WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

琉球戦国列伝

2022年10月22日 | 面白かった本

古琉球と呼ばれる15世紀、ヤマトの戦国時代に先んじて琉球にも戦国時代があった。琉球というそれほど広くはないがその海洋地勢的位置から貿易で栄え、その富をもととした波乱万丈の目くるめくような勢力争いと権力の変遷、登場人物の多さは「三国志」にも匹敵する物語と言われている。

しかし、学校教科「地理歴史」「日本史」まして「世界史」でもほとんど取り上げられることはない。日本のとりわけ「本土」の人たちには琉球史あるいは沖縄史といっても凄惨な沖縄戦と戦後の米軍基地をめぐる現代史、いわゆる「アメリカ世」くらいの知識しか持たないのではないか。実際、私自身もそうだった。

沖縄音楽に触れハマってしまってから、その歴史にも興味を持つようになった。戦中戦後史に関しては多くの書物があるが19世紀以前の歴史について一般向けにも分かりやすく書かれたものはあまりない。
そんな中で古琉球の戦国時代100年ほどに限ってだが、琉球の歴史の中でも最もダイナミックであったろう時代を、一般初心者にも分かりやすく解説されている。帯にも「波乱万丈の琉球史、初めの一冊」とある。デジタルとビジュアルに親しむ現代人向けにイラスト中心のビジュアルと簡潔明快な分かりやすい解説は、入門書として出色ではないかと思う。amazonでも入手可能。

NHK大河ドラマの素材としても、この魅力的な古琉球戦国時代が取り上げられていないのが不思議なくらいだ。大河ドラマでは、尚氏による琉球統一からおよそ100年後、島津藩と幕府による首里王府解体、琉球のヤマトへの併合「ヤマト世」の始まりを描いた「琉球の風」があるのみである。

表紙と代表的な登場人物をご紹介。初めて古琉球統一を果たした第一尚氏の祖、尚巴志。

古琉球戦国時代のメインアクターたちの中でも中心人物、勝連按司の阿麻和利と中城按司の護佐丸。

戦国の世に翻弄された悲運の王女百度踏揚。「おもろそうし」に当時の記録を残した唄三線の祖赤犬子。

尚氏の家臣であったがクーデターで第一尚氏時代を終焉させ、自ら即位した第二尚氏の祖、尚円王。

 


沖縄戦 546日を歩く

2022年05月24日 | 面白かった本


太平洋戦争末期の沖縄戦についてはよく取り上げられ衆知となっている。しかしそれはあくまで本島、とりわけ南部での玉砕、自決、日本軍による県民虐待といった出来事が中心である。6月23日が沖縄戦終結の日とされている。しかしそれは本島の話、周辺の離島では本島との往来を閉ざされ、6月23日以降も終戦を知らされず食糧も無く多数が餓死、負傷病死した地獄があったことはほとんど知られていない。そんなダークな歴史にも丹念に迫ったドキュメンタリーである。

悲惨だった沖縄戦はじめ、中東、ウクライナのように今も世界中のどこかで絶えず起こっている戦争、紛争から、私たちが学び考えるべきことは何だろうか? それは単純に「いかに戦争を起こさないようにするか」ではないだろうか、という著者の問いかけである。

「平和」「安全保障」を守るために今大きく「争われている?」2大代表論は、軍事力増強と軍事同盟の「抑止力」に頼るのか、あるいは憲法9条のような不戦宣言と他国への「信頼」に頼るのか、である。
ただ、「抑止力」に頼る方法は「武力」「戦争」を前提としていることだけは確かだ。

amazonのレビュー投稿の多くが誤解しているように、著者は決して「中立」の立場ではない。近年の「抑止力」に頼ろうとする傾向には明確に危惧を表明されている。
しかし取材の中で、「武力増強(=抑止力)反対・9条擁護」派の交通妨害など県民生活への支障を無視した行動に眉をひそめる県民もいることを指摘。普通の生活者としての県民の頭越しに行われる「争い」には疑問を呈している。

紛争が起これば当然ながら敵の軍事基地と武力は必ず攻撃対象になる、
現代では、敵の武力と中枢をたたくのはOKだが、民間人を攻撃するのは違反(戦争犯罪?)などといった、暗黙の了解のような妙な「戦争ルール?」が出来上がってしまっている。そもそも戦争の本質は「壊し合い、殺し合いの犯罪合戦」だということが忘れられてしまっている。

しかもプーチンロシアのように「ネオナチとの闘い」などと都合の良い一方的「大義」を立ててそんな「戦争ルール」さえも無視する「狂気」のような権力者が現れれば「抑止力」もへったくれも無く、「信頼に基づく不戦宣言」など絵に描いた餅でしかない事態も起こりうるのだ。

人間同士の争いがなぜ起こるのか?言い分の違いを武力以外の方法で解決するために何が必要か?世界中から武器、軍隊、戦争を無くすために何をすべきか?すべての地球人が考え、実践しない限り解決はないだろう。


「勘違いの日本語」

2021年10月13日 | 面白かった本

こんなことを書くと「自分も年寄りになったんだなあ」と、あらためて感慨深いものがあるのですが…、

近ごろの、とりわけ若い者の言葉遣いを聞くたびになんか違和感を覚えざるを得ません。例えば何でもかんでも「ヤバイ」「カワイイ」の一言で片づける風潮など。「別に通じてればいいじゃん、うっせーわ!」という声が飛んできそうですが、言葉の貧困は文化の貧困につながる気がしてしまうのです。

BookOffで見つけた。帯にあるようにまさに「目からウロコ」でした。
有為だったか無為だったかはおいといて、それなりに長い年月を生きて来た私のような年寄りでも、勘違いして使っていた日本語のいかに多いことか。生涯勉強ですね。

