WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

科捜研の女

2021年09月08日 | 映画(西部劇など)
「科捜研の女」劇場版 9月3日公開
観てきました。
何を隠そう、私、沢口靖子さんのファンです😁
全体的には、TVドラマのようにCMや「来週に続く」でブチブチ切られる興覚めもなく、終わりまでの目まぐるしい展開は目をそらさせません。
ただ捜査手法や科学捜査に関しては、多少なりとも生物学をかじったことの ある人にはツッコミどころ満載でしょう。特に大腸菌の扱いに関しては、いくら体内に普通にいる菌だといっても、研究で取り扱うのにあんな雑な取り扱い方はしないし、できない。面白さ優先で、話をつまらなくしてしまいそうな生物学系の専門家の監修はあえてしなかったんでしょうね。ま、突っ込んで面白がるのも、映画の楽しみ方の一つではありますし。

そして何より、製作者の意図的なものなのかは不明ですが、予想外のオマケ的な仕掛けもなかなか楽しめましたです。
本筋のミステリーのネタ晴らしをするのはルール違反なのでおいておくとして、ツッコミどころと仕掛けの方を少しご紹介。

一つだけ突っ込んでおきますと、
警察の行き過ぎ捜査と、監察官によるチェックシステム(そんなものが本当にあってちゃんと機能してるのかはナゾ。あればもうちょい冤罪も減ると思うが?)の説明みたいなサブストーリーの一方で、予告編見りゃ大体予想できる「オイオイ、そりゃおとり捜査だろう?」というマリコさんの一芝居にはおとがめなしの不思議。

仕掛けその1.マリコは駆け出しのころ既婚であった!!実はこれが今回最大のミステリー?😲
別れた相方が警察庁のエライさんになって登場、マリコたちの捜査を助ける。別れた理由は不明、次作に請うご期待!? うまいこと引っぱるなあ😮

仕掛けその2.チョイ役に小保方さん!!?
洛北医大(京都医科歯科大だったかな?まそれはどっちでもいいこと)の細菌学教室助教、はたさん(漢字不明)、なんとあの「スタップ細胞はありまーす」小保方さんに激似。単なる偶然か?、いやいやこれは絶対に仕掛けたとみた。「はた助手」って呼ばれて「”助手”ではありません、”助教”ですっ!」となかなかのツッパリ、トンガリっぷり。思わせぶりに登場しといて結局、事件には何の関係もないという、それはないだろう的な。
以上のように、沢口靖子さんファンでなくても、いろいろ突っ込んで楽しめる「佳作」だと思います。

大米騒動

2021年01月15日 | 映画(西部劇など)

コロナでヒマなので(別にコロナでなくてもヒマか)、大正時代の富山の米騒動を描いた映画「大米騒動」を観てきました。

<総評>
関係者の方々にはほんと申し訳ありませんが、正直期待外れ。
男尊女卑の非民主的時代がテーマだと思いますが、貧乏な”細民”と強欲な米屋の対立という構図が浅すぎて何も伝わってこない。まあ少しだけ、シベリア出兵の兵糧としてのコメ需要増と投機という表面的な時代背景には触れられているが、その歴史的、社会的な掘り下げは全く無い。どころか、その矛盾を正そうと街頭演説する”労農党”らしきお方に対して、おかか達に「あんたらみたいな口ばっかりで何にも動かないやつに用はない。うちらはうちらのやり方でやる」と罵倒させ、今のヘタレな野党をディスるかのごとき演出は、当時の皇国警察の弾圧に抗して命がけで戦った労農党はじめとした方々に対し失礼極まりないし、歴史をゆがめて見せる悪質さを感じざるを得ない。こんなトランプ氏のツイッターばりの描写では、映画を観て米騒動の本質を理解できた人はいないどころか、誤解さえ与えてしまうだろう。室井おばばがいなかったら映画としては凡作以下、歴史の描き方ではむしろ事実を捻じ曲げた御用映画と言われてもしかたないだろう。
室井さんファン以外、おススメする価値はないのでリンクもはりません。

<映画作品としての評価>
真央さんファンには申し訳ないがミスキャスト。こんな美人な女性が富山の寒村にいるわけがない(富山の方ごめんなさい)。実在感ゼロ。夏木さんや左さん、柴田さんなどの演技派を揃えながらチョイ役扱いで全く活かされていない。ギャラ高いだろうにもったいない。あんな演出なら他の大根役者で十分。立川志の輔さんの狂言回し的解説役も、時代背景や庶民の心情を伝えるべきカットを手抜きするための苦肉の策なのが見え見え。 対して室井滋さんのおばばはさすがの存在感。本作はあくまで室井さんの、室井さんによる、室井さんファン(私)のための映画。というわけで個人的には室井さんのおばばを堪能できたので、そこだけは満足でした。


映画「ひろしま」

2019年08月14日 | 映画(西部劇など)

アメリカでもそこそこの反響を呼んでいるらしい?、つい先日NHK ETV特集でも取り上げられた話題の映画「ひろしま」。Amazonでもデジタルリマスター版は在庫切れとなっています。ちょうど今、出町枡形商店街に2017年に開館した独立系映画館「出町座」で上映されているので観に行ってきました(~8/23まで)。

結論から言えば、私がひねくれ者なのか正直、世評ほどの感動は持てませんでした。

まずもって言葉が標準語で”広島感が感じられない”、子役のセリフに棒読み感が抜けきらない、のはまあ、当時の演技レベルと映画環境としては致し方ないところか。
時代考証的にも「プール」など当時は禁止されていたはずの敵性語がセリフに使われていたり、日本赤十字病院に”Japanese Red Cross Hospital”の看板が掲げられているなどの凡ミスが目立つ。被爆8年後の1953年、まだ混迷の続いていたであろう時期に制作されたことを割り引いてもちょっと油断しすぎ。

