WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

マンガチックな日本の原発事故対応としたたかな米・仏

2011年03月31日 | 今日の出来事

いよいよお手上げ状態の福島原発。信じられないTV報道が。

 不謹慎ながら、“打ち水大作戦”だけでもハラハラしていたのに、何をトチ狂ったのか東電は放射性物質の飛散防止に原発を“ふろしき”で包むだの、ガレキを“ノリ”で固めるみたいなことを考えているらしい。もはや正気の沙汰とは思えない、ギャグマンガの世界だ。
 “優秀?”な科学者、技術者、“知識人”がいるはずの日本で、こんな馬鹿げた話が誰も物言わずまかり通るなんて。日本の科学、技術力、危機管理能力ってたかがこの程度のものだった。

 日本は、東電はもちろん、政府、エラそうにしゃべる割に役立たずの学者知識人どもを含めて、子供だましの破綻引き延ばしをするしか能がないことを露呈してしまった。
 このまま日本人に任せていては自国の原発ビジネスへの影響も避けられないと危惧し始めた米、仏に、恩着せがましく乗り出されてももはや返す言葉もなく、従してケツを拭いていただくという屈辱的で情けない事態となってしまった。米・仏の真の目的はミエミエ。日本のケツを拭いてやることで、災い転じて自国の原発(技術)を売り込む一大セールスキャンペーンの場にしようというわけだ。

 セールスマンとしては、たかがベトナムごときから原発引き合いをもらったくらいで嬉々としていた菅など足元にも及ばないサルコジは、機をみるに敏で急遽中国外遊を短縮して米に先んじて乗り込んできた。サルコジ・菅の共同会見は、日本のこれまでの特攻隊的事故対応とあいまって、太平洋戦争敗戦当時の、コーンパイプを吹かしながら胸を張って、ショボクレチビ天皇を従えて写真に納まっていたマッカーサーを彷彿とさせるものであった。

 これからのシナリオ。
米は無人偵察機で事故直後からすでに情況を逐一観察、いずれ日本は「助けてくれ」と泣きついてくるに決まっていると高見の見物をしていたところが、仏に出し抜かれてしまった。
 それはともあれ、原発は表の顔、ウラの実体は軍需産業のアレバもGEも、無人偵察機や放射線測定機など観察とモニタリングにしか使えず事故の収束には直接役に立たないロボットだけでない、工作作業もできる無人ロボット兵器をすでに開発している。もちろんそんな物は軍事機密で表には出てこない。しかし、ただ手をこまねいて事態を泥沼化させてしまった日本のケツ拭きのために、これらを秘密裏に(多少バレてしまうのは仕方ない、ビジネス優先)動員して収束を図ってくるだろう。

 そして行き着くところは結局「石棺」だ。チェルノブイリに見るとおり「石棺」化は処理完了までに数十年、数百年の長期管理とリスク・経済負担を要することになる。しかし彼らは、そんなことは知ったこっちゃない。とりあえず封じ込めてしまえばヒーローとなる。原発さえ売れればそれで良いのだ。後の長い苦難は日本に押し付けておけば良い。尻拭いしてやったのだから文句は言わせない。
 ま、これがもし米で起きた事故だったら、事故処理後の膨大な放射性廃棄物は使い古しの“ディスカバリー”にでも詰め込んで宇宙のどこかに捨ててしまうのだろうけど。

 福島原発事故はもはや日本の手を離れ、米・仏の原発ビジネストップランナー競争の場へと転化した。


3月29日醍醐市レポート

2011年03月30日 | 手づくり市

まずはお知らせ。
4月2日、小町手づくり市(隋心院)に出店します。

 さて醍醐寺。
今回もFさんと共同で出店。さすがに2月28日よりは出店数もお客さんもありましたが...。

出店数は40~50店、店の前を通る来場者は平均20~30人/時間くらい。好天と桜で期待したのですが思ったほど多くはありませんでした。やはり平日というのはかなりのハンディなのかも。売り上げもなかなかキビシイ。