家族や親しい人同士ならば多少言葉遣いがおかしくても通じればそれでいいかもしれません。しかし、社会生活をおくる上では、時には親しくない他人や顧客、目上の人など気遣いの必要な場面も少なくありません。多少おかしくても時代の流れで慣用され、社会的にもある程度許容されている言葉であっても、本来の意味、使い方を知ったうえで使えれば、赤っ恥をかいたり無用な摩擦を生じさせることも防げるでしょう。

本の内容からいくつか例をあげてみます。

ーーーーーー ケース1 ーーーーーー
会社の受付で社長との面会を求めた来客にアポイントメントの有無を確かめる言葉として適切なのはどれですか。

1.失礼ですが、ご来社のお約束をなさっていますか。
2.失礼ですが、ご来社のお約束がございますか。
3.失礼ですが、ご来社のお約束をしていらっしゃいますか。
4.失礼ですが、ご来社のお約束をしていますか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日本語において、言葉遣いでもっとも問題となることが多いのが「敬語・謙譲語」の使い方です。
正解は2.だそうです。
この例では、「相手がちゃんと面会の約束をして訪問してきたかどうか」をたずねる1.3.4.のニュアンスは、相手に不快感を抱かせかえって失礼になってしまう。そこで相手の行為には触れず「約束という非人格的なものだけを問う」2.が正解なのだとか。言われてみれば確かにそんな気はします。

ーーーーーー ケース2 ーーーーーー
お母さん同士の会話で、娘さんがコンクールで優勝したお母さんに向かって、
「お嬢さんがコンクルールで優勝なさったんですって?蛙の子は蛙ね。おめでとう。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このお母さんは「優秀なお母さんのお嬢さんはやっぱり優秀なのね」とお世辞?を言いたかったのですが、「蛙の子は蛙」は「凡人の子は凡人」とのニュアンスだというのです。

ーーーーーー ケース3 ーーーーーー
スピーチの後に、
「ご静聴ありがとうございました」
これは発声上は問題ないのですが、大きな問題があるというのです。何が問題なのでしょうか?

「ご静聴ありがとうございました」=「静かに聴いていただいてありがとうございました」
の気持ちで言ってしまっているところに問題がある。聴衆にスピーチを聞いていただく立場の者が、聴衆の”聴く態度”を「静かに聴いていただきありがとう」などと評価するのは失礼にあたるということです。

正解は、「ご清聴ありがとうございました」。

「ご清聴」は「話をお聴きくださること」の意であり、そのことに「感謝する=ありがとうございます」が正解。気持ちとそれをあらわす漢字の使い方の問題で、発声上は同じですから実際の場面ではまず問題にはならないでしょうが、あいさつ文の下書きやアンチョコを準備するにあたっては知っておくべきでしょう。万一、知識のある方に下書きやアンチョコの間違った文字を見られてしまうと教養を疑われ、知らぬは本人のみということにもなりかねません。


おまけ
もう一冊買ったのですが、しおり代わりの売上票が挟まれていたページが笑えましたw。

 


「赤毛のアン」シリーズ

2021年03月25日 | 面白かった本

昨年秋にTV放映された「Anne with An E」(「アンという名の少女」)に触発されて、昨年11月頃から読み始めた「赤毛のアン」シリーズ。やっと全巻、読了しました。シリーズがバラバラなのは、各編を最安の古書で安くあげたかったのと、いろんな方の翻訳を読み比べてみたかったという理由もあります。

やはり一般によく知られている「赤毛のアン」のイメージは、想像力豊かで、前向きで、ちょっとおっちょこちょいな少女アン。農場の働き手として男の子が希望だった、アボンリー村のカスバート兄妹の家、グリーンゲイブルズに孤児院から手違いで連れられてきた女の子。兄のマシュー・カスバートはアンを気に入り養子に迎えようと考えるが、妹のマリラは乗り気ではない。しかし、やがてはマリラもアンを好きになる。

学校へ通い始めたアンは、すぐにダイアナという少女と意気投合し親友となる。想像力豊かなアンは、グリーンゲイブルズ周辺の美しい森や川や湖や道に夢見心地の名前を付けて回る。
一方でいろいろと事件を起こす。アン好きなら誰もが知っている有名な事件、アンに興味を持ったギルバート・ブライス(将来の伴侶)は何とかアンの気を引こうとアンの赤毛をからかうが、アンに学習用の石板で叩かれ石板は割れてしまう。
「やーい、にんじん」

「なにすんのよ!」

バッシーン!

その後数年、ある事件を機にギルバートの恋心に気づくまで、アンはギルバートとは口も利かないようになる。

事件は他にも。瘦せて赤毛のアンの容姿をついついイジってしまった近所のリンド夫人と喧嘩してマリラを困らせたり、ダイアナにジュースと間違えてお酒を飲ませたり、ケーキ作りを失敗したり...。
でも一方で、両親が留守のダイアナの妹が病気で苦しんでいるときには孤児院で経験したやり方で命を救ったり、火事を出した家に水をかぶって飛び込み逃げ遅れた子を助けたりと、持ち前の行動力で大活躍もする。

ある時、赤毛を気にしていたアンは、怪しい行商人から毛染めを買ってしまう。染めた毛は、アンの思い通りになるどころか緑っぽい変な色に。

驚いたマリラはアンの長い髪を短く切ってしまい、アンは学校で惨めな思いをすることに。でも、ギルバートはそんなアンをからかったりせず優しく見守る。ギルバートとクリスマスを祝うアン。