原爆資料館の展示や米軍調査団の撮影した映像、マンガ「はだしのゲン」では、黒焦げ遺体や皮膚が剥けて垂れ下がったままさ迷い歩く人々などが描写されている。映画の被爆者は一様にソバージュ状になった髪に衣服が破れて泥やほこりで汚れた程度の体でゾンビ風にさ迷い歩くワンパターンの演技の割には、目にも顔にも生気があって原爆の悲惨さがいまいち伝わってこない。
スプラッター映画ではないのだから「これでもか」とグロいシーンを見せるのは控えざるを得ないのかもしれないが、原爆資料館の写真や米軍調査団の撮影した生々しい映像を見てしまった身には、いまいちその悲惨さ、非人間性が伝わってこない。

先生役の月岡夢路さん、岡田英二さん、若き山田五十鈴さんなど豪華俳優陣がそろっているが、このような映画に美男美女はどうも真実味にかけて違和感がある。むしろ美男美女ではない(失礼)若き日の花沢徳衛さん、加藤嘉さんらの方がリアリティが感じられた。

では、冷静に見てそれほど完成度は高くない「ひろしま」の公開に、当時の政府がなぜ圧力をかけたのだろうか。当時は原爆の記憶がまだ新しく、皇国戦争の化けの皮が剥がれた反動で、特にこの映画を製作した日教組などの労働組合を中心に民主化・反米運動が盛り上がっていた。まだ「サンフランシスコ講和条約」締結の1年後という難しい時期にあっては、天皇制維持と自分たちの保身のためにはアメリカを刺激したくなかった”忖度”が、当時の保守勢力に働いたことは想像に難くない。果たして、こうした”忖度”は令和の今に至るまで彼らの中に連綿とある。

アメリカでは今もなお、広島、長崎への原爆投下について問われると「原爆のおかげで戦争が終結した」と答える人が8割くらいだという。そうしたアメリカ人たちに今一歩踏み込んで人体実験として原爆を投下した非人間的ホロコーストの罪に目を向けさせるためには、アメリカでの公開に意味はあるかもしれない。

出町座は、シアターが2つ(2FとBF)。「ひろしま」は16日までは2F、17日~23日まではBFで、9:30-11:20上映。
写真は2F。小学校の教室ほどの広さに42席。BFもそんなもん。スクリーンもハンディタイプのような大きさ。

券売機でチケットを買い、写真左の受付で希望の席を申告し半券に記入してもらい入場するシステム。
入口ホールにはCafeもある。壁の周りには映画関係を中心にたくさんの本やパンフレットが並ぶ。Cafeで本を読むのも良し。

出町枡形商店街。だいぶ店舗も入れ替わり昔の面影はない。


懐かしいお総菜屋さんはまだあった。看板のチープでシンプルな天狗がなんとも愛らしい。


万引き家族

2018年06月08日 | 映画(西部劇など)

シニア料金で平日映画鑑賞はリタイアオヤジの特権。
今日から一般公開、パルムドール受賞で話題の映画「万引き家族」を早速、観に行ってきました。

「家族にまつわる現代日本社会の病理を映像化、、、」とは一般的な映画評ですが、そうした視点からは、すでに周知の陳腐な社会問題を薄味にして詰め込んだ、ごった煮といった感じでした。
欧州の審査にあたった方々は、日本で起こっている虐待、年金不正受給、犯罪暮らし、非正規格差などなどのもっと過酷で、残虐・非情で悲惨な実態をご存じないから、この程度の内容でも社会派に見えてしまうのでしょう。もし、イラクやシリアでの映画祭だったら受賞はないと思う。むしろ私にはこんなホンワカした社会、家族なら仲間に入りたいとさえ思えてしまいました。
参考⇒ 「年金タカり」の現実

...

もっとも、是枝監督のインタビュー記事を読むと、社会問題もさることながら「他人同士がどこまで家族になれるか、その絆について問題提起したかった」と書かれており、それが中心テーマだとしたら、社会問題はあくまで本テーマを表現する上での小道具でしかなく、あまり生の実態を出し過ぎてはかえって元のテーマがかすんでしまうという深謀遠慮があっての「薄味ごった煮」演出なのかなとは思えましたが。
余談ですが、本映画パルムドール受賞直後の「紀州のドンファン事件」はまさに日本のブラックジョークでした。

戦争と平和や原発、環境、暴力、格差社会といった、すでに周知の社会問題の提起といった映画はもう結構、お腹いっぱい。むしろ問題の原因と解決策を提起する方向にそろそろ進んでほしい、と期待している私には、そんなわけでちょっと期待外れでした。

ただ、俳優さんの演技としては、実在感のある安藤サクラさんと2人の子供たち、とりわけ両親に虐待されているときの暗い表情と万引き家族の仲間になって明るさを取り戻していく表情の演技?が秀逸の佐々木みゆちゃん、そしてもはやただただ感服の樹木希林さんはさすがだと思いました。

そんなこんなで、何故かいちばん記憶に残ったのは偽装父子で美味そうにコロッケ入りインスタントラーメンを食べるシーン。早速、食べてみました。まあ、うまいと言えばうまいか・・・な。


アメリカンスナイパー   -イーストウッドのウェスタン世界-

2015年02月23日 | 映画(西部劇など)

アルカイダの仕業とされる、2001.9.11のいわゆるニューヨーク「同時多発テロ」、「テロとの戦い」を口実とした報復のイラク戦争(2003~)で160人以上の「敵」を射殺しレジェンドといわれたスナイパー、クリス・カイルの自伝をもとにした映画である。監督はクリント・イーストウッド。ウェスタン俳優、監督としては私の好きな一人ではある。

