WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

トラス2個め完成

2007年07月28日 | ログハウス
 2つ目のトラスが上がった(アルバムに写真)。一段と家の形が見えてくるのはうれしいものだ。
 今日は2リットルのスポーツドリンクが空になってまだ足りないほどの猛暑だった。昼間は仕事にならず夕方少し涼しくなってようやく作業がすすんだ。Tシャツを着ていても日焼けして上に着ていたオーバーオールの跡が白く残った。白Tシャツは紫外線を通しやすく、色の濃いものは通しにくい。
 丸太にきちんと墨を入れて屋根の形にするのはなかなかムズカシイ。ただチェンソーカービングの練習をしだしたおかげか、ホゾ穴をチェンソーで彫るのは大分うまくいくようになった。

「次の生き方」+「このままでいいんですか―もうひとつの生き方を求めて―」(森 孝之)

2007年07月27日 | 環境・エコ・共生・持続・温暖化とか・・

  これからのライフスタイルを考えるにあたって大いに影響を受けた著書2冊。
 大量生産、大量消費を「発展」の推進力とする現代社会に対するアンチテーゼとしてのエコライフ。今でこそ巷ではエコの大合唱であるが、著者の優れるところはエコブームに乗っかるのでなく、バブルはるか以前からそれを孤高に実践してきたことにある。著者自身も著書の中でそのことに対する自負を述べている。ただ残念なのはそのことへの自負のあまり、著者や著者世代の幸運と言ってもよい社会的条件と、エコライフの声が高まれば高まるほどに逆に、特に若者をめぐるエコライフどころではない基本的生活そのものの困難さが増大している社会状況の変化に思い及んでいないところである。
 ひたすら日本の戦後復興と経済発展のために邁進してきて、そこそこの蓄えと退職金があり、親世代が残してくれた土地があり、切り下げられる以前の比較的豊かな年金の恩恵にも浴することができる、いわゆる団塊世代以上の人達 ―全員がそうでないのは言うまでもない― に対して、経済至上主義の価値観とライフスタイルの「自己責任」による転換を訴える著者の提案は妥当性も高く確かに傾聴に値するだろう。
 しかし、ワーキングプアという言葉に象徴される不安定な雇用と収入、年金を筆頭に切り下げられる社会保障で生活不安の増大する、特に30歳台以下の若者にとっては悠長にエコライフなどと言ってはいられないのだ。いやすでに貧乏生活を強いられている彼らこそ意識改革など求められるまでもなく、金を使わない(金が無い)生活と言う意味ではすでに「エコライフ」を実践している、いやせざるを得ないのだ。ただ彼らの「エコライフ」は著者の言う自然と共生した創造的で豊かなエコライフとはほど遠い。彼らの所得では「エコ」という付加価値で高値を付けられた「エコ商品」など買えるべくも無い。
 著者の理想とするライフスタイルは、小金持ち以上の層、すなわち農的生活に適した広い土地を所有し、学齢期の子供と住宅ローンを抱えた生活費の心配も無く、比較的高価な「エコ」商品を購入でき、時間も自由になる恵まれた著者のような人達でなければ実現不可能だろう。私自身も著者には到底及ばないにしてもそこそこの退職金と蓄えと学齢期を終えた子供達という条件があったからこそ自分なりの「エコライフ」を目ざすスタートを切ることができたのだ。そうした弱点もあることを踏まえた上で読み解けば、著者の説くところには大いに啓蒙させられるところ大であり、なにより机上の論ではなく実践に基づく著者のライフスタイル論は強い説得力を持って迫ってくる。著者が「庭宇宙」と呼ぶ「アイトワ」へ。


どこかに○いってしまった○ものたち(クラフト・エヴィング商會)