川で乗ったボートが流されて橋のたもとにしがみついていたアンをギルバートが助けてくれる。石板事件以来、まだギルバートを許せないアンだったが、なんとなく気持ちに変化が…。
アン11歳から15歳、この辺りまでがアンシリーズの始まり「Anne of Green Gables」(村岡花子訳邦題「赤毛のアン」)。

続編は、アン16歳から18歳、「Anne of Avonlea」(村岡花子訳邦題「アンの青春」)
村の学校(生徒が少なく小中一緒の、日本で言えば山奥の分校みたいな学校)を卒業したアンは、クィーン学院(村の学校の先生を養成する師範学校みたいな)に進学。ギルバートと1,2番を争う優秀な成績で卒業し、大学進学の奨学金の権利も得るが、マシューが病気で亡くなり進学はあきらめざるを得なくなる。遠くの村の学校の教員になってマリラを助けようとするアン。同様に父を無くして経済的に大学進学が難しかったギルバートは、アボンリー村の学校の先生になって大学進学の学費を蓄えるつもりだった。アンの事情を知ったギルバートは、マリラの元を離れて遠くに行きにくいアンを思いやってアボンリーの先生職をアンに譲り、自分は遠くの村の学校の先生に変更を願い出る。ギルバートの優しさに心打たれたアンは、ギルバートへの好意が愛情へと変わり始めたことに気づく。

ここまでが、児童書としてもよく読まれ、映画化されたりアニメ化されたりで日本はじめ世界中で親しまれている、ちょっとおっちょこちょいで夢見るかわいい女の子「赤毛のアン」の物語である。

2年後、2人は大学へ進学。大学でもお互いのすれ違いなど紆余曲折はあるが、やがてお互いの愛を確かめ合って卒業。アンは高校の校長先生となり、ギルバートは医学生としてさらに2年の勉学に励む。やがて2人は結婚し、「夢の家」で第一子は不幸にして失ってしまうが長男ジェムを得る。
その後は、6人の子供たちの母親となってブライス家を切り盛りする成長した”大人の”アンの物語、関わる人たちや出来事も大人の事情、とりわけ男女の出会いや関係の機微を伴ったオトナの世界へと、明らかに大きく変化することになるのである。
さらに、時代は進み第一次世界大戦、詩の才能豊かな次男ウォルターの戦死、末娘リラの結婚、孫の誕生、次の世界大戦を予感させる不穏な時代へと続いて行くのである。
全編読み通してみて、物語の世界観はクィーン学院前後で明らかに変化している。作者モンゴメリーがアンの一生をとおして本当に表現したかったことは、「Anne of Island」(村岡花子訳邦題「アンの愛情」)以降を読まないと理解できないと強く思った。

 


風柳荘のアン(原題”Anne of Windy Willows”)

2021年01月29日 | 面白かった本

「風柳荘のアン(原題”Anne of Windy Willows”)」はレッドモンド大学を卒業し、サマーサイド高校の校長に着任、「風柳荘」で下宿生活を送る、アン22~25歳のときの物語である。
「アン」シリーズ全体はアン11歳~53歳くらいまでの長編物語で、8巻のエピソード(シーズン)に分けて書かれている。なお、没後発刊された、アン40~75歳くらいまでの番外編「The Blythes Are Quoted」もある。

2017年、エイミーベス・マクナルティ主演でTVドラマ化され、Netfrixでも配信され、昨年NHKでも放送されたのはシーズン3(1,2巻)までで、ここまでは物語順に発刊されている。しかし、それ以降はアンの年代と発刊年は必ずしも一致していない。作者モンゴメリはシーズン3で終えるつもりだったのが、あまりの人気に押されて続編や外伝的な物語を書き続けざるを得なくなるのである。

アンの年齢順にいうと「風柳荘のアン」は第4巻(シーズン5)相当というところ。文春文庫版の訳者、松本侑子さんの解説によるとモンゴメリは日記の中で、本作「風柳荘のアン」は自身「最高傑作の一つ」と書いているそうだ。実際、物語のプロットそのものの面白さに加え、婚約者ギルバートへの手紙形式と物語形式の2本立て構成や、時に必要に応じてアン以外の登場人物の視点で語られる構成の妙や、およそ100年を経てなお”あるある的な”現代にも通ずる人間心理の解き明かしなど、アンシリーズの中でもとりわけ味わいどころ盛りだくさんの傑作であるのは間違いない。
よく知られている「赤毛のアン」と言えば、児童書や映画、アニメとして数々作品化されている、孤児としてもらわれてきたアンの天真爛漫でハチャメチャで明るく元気な子供時代の物語(2巻、シーズン3まで)のイメージが大きいが、「風柳荘のアン」はアンを通して語られた”大人の”物語である。ぜひ味わっておきたい作品である。

見どころの多い作品であるが、現代にも通ずる人間心理のおもしろエピソードを1つご紹介。
アンが下宿する「風柳荘」の住人は、主の2人の未亡人、偏屈だった亭主を好きになれなかった気にしいのチャティおばさんと亭主一筋だった無口なケイトおばさん、そしてケイトおばさんの亡き亭主マコーマー船長の遠戚ではあるが実質、お手伝いさんのレベッカ・デュー。レベッカ・デューはとても興味深い人物で、実情は雇われお手伝いさんではあるけれど、マコーマー船長の遠縁なのでただの家政婦ではないという微妙なプライドを持っており、「風柳荘」は「あたしが仕切っている」と思っている。また、町の人たちもそう見ていた。

