WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

栗田師匠に学んだ端材カービング

2014年10月30日 | チェンソーカービング

左のチビフクロウとアルマジロは私の作品、右のチビクマは栗田師匠の作品です。

昨年の安曇野で、栗田さんがチビフクロウを彫られていたのを見て、これは手づくり市向きの作品だと真似をして練習しました。今では私の数少ないレパートリーの1つとして手づくり市でも結構好評をいただいています。問題は考え方、姿勢とでもいいますか。

私はチビフクロウを彫るために、あえて太い丸太を縦に4分割して細い丸太状にしてから小さなフクロウを彫るという方法をとっていました。まあ、商品としてチビフクロウを作るのが主目的の場合はそれもありだとは思いますが。

で、今年の安曇野。栗田師匠が上のチビクマを彫られていました。

私はこれも太い丸太から小さく彫り出されたものと思って栗田さんに尋ねました。すると師匠の答は、
「そうじゃありません。太い丸太から大きな作品を作ると必ず端材が出ますよね。その端材を無駄にしたくないので端材の形を生かして小さな作品を作っているんですよ」

まさに“目からウロコ”でした。言われてみれば当然のことなんですが、浅薄にもそこまで思いが至っていなかった自分が恥ずかしかった。
“間伐材の有効利用”とか言いながら、太い丸太を彫る過程で出た端材は、私も含めて大半のカーバーはそのままゴミにしてしまっています。改めて栗田師匠の木に対する愛情の深さを感じさせられた出来事でした。

栗田師匠の小品は様々な姿勢、動きがありますが、それは端材の形に合わせて彫られているからなのでした。
小さな作品を彫るのは、簡単なようで大きなものとは違った難しさがあります。それは材料が小さくて固定されていないことや、端材の形に制約されること、細かいディテールは彫れないのでうまく省略デフォルメしなければならないことです。
栗田さんは器用に足で押さえて彫られていましたが、これをチェンソーでやるのは大変危険も伴います。なので、ある程度チェンソーカービングの経験を積んだ上でやるべきではあります。

で、大いに反省して端材で彫ってみたのが上のチビフクロウとアルマジロというわけ。
アルマジロは、端材の形を眺めているうちにイメージが浮かんだものをアドリブで彫ったので本物のアルマジロとは大分異なるとは思いますが、端材の形からイメージを膨らませて彫るというのは、事前練習や見本無しに即興で彫るいい練習にもなります。

まだまだ普通の作品も満足に彫れないのですが、これからは端材も無駄にしないように心がけたいと思います。

 


8th 安曇野チェンソーカービングキャンプ

2014年10月20日 | チェンソーカービング

10月18-19日、8th 安曇野チェンソーカービングキャンプに行ってきました。

  
左:会場の長峰山山頂。彫ってるのは私。後ろの入り口には巨大な展望台。
右:展望台最上階から会場と安曇野平野を遠望する。
(自分では撮れないので、家族でご参加の栃木のFさんの奥様にお願いして撮っていただきました。全貌はいずれキジトラさん がうpされると思います。)

で、

モモンガにチビフクロウ。改めて見ると進歩が無いなあ

安曇野平野は雲海の名所でもありますが、2日目の朝、

雲海は通常、日中気温が高く夜間冷え込んだ翌早朝8時頃までに見られ、日の出とともに徐々に拡散してしまいます。
ところが、この日は早朝ほぼ無風だったためか、8時半頃の時点でも一面に残っていました。
中央やや左よりの稜線越しに見えるのは御嶽山の噴煙です。真っ直ぐ立ち昇っておりほぼ無風であることが分かります。

栗田師匠。早朝の2時間弱でフクロウ、クマ、シカの3体を彫り上げ、このくらいはまさに朝飯前!。

1日目夜の恒例“交流会”ジャンケン大会。

今年はスポンサーの一つNIKKARI(日本刈り払い機)さんからラジコンカーや充電式扇風機他たくさんの景品が提供され大いに盛り上がりました。そのほかにも主催の伴さんからジェイソンさんTシャツ、参加カーバーさんから園芸植物などなど。
餐場さんからは毎年恒例の安曇野Tシャツやパーカーなどの安曇野ウェアセットがスポンサーとなった参加者全員に配布されました。

NIKKARIさんのイメージキャラクター。ムムム...。

標高1000m近い長峰山はアカマツが多くマツタケも出ているようです。しかし、数年前から松枯れ病が侵入してきて罹病松の除伐が行われていましたが、今年はさらに大規模な除伐・薫蒸駆除が行われていました。

 


