WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

京都環境フェスティバル

2009年11月22日 | 環境・エコ・共生・持続・温暖化とか・・

初めての椅子展に出品したので京都環境フェスティバルを見に行ってきた。

思ったほど応募がなかったようで出品は15点ほど。ちょっとショボかった。
私のはこのピカチュウ。杉丸太ムク材から彫り出したので少し割れがきてしまっていた。

他の作品で良いなと思ったのはこれ。

 角が無く丸みを基調としたデザイン。幼児用は何よりもまず安全第一を考慮してデザインしないといけない。集製材を使っているので割れもない。
 他の作品は、動物をあしらったりしてかわいく作ってはあるが、角があったり幼児がつかまると不安定そうなデザインが多かった。

丹後のいくちゃん。とっても元気なオバちゃん。だんなさんは漁師。

特産アカモク(海草)の普及販売中。久しぶりに会って懐かしかった。

京北町にある北桑高校森林リサーチ科のマツタケ山再生活動紹介。
マツノザイセンチュウ耐性アカマツ苗の植林活動中だとか。

成果のほどはこれからだろうが注目していきたい。
ほかにも木工やログハウス作り実習などなかなか楽しそうな高校だ。

重量わずか1.5kgのロードレーサー。

1.5リットルのペットボトルとほぼ同じ重さ。片手で担いで山にも登れそう。
材質はカーボンFRBが中心。価格は15万円。ブランド物のマウンテンバイクよりは安いか。

電気自動車。三菱のMiEV。

試乗させてもらえた。とにかく静か。思いのほか加速はスムーズでガソリン車と変わらない。
満タン充電での航続距離は約100km。価格は460万円!ウ~ン。まだまだか。
確かに車自体はCO2を出さないが、電気を作る部分ではどうなのか?

下水処理場の最終処理残渣を焼成して作ったレンガ。

タダで配っていたのでついつい貧乏人根性でもらってしまったが、先のカーボン自転車よりはるかに重く、バスと地下鉄で持って帰るのが大変だった。

エコクイズショーに“辻ちゃん”が出演。ものすごい人だかりだった。さすがにかわいかったが撮影禁止、残念。

昨年見た、琵琶湖環境ビジネスメッセに比べると、NPOなど主体で市民目線の親しみやすい展示が多かったが、半面「別に敢えて環境にこじつけなくても」「“環境”って何でもありなんかいな?」と思えてしまうほど内容は雑多で、まあ、“フェスティバル”=お祭りではあった。


今年最後のまつたけご飯

2009年11月16日 | まつたけ

 彦根市石寺地区で開催された「まちづくり勉強会」でのマツタケ山作りワークショップにまつたけ十字軍として参加させていただきました。
 滋賀県立大地域再生モデル研究チームと石寺地域住民の方々との共同町おこしの取り組みの一環として、かつてはまつたけがたくさん採れた地区のマツタケ山を再生するためのワークショップにお招きいただきました。


 驚いたのは、10~20年生と思われるアカマツを中心にかなりの数がマツクイムシにやられずに残っていたことです。
 周知のとおり西日本の山はマツクイムシの猛威にさらされて松枯れの進行が著しく、環境異変とあいまっていずれマツタケも絶滅危惧種と化すのでは?と心配されています。
 地域の方にうかがったところでは、「この山も50年代以降、薪燃料調達などいわゆる里山としての利用が行われなくなり、荒れ始めてやはりマツクイムシにやられ松枯れも激しかった。20年ほど前から県の補助金で除間伐とアカマツ苗の植林が行われるようになった。」とのことでした。

 確かに、写真手前の区域などに下草に隠れるように、すぐ植林と分かる等高線に沿って等間隔に植えられたアカマツ苗が並んでいました。しかし、植林後の手入れが十分でなく、アカマツ苗が下草に覆われて日当たりが悪くなり成長不十分で弱っていそうな幼松も見られました。
 アカマツが成木となったらマツタケ発生に適するように、地面が乾き過ぎないように適度に下草や潅木を残す調整も必要でしょうが、苗が小さいうちはとにかく下草刈りをこまめに行って幼苗に十分に陽が当たりすくすくと成長してくれるような管理が求められるでしょう。