「風柳荘」の下宿人希望者にはもう1人、若い銀行員の男性という身持ちの堅い「競争相手」がいた。
アンに「風柳荘」を紹介したブラドック夫人は、2人の未亡人は女教師のアンを下宿させたいだろうが、レベッカ・デューに押されて、てっきり銀行員の方を選ぶだろうと踏んでいたのだ。ところが、どういうわけかアンが選ばれた。そのわけは後に判明するのだが、主の2人の未亡人はレベッカ・デューの性格をよく心得ていて、あえて「銀行員を下宿させたい」と主張したのだ。「仕切りたい」レベッカ・デューは、それに反対してアンを選んだ(選ばされた)というわけなのである。実は「風柳荘」では一事が万事こんな調子で、押されていると見られていた2人の未亡人は、うまくレベッカ・デューの性格を利用して操縦していたのである。


赤毛のアン

2021年01月07日 | 面白かった本

昨年9月~11月、NHK Eテレで「アンという名の少女」というTV映画が放送されました。
みなさんご承知のとおり、有名なカナダの女性作家、L.M.モンゴメリの代表作「赤毛のアン」のTV版です。
もともとの映像版は、動画配信サービスのNetflixが制作し2017年から配信したもの(タイトル「Anne with an E」)で、NHK放送分はその一部(原作第一弾「Anne of Green Gables」に相当)らしい。

手違いでアボンリー村のカスバート家(グリーンゲイブルズ)のマシュー、マリラ兄妹にもらわれてきたみなしごの赤毛の少女アンが、そそっかしさから
周りの人たちといろいろな騒動を起こしつつも、持ち前の明るさと想像力で良い関係を築きながら成長していく物語。

TV映画では、やってきてすぐ生涯の親友となるダイアナや、将来の伴侶となるギルバートと出会い、ご近所や友人たちといろいろな経験を積んでいきます。
そうこうするうち借金でピンチになったカスバート家を何とか救おうと奮闘するアン、結局ダイアナのお金持ちのおばさんの助けとグリーンゲイブルズに下宿人を置くことでなんとか農場を続けられることになるまでが描かれていました。実はこのくだりは原作にはなく、そのためかネット上の評価は散々でした。

原作ではカスバート家は、TV版のように借金でピンチになるのではなく、アンがクイーン学院(師範学校?)をトップの成績で卒業し大学への奨学金を獲得した直後、マシューが亡くなってしまっい、農場とグリーンゲイブルズの家を続けることがピンチになるのですが、そのピンチをどう乗り切るのかは原作に譲ります。
この原作第一弾「Anne of Green Gables
」がバカ売れし、読者の熱望に押されてモンゴメリさんは、「Anne of Avonlea」以下続編を次々と書くことになるわけです。

日本では、NHK朝ドラのモデルにもなった村岡花子さんの訳(1950年代)が有名ですが、その後も数人の翻訳家の方の仕事を含めて多くの出版社からシリーズが出版されています。ちなみに村岡さんの新潮文庫版の例では全11巻(12冊)です。
本作はカナダよりもむしろ日本での人気の方が高いと言われているくらいで、舞台となったカナダ、プリンスエドワード島には今も日本から多くの観光客が訪れるそうです。
(amazonより)

私は、小説「赤毛のアン」と前段の話の概要くらいは知っていましたが、それほど興味があったわけでもなく、ムスメが観ていたのでなんとなくつられて一緒に観ていました。ところが、アン役の少女がピッタリはまりすぎていてもう、アンのイメージそのもの、まるで当時こんなアンという少女が実在したかのような存在感に、アン役の女優さん(エイミーベス・マクナルティ)にすっかり惹きこまれてしまいました。もうこの一点だけで価値あり。


アンとマリラ(YouTubeより)

で、第一弾の「Anne of Green Gables」以降の続編も読んでみたくなり、Amazonで中古の最安値を中心に各社のシリーズから寄せ集めて、コロナ禍の”徒然なるままに”読んでおります。
あらためて読んでみると面白くてはまってしまいました。ま、中にはイマイチ没入できない巻もあるにはありますが。

 


「明智光秀の生涯と丹波 福知山」

2020年05月17日 | 面白かった本

「明智光秀の生涯と丹波 福知山」(明智光秀解説本刊行会議)発行:福知山市役所

NHK大河ドラマ「麒麟が来る」、快調のようですが、その大河ドラマ誘致を目的として刊行されたそうな。
ログハウスお手伝いの宿所に置かれていたのでなんとなく手に取ったのですが、身びいきではなく歴史資料を丹念に追って書かれており、カラーの写真や図版も使って分かりやすく興味を持てるように書かれており、歴史書としてとても良くできた本です。大河ドラマに合わせて読むとより興味深く理解も深まると思います。

<私の光秀評>
光秀はなぜ謀反を起こしたか?
光秀は超保守派の官房長官。信長の革新志向についていけなくなった。

封建制度下での群雄割拠の戦国時代、大名たちの国経営の基本的な考え方は、まずは「自国の強化、富国化」であり、日本の外の地球世界各国に対向して日本という国を支配、経営するという発想(麒麟が来る)はほとんど無かった。

一方、朝廷や、形としては朝廷に従い武家による荘園分国をまとめる役割を負っていた将軍(家)は、一部の荘園分国が強大化して支配が及ばなくなることには相当な脅威を感じていたはず。そこで、荘園分国をコントロール可能な勢力範囲に留めておきたいという点で一致した朝廷と将軍家は、手を結んで強大化しそうな大名の弱体化ないしは排除を計ったと考える。

光秀は基本的には超保守派で、朝廷(天皇)の存在は絶対であり、将軍は朝廷の武家分国支配を強力に補佐するのが役割と考えていた。だからこそ、ある意味革新派で朝廷(天皇)制度を(利用はするが)軽視して、個人の強権での国家統一を指向した信長を脅威に感じ許せなかったのではなかろうか。
「麒麟」であろうとした信長に対し、光秀はむしろ「麒麟など来てもらっては困る」派だった。NHK大河ドラマでは、まだ「麒麟」に対する考え方は見えてきていないが、少なくとも光秀の立場と考え方からはタイトルは、「麒麟が来る」ではなく「麒麟など来るな!」だった。もっともそれでは視聴率は取れないだろうが。

