WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

スダジイ

2023年11月03日 | 岩倉発見記

遊びに来た孫たちと紅葉の岩倉実相院へ散歩。
紅葉にはまだ早く、門前の公園で遊んでいるとスダジイの実がたくさん落ちているのを発見。
スダジイは炒って食べると栗に近い味で結構おいしいドングリです。日本のナッツ。
拾って帰って食べてみました。意外に孫たちにも好評でした。


栗に蜂

2022年06月10日 | 岩倉発見記

今年の栗の木は例年になく元気そう。例年以上にたくさんの花を開き、まるでナンジャモンジャのように雪景色を連想させます。その花目当てにたくさんの蜂たちが集まってきています。ミツバチは言うに及ばず、クマバチ、アシナガなども。秋には栗の実の豊作を期待。


比叡山三態(視点の大切さ)

2021年01月21日 | 岩倉発見記

岩倉の地から望む比叡山は、場所によって多少の違いはありますが、だいたい下の写真のようなきれいな三角形の山の姿をしています。まさに、天台宗総本山延暦寺のある霊峰といった趣が感じられます。京都側から見える比叡山はおおむねこのような山らしい形をしています。
所によっては電線が無粋ではありますが、現代ではしかたありません。

こちらは我が家のベランダから見た比叡山。一部、前山にさえぎられて、残念ながらあまり良い形には見えません。

さて、山の向こう側は滋賀県、大津市浜大津から見た比叡山がこちら。
なんか平坦でテレーっと丘陵みたいです。


比叡山は、見る方角によって見え方の変化が大きく変わる山の代表格かと思われます。
富士山などは周りのどこから見てもこれほど大きな変容はないでしょう。
今さらですが、「いろいろな視点から物事を見ること」の重要性を改めて教えてくれた比叡山三態でした。


変わった植物

2020年06月06日 | 岩倉発見記

近所を歩いていると畑の一隅と、あるお宅の玄関先に変わった植物を見つけました。
畑で作業中の方と、白い泡のような花?のお宅の方(厚かましくもチャイムで出てきてもらいました)にうかがった話。

紫色の巨大ネギボウズはアリウムギガンチウム、通称ギガンチウムというネギの仲間だそうです(ネット調べた学名もまんまのAllium giganteum)。公園・庭園の鑑賞用や生け花用として広く知られ、結構あちこちで栽培されていて、野生化しているものもあるらしい。

また、泡のような花は最初、見たことのある「ナンジャモンジャ」という木かなと思いましたが、ナンジャモンジャはこれほどまん丸ではなかったような?
教えてもらったところによると「ハグマノキ(白熊の木)」というそうです。南欧原産で向こうでは「スモークツリー」とよばれているとのこと。なるほど全体で見ると煙のようでもある。

どちらも園芸品種として導入された外来種とのことですが、知らんかった。私は初めて見て「なんじゃこら?」とビックリしました。


宝ヶ池のオシドリ

2018年12月13日 | 岩倉発見記

天気予報が少しいい方にはずれ、日差しに誘われて宝ヶ池公園へバードウォッチングを兼ねた散歩に行ってきました。
宝ヶ池公園には、12月になるとカモなどの渡り鳥達がやって来ます。
オシドリ発見!

例年だと2、3羽はいてもおかしくないのですが、やはり温暖化のためかどうかは分かりませんが、まだ1羽しかいませんでした。

でも、せっかくの観客を楽しませてあげようと思ってくれたのか、逆立ちするマガモとそれを見守るオシドリのツーショット。


岩倉お寺巡り

2018年05月01日 | 岩倉発見記

三宅八幡宮奥の山麓に変わったデザインの多宝塔が見えます。
この辺りは岩倉地区ではなく隣の上高野地区になります。

「あれは何だろう?」とずっと思っていたのですが、確かめに行ってきました。
「三明院」という真言宗のお寺でした。

山門を入ると陶製の羅漢さんが並んでお出迎え。

本堂。

境内には吐水龍の井戸と手水鉢。なかなかに手作り感のあるほのぼのとした龍。
そういえば、江戸時代の手押し式火消しポンプは「龍吐水」と呼ばれていた。

妙にリアルな地蔵?

多宝塔は観覧フリー!何ともおおらか。ただし土足禁止。
上高野の町が見渡せる。天守閣から民の暮らしを眺める殿様のような気分。


新型「ひえい」

2018年03月23日 | 岩倉発見記

3月21日より、洛北のローカル鉄道、叡電に新型車両「ひえい」が運行始めました。

https://eizandensha.co.jp/hiei/

初日は一番電車をゲットしようという人たちでごった返したようです。
超ローカルだけあって初日の大騒ぎも早や過去のもの、余裕で乗車できました。
出町柳ー八瀬比叡山口間、たった8駅15分弱の旅ですが、私の居住地の最寄り駅は6つ目の「宝ヶ池」、10分ほどで着いちゃいます。
楕円をモチーフにしたデザインは、ちょっと未来形の遊園地のおサルの電車のよう。
なにせ、1両のみなので乗るには「ひえい」の運行時間に合わせる必要があります。「出町柳駅」以外の時刻表は上記WEBサイトで見られます。