クリント・イーストウッドは共和党支持者でありながら「イラク戦争」には反対していたことはよく知られている。
一方最近の中東情勢。アルカイダNo.2だったザルカウィ(奇しくも本作品の標的としても登場する)を指導者とする最近のISの勢力拡大と数々の「テロ」。タイムリーというのは不謹慎ではあるが、イラク介入には反対の立場をとっていたイーストウッドがこの作品で何を伝えたかったのか、さらには中東イスラム圏「イスラム国」に対する「アメリカ国」の姿を垣間見ることもできるかもしれない。これは是非観なければと公開早々観に行ってきた。

クリス・カイルは少年の頃、父親から「守られる羊や攻撃する狼にはなるな。羊を守る牧羊犬になれ」と教えられて育つ。
9・11を目の当たりにした彼は報復を決意して海軍に志願する。配属されたのはシールという特殊部隊。敵地への先陣突入を任務とする海兵隊などの実戦部隊のオペレーションに同行し、これを妨害する敵兵や敵に協力する住民などを排除し、前線部隊の任務遂行を側面から支援するのが任務である。戦場で直接援護するのは一般人の「羊」ではなく兵士である「狼」ではあるが、ともかく彼は父の教えどおり「シープドッグ」となったわけである。

4回のイラク派遣で160人以上を射殺し数々の「戦果」を上げた彼は“レジェンド”と称されるようになった。しかし、守るべき海兵隊員など味方を守りきれなかったり、シールズの同僚を亡くしたり、同じく海軍に志願した弟をも失ってしまう。
心を病んだ彼は、除隊後カウンセリングを受ける。カウンセラーが「敵地で多数の人間を射殺したことに心の痛みを感じますか」とたずねる。彼の答は「NO」、「テロリストとその協力者を射殺したことに痛みはない。悔やまれるのは味方を助けられなかったことだ」。

余談だが、時がたち平常心を取り戻した彼は、体や心に傷を負った退役軍人のケア・サポートの仕事を始めた。その後間もなく彼は、担当した「患者」の一人によって殺害されてしまう。その経緯は映画には描かれていない。映画の巻末クレジットには、「彼には残された小さな子供がいる。そのことを配慮して彼が亡くなった経緯については映像化されなかった」との解説が流される。

2014年、この作品が欧米で公開されるやイーストウッド監督作品として最高の興収(300億円以上)をあげ、特にアメリカでは映画関係者はもちろん、オバマ大統領夫人まで巻き込んで賛否両論論議を呼び社会現象となっており、アカデミー作品賞候補にも上っているという。

さて、この映画でイーストウッドが伝えたかったメッセージとは何だったのだろうか?
彼は、公開に先立つインタビューでこう話している。「私は戦争に対する政治的見解をこの作品で表明するつもりはない。ただ事実を伝えたかったのだ」
表面的には戦争の理不尽さ、最前線で戦う兵士が負わされる心の傷、兵士本人だけではなくその家族や国民にまで及ぶ負の影響などなど、血しぶき肉片が飛ぶタランティーノばりの銃撃映像とともに鮮烈に描写されている、とも言える。確かに、イーストウッドの言うようにリアルな戦場の銃撃戦の姿とはこのようなものだろう。

しかし、ウェスタンファンの私としては、この作品にジョン・ウェインを頂点とする“正統保守派の典型的西部劇=開拓時代から脈々と受け継がれているアメリカ合衆国の伝統的精神”といったものを見てとった。

正統保守派西部劇に描かれるインディアンは人格も個性も持たされない、合衆国に敵対する“悪”の象徴として描かれるのみである。対して主人公の開拓民やカウボーイ、ガンマンには、当然とはいえ、様々な感情もある人間としてのドラマが描かれる。
私には、殺されても殺されてもただ闇雲に突撃してくるインディアンの姿が、この映画に登場する“アルカイダ”と思われる兵士たちやその他の武装勢力、民間人協力者、進駐米軍に反感の行動を示す住民たちと重なって見えた。

西部劇でも主人公を際立たせる演出として、主人公と対決するソコソコ強いインディアンが登場することがある。本作でも同様に、クリス・カイルに対抗する凄腕オリンピアンのシリア人スナイパー(ジョニー・デップ似のイケメンなところがニクイ)が登場するのだが、単なる冷酷なスナイパーとしてしか描かれていない(ゴルゴ13?)。メダリストだった彼が何故、そのようなスナイパーとならざるを得なかったのか、その背景は分からない。

対戦車手りゅう弾を抱いて米軍戦車に挑むイスラム教徒(であることはその服装から推察できる)の母親は何故そのような自爆テロ的行動に出ざるをえなかったのか。クリスに射殺された母親から手りゅう弾を託された幼い息子も、母から託された目的を遂行する前にクリスに射殺されてしまう。まるで“里山を荒らす害獣”のようにハンターに駆除される、ただそれだけの存在。

高性能銃、戦車、軍用ヘリ、輸送機、爆撃機、圧倒的に優位な米軍事力。最後に控えるのは泣く子も黙らせる核兵器。「テロリスト」には必ず報復し、完膚なきまでにたたきのめす。弱肉強食、自己責任、自己中心的な正当防衛論理、そんな合衆国の「正義」に国民は陶酔し、熱狂する。アメリカンスナイパーはそんなアメリカ国民の精神構造を具現化した映画に他ならない。

ベトナムやアフガン、イラクのような泥沼化に、アメリカ国民は戸惑い、9・11のように自分たちの領域が直接侵されるとうろたえ狂気を帯びて凶暴化する。アメリカは強くなくてはならない、絶対王者でなければならないのだ。