2007年07月26日 | 面白かった本
 硝子蝙蝠、記憶粉、迷走思考修復機、万物結晶器、月光光線銃、深夜眼鏡、水密桃調査猿、全記憶再生装置、流星シラップソーダ...、なんじゃこりゃ。明治から昭和初期にかけて考案、発売されいつの間にか消えていってしまったものたち。一体どんなものだったのか、実用性はあったのだろうか(まあ無かったから消えたんでしょうが(^^ゞ)...、心にひっかかった方は読んでみることをお勧めします。ただし、絶対に最初から読み進めること。間違っても巻末(平成のどこかにいってしまったものたち)を先に読んではいけません。この本のせっかくの味わいが台無しになってしまいます。

クラインの壺 (岡嶋二人)

2007年07月25日 | 面白かった本
 「今私がいるこの世界は果たして本当に実在する現実なのだろうか」誰もが一度はフッと頭をよぎったことのある疑問ではないだろうか。
 バーチャルゲーム機のモニターを頼まれた青年は、現実とバーチャル2つの世界を行ったり来たりするうちに一体どちらの自分が実在なのか分からなくなり、やがて自我の崩壊の危機にさらされる。

 クラインの壺とはメビウスの環の三次元バージョンで、中と外の境界が無い壺、出口が入口でもあり言い換えれば出口も入り口も無く入ったが最後永久に出ることができない、そもそも外の世界があるのかどうかも分からない壺なのだ。イメージとしては壺の口がぐるっと曲がって胴体につながっている図がよく描かれている。

 現実とバーチャルとの往来(どちらが現実かも分からないのだが)をモチーフとする作品はその後数多く発表されている。小説発表から10数年後、似たような発想の映画マトリックスが公開された。一世を風靡した鈴木光司の「リング」。シリーズは「らせん」「ループ」と続き「定子の呪い」は実はバーチャル世界の出来事だった、という「夢落ち」ならぬ「バーチャル落ち」というような拍子抜けの展開を見せる。鈴木が「リング」で展開してみせた新しいホラーの世界とその筆力に感服した私は、著者がこの不条理をどう収束させるのか大いに期待してシリーズを読み進めたのだが「ループ」の「バーチャル落ち」にはがっかりさせられたものだ。 
 「クラインの壺」は現実とバーチャルの交錯物というジャンルを最初に確立しただけでなく、あえて落ちをつけずに自我の崩壊という究極の心理ホラーの手法をも同時に世に問うた記念碑的作品であった。

 そもそも現実なるものは実在するのだろうか、3つ以上の複数のバーチャル世界を生きる自我は現実ではない想念としてでも存在しうるのだろうか。存在するのならこれこそ多次元の世界かもしれない。
 
 新しい宇宙論の一つに「無限の複数世界が並行して存在しており時間とはその間を次々に移動することなのだ」という説がある。しかし、無数の世界を意思に関係なく移動させられる存在というのは、確かに時間を説明できても「自我」であると言えるだろうか。あるいは意思を持って移動する世界を選べるというのだろうか。そもそも宇宙は、物質は、人間は何のために存在するのだろうか。「宇宙がそれ自身だけで存在していても意味が無い。宇宙はそれ自身を認識されてこそ存在する意味がある。おのれ自身を認識させるために宇宙はその意思によって何億年もの年月をかけて人間を生み出したのだ。すなわち宇宙には意思がある」とする説もある。宇宙と人間の存在する意味、人間の意識は実際には無いものを仮想する単なる想念なのか、それともこの世界では単なるバーチャルな想念であっても別の世界には現実として存在するものなのか。そこのところを解き明かしてくれる力量のある小説家よ出でよ。似て非なるものに多重人格ものがあるがそんなものは私でも思いつく。

チェンソー怪我 -その後-

2007年07月24日 | このごろ思うこと

6月20日にチェンソーで怪我してしまいました。フランケンシュタインのような傷跡は残りましたがもう大丈夫です。

 チェンソーはちょっと油断すると本当に危険です。車の運転でもそうですが、慣れだした頃が一番危ないですね。初心者の頃は注意もするしあまり無茶もしないので、慣れ不足で失敗をしてもむしろ小さくて済むことが多いです。

 怪我のグロテスクな写真を載せることには躊躇もあったのですが、仲間にも初級者から中級者になりかけ(この時期が最も危ないと思います)の人が多いので、少しでも私の教訓を生かして安全に気を配ってもらえればとの思いであえてアップすることにした次第です。