 後方の若いアカマツ林もほぼ等高線に沿って生えており、以前植林された苗が成長したものと思われます。こちらの領域は、地面の富栄養化で競争力の強い常緑樹などの繁殖でアカマツが駆逐されてしまわないように、また、マツタケ胞子を受け入れられるように定期的な除間伐と地掻きが必要でしょう。

 それにしても、一度除間伐と植林で更新されたにしろ、これだけのアカマツがマツクイムシにやられずに残っているのは驚きでした。
 要因として、①マツクイムシには樹勢の衰えた老木がやられやすいが、この山は植林後間もなく若い木が多い、②他の山塊とは離れた独立峰(といっても標高高々260mほど)となっていてムシが入り込みにくい、③琵琶湖近くで湖から吹き上げる風で比較的気温が低く保たれる、などが考えられるかもしれませんがはっきりしたことは分かりません。できれば調査で要因を明きらかにしてもらえれば他での参考にもなるでしょう。

 また、標高わずか260m、周径2~3km前後の独立峰であるにもかかわらず途中の沢ではさらさらと水が流れ、アカマツ林の地面はけっこう湿潤状態でした。前数日雨模様であったことを考慮しても保水力の高い山だと感じました。日当たりもよく整備次第ではかなり良いマツタケ山になりそうでした。

さて、ワークショップでお腹をすかした後は待望の昼ごはん。

まつたけご飯に、まつたけのお吸い物、地鶏すき焼き。今年のマツタケは凶作。私の今シーズンのまつたけ食はこれが最初で最後となりました。

昼食後の交流会では特産のジャンボ富有柿の皮むき大会。

 県立大のまちづくり調査研究の一環で地域の古民家の蔵収蔵古民具を調査されており、見学させていただきました。古民家といっても大正時代のものとのことで、想像していた明治、江戸の茅葺き屋根と土蔵ほど古いものではなかったのですが、そこはそれ、大正デモクラシーと日本近代化の時代の空気の一端に触れることができて興味深いものでした。それらの中から特に興味を惹かれたものをご紹介します。

<蓑>

 藁を編んで作られたどうってことない蓑ですが、興味深いのは表面に茶色のビニール?がコーティングしてあること。ビニール(塩化ビニル)の工業化は戦後ですから、戦前のものならビニールコーティングは無いでしょうし、戦後も間もなく雨合羽に取って替わられたでしょうから、戦後の一時期、蓑から雨合羽への過渡期の製品であったと推測され、販売期間はごくわずかの期間だったにちがいありません。現存する物は数少ない、貴重な資料と思われます。
 特に、表面に印刷されたトレードマークが出色です。蓑をしょったカエル。カエルに蓑が必要かどうかは分かりませんが、何ともユーモラスでなかなか洒落たデザインです。戦時中の軍国主義下では絶対に無い、時代なりに平和で自由で明るかったからこそのデザインですね。

<自転車の空気入れ>
(蓑を撮ったところでカメラの電池がなくなってしまい写真が撮れませんでした)
 長さ約60cm、ポンプ管の直径約7cmと、現代のそれより少し短くて太めです。ハンドルやポンプの形状自体は現代の物とそう変わりません。色はカーキ色。変色していることも考えられますが。自転車は見当たりませんでしたが、古いリアカーがあったのでそのタイヤ用だったのかもしれません
 驚きはその軽いこと。金属製に比べればはるかに軽く、現代のプラスチック製空気入れと変わらないくらい軽い。当時は、現代のプラスチック製空気入れの素材であるポリエチレンやポリプロピレンはまだ無かったと思われます。触った感じや完成された円筒形から竹や木ではないでしょう。考えられるのは、当時万年筆などの素材であったエボナイトとか、ベークライト、キューピー人形のセルロイド?(はないか)。いずれにしても、これも当時の暮らしをうかがい知る貴重な資料です。

<鋤>(これも写真が撮れなくて残念)
 長さ150cm前後、先の長い角スコップのような形状でスコップ部分が湾曲しているのが大きな特徴です。抵抗を少なくする工夫かスコップの中を3筋切り抜いてあるものなどが数種類ありました。
 案内していただいた県立大の先生のお話によると、スコップ部分が湾曲しているのは、他にない近江北部の鋤の特徴だそうです。南へ下るほど湾曲が少なくなり大津あたりでは真っ直ぐな鋤が使われていたとのこと。何故なのか聞きそびれましたが、湾曲している物の方が土中に食い込みやすく田起こしがしやすいそうで、北部の田んぼほど土が固く起こす力の強い鋤が求められたのかもしれません。


普天間基地は関空移転で一挙両得!?