世界の中での日本国という考え方が、日本史の中で現れてくるのは信長あたりからで、秀吉は明確に世界に目を向けた富国化、強国化を意識していたであろうことは史実からもうかがわれる。
そうした観点からは、徳川時代は日本国としてはむしろ保守化、孤立化の時代へ少し逆戻りした時代であった。だからこそ朝廷ともお互い持ちつ持たれつ共存共栄で300年近い「太平の世」を継続できたのだ。
その鎖国太平の世であったればこそ独自の多様な大衆的日本文化をも花開かせることができた。しかしその一方で、欧米各国の、特に科学や技術革新面での進歩からは大幅に後れを取ることになってしまった。結果、明治維新後から現代までの日本人の心にそのトラウマ的影響、皇国史観を残すことになったのではある。
天皇制度(朝廷)は、時代ごとの強弱こそあれ、いまだに日本人の国と民族意識の根底として脈々として浸透、受け継がれており、現代も含めていつの時代にもこのせめぎあいが日本の政治と国家経営の底流となっているのである。この呪縛から逃れない限り日本の新しい未来は開かれないし、「麒麟」も来ないだろう。

 


忖度社会、日本

2020年03月06日 | 面白かった本

世間は今、コロナウィルス騒ぎで持ちきりだ。
安倍首相は、今度ばかりは政権維持と未だ無い実績作りに焦って、習近平首相や味方と認じていた”右”の方々に”忖度”の板挟みとなってしまった結果、ピンチに陥っているようだ。

ところで昨年、”持ちきり”であったあの話題、「表現の不自由展 その後」は”その後”どうなったのだろう?
実行委員会と愛知県知事は同様に”忖度”の板挟みとなった結果、期間、入場者、外部発信などに制限を課した戒厳・限定開催となったのであったが、両陣営とも疲れたのか飽きたのか、その後はウヤムヤのまま鎮静化してしまった。

さて、そんな”忖度”が幅を利かせる日本社会だが、そのような日本人の思考気質を「放送禁止」という視点から解析した本である。発刊からすでに20年が経過しているが、全く成長していない日本人の”忖度”思考体質を考察する上で参考になる。


「下鴨納涼古本まつり」

2019年08月12日 | 面白かった本

下鴨神社で開催中の、毎年恒例「下鴨納涼古本まつり」に行ってきました。けっこうな人出。

絵本の読み聞かせ会。
 猛暑の中、子供たちが一心に見入っていて、なかなか大盛況でした。 テレビやゲームに子守りさせるのでなく、親がちゃんと子供に向き合えるゆとりのある世の中になってほしいものです。

 

 

 

8/17-9/2に「下鴨神社 糺の森の光の祭」というライトアップイベントが行われるらしく、準備が進められていました。デッカイ、恐竜のタマゴみたいな行燈がたくさん並べられていて、昨年の「木津川アート」を思い出しました。
ケチをつけるつもりはないけど、なんか陳腐感漂うイベントだなあ。あ、しっかりケチつけてるやんか^^。ジジイの特質ですな。

 

 

猛暑の中、探し回って面白そうなのを4冊ゲットしました。

 

「五日市憲法草案」
「憲法」に関わる事件、話題が多いこの頃ですが、軍部と天皇独裁の明治時代、国民主権を基本にした、現憲法につながる憲法草案を起草した民間人たちの奮闘を数々の記録や証言で追ったドキュメンタリー。
なにより勇気あることに、美智子上皇后がその価値を大いに評価する感想を述べられたという。現代の皇室は、”ネトウヨ”なんかより、実はよほどまともなのかもしれない。ただし、それを口にする「表現の自由」を、彼らは抑圧制限されているのだが。

「カエル」
カエルにこだわって、その種類や生態を子供にも分かりやすく解説した素晴らしい本だと思います。多種類のカエルのカラー写真は大いに興味をそそられます。カエルの病気診断、治療法解説まであり、著者のカエル愛がひしひしと伝わってくる。

「回転寿司おもしろ大百科」
誰もがよく知っている回転寿司をテーマに、厨房で働く人たちや業界の歴史、生産業者、加工業者、魚の種類、用語や魚の漢字にいたるまで幅広く、ふんだんな写真と図解で面白く楽しく読ませる。子供向けだが大人が読んでも十分惹きこまれるし勉強にもなる。

「十二世紀のアニメーション」
アニメの巨匠のひとり、あの「風の谷のナウシカ」他、数々の名作を生みだした高畑勲監督の本。時節柄すぐ目に留まった。
なぜ日本でこんなにマンガ、アニメ文化が隆盛になったのか?を、12世紀ころの日本独自の絵巻物文化から考察している。
筆による繊細な線描表現と、絵巻物形式による物語描写は日本独特の発明であり、後世の北斎漫画や浮世絵へ、さらにはマンガ、アニメへと発展、継承されていく。
西洋にもデッサンや近世以降のカトゥーンなど線描表現はあるが、あくまで絵の具などによる描画芸術の下絵や俗っぽい表現手段として、アートの主流とはなりえなかった。
こんな価値ある書物が無造作に積み上げられている、古本一の面目躍如というか、まさに掘り出し物を掘り当てた気持ちで嬉しくなった。

 


