まご、大っ嫌いなトマトに挑戦しました。
とくに宝ヶ池店の女性店員SYさんは、非正規のアルバイトなのに正規店員以上にとてもよくできた店員さんだった。きれいなよく通る声で大勢の客を手際よく捌き、顔も覚えていてくれて目が合うと飛び切りの笑顔で会釈してくれて、混雑する店内でも清々しい気持ちにさせてくれたものだ。まさに接客のプロ。
10月、11月と続けて京都新聞の読者投稿三行コント「八ぴゃ句」に採用されました。
三行コントとは、世相を皮肉ったりチクリと刺す短文芸で、朝日新聞「かたえくぼ」、毎日新聞「ふんすい塔」、読売新聞「USO放送」、信濃毎日新聞「やまびこ」などがあります。
「まず自助、共助、最後に公助」などと言いながら、自らはちっとも自分で考え、自力で解決できないコワモテ菅総理。政権に忖度しない、媚びないこんな投稿は絶対に採用はないと思っていたので意外でした。でもまあ、こんな投稿を掲載するようでは京都新聞も権力に睨まれてもしようがないですね。ネット情報はあまり当てにはなりませんが、京都新聞、東京新聞、琉球新報、信濃毎日新聞などは、政権の監視対象となっているらしい。一方、政権寄りの読売、産経は当然ですが、一般には政権に批判的と見られている朝日新聞は、実はなぜか監視対象にはなっていないらしい。
日本学術会議新規会員任命拒否が問題になった当初、菅さんは「任命は総理大臣の権限なので拒否もできる」ものと思い込んでいた。だから当初、任命拒否の理由を問われて、「総合的・俯瞰的な判断」、「任命から外したのは首相補佐官で、私は名簿は見ていなかった」で乗り切れると踏んだ。ところが、中曽根内閣当時の「任命権は形式的なもので拒否はできない」との確認が取られていたことを指摘されて答に窮して自分ではにっちもさっちも行かなくなってしまい(自助も党や内閣構成員からの共助も無く)結局、官僚に助け(公助)を請うたわけである。
そもそも日本学術会議法には、「内閣府(内閣総理大臣)が所轄し、その経費は国の予算で負担されるが、活動は政府から独立して行われる[33](日本学術会議法 第1章の第1条・第3条[4])」と定められており、「所轄の主体は内閣総理大臣」とあるが、任命拒否できるのか否かについての明確な規定はない。だからこそ中曽根内閣当時に「任命権は形式的なもので拒否はできない」との確認が取られていたわけである(まあ、解釈でどうにでもなるこんなあいまいな法律自体、問題ではあるが、法治国家を自認する以上、おかしな解釈であっても確定した法律は守らなければならないのは当然のことではある)。
そこで、また官僚からの助言で2つの論点すり替えを持ち出して言い逃れを計った。
すなわち、
1)2018年にこっそり用意していた「日本学術会議法の規定では、任命拒否はできないとは解釈できない」との中曽根内閣当時の解釈に対する内閣法制局の解釈変更判断があるから任命拒否はできる、という法解釈問題へのすり替え
2)会員の出自が特定地域、大学に偏っている、女性や民間人が少ないなどの日本学術会議の組織構成問題へのすり替え
しかしこれらのすり替えも論破されてしまい今や、アメリカ大統領選挙、大阪都構想頓挫、コロナ感染拡大、オリンピック開催問題などなどの騒動でことが過ぎ去り忘れ去られるまで首をすくめて待つ作戦に変更した。
こんなことがまかり通るなら憲法9条さえ、「自衛権は放棄していない。”自衛”とはやられるまで指をくわえて見ているということではない。やられる前に相手の拠点に先制攻撃を加えておくのも自衛の範囲内である」という”解釈”で事実上の宣戦布告が可能になるわけである。まさにプレー中に肩を壊してしまった安倍政権をそのまま継承するワンポイントリリーフ、菅政権の真骨頂と言える。
3日前、誕生日だったのですが(ついにコキ)、(^^♪3日遅れの便りを乗せて?孫たちがお祝いに来てくれました。
一生懸命書いてくれたことが伝わって来る。誤字もまたご愛敬。
「もういつ死んでもいい」という気持ちと「この子たちが成人するまでは何とか見届けたい」という気持ちが交錯する1日でした。
孫が階段から転げ落ちて顔を打撲し保育園はお休み。で、子守り。
幸い骨折などは無かった。普段から人一倍元気な孫は、ケガしても元気いっぱい、食欲モリモリ。
ジジバカながら、沢口靖子さんにちょっと似てるかな?
