宇治田原マツタケ研究会の山本さんから「古老柿」が届けられた。「出回るようになったら買いに行くから連絡ください」とお願いしていたのだが、思いがけずわざわざ送ってくださった。ほんとにありがとうございます。
寒天、高野豆腐、干し柿、..冬場に作られる干し物は、寒暖の差が大きく夜はキンキンに冷えるようでないと良いものはできない。温暖化か、年々冷え込む時期が遅くなり、古老柿の出来上がる時期も年々遅くなっているらしい。
さて、古老柿の袋の中にその由来が書かれた紙が入っている。写真で読めるかどうか、念のためかいつまんで書くと、
『村人が、とてもおいしい干し柿売りの少女に作り方を教えてもらった。少女の後を追っていくと山中の岩で姿を消したという』
「ええっ、それだけ?」と思わずつんのめりそうな突込みの足りない言い伝えだ。少女は、貧しい村に名産となる柿をもたらしてくれた山の精だったのだろうか?
『干し柿にはビタミンCが豊富で成人病予防によく、タンニンは酒の酔い覚ましに良い』とある。特に古老柿は、ほのかで上品な甘さで、へたも取ってあるし種離れもよく、一口サイズでほんとうに食べやすいしおいしい絶品である。
私の宝物の一つに数10枚の古いレコード群がある。青春時代の思い出が詰まったもので、聞くと様々な記憶がよみがえり懐かしい。しかし引越しで古いステレオを手放してからは、より手軽なカセットテープや近年ではCD、MDを利用しいつしかレコードたちは“押入れの肥し”と化していた。
好きなレコードでも世間的にマイナーなものはCD化されていないものも多いし、アナログにはデジタルにはない面白さもある。しかしステレオを手放して以来、聞きたくなっても聞けない状態で、なんとかCD化できないものかと適当な機器や方法を探していた。雑誌広告でアメリカ製のレコードから直接CDへコピーできるというステレオもしょうかいされていたが、約70,000円という価格がためらわれた。
そんなとき新聞の通販広告で見つけたのがこれだ。通販商品には多少の不安はあったが他に適当なものが見つからないし、12.800円なら万一ダメでもあきらめはつくかと、「ものは試し」で購入してみた。
結果は思いのほか優れものであった。懐かしいレコードをCDとしてよみがえらせ、車やパソコンでも楽しめるようになったのだ。
もちろん、問題も無いわけではない。2つの点で少々面倒であり、時間も取られる。まず、直接CDにコピーしてくれるわけではなく、いったんUSBまたはSDのフラッシュメモリにコピーし、それをパソコンでCDに書き込むという二段階を経なければならない。また、レコードの1曲1曲を識別してくれるわけではないから、連続してコピーするとレコード半面分が1曲扱いになってしまう。それでも聞くことは聞けるが、デジタルのメリットである一発頭出しや選曲再生ができない。なので、一曲ずつコピーしなければならない。1曲コピーの間は装置に付きっきりで、レコード途中の曲は頭に当たるようにうまく針を落とさないといけない。
しかし、そういった面倒さも懐かしいレコードがCDとなってよみがえる嬉しさからすれば我慢できるというものだ。今日は、学生時代にフォークギターを始めるきっかけとなった、スリーフィンガーと美しいハーモニーのPPMをCD化してみよう。
12月18日、まつたけ十字軍の「大忘年会」が盛大に開催された。今年は京まつたけ1号の発生を見るなど、まつたけ十字軍にとって実り多い年であった。詳しくはまつたけ十字軍のブログを参照ください(写真はまつたけ十字軍ブログから借用しました)。
それにしても、である。平日火曜日の朝から50人もが集まっての大忘年会。「ニッポンの常識」からすると「平日の昼間っから仕事もしないでヒマ人どもが集まってなにをやっとるのか!」ということになるのだろう。しかし、ちょっと待った、そもそも「平日の昼間、仕事もしていないのはヒマなダメ人間」などという固定観念は、誰によって何のために刷り込まれたのか、よく考えてみる必要があるのではないだろうか?
