… (ピーナッツ)

2010-06-17 08:42:14 | アイドル・AKB48 興行の手法・人気
秋元さんが、終始一貫、言い続けている言葉…

"俺は、アイドルを作りたいんじゃない。『時代』を作りたいんだ…"

僕は、この言葉に、全てが、集約されていると思っていて…、いい意味でも、悪い意味でも、ブレない人だな…と思っているんだ。
他にも、秋元さん、いろいろと、印象的な発言をしている。
例えば、NHKの「作詞家特集(?)」で、AKB劇場に舞う花吹雪を見ながら…

"なんかね、この1つ1つが、AKBの子たちの『夢のかけら』のような気がしてね…、ね、そう思いませんか?" とか。

たぶん、BSのクイズ番組で…
"僕は、本当は、『役人』になりたかったんです。学生時代から、ずっとね…。 だって、カッコイイじゃないですか?時代を動かすの…って…" とか。

先日のNHKの「仕事学のすすめ(?)」では、勝間和代さんとの対談の4回シリーズだったんだけど…、もうね、秋元さん、1回も、攻め込まれないの。それが、逆に怖かった。だって、全部、即答だもの…。

でもね、6/6の深夜番組の秋元さんを観た人はいるだろうか?
「千原Jrの衝撃番組」(フジ系)の、"たとえ場"のコーナー。
これは、男版「グータン・ヌーボ」みたいな感じのロケ収録で、まぁ、内容はいいか。
とにかく、とある喫茶店で待ち合わせているわけ…。
1番、最初に来たのが、秋元さん…しばらくしてから来たのが、千原Jr…。
で、その時、ビックリしたんだ。意外だった。秋元さん、立って挨拶したからね。そして、数分後に来た、水道橋博士の時も、立った。
秋元さん、50代…。千原Jr、30代…。博士、40代…。
あれって、なかなか出来ないよ。
でも、よくよく、考えてみると、AKBの子も、ああいう姿を見てるんだよね。選抜メンバーは、より多く見てるんだよね。
僕、それだけでも、"選抜に選ばれなきゃ…"って、思っちゃった。

正直、秋元さんって、作詞家なのに、自分の想いを、直に伝えるの…伝え方が、意外に、下手だと思う。正確に言うと、相手を1度、シャットアウトしておいての語りは、上手いけど…ってとこかな。
そして、3人の会は、いつもの秋元さんじゃなく、結構、"なるほど~! そうきたかぁ~!"の連発だった。でも、ムチャクチャ、楽しそうだった。あんな笑顔、見たことない。
僕は、思ったよ。
"この人、まだ、放送作家なんだ~" "この人を、少し、見直した~" "この人は、結構、誤解されるだろうなぁ~"
まぁ、そんなとこです。
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研究生セレクション審査 (ししまる)

2010-06-17 00:00:00 | アイドル・AKB48 興行の手法・人気
研究生セレクション審査という名称はオシャレかもしれないけど、要は篩いにかけて要らないモノを捨てるということ。ティーンの女の子にそれをするのがプロ野球や相撲の世界と同じかと言えば、それは絶対に違う。

研究生って、入ってくる時は多くはローティーンで心はまだまだ子供だろうから、採用する側は、大人として、子供の未来をきちんと見据えた対応をするべき。夢や憧れだけで応募してきた子供達を誰彼構わずバンバン入れて中途半端に夢を見せておいて、後でバンバン篩いにかけてバンバン捨てたりするのは真っ当な人間のすることではない。
相手は子供で自分の人生に責任を持てるような年齢ではない。だから無責任に門戸を開いちゃ駄目だ。採用段階で慎重すぎるぐらい慎重に絞り選んで、いったん採用したなら責任を持って最後まで面倒を見るぐらいの覚悟を持ってほしい。それが出来ないのなら、採用なんてしちゃ駄目だ。皆、二度と戻らない青春を賭けてやって来る。預かるなら、命を賭けて預かれ。


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 良くファンの方から
 「何故、セレクション審査をする必要があるのですか?」
 と聞かれますが
 それは、どんな状況でも全力を尽くすAKBらしさを研究生のうちから培う為です。
 どのような結果が出ようとも、全てそれは自分自身の成長につながることだと思います。
 ファンの皆様もご理解下さいますようお願い申し上げます。
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「ご理解下さい」なんて恥ずかしげもなく言える神経が信じられない。