昭和展

2014年10月07日 | えぶりでいず3丁目の夕日

けいほくクラフトの会場となっていた「あうるけいほく」では、館内ロビーで「昭和展」が開催されていました(10月26日まで)。

昭和の茶の間。

囲炉裏は京北ならでは。私が少年時代をすごした昭和30年代の京都市内の民家では、さすがに囲炉裏の家はほとんどありませんでした。

でもまあ、丸いちゃぶ台に水屋、ゼンマイ式振り子時計は懐かしい。30年代にはまだ私の家にテレビはなく、家計に余裕のあった近所の友人の家に見せてもらいに行ったものでした。その友人宅には近所のビンボーなガキ共数人がよく集まってはテレビを視せてもらっていました。

「月光仮面」とか「少年ジェット」、「怪傑ハリマオ」、「ジャガーの眼」。内容は、今のバラエティー番組のお笑いコントレベルでしたね。でもワクワクドキドキしながら夢中で視てました。

 うちにテレビが入ったのはいつごろだったんだろう?NHKの「ジェスチャー」とかアメリカマンガの「ポパイ」とか「名犬ロンドン物語」はうちで視ていたような気が。
 大好きだったファミリー西部劇の「ララミー牧場」。ジェス・ハーパー(ロバート・フラー)の超カッコイイ二丁拳銃のガン捌きや淀川さんの「サヨナラ、サヨナラ、...」が今でも記憶に焼き付いてます。
 チャンネルの接触が悪くて映らなくなるとガンガン叩いて復旧させたものでした。そんな時代に育った私たちは、電化製品ってのは故障しても叩けば直るものっていう観念が植え付けられてしまった。パソコンやケイタイの調子が悪いと思わず叩いてしまうそこのオトーサン、同世代ですね

お宝?の数々。

水鉄砲霧吹き式殺虫剤噴霧器。

うちにあったのは先端がまさに霧吹きそのまんまの形だった。でも薬液は詰め替えできたし、今の使い捨てスプレー缶よりずっとエコだった。

パン焼き器。

チーズフォンデュー鍋のような形ですが、まさにダッチオーブンじゃないですか!
“都会っ子”だった私の子供時代にはこんなものは見た記憶はない。早くからテレビもあったようだし、京北って、田舎のわりには結構ハイカラだったのかも。

自転車の車輪。

タイヤは今で言う「ノーパンクタイヤ」!。ま、要するにチューブが無いただのゴムの塊。乗ってる間はさぞかし尻が痛かったんだろうな。リムはフックで開閉できるようになっていてタイヤ交換はフックをはずしてやったものと推測される。

赤紙。死出の旅への片道切符。

「興亜進軍」旭日旗。
安倍ちゃんはじめ“靖国派?”の方々には垂涎のアイテム。

統制、洗脳され最前線で“弾除け”や“人間爆弾”、果てはジャングルで飢え死にとまさに“犬死に”を強いられた。エライ人たちは口ばっかりでゼッタイに最前線には行かない。「慰安所」でも行かなきゃやってられるか、ってか。

大政翼賛、大本営発表、のお先棒を担ぐ伝統は現代も脈々と続く、文芸春秋社。
 

目次に「士族授産と転失業」の記事。「武士も食わねば高楊枝」ってか。

こんな広告も。
 
オボちゃんで有名な理研ビタミン、強力男性ホルモン飲んで立派な皇軍兵士におなんなさい。
スマトラでマラリアにやられたら、これ。

いやいや、食いもんさえ無いのに薬なんかあるわけ無いか。

「戦陣訓」

要するに、「国体護持のためには命を惜しんではならない」と書いてある。

「銃後」の国民のバイブル。

「防空マニュアル」なんか配らなければならない時点ですでに負けでしょうが。ヤレヤレ。お偉方はいっつも銃後の、そのまた後ろの要塞にお隠れあそばしているのよね。

中を見ると、

第1章 空襲判断、一、「空襲は必ず受ける」って、オイオイ。
以下、空襲されたときの対策がつらつらと書いてある。

“壊れかけのradio♪”いやすでに国もろとも壊れてしまったラヂオ。

これで敗戦の「玉音放送」が流された、のかな?「タエガタキヲタエ、シノビガタキヲシノ」んだのはオマエぢゃねえんだよ。

そして、世の中は“コペ転”、「みんしゅしゅぎ」の時代へ。

ガリ版。学生時代にはお世話になりました。

「桑園」。北桑田郡学生会機関紙。

先の文芸春秋社「現地報告」と比べるとまさに“コペ転”。
ど田舎(失礼)京北にも革命の嵐が..。興味ある方はクリック拡大してお読みください。

 かの香港といい、熱くなるのはいつの世も学生達。そして熱き青年達もいずれは“オトナ”になっていく。「もう、若くはないさと~、君に言い訳したね~」。「イチゴ白書」ですな。
 今の京北は、「『死んだら靖国に祀ってやる。喜んで国体護持のために死ね』と約束したんだから左翼のバカどもが靖国のことをつべこべ言うな」なんて神主がいるくらい。ま、日本全体も似たようなもんか。