私はむしろ、「平日の昼間っから好きなことを楽しめる社会」こそが、人間らしい喜びのある幸せな社会だと思っている。もちろん、働き盛りのいい年の連中が、年がら年中好き勝手なことをして遊んでいるのが良いという意味ではないのは言うまでもない(京都市や大阪市の市役所には仕事もせずに給料をもらっている結構なご身分の御仁もいたようだが)。
それともう一つ。まつたけ十字軍の活動には年配のリタイア組みが多いのは確かだ。がしかし、皆さん元気で生き生きと思い思いに自分の好きなことを、自らその場を作って楽しんでおられる。夫婦で中睦まじく共同作業に汗を流しておられる方も。家庭内離婚や熟年離婚とは無縁だ。高い金を使って海外へ行ったり、物を買ったりしなくてもこんなにも人生を豊かにできるのだ。心身の健康は結果として医療費の節約にもつながる。心も体も元気で日々を楽しみ満足して死ねればこんな結構なことはない。
まつたけ十字軍の活動には「まつたけと里山再生」という範疇にとどまらない、自然との共生、環境に負荷をかけすぎない、金をかけずに豊かな人生を送れる「持続可能な社会」づくりのヒントがたくさん示されている。マスコミも一般受けする「マツタケ山再生」ばかりに注目するだけでなく、そうした柱の活動から広がりを見せている、より広範囲な可能性に気づく感性を持って報道していただきたいものだ。
それにしても不思議なことがある。発生初期は木肌からほぼ垂直に発生してくるのだが、やがて成長するにつれて空の方に向かって伸びるようになるのだ。ホダ木の向きが変わるとシイタケも空の方向に向きを変える。重力を感知しているようだ。おそらく重力のかかる下方に軸の成長(細胞分裂)を促すホルモンか何かが多く分布するような仕組みがあるのかと思われる。
植物は一般的に重力と反対方向や光の方向に向かって成長するようだが、シイタケは菌類のはず。細菌レベルの微生物では、走光性や走化性は認められても重力は感知していないようだが、多細胞になると重力を感知しているようだ。多細胞生物が一定の形態を形成するためには重力は重要な要素なのだろう。そう言えば、以前、日本人宇宙飛行士が宇宙の無重力状態での生物(メダカ等)の発生や挙動実験をしていたが、そのあたりの仕組みは分かったのだろうか。多細胞生物が存在するためには重力が必要条件だということになれば、宇宙人のいそうな星の条件が絞りこめるにちがいない。
先日書いた、山本山のある宇治田原の晩秋の風物詩、「古呂柿」のことが京都新聞 に載っていた。記事によると「古老柿」と書くらしい。でも確か、地元のIさんは「古呂柿」と書くと仰っていたが。また、柿を干してある小屋(というには大きいが)も私が勝手に名づけた「柿棚」ではなく「柿屋」と呼ぶらしい。
「古呂柿」と「古老柿」、どちらの表記が正しいのかはあらためて調べるとして、むかし京都市周辺の山で採れた白くコロンとした雅なマツタケが「みやこまつたけ」として珍重されていたという。
報道では「都まつたけ」と記載されていることが多い。しかし、ほんとうは「京まつたけ」と表記するのが正しい。取材される記者さんはじめ若い人たちにとっては「みやこ=都」で、「京」を「みやこ」と読む用法は思い浮かばないのだろう。
酒の席やテレビなどでよく県民性が話題になったりするが、京都人にとって京都はいつの時代にも日本の「みやこ」だった。ただしその「みやこ」は単に「首都」というだけの意味合いではない。地勢的にも文化的にも長い歴史と伝統の重みをもった「みやこ」なのだ。「京都」には「みやこ」と読ませる字がダブルで並ぶ。良くも悪くも、このあたりに京都人の県民性の源がよく現れているようにも思う。
明日12月3日からCOP13が始まる。第十三回気候変動枠組み条約締約国会議..、長い名前だ。
テレビでは、COP13=コップジュウサン と言っていた。こういう言い方にどうもひっかかる。COP1~COP10は、コップワン~コップテン と言っていた。ならばCOP13=コップサーティーン ではないのか?COP11からコップジュウイチ と日本語読みになるのはなぜなんだろう?
他にもゴルフで、1UNDER~10UNDERはワンアンダー~テンアンダーなのに、なぜか11UNDER以降はイレブンアンンダーではなくジュウイチアンダーと日本語読みになる。
単にその方が言い易いから、と言えばそうなのかもしれない。しかし、ある数字から急に日本語読みになることになんか違和感があってひっかかるのだ。ドイツ人やスウェーデン人、韓国人はこんなヘンな読み方変更はしない。日本人の精神構造と何か関係がある気がしてならない。何かは分からないのだが、どうも日本人がいつまでたっても英語をしゃべれないことと関係がある気がする。