「研究生のうちから培う」ために運営はどれだけの愛情を彼女達に注いでいるのか。全然見えない。
「どのような結果が出ようとも」それは研究生本人の責任で我々のせいではない、と言っている。
だからこんなものはただの責任逃れ、ご都合主義の文章にしか見えない。

別の記事で私はこう書きました。「秋元氏は自分の手がけたアイドルひとりひとりを、人としてどこまで大切に扱っているのか」と。テレビの取材で前田敦子はこう言いました。「その時は・・・、自分で辞めていくみたいです」と。これこそが「アイドル残酷物語」の第一章です。

コストがかかるので定期的にやめさせる?
可能性のない研究生は、早目にやめてもらって、次の人生を歩んでもらうのも大事?

運営のしていることを認めてしまえば、こういう感想も出てくるのかもしれません。
でもこんな、子供をモノのように扱うやり方で、自分の娘が捨てられでもしたら、親はどう思うでしょうね。だから最初から採用しないのが、いちばんの愛情です。

いたずらに人数を増やしては、「競争社会とそこで脱落しゆく者」までも見せ物にして面白がる。「研究生セレクション審査」なんて洒落た名前をつけて公表している時点でそんな見せ物主義は明白。それで生き残れる強い子はいいでしょう。でも、そうではない弱い子の受けるダメージは測り知れない。

だから運営のしていることは、いちいち疑ってかかるべき。オモテで見せる笑顔がどんなに素敵でも、ウラで理不尽な苦悩を強いられるのなら、そんなアイドルを作り出すフォーマットは我々ファンの力で叩き潰そうではないか。もう、その時が来ているように思います。
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「AKBの娘達って、みんなカワイイね」:面白すぎる世間の評価 (ししまる)

2010-06-16 23:10:52 | 現代のアイドル
AKBのブログなのに申し訳ない。実は6/13は渋谷C.C.レモンホールにBerryz工房のコンサートを観に行ってました。そこで目にした光景があまりにも面白かったので記事にします。

超満員のコンサートは、開場前や終演後には会場周辺に物凄い数のファンが溢れています。道端には非公式の生写真を売る業者もずらりと並びます。天下の往来ですから、通行人もその様子を興味深そうに見るわけです。で、様子を見て皆、口々にこう言うのです。

「おっ、見ろよ。凄いよ。これAKBだよ!」「やっぱAKBの人気って凄いんだなぁ!」 100人が100人ともAKBは凄い!って言いながら通り過ぎていきます。

社会現象になるってことは、こういうこと。本当はAKBなんて興味無い人まで話題に乗り遅れまいと俄知識を頭に詰め込む。その知識の中には「AKBの活動拠点は秋葉原」というのもきっとあるだろうに。でも溢れかえるファンや道端で売られているカワイイ女の子達の写真の数々を見て、単純に「おっ、AKBだ! 凄い現場に遭遇したよ!」って思っちゃうんでしょうね。

なかには道端で売られている写真を丹念に見る人もいる。そして気に入った娘の写真を指差して、「この娘いいね」「こっちの娘もカワイイよ」「うわぁ、この娘キレイだなぁ!」なんて言っている。ひととおり見終わると、「AKBの娘達って、みんなカワイイね」「人気が出るのもよくわかるよ」なんて言いながら立ち去っていく。でもアナタ方が指差してカワイイ、カワイイって連発してた娘は、清水佐紀だし熊井友理奈だし夏焼雅だ。AKBの娘はひとりもいない。

面白すぎて笑っちゃいました。そばにたくさんいるBerryzファン達も皆、その様子をただ微笑ましく見ていました。

ハロプロファンはAKBを目の敵にしている、なんて話をよく耳にしますが、この様子を見る限り、どうやらそうでもないみたい。これまでにも、真野ちゃんを見ても、スマイレージを見ても、ファンがAKBを敵視しているという印象は全く受けませんでした。私もハロプロを観るようになって日が浅いので、耳にしていたこととは違った現実に、ずっと、何でだろう?って考えていたのですが、最近なんとなくその理由がわかったような気がします。それはこういうこと。

ハロプロのアイドル達は、みんな大の仲良し。そこには競争もないし対決もない。もちろん序列もない。だから観ている側も常に心安らかでいられる。ファンの人達は、ハロプロが、つんくが見せてくれるものに安心し、全幅の信頼を寄せている。だからAKBが台頭し、社会現象になっても、大して気にならない。自分達が大切に思っているものは、そんなことでは揺るがないと知っているから余裕がある。そう私は感じました。私自身も、真野ちゃんを観て、Berryz工房を観て、AKBみたいに「つらい」って思ったことは一度もありません。