忘れたころにようやく届きました。
宛名もなんもない、ゴミが増えるだけの折込チラシ(たまにポケットティシュが入ってたり)よろしく、ポストに投げ込み。血が通ってない、もういらんし。
今日はアルバイト休んで、イスラエルからKoreanAirのおかげで”命からがら”帰ってこれた娘を迎えに行ってきましました。
ムスメは2月末、まだ日本ではコロナもあまり話題になっていなかったころ、かねてから予定していたイスラエルへ渡航したとたんにコロナ騒動が大きくなり、イスラエルで軟禁状態になってしまいました。
日本政府も日本の航空会社も何にも助けてくれんかった😠。
KoreanAirは韓国の在留者を迎えに行ったチャーター便の空いてる席に乗せてくれた!
4月24日、成田に着くなりコロナのPCR検査。結果は2日後。それまで空港近くのホテル待機。ホテル代はさすがに一応無料。写真は待機用ホテルへ連れていかれるバスの車中だそう。カーテン締め切りで外は見えず。まるで護送車だね、犯人扱い。
幸いPCR検査は陰性でした。陰性でも2週間は公共交通機関使用禁止。意味不明だが、最大限好意的に解釈して、ひょっとしたらまだ検出限界以上にまで増殖していないコロナをまき散らす危険防止のため?
選択肢は、
1.2週間ホテル暮らし(有料!)
2.自家用車で迎えに来てもらう
3.レンタカーで帰宅(これだって途中トイレやコンビニとかいろんなところに立ち寄るだろうからおんなじだと思うがね)
と言ってもパチンコや同様、コロナ特措法では罰則を伴う強制力は無いからシレッと新幹線で帰ってきても帰れるんですけどね😄
私と違って道徳心の強いムスメは、ルールを破るわけにはいかないとレンタカー帰宅を選択しましたが、成田から京都ではあまりに酷。なのでこちらからも迎えに行って中間の静岡あたりで落ち合うことにしました。途中、石投げられないように気を付けないと😅
まあ、無事帰ってきてくれただけでも良かったんだけど、なんだかなあ😔
あ、ちなみに、イスラエルでは感染発覚者はすべてGPS管理されていてスマホで所在を確認でき、近寄らないようにできるそうです。国のテロ防止システムの応用だとか。「ボーっと生きてる」日本人と違ってさすがややこしい地域のお国柄。
高速道路もガラガラと言うほどではないが予想通り空いていました。なにより自家用車が少ない。逆に流通の大型トラックが目立っていました。SAやPAのパーキングでも、普段と違って圧倒的にトラックの方が自家用車より多かった。あと、おかげさまで”石は投げられませんでした”😷
流通トラックが増えているのは、「引きこもり」で通販の量が増えているのかも。でも、流れもスムースでトラックもほとんど制限速度以内で走っており、コロナ以前はよく見られたイラついている感じのドライバーさんも、煽り運転もほとんどない感じ。「配送時間に間に合わせるために深夜に走って配送先近くのSAなどで仮眠しながら待機」といった過酷な労働条件はかなり緩和されているかもしれない。
コロナのおかげで、普段はいかに不要不急の自家用車が高速道路を無駄に走り回っていたかということが明らかになった。いっそ高速道路は流通関係専用にして、自家用車は通行禁止にした方が社会全体のためには良いのではないかと思えた。
ま、そこまでしないにしても昼間は業務の流通車両専用として、自家用車通行禁止、自家用車は夜間のみ通行可とするとか、自家用車の通行は目的を審査する申請許可制にするとかしても、いやしたほうがいいのではないかと思えた。国会でも検討してくださいな。
孫たちと上賀茂神社に初詣。
今年は式年遷宮の年らしい。
八咫烏(上賀茂神社のシンボルの一つ)やネズミ(干支)のおみくじ入りミニ人形、500円。普通のおみくじは200円。
カラスというよりペンギンじゃん。ヤタペンギン
お腹の二葉葵もシンボル。
末吉。
以前は無かったテント屋台も。焼きもち、みたらし団子、焼き芋、甘酒、Tシャツ!?...etc。
