昨年夏、カラマツ林がつんつるてんにされて、「太陽光発電」にされてしまうという馬鹿げた事態のことを書いた( 『「太陽光発電」に殺されたカラマツ林』 )。
あれから10ヶ月、「電力固定価格買取制度」と「補助金」のおかげでなんとか成立している官製詐欺的投機市場「太陽光発電」の欺瞞と虚妄にようやく気付いたのか、異議申し立てが出始めた(「太陽光バブル最前線」WEDGE 2014年3月号)。
記事によると、大分県国東半島では、山林や牧草地をあのカラマツ林のようにツンツルテンにしてメガソーラーに変え、投資を募っているのだという。宮崎県などでも同様の事態が進行しているようだ。
こうした事態に対し、地元では景観破壊問題として反対の声が上り、行政も無視できなくなり条例も視野に入れた規制を検討し始めているという。
「景観破壊」という狭視野、住民エゴ的視点からの異議申し立てという限界はあるものの、「1億総再生エネルギー教信者」状態の日本でようやくこうした声が上り始めたのは、一抹の救いではある。
だいたい、「再生可能エネルギー」なんてものは熱力学的にありえない空虚な概念なのにまかり通っているのは、資本主義下ではこれが投機の対象になりうるからに他ならない。
化石燃料だろうが「再生可能エネルギー」だろうが、その源は太陽エネルギーであるという意味において本質的に等価なのに、どうして誰も思い至らないのか不思議ではある。違いは単に太陽エネルギーから変換して取り出せる時間と効率の差だけでしかない。
地球に生息する我々にとって究極のエネルギー源は、核エネルギーを除いては太陽エネルギーしかありえない。いや、太陽エネルギーも核融合のエネルギーであるという意味では核エネルギーなのだし、要するに今のところ我々にとってのエネルギー源は核エネルギーでしかありえないのだ。遠い将来、物質・反物質融合エネルギーとかブラックホールのエネルギー利用とか、未知の宇宙現象にもとづく新しいエネルギー源が見つかることもあるかもしれないが今のところはSFの世界の話でしかない。
もし今の人類が、太陽エネルギーと原子力(核分裂)エネルギー以外にエネルギー源を求めるとすれば、太陽エネルギーと同様の「核融合」以外にはない。つまり水爆だ。でも残念ながら、核分裂もコントロールできないのに核融合がコントロールできるわけがない。
エネルギー問題を解決するにはエネルギーを使わないこと、これしかない。しかし悲しいかな人間は、限られたエネルギーを使う権利を巡って争い、紛争、戦争、格差を生みだす生き物となってしまった。