「あの日」小保方晴子 読みました

2016年02月07日 | 面白かった本

すでに読んだ方はお気づきでしょうが、この本を書いたのは間違いなく小保方さんではない。まあ、言うなら小保方弁護団によって都合よく書かれた聞き書き「供述調書」ないしは小保方裁判員裁判(裁判員は国民)の弁護側口頭弁論ですね。
若山さんや理研関係者の発言の時系列の矛盾を突くロジック立ては弁護士ならではのもの、オボこいオボちゃんの発想ではない。また、時には気を失うほど心身ともにヨレヨレだったと主張するオボちゃんにしては、事象や関係者の発言に対する記憶は妙に鮮明詳細。この矛盾に頭のよい弁護士さん達が気付いていないのが不思議です。
オボちゃんに対しては、「この上印税で儲けようと言うのか」という追い撃ちの声もありますが、論文を取下げ、理研をクビになり、博士号も取り上げられ、何一つ守れなかった負け戦の弁護団としては、何とか落としどころを設けてもう終わらせたかったのでしょう。それがこの出版の最大の動機な気がします。

世間の書評では、オボちゃんが若山さんに罪をなすりつけて責任のがれしようとしている、自己偏愛のヒドイやつ というのが大方の見方。
私も読む前はどうせそんなところ、"受ける"お笑い本として楽しませてもらうつもりでした。でも、やっぱり判断は予断でなくちゃんと読んであげてからすべきとちょっと反省しました。

この本からはstap細胞事件の真実は分かりません。しかし、三つのことは読み取れました。
その1 いまさらですが、研究業界というのも企業その他同様ドロドロとした競争社会であるということ。
その2 「未分化で非成熟なstap細胞オボちゃん」は、そんな競争社会に利用され混乱を持ち込んだだけの存在であったこと。
その3 そんなオボちゃんを利用し弄び、骨までしゃぶり尽くした三つの集団が存在したこと。

1.stap現象(細胞)があったかどうかはともかく、もしあればの世紀の大発見を我が成果にせんと群がった研究者達、
2.悪いことなのには決まっているけど、コピペ、差し替え、捏造などアラネタを探しまくって喜ぶオタク達、
3.そうやってボロボロにされたオボちゃんの残りの肉をしゃぶり尽くさんと近づいてきた、街金・ハイエナのような弁護士集団にマスコミ、
野次馬根性で見ていた私もその一人とちょっと反省😅

そして最後の仕上げ、漁夫の利をさらったのが講談社。
まあ、意外と結構面白く読ませてはもらいました。こんな駄本に印税を取らせるのはバカバカしいという向きにはお貸ししますよ。

さてオボちゃんは印税をどう使うのだろう?


「人間の分際」(曽野綾子)

2016年01月03日 | 面白かった本

が売れているそうである。40万部近いらしい。
私がこの本に興味を持ったのは、帯のキャッチコピー、

「やればできる」というのは、とんでもない思い上がり。
「いくら努力したところでダメなものはダメ」という、学校の先生やPTA、スポーツや実業界、科学などでいわゆる"勝ち組"になれた方々が聞いたらひっくり返りそうな明快な“言い切り”であった。他の40万人もおそらくこのコピーに惹かれてこの本を手に取ったのだろう。

私は曽野綾子氏を嫌いである。しかし、私は心が広いので、嫌いなやつの書いた本でも興味を惹かれればちゃんと読む

共感できる部分も少しはあった。その第1番目が帯の言葉である。私は、氏の過去の言動から彼女は「"負け組"はただ努力が足りなかった結果である」という考え方のお方だと思っていた。なのでこの本の帯コピーに"?"となって、ついつい手を出してしまったのである。

しかし、その綾子はやっぱりその綾子だった。
「ただ、どんなに運命は不平等でも、人間はその運命に挑戦してできるだけの改変を試みて平等に近づこうとする。それが人間の楽しさである。」(P56-57)はまあ、いいとして、

「...社会主義の思想の強かった国では、自分で仕事を選ぶことも出来なかった。...日本では、何とか頑張れば自分の好きな職業に就ける場合が多い」
んん?今の世の中、「自分の好きな職業に就けている」人がどれほどいるだろうか?「頑張れば自分の好きな職業に就ける、などというほうがとんでもない思い上がり」なのが実態ではないだろうか。

読み進めてみるとことほど左様に、言っている中身が矛盾している場合があまりにも多いのだ。

実は、全体を通読して分かる氏の基本的間な考え方は、実に単純で「自分より恵まれない人々、下を見て自分は幸せだと思え」ということなのである。格差社会の「勝ち組」には都合の良いカビの生えた、ある種宗教特有のイデオロギーでしかない。(ちなみに氏は"ケイケンな"クリスチャン)

氏は、靖国神社に毎年参拝するという。
「あなた方のおかげで日本は戦後××年、平和にやってこられました」と戦没者に報告にいくのだそうである。「安倍首相もおそらくそういう気持ちで参拝しているだろうのに、靖国参拝に反対する奴は何をゴチャゴチャと文句を言うのか、思い上がりもはなはだしい。(P36-37要約、初出は産経新聞のコラム(だよね))」と毒づく。
 頭が良いはずなのに「靖国」の成り立ちとなぜ反発があるのかを理解していない(ふりをしている?)、思い上がりもはなはだしいのは、あなたでしょう。

靖国神社は「国体護持」を掲げるれっきとした“宗教法人”(神道)。
国体とは何か?「建国神話にもとづく皇国」のことである。「皇国の拡大で「アジア共栄圏」を構築する」というのが、当時国民を戦争に動員するためのイデオロギーであった。そんな理念を掲げる神社に時の権力者が参拝することに、酷い目にあわされた周辺諸国が反発するのは当然だろう。
ちなみに、「日本は戦後××年、平和にやってこられました」と純粋な気持ちで戦没者慰霊をしたいのなら、「千鳥ケ淵戦没者墓苑」が宗教ともイデオロギーとも無縁(今のところ)の施設としてあるのはご存知のとおり。