瓢箪崩山

2017年06月05日 | 岩倉発見記

岩倉、八瀬、静原、大原に囲まれた山域の”最高峰?”「瓢箪崩山(532m)」に登ってきました。このロケーションなので登山口はそれぞれの地域から伸びていますが、今回は私の地元、岩倉花園町(標高約130m)から登って岩倉長谷町へ下りる登山コースです。標高差はおよそ400mとなります。実際には大原井手町(標高約200m)から登るコースの方が標高差が稼げるのでそちらから登る人の方が多いようです。
「瓢箪崩山」という変わった名前は、山容が瓢箪を横倒しにして崩したように見えることによると言われています。

岩倉花園町住宅街の東端のY字路を左へ。

住宅地のはずれに再びY字の分岐があるが左へ。

住宅地を抜けて山道に入るとすぐ、右手に農業用貯水池。

明るい林道を行く。

300mほど進むと左手に「瓢箪崩山」登山口がある。地元消防団によって設置されたコース標識No.1が目印(「瓢箪崩山」山頂は標識N0.5)。

ここから約30分、やや急登が続く。
花園町コースはいきなり急登となりますが、後半は緩やかな尾根道が続くので初めにしんどいところを頑張れば後は楽です。

途中、岩倉市街地を眺望できるポイントもあります。

約30分急登を頑張って登りきり少し緩やかになってくると...

まもなくN0.2の標識が見えます。

明るく風も心地よい緩やかな尾根道が続き、約15分で標識No.3のある台地に出ます。

さらに約15分、八瀬方面からの登山道との合流地点に標識N0.4がある。ここまでくれば山頂は近い。

5分もすれば、Y字の分岐点に着く。No.標識はありませんが、右手に「瓢箪崩山」方向の小さな道標があります。右に行きます。
なお、左の道は4地域からの登山道の交差点となっている寒谷峠につながっています。寒谷峠からも、岩倉長谷町起点の登山道から山頂への道がありますが、かなりの急騰で少々荒れてもいます。今回、下山はその道を取りました(後述)。

まもなく山頂が見えてきます。

「瓢箪崩山」山頂です。No.5の標識があります。他にも三等三角点やら新旧の道標やらがたくさんあります。
標識の後方(北東)には大原の里を望む。

山頂パノラマ写真。

南東遥かに比叡山、下方には八瀬の里を望む。

北西には岩倉の里が望める。

そして南方には遥か京都市内が望める...はずですが、残念ながら木々に阻まれて見えません。

さて、山頂で昼食休憩してNo.6寒谷峠方向へ下山します。
いきなり結構急な下り。寒谷峠経由で登ってくるのは最後が急登でしんどそう。

10分ほど下ると急な岩場に出る。昔は岩場を下りたようですが、現在は荒れていてとても下りれない。岩場左手からテープで示された迂回路を下りる(約40m)と、登りで山頂方向へ向かった寒谷峠方面との分岐点から続く道に出る。写真のテープ標識を左へ登ると今下りてきた山頂への道、右奥へ向かっている道は分岐点へと続いている。写真手前方向が寒谷峠へ向かう道。

5分ほどで寒谷峠(No.6)。岩倉(長谷町)方向へ下る。

寒谷峠から山頂方向を見る。左手が岩場の旧道、右手が今下りてきた道。


岩倉長谷町への道は結構急でしかもかなり荒れているのでこちらから登るのは大変そう。

植林したヒノキ苗を鹿に食われないようにネットを張っていたようですが、今では倒木などで見るも無残な姿に。

麓の方はそこそこ手入れされた人工林が続いている。

スギ、ヒノキ林のはずれに聖護院門跡陵墓。里は近い。

寒谷峠から30分ほどで長谷の里に出る。有名なパン屋さん、BRUGGE。本日は定休日でした。


三宅八幡の絵馬群

2014年01月16日 | 岩倉発見記

初詣に行った三宅八幡神社の絵馬を見に行ってきました。

元日は柵がしてあって休館だと思ったのですが、社務所で申し込めば入館できたそうです。というか柵は常時してあって、鑑賞希望者は社務所で申し込むシステムになっているようでした。この日も入館希望者は私だけだったようです。職員の方がマンツーマンで丁寧に解説していただき、とても興味深く鑑賞することができました。

絵馬というと文字どおり馬や干支などを描いたものが多いですが、ここの絵馬は一般庶民の、それも大勢の団体で遠足のようにお参りする様子を描いたものが多く、当時の庶民風俗を偲ぶことができ、民俗学的史料価値は高いと思われます。
下はその一例。館内は撮影禁止なのでパンフから写したもの。

中には100人以上の行列が描かれたものもあり、右の図のように服装や動きまで生き生きと表現されており、しかもその一人ひとりの名前まで記されているのです。名前から存命する子孫の方が判明した人もいるようです。子孫の方はそれを見てさぞ感慨深かったことでしょう。

絵馬群の整理研究成果を記録した冊子。2,500円ですが十分に価値はあると思います。

整理・調査研究は2005年に行われたようで、それまでほとんど注目されていなかったため、絵馬殿で野ざらしになっていて傷みが激しいものも相当あるのは残念なことです。
有名寺社のものは研究・保全も盛んに行われますが、地方の忘れられたような小さい寺社にもこのような貴重な文化遺産が日の目をみられることなく眠っているかもしれません。