TVなどでも大きく報道されているように、津波で流された松を京都の伝統行事「送り火」で供養するという計画が、「放射能を撒き散らす気か」といったたぐいの「市民?」からの抗議で取り止めになった。
それだけでも京都市民としては恥ずかしいことだが、「何でやめるのか」という反抗議が殺到したため「やっぱりやる」ということになったらしい。全く恥の上塗りだ。
しかも明日届く予定の薪に、京都市民の追悼、激励メッセージを書いてもらうのだという。「取り止め」となったとき、補助金を通してこの計画に一枚かんでいる京都市長は、来年の市長選挙を控えたこの時期にイメージダウンになっては困ると考えたのだろう、「市としては再考を伝えたが、保存会の決定には口出しできない」などと「送り火保存会」に責任をなすりつけた。
ところがその「保存会」で一転「やっぱりやる」となって、もはやこのままでは市長のイメージダウンは取り返せないと思ったのだろう、今度は「薪にメッセージを書かせる」という姑息な手段で市民を「共犯者」に巻き込んで批判の矛先をかわそうとしだした。そういう意味ではなかなかの戦略家ではある。
もう、論評するのもバカバカしい情けない連中だ。しかし、この騒動で見逃してはならない一事がある。当初計画が持ち上がったときに抗議してきた「市民」。たったの40人ほどだという。少数意見をないがしろにするのはよくないが、即取り止めに向かうにはあまりにも少数過ぎるだろう。「被災者の気持ちを考えたことがあるのか」という反批判が巻き起こるであろうことも、普通の頭の持ち主なら容易に想像できることだ。
つまりこれは、始めから「中止」させるためのヤラセ「抗議」だったのではないか、ということが疑われる。
そもそも「被災地の薪で送り火計画」の発端は、遠く大分の美術家が「送り火保存会」に持ちかけたのがきっかけだったらしい。最初は「保存会」も、来年選挙を控えた京都市長もイメージアップに好都合と大いに乗り気だった。ところが陸前高田で薪計画実行部隊の中心を担ったのは、毎度の京都市長選挙では常に対立候補の有力な構成員となっているある団体だった。それを知った「保存会」では市長派、反市長派で実施をめぐって対立し、市長派が計画を中止させるためヤラセ抗議を仕組んだ、というところではないか。
もちろん、そんなウラ事情は新聞やTV報道に出るわけもない。ま、「現代」「ポスト」ネタではあるので週刊誌でそのうち出るかもしれないが。