昔からコンセプト命の秋元康は、自らが作った「会いに行ける」コンセプトが可愛くて堪らないのでしょう。AKBの娘達より、たぶんコンセプトの方がずっと大事。見ていてそんな風に感じます。そして大所帯になってから導入した「競争・対決・序列」コンセプトも簡単には止めたくない。でも、こういうことに拘り続けることこそが秋元氏のアキレス腱なのだと私は思っています。

秋元氏は自分の手がけたアイドルひとりひとりを、人としてどこまで大切に扱っているのかな。アイドルという商品は人だから、モノみたいに扱っているといつかきっと痛い目に遭う。そうなって自分が苦しむのは自業自得。でもAKBの娘達まで苦しめたら私は許さない。

ししまる
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ハイタッチ会 (ナッキー)

2010-06-16 21:50:09 | 平嶋夏海
チームB5th初観戦。
公演終了後に、ロビーにて、ハイタッチ会。
メンバーが、あいうえお順に並んでいます。平嶋夏海は、最後から4人目。

渡辺麻友、宮崎美穂、、増田有華、平嶋夏海。

スタートは石田はるきゃん。
二人目、柏木「40才になってもアイドル」ゆきりん。ブログライターユキともファン氏の代行で、ファンレターを書いたのは私です、目で合図。

北原里英。パリのレコード店イベントでAKB48Tシャツのベンジャミンさんのファンレターを翻訳したのは私です、目で合図。

平嶋夏海が、近づいて来ました。何と言って、声をかけようか。

「あ! ありがとうございます。」

声をかける間もなく、ハイタッチ会は終了。
「あ!」と言われた一瞬、目が会いました。

これは、「アイドル平嶋夏海に会えた」と言ってもよい一瞬でした。
「会いにいけるアイドル」は健在。

SDN以外の通常公演でのハイタッチ会は、初めての体験でした。

ナッキー
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研究生セレクションの是非

2010-06-16 12:48:49 | 研究生/チーム4
研究生セレクションと言う名の若手メンバー更新が行われたのが12日。
結果発表は20日との事ですが何故発表に1週間も必要なのでしょうか。
1週間も悩む必要があるならばそのメンバーを外す必要は無いしそもそも無理にセレクションする必要は無いと思います。

練習態度や生活態度がAKB48のメンバーとして不適であると判断したメンバーはそもそもセレクションをする以前に解雇が決まっていたはずで決定はセレクション後直ちに発表があってしかるべきだと思います。

好意的に考えれば解雇者には内示があって20日までにそれなりの決意表明なりファンへの挨拶を考えておけと言う事かも知れませんがそれはそれで該当するメンバーには残酷な仕打ちに思えます。

もし単純に事務処理上の都合、運営側の都合でと言う事でしたらもってのほかで解雇が決まったメンバーを1週間もフルに現場で活用する事になる訳で商道徳としてどうかと思います。

好き好んで子供達につらい仕打ちをするとも思えないので関係者のコンセンサスを得るのに時間が掛かっていると見るべきなのでしょうね。それだけプロダクションなり関係する会社組織が人気絶頂のAKB48に対して青田刈りを仕掛けているのかも知れません。
であれば研究生を解雇されても別の形で芸能界に残る事は難しくないかも知れません。

テッド
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AKB48は公演をもっとすべきである

2010-06-16 08:42:24 | アイドル・AKB48 興行の手法・人気
AKB48はシアター公演重視を表明しています。
秋葉原での公演を当面中心活動とすると言う事でしょうが私はそれには反対です。
1回の公演が定員250名、倍率40倍以上のシアター公演を毎日やってもその見たい公演を見れない悔しさばかりがつのります。

私自身はJCBの開票イベントも7月の代々木体育館のコンサートも外れてもはやAKB48は「見たくとも公演が見れないアイドル」になりつつあります。
この上はドンキのシアター公演では無く、もっと大きな箱、で毎週でも公演をお願いしたい。

一つの方法として地方の会場、例えば公会堂や体育館を使う事を考えても良いのでは無いでしょうか。
多少田舎でもそこに行けば公演を観れるならば遠征する意義は充分にあります。