 震災義援金募金用に米袋エコバッグ東北バージョンを出しましたけど売れませんでした。少しでも義援金をと思って値段を高めにしたのがまずかったかな。

  募金箱をお借りしてブースに置いてみたのですが、大人たちの反応はもうひとつ。震災募金はあちこちで取り組まれているので、「もう他で募金した」という声もよく聞かれました。
少ないお小遣いから募金をしてくれたのはほとんど子供たちでした。うれしかったけどちょっと複雑でした。

 急遽作って持って行った丸太ベンチ(上写真右下)が売れました。
休憩用なので非売品でしたが、欲しいという方がいたので市が終わってから売っちゃいました。もう一つのも引き合いがありました。丸太製品を出している店がないので受けたのかもしれません。やはりこういう市では、お客様が求めるのはオリジナリティーとオンリーワンなのかも。丸太製品は重いし大きいし持ち帰れないと思って出していませんでしたが、これからは少し増やしてみようかと思います。

 Fさん作のミニカーも売れました。隣のアクセサリー屋さんに来ていた若い女の子たち。この子らの語彙には「カワイイ」しかないのかと思ってしまうほど、「カワイイ」を機関銃のように連発してました。今さらながら時代のキーワードは「カワイイ」!


原発要らない

2011年03月26日 | 環境・エコ・共生・持続・温暖化とか・・

原発賛成派にも反対派にもいろいろ言いたいことも意見もあります。

でも命にかかわる事故を繰り返している現実がある。それだけで十分だと思います。
原発は命にかかわるのでいらない!
原発の被爆によって癌に侵されなくなられた平井憲夫さんの訴え(音やんさんブログより)

昨日、何も知らずに原発修理に放り込まれた東電の下請け、孫請けの作業員さんが、杜撰な現場管理で危うく殺されるところでした。いや、とりあえずは「焼けど」でも、この先一生続く、何が体に起こるかわからない恐怖。東電のエライさん、原子力保安院の役立たずさん、アンタが行けよ!

もう一人紹介されています「反対派」田中優さん、こういう原発反対がアイデンティティーみたいなお方、私は正直あまり好きになれないので...。すいません。


私にできること(東日本大震災)

2011年03月26日 | このごろ思うこと

2週間がたった。

おそらく、被災をまぬがれた日本中の多くの人たちが「何かしたい」「何かしなければ」という思いに駆られていることだろう。私もその一人。

ネットで被災地の自治体や社会福祉協議会の支援要請情況を調べると、現状ではボランティアの受け入れは、自力で交通・宿泊・食事ができる県内もしくは近県の人のみとされている。当然だ。被災地で貴重な燃料・宿泊所・食事などを消費されたのではたまったものではない。

一方で、TVの実況では「現地では人手が足りない」と繰り返され、遠くから友人の支援に駆けつけた人の紹介がされたりすると、「ボランティアというのは闇雲に行けば良いというものではない」とわかってはいても、まるで「この一大事にいったいお前は何をやってるんだ!」と責め立てられているような気にもなってしまう。

ボランティアをするにしてもどこかが効果的にコーディネートしないと、個人が勝手に動いては混乱を招くだけだと思うので、私の居住地京都の自治体では救援ボランティアをどうしているのかと調べてみると、今日26日の時点でもやはりまだ「現地の受け入れ態勢ができるまで待て。問合せ電話なども迷惑になるので控えるように」とされている。

震災のあった週明け、とりあえずは役所に行ったときにおいてあった募金箱に募金をしてきた。
被災者の疎開受け入れも始まっているようだが、残念ながら狭い我が家にはそんな余裕はない。
物資を送るといっても現地に必要の無いものを送ってもかえって邪魔になるだけだし、必要そうな物でも個々人がわざわざ買って送るよりは日赤なりのセンター的な組織が必要な物を募金でまとめてそろえて送る方がはるかに効率的で効果的だ。NPOや自治体が個人からの物資提供を募っているのは、正直あまり賛同しかねる。

そんな中、こんな取り組みが地方紙に載っていた。
性別・年代・サイズが一致する不特定の個人に衣類などのセット(福袋みたいな)を手紙とともに送るという取り組みだ。確かにこの方法なら「仕分け」の手間や需要と供給のミスマッチもかなり防げそうだ。それでもやはり物ごとにまとまった大量支援の方が有効だとは思うが、手紙も添えて届けるというのは被災者への精神的な励ましににはなるかもしれない。わざわざモノを買って用意するのなら募金をしたほうがマシだとは思うけれど、今手持ちの物で役立ちそうなセットが作れるなら考えてみようかと思う。


日本は何故原発を推進したがるのか?