イーストウッドがイラク介入に反対したのは、イラク国民、イスラム圏住民の平安に思いを寄せたからではない。米国民が、ありえないような事態にうろたえ、混乱、狂気することを恐れたからに他ならない。泥沼化によるアメリカ国民の厭戦気分の醸成、さらには「窮鼠猫を咬む」的なアルカイダやイスラム国のような命知らず集団の発生とアメリカ本国への波及という、強いアメリカを内から脅かしかねない殉教ジハードを恐れてのことだろう。

命を惜しまないものほど怖いものは無い。追い込まれた人間の精神と行動など想定もできない。「夕陽のガンマン」などかつてのイーストウッド主演に代表される古き良きウェスタンは、撃たれる方も派手にアクションするものの血しぶき肉片が飛び散るわけでもなく、日本の時代劇の斬られ役にも通ずる、観客了解済みの予定調和エンターテイメント、芸としてのガンファイト、まさに娯楽(映画)であった。
イーストウッドはそんな単純娯楽としてのウェスタンのガンファイトに対し、「許されざるもの」で殺す側の人間心理を描き出すことに挑戦し、「暗い」という批判も受けつつ西部劇の新境地を開いた。
しかし、殺される側の事情については取り上げていない。今や巨匠となったイーストウッドではあるが、殺される側に思いを馳せた作品は残念ながら未だ無い。ましてや中東の事情と難民に寄り添ったとあっては、かつてのレッドパージを想起するまでもなく、アメリカそのものを敵に回しかねない。いかなイーストウッドでもそこまでしての挑戦など思いもよらなかったのだろう。

ウェスタンが廃れて久しいのは一ファンとしてはさびしい限りである。テロリスト(ガンマン)は何故にテロリストとなったのか?そして撃たれ殺される側の思いは。そこを掘り下げない限り新しいウェスタンの可能性は生まれてこない。

日本でも自衛隊を海外の紛争地へ派遣できるように法改正しようという動きがある。「テロとの戦い」、「友軍の支援(集団的自衛権)」に日本もお義理を果たし、あわよくば「強いアメリカ」に倣って「強い日本」をというわけである。

そんなことどもをまともに考えることもせず、難民支援や難民「報道」をビジネスにしようなどという愚か者が大勢に迷惑を掛ける事件が、年末年始にかけて起きた。中東は歴史的に宗教面でも社会制度面でも部族社会が基本の複雑な対立構造が存在し、それを利用して漁夫の利を得ようとする大国の思惑と介入が事態をますますややこしくし、そのトバッチリで多くの罪も無い一般難民が生み出されていることなど、わざわざ危険地に赴いてこれ見よがしの映像など撮って見せてくれなくとも十分に分かる。それくらいの理解力と想像力は持っている。

とまれこの映画は、中東の戦闘地域とリアルな銃撃戦というのはさもありなんという、ソコソコのリアリティだけは見せてくれる。それ以上でも以下でも無い。ただ、DOLBY  SURROUND7.1の臨場感あふれる音響効果だけは一聞の価値はあるかもしれない。


やっぱり西部劇は絶滅危惧種?

2013年03月30日 | 映画(西部劇など)

つい2週間ほど前観た「ジャンゴ繋がれざる者」。確か1日4回上映だった。
今日の映画案内を見ると1日2回上映に減っていた。よっぽど人気がないのねん

最近、著作権切れになる昔の映画の廉価DVDがどどどっと出てきている。団塊前後世代のノスタルジーをくすぐって一稼ぎという魂胆なのだろう。

しかしどうも西部劇は...元気がない...。「シェーン、カミンバック!」


「ジャンゴ・繋がれざる者」

2013年03月13日 | 映画(西部劇など)

面倒くさくなってほったらかしにしていたブログ。久しぶりに覗いてみたら、なんか色のない文字ばっかりの殺風景な画面に変わっていてビックリ

なんでも2ヶ月間ほったらかしにしているともとのテンプレート画面を取り上げられてしまうらしい。知らなかった~。さらにほったらかしにしているといずれ消されることになるのかしらん?

更新すれば元に戻してくれるそうだから多分これで元に戻るはず

 

そんなことはさておき、タランティーノ監督の話題作?「ジャンゴ・繋がれざる者」を観に行ってきた。

ケビン・コスナー「ワイルドレンジ最後の銃撃」から10年、新作絶えて久しい西部劇は今や絶滅危惧種、いやすでに絶滅してしまったのかとあきらめかけていたところに、タランティーノさん、やってくれました。これは観なければ。

妻と引き離された主人公の黒人奴隷=ジャンゴ。ひょんなきっかけから賞金稼ぎとなって猟奇的白人農場主(レオナルド・デカプリオ!)から妻を取り戻す物語。
先住民=インディアンに対するホロコーストと並んで、ハリウッド映画ではほとんど取り上げられることのないアメリカの恥部の一つ「黒人奴隷制」の非人間的実体を、回りくどい文章ではなく映像で見せてくれる。

しかしそこはタランティーノ、撃って撃って撃ちまくり、血しぶき、肉片が飛びかい殺しまくる。奴隷同士を戦わせ負けたものは目をつぶし、ハンマーで牛のよろしくとどめをささせる。弱音を吐く奴隷は生きたまま犬に食わせる、一言で言って“アメリカ産スパゲッティウェスタン”。
もちろん、R15指定。(TOHOシネマズのサイト 「公式サイト」よりこちらの方が分かりやすい。「公式サイト」は「荒野の用心棒」のオープニングを真似たのだろう、真っ赤な画面に黒いアニメーションとメニューが流れる趣向だがウザイ)

