WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

柿ジャム

2023年10月23日 | ビンボー技

2週間旅してる間に庭の柿の大半が収穫期を過ぎて熟しすぎてしまった。

完完熟柿は糖度20度はあろうかというほどとても甘くてこれはこれで美味しいのですが、短期間に食べきれるものでもなく、このまま朽ちさせてしまうのは忍びなく柿ジャムにしてみました。

砂糖など加えなくても糖分がさらに濃縮されてすごく甘く、ちょっぴり酸味も感じる、リンゴジャムをさらに甘くしたような結構おいしいジャムになりました。

作り方も超簡単。郊外や田舎ではたわわに実った柿が収穫しきれずカラスやサル、クマのごちそうになったり、落果して朽ちるもったいない光景をしばしば目にします。これ、田舎産業の一つになるんじゃなかろうか。

<作り方>
完完熟柿のヘタを取ります。できるだけ皮を破らないよう慎重に。
 
ヘタを取った跡に丸い穴が空きます。
 
皮を押して穴から中身を絞り出します。種があれば取り除く。
 
鍋でコトコト煮詰めます。容積が1/3くらいになるまで。焦げ付かないように時々かき混ぜながら。
鍋は、水分が早く飛ぶように浅くて大きめの鍋がいいでしょう。
 
煮詰まったら瓶詰にして鍋で煮て煮沸滅菌。
 
出来上がり。
とても甘くほんのり酸味のリンゴジャムのような味。食感はリンゴジャムよりザラつく感じはある。

読谷村めぐり(4) 「艦砲ぬ喰ぇ残さー」の歌碑

2023年10月13日 | 沖縄
「艦砲ぬ喰ぇ残さー」の歌碑
(艦砲の喰い残し)
読谷村の東海岸にある。周辺の海も沖縄らしい美しく穏やかなサンゴ礁の海の景観が楽しめます。
復帰直前に飲酒運転の米兵の車に追突されて夫人共々犠牲となった比嘉恒敏が作詞・作曲し、その娘の4姉妹・でいご娘が歌った名曲「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌詞が刻まれた歌碑。
(グーグルマップのKeitaさんの端的な解説を借用(盗用?😅))


(大意)
米軍は、地形を変えてしまうほどの(軍人と一般住民を区別しない)無差別艦砲射撃(今のロシア・ウクライナや中東の紛争と一緒)で多くの住民を殺しつくした(喰い尽くした)。”生き残ってしまった”私たちは艦砲射撃の喰い散らかした残り物。生き残ってもこんな辛い思いで生きて行かねばならないのか。こんな理不尽なことはもう絶対に起こさないでくれ。
五番まであるが、とりあえず二番まで引用。Youtubeでも聴けるのでぜひお聴きください。
一、若さる時ね戦争の世 若さる花ん咲ちゆさん
家ん元祖ん親兄弟 艦砲射撃の的になて着るむん喰えむんむるねえらん スーティーチャー喰で暮らちゃんや 
※ うんじゅん我んにん 汝ん我んにん艦砲ぬ喰ぇ残さー
(意味)若い時は戦争の世の中 若い花は咲くことが出来なかった
家もご先祖様も親兄弟も艦砲射撃の的になり 着るもの食べるものも全くなかった。ソテツを食べて暮らしたよ。
※ あなたもわたしも 君も僕も艦砲射撃の食い残し
ニ、神ん仏ん頼ららん 畑やカナアミ銭ならん 家小や風ぬうっ飛ばち戦果かたみてすびかって うっちぇーひっちぇーむたばって肝や誠どやたしがや
(意味)神も仏も頼られない 畑は(米軍基地の)金網で入れず銭にはならない。家は風が吹っ飛ばし戦果担いでしょっびかれて ひっくり返し返され弄ばれ それでもは誠実に頑張ってきたのに
※ 繰り返し

読谷村めぐり(3)