氏の慇懃傲慢な思想を再確認できたという意味では"面白かった"が、買って損したと後悔もさせられた本であった。


 


「宇宙史の中の人間」 海部宣男 講談社+α文庫

2015年12月11日 | 面白かった本

腰痛になってからかれこれ3ヶ月。動けない中時間だけはたっぷりあるので、徒然なるままにいろいろ本を読むことができました。その中からこれはと思った本を紹介いたします。

梶田さんがノーベル賞を受賞し、“あかつき”が5年の時を経て金星周回軌道への移動に成功し、宇宙や地球、生命の誕生の謎の解明がますます期待される昨今、その意義と現状を俯瞰するには最適の本だと思います。

「文庫本まえがき」より、
「1993年に「岩波市民大学講座」『人間の歴史を考える』の一冊として刊行した本書は、人間と宇宙との関わりを宇宙の歴史の中で位置づけてみようという、私なりの試みだった。それから10年経ち、講談社+α文庫に再録したいというお誘いを受けた。・・・・書きなおし書き足しているうち、結果としてかなり大きな改定となった。・・・・この宇宙について、宇宙で生命が生まれた(今も生まれているかもしれない)ことの意味について、そして、宇宙で生まれた人間とその未来について。これからも多くの読者、多くの方々と一緒に、考えてゆきたい。」

人間誰しもが一度は抱く永遠の疑問、「この世、、宇宙や生命、人間の誕生とその存在意義」について、科学(物理学、天文学、生命科学)の視点で解説を試みた本は数あれど、一般人が読みやすく腹にストンと落ちる解説をしている本にはなかなか巡り会いません。

その点本書は、物理学の難しい概念や科学の手法を高校生くらいの知識があれば理解できる言葉遣いで解説し、この壮大なテーマを誰もが俯瞰できるようにしてくれます。しかもややもすれば退屈になりがちな類書と異なり、まるで「スターウォーズ」を観ているかのような物語風の展開で340ページに及ぶ大冊を一気に読ませてくれます。

宇宙史の視点で地球や人間の歴史と存在の意味を考えるとき、テロ、戦争、原発、環境悪化、格差社会といった小さなこと(当事者にとっては大きなことではあるでしょうが)に争い、右往左往している人類がなんとも小さな存在であることかと情けなくもなります。
そんなことごとには関係なく、やがて人類がこの世から消えようが、宇宙の歴史は悠々と何億年も続いていくことでしょう。

本書刊行(2003年)後の最新の宇宙論によれば、宇宙は我々の宇宙だけではなく、あちこちで無数の宇宙がまるで泡のように、億年、兆年の単位で生まれては消えているのだといいます。そんな宇宙のどこかに我々ほど愚かではない人類?が生まれているのかもしれません。せめてこの宇宙に生まれた私達人類が、数ある宇宙の中での失敗作で終わらないことを願います。


「戦国武将人間関係学」を読んで「軍師官兵衛」を“視る”

2014年06月24日 | 面白かった本

20年位前だったと思いますが、通勤電車の暇つぶしに読もうと買ってちょこっと読んだまま“積ん読”になっていた本。

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」を視ていて、「そう言えば..」と思い出して引っ張り出して読んでみました。
戦国時代の、信長、秀吉、家康とその周辺の武将達の出所、性格、人間関係と自国の管理術を現代の企業になぞらえて比較、教訓を論じた本です。

考察している時代が戦国時代である上、文庫としての発刊が1984年(30年も前!、単行本初刊はさらに古く1975年!)ともはや古書の領域に入りつつあるような書ですが、改めて読んでみるとこれが結構今でも通用するような内容なのです。
amazonでは中古本が1円で売られてました。

TVの「軍師官兵衛」はこの本を元に登場人物のキャラクター作りをしたのではないかと思われるほど本書で語られるキャラクターとそっくりです。これはおそらくこの本もTVの脚本も人物分析の参考にしている書物が共通しているためだと考えられます。

著者はかなりの参考文献を読み通していますが、主文献となっているのは「名将言行録(岡谷繁實)」の他に、「新書太閤記(吉川英治)」、「国盗り物語(司馬遼太郎)」など小説が中心で、フィクションの部分も多分にあると思われます。

しかし、フィクションはやはりフィクションだけに誇張や脚色もあって面白いのは面白い。また、戦国武将の人間関係を現代の企業に置き換えたその分析は、結構当っていると思えるところがあって興味深いです。

歴史(とりわけ戦国時代)好きで「軍師官兵衛」を毎週視ているという方には、是非一度目を通しておかれるとドラマをいっそう面白くしてくれると思います。

ところで話は変わりますが、「TVをみる」というときの「みる」に使用すべき漢字はどの「みる」なのでしょうか?「見る」?、「観る」?、それとも「視る」?。「視聴率」という言葉があるのでこの記事では「TVを視る」としましたが。


ネイティブ・アメリカン

2012年06月04日 | 面白かった本

アーリーン・ハーシュフェルダー著、2000(日本語版2002年BL出版)

北アメリカ大陸の先住民、いわゆるアメリカインディアンの、アメリカ大陸へのヨーロッパ人到来以降を中心とした迫害と抵抗そしてUSAへの同化の歴史の真実を記録した書である。

“人種のるつぼ”USAでは現在、コロンブス後のヨーロッパ移民が最多数を占め、以下20%近くになんなんとするヒスパニック系、10数%のアフリカ系黒人、アジア系移民と続き、ネイティブアメリカンは今や構成員数ではマイノリティに追いやられてしまった。