北野たけし氏も、くだらない暴力団映画なんぞ撮ってるくらいなら、中国人を自ら掘らせた墓穴の前に並べて面白半分、新兵の肝試しに片っ端から首をはね撃ち殺したり、細菌戦の生体実験をし解剖したり、朝鮮人女を引っ立ててヤリまくった大日本帝国皇軍映画でも、撮れるものなら撮ってみたらどうか。

さて、上映が始まりワクワクしながら流れるクレジットを眺めていると、西部劇ファンには神様のような存在の一人、あのフランコ・ネロの名が..
劇中、主人公のジャンゴに「あんたの名前は?」とたずねる。「ジャンゴ(Django)、Dは発音しない」、「知ってるさ」。たったこれだけのやりとりだが粋な演出。

ジャンゴが拾われ相棒となるドイツ人賞金稼ぎキング・シュルツと出会うくだりや、妻の売り払われ先(デカプリオ)にたどり着くまでの経緯にどうでもいい冗長な部分もある。このへんがタランティーノらしさと言えばそれまでだが。

アメリカ本国では、アカデミー監督賞、助演男優賞など5部門ノミネートされる一方で、暴力的描写などに異論もあったようだ。しかし過去の過ちを直視し、真摯に反省し、2度と繰り返さないために、歴史の現実を後世代にリアルに知らしめると言う意味で効果的な場合もあることは否めないと思う。

ま、なにはともあれ西部劇(らしきもの?個人的には“正しい”西部劇とはちと違った)が絶滅してはいなかっただけでもよしとしよう。

 


誰も知らない基地のこと

2012年07月07日 | 映画(西部劇など)

「誰も知らない基地のこと」というドキュメンタリー映画を見に行ってきた。

2010年、イタリア。ビチェンツァでの米軍基地拡大反対運動をきっかけに、「なぜ米軍基地がなくならないのか?」疑問に思い、世界の米軍基地問題に興味を持ったイタリア人とイギリス人若手監督が製作。

年初に、日本でも4月から順次ロードショー公開予定という情報を得て是非観たいと思っていた。
京都では「みなみ会館」での上映予定が告知されていたのだがなかなか始まらない。しびれを切らして今日から公開の大阪「七芸(第七芸術劇場)」へ観に行ってきた。


米国防総省2009年次報告書によると、世界38カ国に716の常駐基地があり、25万人の兵士が駐留し、110カ国に米軍が展開している。
本土在留、海洋展開と合わせて米軍兵士の総数は実に140万人超、兵器産業、基地建設産業、衛星・情報・諜報産業、基地周辺サービス産業(米軍基地内には学校、スーパー、映画館、アミューズメント、...なんでもそろってひとつの“町”を形成しているものも多い)、その他利害関係者を含めればこれはもう“原子力ムラ”ならぬ“戦争ムラ”とも言うべき、エネルギー、自動車、食料、情報などと並んで、アメリカに無くてはならないまさに国家戦略“基幹産業”なのだ。


という世界中を侵食している米軍の具体的な数字情報を得られた以外は、少しでもアメリカという国に関心を持って見ている者からすれば、すでに承知というか特に目新しい情報と分析が提示されるわけでもない。問題の掘り下げ方も期待したよりは浅いものであった。

しかしその浅さを差し引いても、製作者がこの映画で提示したメッセージは的確であった。

「アメリカにとっての脅威は、実は共産主義でも、北朝鮮でもイラクでも、テロでもドラッグでもない。
アメリカは今や、なんでもいいから絶えず“敵”を作り戦争を拡大再生産することによってしか国が立ち行かない構造になってしまっていること。そしてそのために大いなる迷惑をこうむっている人たちが世界中にゴマンといること。
そしてアメリカにとっての本当の脅威は、そうした真実に世界中の人々が、とりわけ一般のアメリカ国民が気付いてしまうことなのだ」

沖縄(琉球人)を生贄に差し出して敗戦後を生き延びた軍部、政財界の敗戦当事者はとっくに承知していたし、それを受け継いだ戦後世代の国民だって知っていた。知っていながら知らん振りで“戦争ムラ”に加担してきた恥知らずな日本人は、交付金で甘い汁を吸いながら日和見で手のひらを反した原発立地住民同様、実はもっと罪が深い。

その日本人達は今、一部の“原子力ムラ”の住人を除いて今やトレンドは“反原発”。“一億総反原発”化しつつある。自分たちが放射能を浴びるのはイヤだから原発廃止、再稼動反対!気持ちは理解できないわけではないがなんて身勝手な連中だろう。

「最低でも県外」はどうした?とは言うまい。しかし何も変わらないどころか、あの危ない“男遊び”とやらいうヘリヒコーキまでありがたく受け入れる卑屈さには胸が悪くなる。琉球を植民地とし生贄としてきた歴史を贖罪し、原発廃止にかけるエネルギーの半分でもいいから、「米軍追放20万人集会」くらい開いてもバチは当たらない。

あの橋下氏の言葉で唯一共感できた一言がある。「普天間を関空に移設する」。ついでに福井の原発も大阪港にもってくればよい。「尖閣」を買って普天間と原発を持って行くってのは狭くてちょいとムリか。

 


荒野の七人

2011年09月28日 | 映画(西部劇など)

かつて地方の場末の二番館、三番館いわゆる「名画座」では配給元払い下げの旧作を格安で上映していた。TOHO CINEMASの一部映画館では、「午前十時の映画祭」としてそんな懐かしの「名画座」を再現してくれている。