人間のみなさんも仲良くしてね。
お盆休みの3日間、子守りです。
昨日は比叡山夢見が丘へ。標高600mくらいあり、風も良く通るので下界よりはずいぶん涼しく過ごせました。
そして今日は、工作デー。
お兄ちゃんは夏休みの宿題工作。だるま落とし作りました。
妹は木にお絵かき。
2017年に吉野山のさくらを見に行った時にニホンオオカミの銅像と看板を見つけました。
今日の毎日新聞によると、この動物がニホンオオカミであることは残されている頭蓋骨から推定されたのですが、今回、DNA解析によりその事実が証明されたとのことです。(毎日新聞報道より)
「令和」フィーバー10連休で浮かれている世間。ムスメの勤める中小企業は、そんなに休んでいたらおマンマの食い上げ、それどころではありません。でも、保育園も学校も学童保育もお休み。で、SOS!臨時私設保育園を開設せざるを得なくなりました。といいながら、ほんとはちょっとうれしいジイジではありましたが。
休めない人たちが圧倒的に多いことが分かっていながら、改元お祭り騒ぎの法令を勝手に作って弱い立場の国民を困らせる。いったい何のための元号、法令?。令和の”令”はやっぱりお上の決めたことには無理とでも従え、という命令の”令”のようです。
連休スタートは、「びわここどものくに」でキャンプ。
夜がとにかく想定外に冷え込んで眠れませんでした。寝不足。
施設自体は広くて、子供たちには面白いアトラクションもたくさんあっていいところでした。
講談を聴きに行ってきました。
会場は奈良市にある「ならまちにぎわいの家」。最近あちこちで流行の古民家を改造した集い、イベント施設です。
出演は、旭堂小南陵さん、旭堂南龍さんのお2人。
昨年、岩倉近くの山端地区で開催されている山端寄席で小南陵さんの講談を聴いて大ファンになりました。
館内は公演中は撮影禁止なので写真はありません。それなのに中には写真撮影する心無い人も見受けられました。マナーは守りたいもの、残念なことです。
なので、下に「ならまちにぎわいの家」の公演会場以外の施設や外観の写真のみ載せておきます。
ひところの衰退低迷期を乗り越えて今、講談がブームの兆しらしいです。
私が子供のころの記憶にある講談のイメージとはだいぶ変わって(進歩して)いて、漫才や落語、漫談といった要素も取り込んだ、斬新な芸風を模索されているようです。2人での掛け合いあり、笑いあり、泣きありの語りには本当に引き込まれてしまいました。
新しい講談の世界、みなさんも一度聴きに行かれては。超お勧めします。 小南陵さんが先頭に立って奮闘努力されてこられた、講談を中心とした寄席小屋「此花千鳥亭」が、この4月からめでたく新規開設される運びです。
上記リンクサイトのお知らせでは1月のオープンイベントが報告されていますが、その後消防法の関係や内装の仕上げなどなどで本格オープンは4月から、3月31日に応援団開催のプレオープンイベントもあるようです。
落語の桂文枝師匠が、2006年9月に「天満天神繁昌亭」 をオープンされましたが、小南陵さんも文枝師匠から「伝統芸能の振興には定席が絶対に必要」とアドバイスされ、講談の定席開設に向かって踏み出されたとのことです。
しかし、資金も集められずなかなか多難な船出だったようで、女性の小南陵さん含め講談師さん自ら手弁当で素人DIYにも挑戦、精出されたそうです。そんなことで建設工事の遅れや消防法など制度上の知らなかったことへの対応(指摘されて小南陵さん自ら防火管理者の資格を取得されたとのこと)などで本格オープンが4月にずれ込んでしまったとのことでした。 本格オープンしたあかつきには、私も陰ながら勝手連的応援団として通いたいと思っております。
では最後に、「奈良町にぎわいの家」の写真です。築年は、タイルを使ったおくどさんの造りなどから、さすがに江戸まではさかのぼらず大正から昭和頃と思われますがなかなかの町家です。