2009年11月12日 | このごろ思うこと

50年以上も沖縄県民に負担を強いてきた米軍普天間基地の移転問題。

所詮自民党くずれの派閥集団でしかない民主党政権は、米国の顔色を伺いながら右往左往するばかり。
一方で始まった事業仕分けパフォーマンス。まず事業仕分けの対象となるべき第一級のムダ遣い、お荷物関空などの莫大な金食い虫は俎上にものぼらず、出世レースの落ちこぼれキャリア官僚救済のためのケチな事業を、さも国家の重大事のように口角泡を飛ばしあってみせる滑稽さ。あんなものは事務レベルで存廃を決めて報告すれば済むことだ。

そこで提案。

普天間基地は関空に移転すれば一挙両得ではないか。

ついでに嘉手納基地は、羽田ハブ化でますますぺんぺん草が増えそうな第2滑走路が有効活用できる成田へ、キャンプシュワブは廃港になりそうな神戸空港にでももってくればよい。

3府県の日米同盟派市民は、今こそ橋下、森田、井戸知事を先頭に基地招致運動に全力を挙げる絶好のチャンスではないか。火の車の自治体財政も潤うだろう。
まあ、どうせ自分達の居住地近くに基地が来るのは困るという、卑しいエゴが本音だろうけど。


はじめての椅子展

2009年11月04日 | チェンソーカービング

に出品します。


後は、

ピカチュウ。

 歩き始めた幼児がはじめて座る椅子を、京都の地場産の木を使って製作する、という展示会(京都・森と住まい百年の会 (なんか最近、ナントカ百年の会があちこちに出没している気が...))。まあ、「地場の木を活かして森を守ろう」という趣旨には賛同するので。

 足元がおぼつかない幼児がぶつかっても怪我しないように角を無くすこと、軽くて倒れにくいこと、木のぬくもりを感じ取れること、小さい子が親しみをもてるデザインなどに配慮して製作したつもり。


福田衣里子議員がんばれ

2009年11月04日 | このごろ思うこと

かわいいから応援するわけではありませんが...
 小沢チルドレンの福田衣里子議員が、「肝炎対策基本法」の議員立法を小沢に直訴して、民主党幹事長として議員立法禁止をとる小沢に例外を認めさせた。

 「肝炎対策」自体は、「平和」、「環境」と同じで、野党の自公、共産はじめ全党が賛成に回らざるを得ないといった誰もが反対しにくい「ブリッコ子スローガン」の一種ではある。
 しかし、「一年生議員は選挙対策専念」、「議員立法禁止」、「文科省の教科書検定ならぬ陳情・政策の幹事長室検定制度」...、着々と金正日化する小沢民主党。票集めパンダ小沢チルドレンの一人として徴用された「怖いもの知らずのお嬢様」とはいえ、小沢国家主席に例外を認めざるを得なくさせたのは事実だ。

 衆院予算委員会のやりとりをTV視聴していても、自民、民主相変わらずの茶番「論戦」劇にはほとほとうんざりだった。同じ穴の狢どうしが子供のケンカのような揚げ足の取り合い、低劣な対立猿芝居を演じている。そんな政治にぶら下がってメシの種にしているコメンテーターの政治バラエティー番組や報道番組も同様。

 一つ例を挙げれば、郵便会社の社長人事。天下り人事かどうかなど、どうでもよいとは言わないがことの本質ではない。問題なのは、郵便局サービスが無くなって困り果てている田舎の人たちをどう救済するのか、民営化市場に投げ出された巨額の郵貯、郵便保険資金の使われ方なのにそんな話は一言も出てこない。

 今の国会、ちゃんと議員の仕事をしているのは、日本経済混乱の本質である雇用問題解決を迫る共産党の議員と天然福田衣里子議員だけだ

関係ないけど、楠田恵里子さんは今どうしているのだろう?