先週の「荒野の用心棒」に続いて「荒野の七人」を観に行ってきた。世界のKUROSAWAの「七人の侍」に惚れたハリウッドの超大物俳優ユル・ブリンナーが翻案権を買い取って製作したというのはよく知られた話だが、個人的にはそんなに良い出来だとは思わない。130分弱の上映時間の中で7人の用心棒達の生い立ちとキャラクター紹介をしながら物語を進めるのにはかなり無理があり、大味でキャラクターにも物語にも「感動」や「わくわく感」がイマイチ沸いてこないのだ。あれだけの個性派俳優をそろえながらもったいない話だ。

ではなぜわざわざ観にいったのかというと、シリーズの上映予定が知りたかったので。係りの人に尋ねたら「午前十時の映画祭」の説明をしてくれ上映予定表をくれた。それで初めて現代版「名画座」の試みとウェスタンシリーズは実はその一部であることを知らされた。

「午前十時の映画祭」は昨年から始められ今年2回目。1年間に週替わりで50本の名作が上映される。ウェスタンシリーズはその一環で次週より「シェーン」「大いなる西部」と続くたった4回だけ。ウェスタン好きとしては期待しただけにちょっと残念ではあった。まあ、西部劇以外にもかなりの名作が並んでおり、一般1,000円、学生500円で観ることができる企画自体には大いに拍手を送りたい。

すでに上映済みに「アメリカングラフィティ」、「甘い生活」、「麗しのサブリナ」など、今後の予定に「山猫」、「卒業」など(あくまで個人的好み)。


ウェスタンリターンズ

2011年09月20日 | 映画(西部劇など)

なにげに新聞の映画案内を見ていたら、TOHO CINEMASでなんとあのマカロニウェスタンの名作「荒野の用心棒」を上映しているではありませんか!

もう居ても立ってもいられず、観に行ってきました。DVDも持っていますがやっぱり映画は映画館で観るもの。いやぁ、映画ってほんとにいいものですねえ。

賛否はあるでしょうが、テレビやDVDではマカロニ特有の目を覆うような残酷シーンはカットされていることも多いものだが、今回上映されているものはノーカットだった。これぞマカロニ。いかにもアメリカ的な勧善懲悪、人種差別、そこそこ物語り重視の初期ハリウッドウェスタンとは違ったシンプルなハチャメチャエンターテイメント。

撃ちまくり殺しまくる、殴る蹴る半殺しのリンチ。これでもかの暴力の連続。しかしそうしたシーンもマカロニウェスタンを成立させる一つのパーツ、現実感のない乾いた演出の一つなのだ。イーストウッド愛用のガラガラヘビのコルト45SAA(こうしたディテールはDVDやビデオでは小さくて見えない。映画の大画面ならでは)と彼一流のガン捌き、ウィンチェスター94(92)との対決、苦みばしったポンチョにシガー、荒野を連想させるテーマ曲・・・、たまりませんなあ。

DVD同様著作権切れの恩恵で一般1,000円!もありがたかった。
しかもしかも、予告編に「次回上映作品はあの「荒野の七人」」だと!。KUROSAWAシリーズ?

ウェスタンリターンズ!マンセー!

 


10万年後の安全

2011年08月15日 | 映画(西部劇など)

原題=Into Eternity。2009。デンマーク、スウェーデン、フィンランド、イタリア。

(上映案内パンフレットより)
『フィンランドの地中に世界初の放射性廃棄物の最終処分場が作られている。施設は10万年間保持され、二度と開けられることはないという。しかし誰がそれを保証できるのか?プロジェクトを決定した専門家達に未来の安全性を問う。』

福島原発事故を受けて日本でもロングラン公開されることになった“話題作?”、ということで見に行ったけれど、おおいに期待はずれだった。

「地下に封印された放射性廃棄物を掘り出さないように、いかにして未来の人類にメッセージを伝えるか」について「専門家」に問うインタビューが延々と続く。で結論は「分からない」!?。人類が原発の危険性に今まさに直面しているこの時に、この問いかけ自体あまりにもピンボケだし答など出ようはずもない。

1,500円損した


西部悪人伝

2008年03月08日 | 映画(西部劇など)

 大江のログハウス建築現場から帰ると待望のDVDが届いていた。

 「西部悪人伝 sabata」。私の大好きなリー・バン・クリーフ主演の、マカロニウェスタン末期(1969年)に咲いた典型的な娯楽西部劇。ストーリー自体はハチャメチャだが、クールなようでどこか人間臭さもあわせ持つナイスガイな比類なきキャラクターを完成させたリー・バン・クリーフの魅力いっぱいの西部劇だ。
 DVDは2003年の発売だが、コアなファンにしか売れないと見られたためか発売数が少なく、今となってはほぼ絶版状態だった。ずっと探していたのだがやっと見つけた。定価の3倍ものプレミアムが付いていたが、これを逃したらもう無いと思ってエイやっと買ってしまった。

 西部のとある町で起きた銀行強盗事件。ならず者を雇って強盗をさせた真犯人は町の有力者、牧場主のステンゲル、判事のオハラ、酒場のオーナーファーガソンの3人。町に鉄道が敷かれる計画を知った3人は、強盗で手に入れた資金で鉄道予定地を買占め、更なる一儲けを企んでいた。
 町を通りかかったリー・バン・クリーフ演じる流れ者sabata(あまりヒーローっぽくないヘンな名前だがイタリア人にはカッコいい名前なのだろう)は、一人で10数人の強盗犯をすべて倒し金庫も取り返して戻ってくる。
 sabataの超人的ガンファイトや隠し銃口付きデリンジャー、sabataから飲み代を恵んでもらった飲んだくれのカリンチャ、水戸黄門に出てくる忍者飛猿のような役どころのインディオ、ライフルが組み込まれた仕込み杖ならぬ“仕込みバンジョー”の使い手バンジョー(そのまんまやないか)がからみ、黒幕の悪役3人組と戦いを繰り広げる。貴族気取りのステンゲルは、sabataとの甲冑ごしの決闘で、卑怯な仕掛けを見破られあえない最期を遂げる。最後にsabataは、バンジョーとの“偽装”決闘にオハラの金を賭けさせ、撃たれたふりをして掛け金もせしめるのだが、その金はバンジョーたちに全てやっていずこかへと去っていく..。