2023年10月13日 | 沖縄
「艦砲ぬ喰ぇ残さー」の歌碑
(艦砲の喰い残し)
読谷村の東海岸にある。周辺の海も沖縄らしい美しく穏やかなサンゴ礁の海の景観が楽しめます。
復帰直前に飲酒運転の米兵の車に追突されて夫人共々犠牲となった比嘉恒敏が作詞・作曲し、その娘の4姉妹・でいご娘が歌った名曲「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌詞が刻まれた歌碑。
(グーグルマップのKeitaさんの端的な解説を借用(盗用?😅))


(大意)
米軍は、地形を変えてしまうほどの(軍人と一般住民を区別しない)無差別艦砲射撃(今のロシア・ウクライナや中東の紛争と一緒)で多くの住民を殺しつくした(喰い尽くした)。”生き残ってしまった”私たちは艦砲射撃の喰い散らかした残り物。生き残ってもこんな辛い思いで生きて行かねばならないのか。こんな理不尽なことはもう絶対に起こさないでくれ。
五番まであるが、とりあえず二番まで引用。Youtubeでも聴けるのでぜひお聴きください。
一、若さる時ね戦争の世 若さる花ん咲ちゆさん
家ん元祖ん親兄弟 艦砲射撃の的になて着るむん喰えむんむるねえらん スーティーチャー喰で暮らちゃんや 
※ うんじゅん我んにん 汝ん我んにん艦砲ぬ喰ぇ残さー
(意味)若い時は戦争の世の中 若い花は咲くことが出来なかった
家もご先祖様も親兄弟も艦砲射撃の的になり 着るもの食べるものも全くなかった。ソテツを食べて暮らしたよ。
※ あなたもわたしも 君も僕も艦砲射撃の食い残し
ニ、神ん仏ん頼ららん 畑やカナアミ銭ならん 家小や風ぬうっ飛ばち戦果かたみてすびかって うっちぇーひっちぇーむたばって肝や誠どやたしがや
(意味)神も仏も頼られない 畑は(米軍基地の)金網で入れず銭にはならない。家は風が吹っ飛ばし戦果担いでしょっびかれて ひっくり返し返され弄ばれ それでもは誠実に頑張ってきたのに
※ 繰り返し

読谷村めぐり(3) アカヌクー、サンゴ畑、三重城

2023年10月13日 | 沖縄
アカヌクー
15世紀、沖縄で唄三線を広め三線の祖と称される赤犬子が亡くなり葬られた地として祀られている。
その昔、読谷に絶世の美人を嫁とした男が回りから妬まれ殺されてしまった(これもたいがい無茶苦茶な話だが、なぜかそこはあまり追究されていない🤣)。
で、その美らカーギー嫁は津堅島まで逃げてシヌグガマで赤犬子を産んだという伝説が残されている。
その後、三線片手に沖縄を放浪して回った赤犬子は、最終的に両親が暮らし父親が理不尽に殺され母親が追われた地に戻ってきたことになる。そのときの赤犬子の気持ちやいかに。
赤犬子について(クリックで拡大)
 
さんご畑
近年、減少が危惧されているサンゴの保護・育成に尽力されている、サンゴに特化した超ミニ水族館。
個人で立ち上げられ!協力者を募って何とか運営されているとのこと。99の岡村さんも出資されているらしい!


 
三重グスクロケ地(サンゴ畑のとなり)
NHK大河ドラマ「琉球の風」で、当時は那覇にあった三重グスクを再現、ロケ撮影を行った。その三重グスクの再現石垣が残されている。

読谷村巡り(2) 地球雑貨ウェアハウス

2023年10月13日 | 沖縄
地球雑貨ウェアハウス@読谷村
インドネシア中心にアジアン雑貨が所狭しと並ぶ。
天然木家具系(私ならもっと安く作れるかな😃)はまあ、結構なお値段だが、木工小物と木彫品は驚くほど安い。私ならこんな価格ではよう作りません。
やはり東南アジア諸国の木工職人達は良い腕なのにまだまだ搾取されている。