熱き若者がある一方で享楽の世界があるのはいつの世も同じ。

「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」

「てなもんや三度笠」はうちのテレビで視てました。大本営の時代に、胡散臭い理研ビタミンや男性ホルモンぢゃなく、これと「グリコ」があれば皇軍ももうチョイ頑張れた...かも。

ハイファイだぜい!。「ナショナルキ~ッド~♪」。昔ナショナル、今パナソニック。
17,900円は当時の大卒初任給くらいかな。

白物家電の王様、もう一発。う~ん、斬新なデザイン?

ライバル。昔東芝、日立、今じゃアイリスオーヤマ。


手回し搾り器。知ってる人は年バレる。これにテレビプラスして「3種の神器」と言った。

メグロYA。20万円!

ロータリー式ギヤチェンジを始めて開発した老舗だったが、ホンダなど後発メーカーの小型高性能化について行けずカワサキに吸収された。


けいほくクラフト

2014年10月06日 | 手づくり市

10月4(土)-5日(日)、右京区京北(旧京北町)の「あうる京北(京都府立ゼミナールハウス)」で開催された「けいほくクラフト」に出店しました。

マイブース。4日朝はまだ晴れていました。

午後からは、台風の影響でだんだん雲行きが怪しく...。

昨年まではよく一緒に出店した相方のFさんが、わざわざ福知山から丸々と太ったクリをもって、今年はお客さんで陣中見舞いに来てくれました。

昨年秋は床下浸水、今年は自宅はセーフだったものの畑が浸水と大変だったのにありがとうございました。幸い、木工機械類はなんとか復旧できたそうで、また一緒に出せるのを楽しみにしています。

お隣は、いろんな市でよくご一緒するスウィーツデコの「mint2」さん。

今回は夫さんは超ミニ木彫りでご参加。いかつい風体からは思いもよらないリアルで細かい、大工道具類をモチーフにした木彫りを製作されます。他にもカエルやフクロウなどの動物モチーフ、壺のようなもの、お寺で柱や梁を支えている装飾の鬼など。

スウィーツデコは奥様の担当で、どこでも子供達に大人気。今回も女の子の人だかりができていました。ご主人と私は、奥様の繁盛振りを横目に「いいなあ」とうらやましがることしきり。

この世界では知る人ぞ知る「つう工房」さん。

こちらも毎回ご一緒する、ボトルシップならぬ“ボトルドライフラワー”の「四季楽観」さん。
高校時代の同級生S君が今年もお手伝いに来てました。
彼は高校時代サッカー部で全国優勝も経験しています。シニアとなった今も続けており、本当なら今日は栃木県宇都宮市で行われている「年リンピック」に出場するつもりだったんだとか。でも、腰椎の骨がずれて腰痛と痺れが出てあきらめたんだそう。杖を突いてヨボヨボと歩いていてちょっと気の毒。私も最近膝が痛くなることがあります。お互いそういうトシになったんだなあ」と..シミジミ..。早く回復することを祈ってます。

陶芸の「十全工房」さん。商品ディスプレイ用にとミニログベンチを購入いただきました。

フルーツケーキの「KANE Factory」さん。見えませんがお座りになられているベンチをお買い上げいただきました。ケーキ、大人気で、撮影時(5日)もうあと3つしか残っていませんでした。奈良の大和郡山からのご出店。ネット通販もされているそうです。

出店者交流会。
私が知る限りで交流会がある市はここだけです。参加費1,000円で呑み放題、食べ放題とまでは行きませんが、ほとんどそれに近いボリューム。出店者の自己紹介や地元スタッフさんのオカリナ演奏に今回は“鼻笛”演奏!?などもあって楽しい。いろんな作家さんともお近づきになれるし、私はほとんど6、7割この交流会が目的で出店させていただいているようなもんです。
 
右は、地元作家さんの“鼻笛”演奏。「鼻笛検定」なるものがあって、彼女は「鼻笛1級」だそうですホンマカイナ。芸人さんのように楽しい方でした。
自作“缶楽器”?で沖縄民謡?の演奏。