 ゲイジュツとしての映画を求める向きには駄作この上ないだろう。しかし私は、「七人の侍」をパクった「荒野の七人」よりも、「水戸黄門」的娯楽性をもってリー・バン・クリーフのキャラクターを最大限に生かしきった、西部劇らしい西部劇だと思っている。


「ジェシー・ジェームズの暗殺」

2008年01月29日 | 映画(西部劇など)

 (アメリカでは超)有名な、南北戦争直後の無法者ジェシー・ジェームズを描いた映画である。「あのブラット・ビットが西部劇」を製作というふれ込みにひかれて観に行ってきた。
 ジェシー・ジェームズは実在の人物で、伝えられるところでは40人前後の銀行強盗団の頭で義賊であったとされており、日本で言えば「石川五右衛門」といったところだろうか。映画に描かれているように、手下がその強権的支配に慄いたかあるいは首に懸けられた賞金に目が眩んだのかは定かではないが、後に手下によって暗殺された。享年34歳であった。
 義賊伝説ができあがった背景には、南北戦争の遺恨が影響していたと思われる。もともと南軍の一員であったジェシー・ジェームズ一味は主に旧北軍地域の銀行などを襲ったため、南北戦争に敗北した旧南軍地域の人々は彼の「活躍?」で溜飲を下げ、義賊伝説が生まれるきっかけとなったのだろう。
 彼の物語は、過去にもいろいろな人物像で映画化されている。単純に粗暴なギャング団の首領であったり、これも実在の兄フランクとのコンビで南北戦争後の沈滞ムードにある南部にあって南部の英雄であったり...。

 今回観てきた「ジェシー・ジェームズの暗殺」は、原作に惚れ込んだブラット・ビットが製作者の一員となり主演もこなすという力の入れようである。ロバート・レッドフォードの再来と言われ二枚目俳優としてはすでに確固たる地位を築いているピットだが、この映画では性格俳優としての実力をも遺憾なく発揮していると思えた。
 善であれ悪であれ、どんな精神的重圧にも全く影響されない完全無欠に強いリーダーなどというのは現実世界ではありえないが、西部劇、特にマカロニウェスタンでは、そんな底は浅いが安心して見ていられる人物が多い。水戸黄門や遠山の金さんみたいなものだ。まあ、そこが娯楽作品の娯楽作品たる所以なのだが。初期のハリウッドウェスタンでは単なるガンアクション痛快活劇でもない作品、例えば名作とされるジョン・ウェインの「駅馬車」やクーパーの「真昼の決闘」などもあることはあった。前者では乗り合わせた複数のキャラクターの絡みをうまく描いていたり、後者では大衆心理を描いたりというのもあったが、所詮底は浅かった。

 しかし、この映画でピットは、強盗団の首領という、虚勢を張ってでも強くあらねばならず、取り巻く配下にも心を許せず猜疑心にさいなまれる、重圧のかかるある意味ナイーブな立場の人物の人間としてのリアルな心の内をよく表現していると思う。暗殺される場面では、むしろそれを望んでいるかのように振舞うジェシーを演じるピット。私の中では確かにジェシー・ジェームズのイメージといえばブラット・ビットのジェシー・ジェームズというふうにはなった。ブラット・ビットという俳優には、女性好みの二枚目俳優の一人くらいの意識しかなかったが、今後の作品を見てみたいという興味がわいた。
 時代背景はまさしく「ウェスタン」ではあるが、もはや単純痛快ないわゆる西部劇ではない。映画を通して表現したかったものの質は異なるが、以前紹介したイーストウッドの「許されざるもの」も西部劇であって西部劇でない、新しい西部劇を提示して見せてくれた。70年代初頭、マカロニウェスタンの衰退とともに西部劇は終わったとされている。西部劇ファンとしては、あの時代背景を利用しつつ視点を変えて現代にも通ずる人物描写、人間分析を見せてくれる新しい西部劇の登場に期待するのはしすぎであろうか。

 余談ではあるが、ジェシー・ジェームズが暗殺された前年(1881年)にはあの有名なワープ兄弟+ドク・ホリディvsクラントン一家の「OKコラルの決闘」があった。
 さらに余談ながら、ピットの二人目の奥様アンジェリーナ・ジョリー(トゥームレイダーなど。あの唇は魅力的)が2人目の子供(双子とのうわさあり2、3人目?)を妊娠中とのニュースが最近流れた。
 


いのちの食べかた

2008年01月18日 | 映画(西部劇など)

 以前、私はバイオテクノロジー関連の職場にいたので、その方面の話題はついつい気になる。10年位前、モンサントがバイオベンチャーから買い取った特許「ターミネータージーン」で農産物支配を目論んだことがあった。利潤第一の市場経済の下では当然の戦略ではあるが、そうしたイデオロギーによってバイオをはじめとした技術がどのように利用されうるのかということを、古くは原爆や最近では血液製剤の例をひくまでもなく、思い知らされたものであった。