読谷村巡り(1) さとうきび畑のうた、 ザネー浜

2023年10月12日 | 沖縄
「サトウキビ畑のうた」の歌碑。
周囲一面サトウキビ畑で、まさに「ざわわ、ざわわ」と聞こえてくる。背筋が寒くなった。
作者を森山良子と勘違いしているお方も多かろう。恥ずかしながら私もその1人だった。
本当の作者は寺島尚彦というお方。
サトウキビ畑を1人歩いていた時、戦慄と旋律が浮かんだという。さらに3年の推敲を経て世に出、沖縄戦の非道、悲惨を今に伝える代表曲の1つとなっている。

 
ザネー浜。@恩納村真栄田。
きれいな海でダイビング、見事な浸食景観を見たいなら、なにもお金のかかる石垣島、宮古島や慶良間などの離島に行かなくても本島にもたくさんある。
78年前、米軍は、民衆を捨て置いて亀のように首里に引きこもる皇軍を尻目に、この浜からも悠々と上陸した。
浜の様子動画は下の画像をクリック。

浜の横手にある洞窟と海を臨む”窓”?
沖縄観光案内のパンフレットなどに必ずと言っていいほど登場する映え写真スポット。この日も若い女性たちが大勢訪れていた。




あっこさん唄三線ショー@琉球村、 チビチリガマ

2023年10月12日 | 沖縄

じーまーみあっこさんの唄三線ショー@琉球村。

チビチリガマ
本土決戦準備の時間稼ぎの生け贄とされ、信じて頼みとした皇軍に見捨てられた住民たちは、このガマであまりにもむごい集団自決を強いられた。

近くにあるシムクガマではハワイ帰りの男性が「アメリカ人も同じ人間。鬼畜のような仕業はしないから命を無駄にせず投降しよう」と説得し全員が助かった。鬼畜なのは皇軍の方だった。
チビチリガマ入口

ここから階段を下りて行く。






琉球と倭寇のものがたり展(沖縄県立美術館博物館)

2023年10月11日 | 沖縄
琉球と倭寇のものがたり展
大変勉強になりました。11月までやってるので来れる方はぜひ。以下、展示から受けた私の独善的解説です。ご参考まで。本当は管内の素晴らしい展示を掲載したいのですが、当然ながら撮影禁止。
〈前期倭寇〉
倭寇とは、1,300年代以降、東シナ海周辺地域で略奪などをして回ったいわゆる海賊。西部開拓時代のアメリカのアウトローのようなものか。中には集めた財を元に交易でさらに財をなす者達もいた。
この頃から大和を日本と呼んでいる古文書が見られ出す。
明朝も倭寇には手を焼いていたようで鎌倉幕府に日本国王であることを認めるかわりに倭寇対策への協力を要請している。
同時に琉球はもちろん、朝鮮半島や東南アジア諸国にも同様の要請を行っている。いわゆる冊封制度である。ある意味、軍事同盟のはしりと言えるかもしれない。
1,400年代に朝鮮王朝が倭寇の拠点であった対馬を平定し、倭寇の活動は沈静化した。ここまでを前期倭寇としている。
〈後期倭寇〉
しかし、1,400年代後半になると治安部隊の軍規の乱れや新たな参入者により再び活発化していく。後期倭寇の始まりである。
さらにこの頃、ポルトガルがマレーシアから中国沿岸部に進出。
1,500年代になると室町幕府による勘合貿易が始まる。幕府は大内氏の博多と細川氏の堺に勘合符を交付したため両氏の間で争いも起こった。
こうしてステイクホルダーそれぞれの思惑が入り乱れたカオス状態となって行った。
両方に権益を約束、あるいは曖昧にしてしまったために後年、争いのタネになってしまうのは歴史の常で、イスラエルとパレスチナ、ウクライナとロシアなどよい例である。
さてわが琉球はこの頃どうしていたのだろうか?倭寇の8割弱は中国人で、日本人は2割弱、残り少数がその他で、琉球から倭寇に加わって悪事を働いていた者は少なかった。
琉球王府は、明朝からの朝貢要請を巧みに利用して上手く立ち回っていたようだ。
朝貢に応じれば明朝からは倍返しどころか”3倍返しの「頒賜品」が与えられたという!
なので明朝の倭寇狩りから逃れてやって来た倭寇残党の取り締まりもしっかり行っていた。
首里城守礼門「守礼之邦」扁額にあるように「礼節を重んじる国」として無法行為には厳しかったのかもしれない。
これこそ孤島の小国でありながら徳川幕府を上回る400年以上もの長期にわたって琉球王府が存続し続けることができた所以である。もっとも民衆は重税でそれなりに苦しめられてはいたようだが。
阿麻和利が、地元うるま市の伝承に伝えられるように民衆を大事にした賢君で、天下を取っていれば琉球の歴史はもっと輝くものになっていたかもしれない。
ところで、戦前から戦後にかけてこうした琉球の遺跡発掘と歴史解明に多大な功績を残した人物にジョージ・ヘンリー・ケアというアメリカ人がいたのは歴史の皮肉かもしれない。
テキストのポップアートのようです
 