地方の公会堂とか公民館とか自治体で千人規模のコンサートが出来る会場を持つところは結構多い(成人式や市内合唱コンクールとか定番の催し物をする為の)ので分身の術ツアーの地方版を実施し、北海道でチームAが1週間、香川でチームKが1週間、長野でチームBが1週間とか、ある程度余裕を持った公演をしてはどうでしょうか。
勿論、メディア出演のあるメンバーはアンダーの研究生に代わってもらい研究生のチャンスも生かすべきです。

1週間もの連続公演は厳しいと言う事でしたら3日でも2日でも、あるいは研究生チームと日替わりで3日づつ公演すれば6日間の公演が出来ます。
研究生公演観客が集まらないならばそこには別のチームの人気メンバーを1名か2名応援を入れても良いでしょう。

要は「会いに行けるアイドル」仕切り直しでこれまで来れなかった地方ファンの掘り起こしに全国公演では無く、もう少し小規模のドサ廻り的な公演を回数を増やして実施すれば多くのファンがその公演を観戦するチャンスが増えると言う物です。

場所については公演開催に協力的な自治体を募ればバブル期に大型コンサートホールを造って閑古鳥の鳴いてるところが手を上げてくれると思います。
少し田舎に行けば観光の目玉にしたいと言うところもあるでしょう。
村興しに定期的に来て欲しいと言うところも出てくるでしょう。

トップアイドルとなったAKB48が今更地方ドサ廻りなんか出来るかって声が聞こえてきそうですがトップアイドルになった今こそ地方ドサ廻りをする事に意味があるとは思えないでしょうか。AKB48のファンは秋葉原近郊にしかいないわけではないのですから。

多分地元でその公演を見た小学生や中学生は大人になってもファンを続けると思いますしオーディションに応募する層もずっと増える事でしょう。

全国どこに行ってもAKB48の曲が流れている、だれもが口ずさんでいる。
次のレベル、目標はそう言うところであればますますAKB48が楽しくなると言う物じゃあありませんか。

テッド
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AKB商法、私はこう考える。(ときめき研究家)

2010-06-15 21:43:27 | ときめき研究家
論じられているのは大きく2つのテーマである。そして2つのテーマは重なり合っている。

1.選抜総選挙の是非
2.AKB商法の是非

賛否両論なのは1.の方であって、2.は否定的な意見がほとんどである。

1.選抜総選挙に関する否定的な論点は概ね以下に分類されよう。
 ①メンバーの心情を慮った否定論
 ②選挙の公正さを疑う否定論
 ③投票権のためCDの大量購入を誘導する「AKB商法」への否定論

①については、グループ内で競争することの功罪、競争の心理的プレッシャー、それを見世物にすることの道義性など、見る人の価値観によると思う。
「可愛そう」「涙は見たくない」「グループ内の順位など意味がない」「芸能界ではこれくらい当たり前」「年に1度の祭りと思えばいい」どの考え方・感じ方も正しい。
私は、多数の人の興味を引くイベントであり、プロの芸能人である以上、受容できる範囲の「仕事」ではないかと思う。

②については、少なくとも集計結果を操作・偽造する「不正」はないと思う。それをしているとすれば、1600円なり300円なりの対価を払って投票した顧客に対して、申し開きができない。そんなあからさまな危険を、弁護士が関与していながら犯すはずはない。
しかし、「組織票」はあるだろう。1人のファンが100票、200票投じるケースがあるように、事務所なり何なりの関係者(倉持パパも含む)が、もっと大量の票を「組織票」として投入することは可能だし、それは「不正」とは言えない。
そうした可能性も織り込んだ上で、結果を楽しむイベントと割り切ればいいのだと思う。
馬鹿らしいと思う人は、投票しないか、1票だけにしておけばいいのだ。

③については、私は、従来から「AKB商法」には批判的だ。同じCDは2枚以上は買わない主義である。
握手会やイベントには参加しない。CDやDVDを通勤途上や自宅で観賞できればいい。そういう特殊(?)なファンからすると、同じCDを百枚単位で買わせてしまう誘導は、やはり異常と思う。
それでも買いたい人は買えばいいという考えもある。パチスロやキャバクラに大金をつぎ込むのと同様、好きなことに金を使うのは自己責任である。
ただパチスロやキャバクラは大人の娯楽であるが、AKBファンには未成年者も多いだけに、社会問題となる恐れも高いと思う。商売としても、金の卵を産む鶏の腹を裂くようなやり方は、決して得策ではないと思う。