 アメリカでは、クローン牛、豚、山羊などを食用に供することをFDAが承認することになったそうだ。もっとも、アメリカでも消費者の間ではクローン家畜の安全性に対する不安は根強いらしいから、実際に販売されるかどうかについてはまだまだ紆余曲折があるだろうと予測されている。そのくせBS牛や遺伝子組み換え大豆、トウモロコシを買えと日本には押し付けてくるのだから勝手なものだが。
 クローン家畜は、すでにオーストラリアやニュージーランドでは認可されているが、遺伝子組換えのように表示の義務はないから、日本に入ってきているオーストラリア肉がクローンかどうかは日本の消費者には分からない。アメリカでも「表示義務はない」というのがFDAの今のところの見解だ。

 南の海では、実は自分達が目立つことにしか興味がない、おバカな「環境保護?」団体が「鯨を取るな」とTVバラエティーのようなおかしなパフォーマンスをやっていた。あんた達は「いのちを食べること」の重みについて、もっと真剣に考えてからものを言うべきだ。
 日ごろは何も考えずそこらに用意された普通のものを飽食しながら、時々遊び半分にもっともらしい理屈を付けて「ゲテモノ食い」や「珍味食い」をして喜んでいる、アンタもだよ。

 映画「いのちの食べかた」を観てきた。
 私達が日頃食べている食品素材は、どのような過程を経て私達の口に入るのか、ドキュメンタリーで淡々と追った作品だ。映画自体からは直接的なメッセージが発せられるわけではない。暗黙に発せられるメッセージは「これを見てあなたは何を感じ考えますか」というわけだ。
 しかし、その問いかけはずっしりと重い。ブログなどでこの映画に触れているものの中には、あまりの重さに耐え切れず、要旨「そんなこと言ったって食べなきゃ生きていけないんだからしょうがないだろう」と開き直っているものも多い。このブログでも書いたが、私自身も、田舎で「駆除?」された鹿や猪の肉を食したり、分けてもらって燻製を作ったりしている。ご多分にもれず自分で捌くわけでもなく..。反省(._.)ノ。

 「スプラッター映画」というジャンルがある(ジャンルとして一般認知されているのかは知らないが)。「食人帝国」「死霊のはらわた」「サンゲリア」...何本か見たことがある。実は、最初にこの映画のタイトルを見たときは、スプラッターものかと思った。しかし違った。ジャンルとしてはドキュメンタリーで、映像的にいわゆる「これでもか」的なグロさは全くない。見方によってはむしろ「詩情あふれる作品」と受け取れないこともないほどだ。しかし、日常の食事、特に肉食において、その出所に少しでも思いをはせたことのある人なら、この映画になんとも言えない居心地の悪さを感じることだろう。私もそうだった。
 この映画を見終わった後には、スプラッターものを見た後の「怖い、気持ち悪いけれど所詮はありえない、私には関係ない」的な安心感はない。見たくなかった、関わりたくなかった現実、事実を突きつけられたときの、あの居心地の悪さがつきまとう。「しょうがないじゃん」「♪そんなの関係ねえ」で逃げるのは簡単だ。しかし、「食の安全」「自給率」「飽食と飢餓の格差世界」「世界の人口増加と途上国の「発展」、それに伴う食糧需要の爆発的増加」など、食にまつわる問題噴出の今日、この映画を見て考えなければならないことはたくさんある。

 最近、食の(≒食糧)問題では私自身も考えさせられることは多いが、政治的な問題なんかよりもプリミティブすぎて、政治や経済のようには人間の思惑的動機で解明しにくいところもあり逆に難しい。「クローン」や「遺伝子組換え」が直ちに悪いの良いのと判断できない難しさがある。今のところ、私としては一庶民のできるささやかな食対策として、将来窮しても自らの食い扶持だけは確保できるようにしておくくらいしかないのだが、食まで自分の欲のために利用しようとする人間にだけはならないようにしようと思う。


西部に飛行機?

2008年01月11日 | 映画(西部劇など)
 前の日曜日、ホームセンターでバッタもん?のDVDを売っていた。480円に惹かれて見に行くと、たくさんの映画タイトルに混じって懐かしい映画が、あった!子供の頃、日曜洋画劇場か何かでどきどきしながら見たかすかな記憶が呼び覚まされ、ついつい買いあさってしまった。TUTAYAなんかでまともに買えば2,000円とか4,000円とかするからまあ安い買い物だった。で、今週は西部劇三昧であった^_^;。これらのタイトルはいわゆるB級マカロニウェスタン以前の正統派“ハリウッド”ウェスタン?だ。ジョン・ウェイン、ゲーリー・クーパー、ジェームズ・スチュアート、ヘンリー・フォンダ、カーク・ダグラスにアンソニー・クイン...、女優陣ではあのマレーネ・ディートリッヒにかけだしの若きグレース・ケリー...。グレース・ケリーの近寄りがたい美貌は鳥肌ものだ。

 で、真ん中の「真昼の決闘」。アカデミー主演男優賞作品で、私の大好きなリー・バン・クリーフのちょい役初期出演作だ。まだ若いバン・クリーフは、「夕陽のガンマン」や「怒りの荒野」で見せた円熟期の迫力もまだなく、いかにも切られ役といったチンピラ風情で、映っている時間は案外長いがセリフも一言しかしゃべらせてもらっていない。
 それはさておき、上映早々仰天してしまった!
以前保安官のゲーリー・クーパーに監獄にぶち込まれたならず者のボスが釈放されて戻ってくるのを、リー・バン・クリーフともうひとりの子分が駅で待っているシーン。なんと、はるか上空かすかに飛行機が飛んでいるのだ!ライト兄弟の動力機初飛行が20世紀初頭だから、この時代に飛行機が飛んでいるはずがない!おそらくロケ時に偶然通りかかった飛行機が映りこんでしまったものだろう。映画製作者も気づかなかったのだろうか?それとも何らかの事情で見切り発車してしまったのか。これはトリビアだ!残念ながら番組はもう終わってしまったが。