 
 

泊いゆまち、マルサ商店、「東風平町史戦争編」

2023年10月10日 | 沖縄
泊いゆまち(那覇)
「いゆ」はウチナーグチで「魚」のこと。


マグロ解体。


マグロ安っ!

居酒屋に必ずあるグルクンの唐揚げ。大体500円~1,000円くらい。美味しいけどこの値段見たら居酒屋で注文するのがなんだかバカバカしくなってしまった。

下のトロ箱のグルクン、15,6尾入って2,000円!1尾130円くらい!

タコの頭500円!


高級魚と言われているミーバイの全体像を初めて見た。海音で刺し身は食べたけど、脂ののったタイみたいですごく美味しかった。左上の赤っぽくて点々のある魚がミーバイ4,800円。クリックで大きい画像が見れます。

他にも見たことのない魚介類がいっぱい。


ウナギ!?
 
SNSに溢れ返っている食レポはしないつもりだったが、600円(3パックだと1500円!)のにぎりはお勧めするしかないです。とにかくネタがデカくておいしかった。
ここだけは沖縄ナンバーの一般車ばかり。ウチナンチュ御用達?で、レンタカーの観光客はほとんどいない。もっとも台湾、韓国方面からの観光客と思われる方々は多かった。

次は野菜😀。沖縄産と他府県産、台湾、中国、フィリピンなどの近隣アジア諸国産ですごく値段が違う!

大根450円!!

モヤシ特売でも100円!!!は即完売😮


与那原町のマルサ商店。
年季の入った雑貨店。初期団塊世代の店主に戦中戦後の苦労話を聞かせていただきました。

敗戦からの復興途中でまだガスが普及していない頃、石油コンロが煮炊きに使われた。
今でも需要があり、年に1台位は売れるという。

墜落した飛行機のアルミ製燃料タンクで作った木炭アイロン。

音量調節ダイヤルのみで選曲つまみが無いラジオ。
終戦直後は米軍占領下で米軍のラジオ放送1曲しかなかったから選曲つまみは不要だった。

足踏み式ミシンにモーターをつけて電動ミシンに改良。先代の店主(御父上)が作ったという。
先代はかなりアイデアマンで器用な方だったようだ。


店主のお父上が、沖縄戦で焼け野原になった実家跡に周辺からかき集めた木材や米軍が破棄した資材でウージ(サトウキビ)葺き屋根の掘っ立て小屋(写真下)で金物店を始めた。数年後、貯えに復興援助金貸付を足してリニューアルし今に至る(写真上、右)。

復帰前、車は右側通行。

(左)破壊しつくされた与那原駅舎跡。
(右)沖縄戦前の崎山家があった場所。周囲含めて何も残っていない焼け野原。
リニューアル時は米軍統治下のため、地場銀行の承認と米軍の承認が必要だった。そのための申請書類などが展示されています。物不足で印鑑証明書や承認書類が手書き!最初の資金調達は米軍の軍票だった。もちろんドル建て。本土復帰時には円建てに変わった。


現店主が店を継いだが、老齢と建物も雨漏りしだすなど老朽化が進んでしまったので数年内には店を畳まざるをえない。戦後復興の記録として何とか資料を残したいが援助もなく難しいとのこと。
こうした記録、記憶がこれから急速に失われて行くのだろう。店主は時代の流れで仕方ないと諦めておられるが残念なことだ。