よく知られているようにアメリカ先住民の遠い祖先はモンゴリアンで日本人とも同系である。彼らは10万年近く前にカムチャッカからアラスカを経由してアメリカ大陸に渡ってきたとされている。
それからの永い永い年月に思いを馳せれば、彼らにも欧州や、中国、日本にも勝るとも劣らない独自の文化的歴史と遺産があるはずなのだが、そのほとんどがたかだか200年あまりの白人を中心としたUSA建国の歴史の中で葬り去られてしまったのである。

黒人、アジア人も迫害はされたが彼らにはまだそのルーツとしての母国と文化は残されている。しかし、ネイティブアメリカンはそのルーツと母国(国土)さえも奪われてしまったのだ。そうした意味でヨーロッパ系移民たちの人類史的犯罪行為の責任は重い。

日本人もアイヌ民族や琉球人に対して同じことをしてきた。国力的にありえないが、万万が一あの戦争に勝利していれば東アジアは日本人によってUSAならぬUSJ(ん?、どっかで聞いたような)と化していただろう。
逆に、負けてアメリカに洗脳された日本人はソ連を否定するが、もしソ連の参戦が無かったならば今頃日本人はネイティブアメリカンの一部族となっていたに違いない。

私は、頼れるものは自分だけという、そのフロンティアスピリットの故に西部開拓史と、真偽はさておき時代の空気を物語化した西部劇(ウェスタン)が大好きである。
しかしそれらが、こと先住民(ネイティブアメリカン)に関しては全く真実を伝えていないし、彼らの豊かな文化と人間性を完全に否定し、野蛮人としてのいびつなイメージを世界に広げる役割りしか果たしてこなかったことも重々承知している。

しかしだからこそウェスタンを愛する者は、エンターテイメントとして楽しむ部分とは区別して歴史の真実にしっかりと目を向けなければならないと思っている。本書はそのための現在入手できる最良の書であることは間違いない。

ヨーロッパ人到来以前の北アメリカ

ヨーロッパ勢力の浸出

西部をめぐる戦い

ネイティブアメリカンの暮らしの一端

平原居住先住民の主な糧はバッファローとトウモロコシ。白人はそれを奪った。

サンドクリークの虐殺(1864年11月)以後の抵抗の戦い。

右上の銃はスプリングフィールド銃(単発だが強力)、拳銃は初の回転レボルバー式連発銃レミントン44口径。ともに当時の政府軍の正式銃だった。その後、西部劇の定番、1873年より製造されたより高性能の連発式ウィンチェスターライフル、コルトSAA45口径(通称ピースメーカー)の時代となる。

その後各地で先住民の抵抗の戦いが続く(南西部を勢力圏としていたアパッチのレジスタンス。ジェロニモは有名。)が、武力に勝りしばしば土地分割使用契約を反故にする白人・政府軍に追い詰められ、ついに「ウィンデッドニーの大虐殺(1890)」を最後にネイティブアメリカンの抵抗の歴史は力尽きた。 

バッファロー・ビル・コーディーのウェスタンショー。西部劇以前からネイティブアメリカンの歪んだイメージを作り上げ広めた。

クリント・イーストウッドの自作自演作品に、そんなバッファロー・ビルを“パロった”「ブロンコ・ビリー」というコメディ作品がある。
銃による殺人を実行する生身の人間の実際の感情を扱った西部劇「許されざる者」、慕情を誘う「マジソン郡の橋」、太平洋戦争を日米双方の視点から見た「硫黄島からの手紙」、職人魂「グラン・トリノ」、イーストウッドはタカ派のように言われているが様々な分野で存外、真面目でシリアスに問題と向き合う映画人だ。

USAに強制同化させられながらもなんとか独自文化を伝承しようとの努力も続けられている。


amazonにも無い本

2012年05月16日 | 面白かった本

あの何でもありのamazonにも売っていない本。「朝鮮 魅力の旅」(朝鮮民主主義人民共和国観光ガイド)。

確かに厄介な国ではあるけれど、だからって「自由」を標榜する国で隠すのはズルイと思いますけど。きっと他にも隠してるんだろうな。まあ、amazonも所詮アメ公の本屋だし。

ようこそ、夢のジョンイルランドへ。あ、今はジョンウンか。

他ではなかなか味わえないグルメ。タンコギ(犬肉)、アヒル(焼肉)に、平壌冷麺。

ショップめぐりはホテルの中だけ。そんなんで掘り出し物なんて見つかるのか知らん?

「泊まるならここ!」。
橋下さんも今はだんまり、宙に浮いた咲島庁舎、旧WTCみたいな羊角島国際ホテルに、平壌高麗ホテルは東京都庁のコピー?

「旅のアドバイス」。これを読めば、かの国の事情が見えてくる。

● 電池は品質にこだわるなら持って行ったほうが無難(品質にこだわったほうがよさそう)
● 懐中電灯とウェットティッシュは持って行ったほうが良い(“計画停電”あり?)
● 電話やFAXの料金は日によって変動することがある(変動相場制?)
● 郵便は航空便なら2週間以内で日本に着く(エアメールが2週間!?、中国経由?)
● 写真撮影はガイドの案内に従う(勝手に撮るとパクられるのかしらん?)
● チップはタバコやボールペンなどでもよい(ボ、ボールペンって?)
● クレジットカードやキャッシュカード、T/Cは使えない(ま、そうでしょうね)
● 水道水の飲料は避けること(おなかこわすの?)

国交の無いかの国へは、中国経由で行くしかありません。でもコワイもの見たさ、ちょっと行ってみたい。