 この間流庵の塚っちさんが来られたときもまず、「安全には十分な注意と対策をしましょう。疲れてくるとチェンソーの重みで切り終わりに勢いあまって腿を切ってしまう危険が高いので必ずチャップスを着用しましょう。」と最初に安全対策の話をしておられましたが、自分のことを言われているようで内心ドキッとして恥ずかしかったです。

 改めて思い返すと、東栄のチェンソーカービング世界大会にゲストで来られていた永久チャンピオンのブライアン・ルース氏は、シュワちゃんのような肉体で両手に二丁チェンソー持って彫るほどの実力者なのに、決して落としがけはせず三点支持がけをされていました。まず安全に使えてこそ本当の名人なのですね。
 私も今はカービングは当然のこと、山でもログハウスでも必ずチャップスを着け、落としがけもやむをえない場合以外は極力しないように三点支持がけをし、使用前後と使用中は刃先と周囲に常に目を配るように心がけています。


あたり前田のクラッカー

2007年07月24日 | えぶりでいず3丁目の夕日
どっこい生きていた。「オレがこんなに強いのも、あたり前田のクラッカ~。」
これが分かる人は相当だ。
この間、近所のスーパーで見つけて懐かしい人に出会ったような感動を覚えた。10個も買ってしまった!
カッパエビセンじゃ無いけれど食べだしたら 止められない止まらない。

7月22日 きのこ伏せこみ

2007年07月22日 | 今日の出来事

田舎暮らし応援団のきのこオーナーイベントで3月に植菌したヒラタケの伏せこみをした。11月には収穫祭を予定。なめこはもう少し時間がかかりそうでもうしばらく置いておくことに。
キクラゲはすでに発生しているものもありお持ち帰りいただく。
作業の後はシシ肉、鹿肉でBBQ。大人も子供も「おいしい、おいしい」と完食。

写真は、重いホダ木を満面の笑顔で一生懸命植え込んでいた、とってもかわいい女の子。
その他の写真は オンラインアルバム で見られます。


スモーカー改良型 ショートタイプ2号

2007年07月20日 | 一日一作

一斗缶を加工して作った燻製用スモーカー。左は1号、三段型。下段は加熱炉(薪を焚く)。中段はスモーク発生炉。上段がスモーク室。薪が使えて温燻だけでなく冷燻も可能だがかさばるのが難点だった。右が2号ショートタイプ。スモーク室のみのコンパクトタイプ。加熱はカセットコンロなどを利用。温燻のみ。


セメダインスーパーX2はスゴイ!

2007年07月19日 | すぐれもの
転んだ拍子に腕時計の金属製バンドの留め金が外れてしまった。
以前、はがれた靴底の修理に使ったセメダインスーパーX2の説明書きに確か「金属もOK」と書いてあったのを思い出しくっつけてみたらみごとにくっついた。腕を振っても留め金はびくともしない。セメダインスーパーX2はほんとうにスゴイ!

チェンソーカービング

2007年07月16日 | チェンソーカービング

昨年、滋賀高取の「森の感謝祭」で初めてチェンソーカービングを見て、こんな世界があったのかと人生観が変わりました。5月には愛知県東栄町で開催された日本で最大のチェンソーアートの大会も見てきました。すごかった!
7月14日「田舎暮らし応援団」のログサイトに流庵の塚原さん、イトモクの伊東さんが来られてカービングデモを見せてくれた。大会では危険防止のためカーバーさんたちは檻の中で観客は檻の外から遠目にしか見られないので細かいテクニックはよく分からない。今回は目の前ですばらしいテクニックを見ることができ感激。塚原さん(塚っち)が、うまくできずに途中でほうってあった私の下手なワシに羽の手直しを加えながら指導もしていただいた。 6月2日に三和町で伊東さんのデモを見に行ったときにお話をさせていただき「フクロウが彫れればなんでもできる」と聞いてとにかくフクロウを練習することにした。