「東風平町史戦争編」
八重瀬町(旧東風平町)では町を挙げて二度と不毛で不幸な戦争をしない、させないために戦争の記録を残し後世代に平和の願いを伝え託す活動が官民挙げて行われている。日本中が見習うべきだと思う。
最新の町史戦争編(右)は市販されていませんが八重瀬町のサイトでオンラインで見ることができる。
画像をクリックすると八重瀬町電子書籍サービスの八重瀬町史戦争編のサイトにリンクします。そこで[読む]をクリックするとご覧いただけます。
この町史戦争編を知ったきっかけは「すくぶん」というYoutubeチャンネル。八重瀬町出身のお若い同級生女性2人の平和ユニット?お1人は唄三線奏者、もうお1人は平和教育コーディネーターをされているそう。
玉石混交のSNSの世界ではキラッと光ってるチャンネル。ぜひ視聴してみて下さい。

首里城再建の進行と新発見、うたバスライブ 

2023年10月09日 | 沖縄
首里城 再建工事の進行状況、
素屋根ができてすでに木材加工作業が行われている。3階まであって作業の様子を見られる。
 
ところで首里城も4回目になりますが、また新発見がありました。
歓会門の石組みアーチはクランク状の組み方で強化されています。護佐丸築城の座喜味城では頂点にくさび形の石をはめ込んで強化されていました。おそらくクランク状の組み方の方がより強固だろう。てことは首里王府にも護佐丸に負けず劣らずの築城技術者がいたということになりますね。
城門の石組みについては、後日の「あがりうまいツアー」と護佐丸改修の「中城城」でも後日談あり。
 
首里城の休憩施設、首里杜館にある「カフェ龍樋」の「龍樋サンデー」。
ネット情報などで美味いと評判だったので試食してみた。
底にサータアンダーギー、その上にバニラアイス、ミックスベリーソースのトッピング。
けっこう濃厚で食べ応えあり。うわさにたがわず美味しかった。550円。


首里城近くの山城まんじゅう。
老舗で美味しいとの評判だったので試食してみたかったが本日休業。残念。
場所が焼肉屋さん横の路地の奥で、うっかりすると見逃してしまいそう。
 
夜は「じーまーみ」の片方、かよさんが所属する「うたバス」のライブ。「うたバス」は琉球バスのバスガイドさんで構成する歌三線ユニット。国際通りの「おばあの店海音」。

那覇大綱挽き

2023年10月08日 | 沖縄

午前中に津堅島を発って那覇大綱挽き会場へ。祭り本番は午後2時頃からですが、午後1時ころには交通規制が始まるので早めに行って会場まで徒歩で行ける近くのコインパーキングに駐車しないといけません。
会場の久茂地交差点を12時半ころ通過。すでに歩道は見物客で一杯。この通りももうすぐ通行止め。
通過時の動画をリンクしてあるのでご興味ある方は下の画像をクリックしてください。

祭りは午後2時ころから開始。主催者や来賓あいさつ➜関係地域「旗頭」パフォーマンス➜古琉球の歴史劇パフォーマンス➜東西両大綱(♂♀)をつなげる➜大綱挽き(午後4時頃)➜勝敗決定と閉会挨拶という流れで進められる。

「旗頭」パフォーマンス。京都で言えば剣鉾のパフォーマンスのような感じ。
地元の方に聞くと「旗頭」パフォーマンスは本番の綱引きと並ぶ見どころらしいが、ものすごい人が交差点車道に出てくるので、ルールを守って歩道から観覧していると何をやってるのかよく見えない。残念。
右は歴史劇パフォーマンス。望遠で何とかとらえた。