例えば、2009年のAXでは、携帯からメールで投票する方式だったが、同じ携帯からは1日1回しか投票できないという仕組みだった。CDの購入は条件ではなかったのだ。こうした仕組みは、財力よりも熱意を反映できる方式で、よかったと思う。(これにより『初日』の1位が生まれた。)

すなわち③の論点である「AKB商法」を前面に押し出すのでなければ、総選挙自体は、私は肯定的に考えている。
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6月16日チームB (ナッキー)

2010-06-15 12:35:25 | チームB
柱の会の枠で、6月16日のチームB公演当選しました。新チームBは、初観戦です。

今年に入って、何回観戦しているか、数えてみました。

3月6日昼、研究生、一般連番
3月17日、研究生、柱の会
4月2日、チームB、
4月4日おやつ、研究生、
4月11日おやつ、チームB、柱の会キャン待ち

SDNは2回
SKEは2遠征4回

3月4月は、くじ運がよくて、1月2月5月は全滅。
出張が多くて、毎日申込みしていませんが、ペースとしては月1回。
柱の会は、4枠あり、秋元康氏がインタビューで言っていた40倍よりは、自分の当選確率は高くなっています。

ナッキー
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ジュースうまうまさんのコメント

2010-06-15 08:55:18 | アイドル・AKB48 興行の手法・人気
選抜総選挙の世間に対してAKBの存在をアピールした凄まじい効果は否定しがたいものがあり、「紅白出演」という事すら軽く上回っていると思います。

AKB商法によってファンが大量に購入している事実、新品同様のCDが大量に出回っている事には誰もが違和感を感じるでしょう。
反面、CDを買うだけで握手会に参加できる為、新規のファンを獲得する要因になった事も間違いないでしょう。

握手券は少なからず握手という実体を持ったサービスが確実に受けられるので、ファンがCDの値段と見合ったものと納得した上で購入しているという事で表立っての批判は受けにくいと思います。選挙投票券は「お気に入りの子に歌わしたければ大量に貢げ」という競争を煽って過熱させている危険性を孕んでいる意味合いにも受け取れること、またイベントを楽しんでいるとはいえ実体を伴わないサービスであること、実際に大量に買って投票しても希望した結果が受けられないことがあるので、非難を受ける可能性が高いので、選挙を続けるにしてもCDに同封するという形は止めてほしいと思います。

選抜総選挙やAKB商法を続けるべきなのか私には判断できません。
確実に効果があり、それらがなければ今のAKBは無いといっても過言ではないと思いますし、止めてしまうと今の人気が収束してしまうようにも思えます。

ハロプロも少なからずヲタ商法的な事はやっている事は前提での話ですが、私はハロプロも好きなのです。アイドルとしていずれのグループも水準は高いと思っています。しかしここ何年も全く世間にアピール出来ていません。
つまり真面目にアイドルをプロデュースしても世間には届かない時代という現実があり、倫理とか道徳とかに欠ける方法でも効果があるならプロデュースしていかないと無理なのかと思います。

「5時に夢中」という番組にてマツコ・デラックスさんが「AKBの何が良いのかさっぱりわからない」という発言に対し、若林史江さんが「一人一人バラエティに出てるのは全然興味無いんですよ」
「じゃなくて団体で踊ってたりとか組の入れ替えがあったりとかそのたんびに涙したりとかそういうのにぐっとくるんですよ」
と言ったそうです。
この発言の「組の入れ替えがあったりとかそのたんびに涙したりとかそういうのにぐっとくるんですよ」
を聞いて選挙のような劇薬を飲まなければダメなのかとも思います。
逆に「一人一人バラエティに出てるのは全然興味無いんですよ」を聞いて
本来、一般の人達は「アイドルなんてダサい」と初めから否定から入っているように思えますし、仰々しい演出を無理矢理にでも見せつけないと興味すら持たれない。
マツコさんのようにそれでも興味を持たれない人もいるのが現状ではないでしょうか。

非常に残念な事ではありますが、自分の理想とするアイドルグループ像があってもそれではグループ存続が叶わない確固たる現実があり、道徳的に反しそれで批判されても実を取るような秋元康のプロデュースの仕方しかアイドルグループが成功を成し得ることはなく、ファンもある程度は妥協し受け入れ、気持ちに折り合いをつけて活動をしていく覚悟がなくてはならない時期に来たのではないでしょうか。
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