東西の綱をつなぐ作業。これもルールを守って観覧していると人垣で全く見えない。

報道ヘリが上空から撮影した動画がSNSにあったので下記リンクでご覧ください。
大綱連結作業のヘリ動画

勝敗が決するとくす玉が割れて終了。綱引きに参加した人は持った小綱を切って持ち帰ると何やらご利益があるそうです。

<おまけ>
平敷屋港から那覇へ向かう途中、なにげに有名な丸一食品のいなりチキンを買う。
これはうわさに違わず美味しかった。しかもお値段もリーズナブル。これは沖縄グルメの中でも自信をもってお勧めできる。特に「トリ皮の唐揚げ」はおススメ。


音楽ライブ@神谷荘

2023年10月07日 | 沖縄

神谷荘の音楽ライブ配信で知り合ったウクレレ演奏家のあーきーさんがランチタイムライブに誘ってくれたのでセッションに参加させていただいた。
過疎化する島を音楽で盛り上げようとランチタイムライブ配信をされています。しまの歌姫で民宿スタッフのHINAKOさん、常連演者のあーきーさん、リスナーのきむ熊さんと私。楽しい時間でした。


持参のギターにみなさんのサインをいただきました。この後の旅に、このサイン入りギターを持って、休憩中に弾いたり、ゲストハウスで同宿の方とセッションしてみたりしながら旅を続けました。下の写真は、道中サインいただける方にはサインをいただいて周った10日後くらいの写真です。


神谷荘前の海。


激近の離島 津堅島

2023年10月06日 | 沖縄

宮古島を朝発って津堅島へ。津堅島、うるま市与勝半島平敷屋港からフェリー30分(高速船15分)とお手軽に行ける離島。私が大好きな神谷千尋さん(ちーちゃん)がお生れになった島。主な産業は小規模な漁業、モズク養殖、ニンジン生産くらいで、高校も無く若者は島を離れていくため過疎化して現在は人口約300人。島の民宿神谷荘(ちーちゃんの実家)ではライブ配信を主に「音楽で島起こしプロジェクト」を実施中。

津堅島の海と神谷荘のにゃんこ達。海の透明度、美しさは宮古島や座間味にも引けをとらないと思います。てか、沖縄はどこへ行っても海は美しい。違いは海岸からすぐ近くでのシュノーケリングやダイビングで珊瑚や熱帯魚が見られるかどうかだけだと思う。

神谷荘の居候ニャンコ達。古参猫のモズクは避妊手術後で療養中だそう。



宮古島2日目

2023年10月05日 | 沖縄

朝一で予約していたレンタカーで観光スタート。
まずは地元の匂いに触れられそうな地域の島尻購買店へ。
宮古島でしか売られていないという「元気の子」と特産マンゴー。
「元気の子」はほぼ「カルピスウォーター」。1回試せば十分。てかあえてこれのために宮古島へ来る人もいないだろう
マンゴーはとっくに季節(7,8月)を過ぎていたけれど、冷凍マンゴーが売られていた。シャーベットのようで案外こっちの方が美味しいかも。無くなり次第販売終了。

観光案内の定番、池間大橋を渡ってみる。確かに海はきれい。ただ人口600人弱、特に産業上必要もないこれだけの大橋を海にかける意味はあるのだろうか?定期船で十分だろう。 池間島民の方には申し訳ないが、基地と引き換えの沖縄振興交付金を使い切るための大いなる無駄遣いとしか思えない。実際、目に入った車は観光客のレンタカーばかり。「わ・れナンバー」以外の車は見かけなかった。
池間島自体、申し訳ないが海の景色(これも沖縄本島とそう変わらない)以外これと言って観光に値するスポットも無いので渡ったらそのまま引き返す。

池間大橋手前にある「すむばり食堂」。タコ🐙料理が売りらしいのでタコ炒め750円を試食。期待していたのですが、こう言っちゃ何ですけど普通にタコ炒めでした。
「すむばり」とは「隅っこの畑」という意味だそう。地域の中でも貧乏で端の方の畑しか使わせてもらえなかった一家のことなのでしょうか?
 
宮古島特産。黒糖ピーナツ、雪塩黒糖、泡盛菊の露VIP。
黒糖は多良間産!?「宮古島は島の半分はサトウキビ畑なのになぜ地元産をつかわないの?」と尋ねたら、「宮古島には製糖工場がなく、多良間島にある製糖工場で粗糖にして、各地の黒糖製品製造地に卸されて商品化されるから粗糖製造地の多良間島が原産地になる。宮古島では多良間島産粗糖を「再輸入?」して最終商品化している」んだそうです。
雪塩黒糖は宮古島特産の雪塩と黒糖のコラボ商品。塩が加わって独特の柔らかで上品な甘みになっていて美味しいです。御茶菓子に良さそう。
 
人頭税石。
本島の首里王府は農民に重税を課した。この石の高さより大きくなると納税義務の対象(大人?)とされた、と言われている。が、大勢いの島民をいちいち石の高さと背比べなど現実的とは思えないし、観光用の作り話ではなかろうか。


ちょっと穴場かも。来間島大橋で来間島へ渡ってすぐ、入江橋のたもとに交通安全の看板と公園の案内板が。
石畳の道を行くと沖縄本島で有名な観光地ガンガラーの谷のようなジャングルが。約300m、5分ほど行くと突然、真っ赤なタコ🐙のオブジェ。
そこから波立つ宮古ブルーの海と来間大橋が一望できる。誰もいない。今日の収穫はここかも。


宮古島はオフシーズンのためか、休業中の施設も多かった。主な観光地は海岸沿いの景勝地とダイビングスポット。あとは夜のライブ居酒屋街くらい。
お金持ちは空調の効いたオーシャンビューの高級リゾートホテルであまり出歩かず1週間ほどノンビリゆったり過ごすんだろうな。
その他はビジネスホテルクラスやウィークリー利用で数日レンタカーで走り回って帰る。ダイバーは中長期でゲストハウスに住みついている人も多い感じ。
それにしてももう10月だというのに恐ろしく蒸し暑い。写真はエアコンの効いている車から降りてサトウキビ畑を撮影したときのもの。モヤがかかっているように見えるのはスマホカメラのレンズが湿気で曇ってしまったため。メガネも曇る。冬のスキー場と逆🤣 申し訳ないけど、正直よくこんなところに住んでられるなあと思ってしまった。
確かに海は抜群に美しい。しかしいくら美しくても毎日はさすがに飽きるだろう。島内部は一面ザワワのサトウキビ畑ばかりで何もない。
宮古空港や港のある平良周辺は夜だけライブ居酒屋で賑わうけれどどこも似たり寄ったり。住民、観光客とも行動パターンが一律で限定的。正直ちょっと期待外れだった。

初めての宮古島

2023年10月04日 | 沖縄

早朝6:20関空発のLCCで那覇へ。そのままスカイエアに乗り継いで宮古島下地島空港に11:00着。

バスで約1時間の終点、金持観光客御用達の東急リゾートホテルへ。途中伊良部大橋の動画は写真をクリック。


ホテルから高湿度炎天下を約30分歩いてかの有名な与那覇前浜ビーチへ。
左が東急リゾートホテル、バス終点。

ビーチまでの道中、街路樹によく見かける木。ヤシ科ではありますがいわゆる椰子の木ではない。「ビンロウ」というそう。

琉球国歌と言ってもいい民謡「てぃんさぐぬ花」(ホウセンカの花)。

与那覇前浜ビーチ。蒸し暑いが風があるのでまだマシ。

他に見るところもないのでホテル前からバスで宮古島市街地へ向かう。
市内中心部のまっちゃ屋さんで遅い昼食。本日のランチ、県産ゆで豚おろしポン酢1,000円ちょっと値は張るがとても美味しかった。沖縄は全般に外食の値段が高い。特に離島は。


ゲストハウスにチェックインして近くのライブ居酒屋さんへ行くも満席。近くのJoyfullで夕食。なんと配膳ロボットが活躍していた!宮古島、意外なところで先端(かどうかは疑問だが)を行っていた。

宮古島市内は、もう10月というのに経験したことのない蒸し暑さだった。とにかく湿気がものすごい。
ゲストハウスの管理人さんの話では「晴れていても洗濯物は一晩干しても乾かない。カビが生える」と。試しに干してみたら本当だった!カビが生えたら困るので、朝乾燥機にかけた。