2011年03月22日 | 環境・エコ・共生・持続・温暖化とか・・

 子供だましの放水や現場作業者に被爆させてまでの時間稼ぎにもかかわらず、福島原発は刻々と破綻に向かっている。いかにも収束に向かっていそうな印象を与えようとするパフォーマンスをしてまで悪あがきをしているのはいったい何故なのだろうか?

 原発反対派はその危険性ばかり強調するが、推進派がなぜ危険を隠してまで強引に推進しようとするのか、その動機付けを説明し切れていない。

 推進派の言うように、原発は確かに化石燃料発電に比べればCO2排出はずっと少ない。また、化石燃料はこのまま消費が増えると100年もつか持たないかといわれているのに対し、核燃料は永遠に近い。
 ウラン自体は今後60年で掘り尽くされてしまうだろうという見方もあるが、二次生成物のプルトニウムの半減期は2万4千年もある。使用済み核燃料の再利用(核サイクル=プルサーマル)をすれば、まあ、とりあえずは半永久的といえるだろう。

 核兵器転用目的や大事故を起こした原発は論外だが、低レベルにコントロールされた「核=放射線」の危険性というのは、要するに確率とプライオリティの問題である。
 何時間の被爆でガンを発症する確立が何%であるか、あるいは体内被曝と体外被曝での確率の大小。反対派は確率が増加することを問題視し、推進派はレントゲン撮影やCTを引き合いに被爆のリスクデメリットと病気の早期発見メリットとのバランスの問題にすり替えようとする。反対派はデメリットを押し出し、推進派はメリットを強調する。
 他の問題でもよくあることだが、こうした論議はとかくかみ合わず水掛け論になりやすい。

 私自身は、現状では原発には反対である。
 第一に、現在の技術ではコントロールしきれないから。もし将来、完璧にコントロールできるようになれば便利なエネルギー源として利用できる可能性無しとはしない。
 しかし、現状では大小含めて事故は頻発しているし、いったん動かし始めれば止めることができない。点検などの際には停止したと言っているが、核反応(放射線放出)が止まっているわけではない。放出される放射線を制御棒で吸収し、核反応の増大を抑えているだけで、現在の技術では核反応自体を止めるすべはない。正確には核反応の停止ではなく発電所機能の休止であり、その分危険な期間が数千年の単位で長くなるだけのことだ。
 第二に、原発がなくても困らないから。少なくとも原発がなくてエネルギー的に少々窮屈になっても、それに合わせたライフスタイルにすることによって危険にさらされず安心して生活できるほうがいいに決まっている。

それでは何故、推進派はそこまで原発に固執するのだろうか?
それは金儲けこそが資本主義社会の推進力であるからに他ならない。

 旧ソ連圏(東欧)諸国では今、旧ソ連製の原発が老朽化し更新を迫られている。また資本主義先行国に追いつけ追い越せと強引な成長を図る中国、インドのエネルギー需要の急速な増大、石油産出国でありながら精製技術がなく先進国に依存せざるをえない中東諸国の原発エネルギー需要。発展途上国では潜在的原発需要が増大している。

 一方で、エネルギー供給の核化は、化石燃料から転換した莫大なCO2排出権を生みだす。欧州では排出権取引市場が準備されつつあり、新しいこの市場に参入することによって更なる莫大な利益を生むことができる。しかし、世界1位のCO2排出国となってしまった米国は、核化抜きにCO2削減はもとより、排出権購入の必要こそあれ排出権の捻出などもはや不可能なところまで来てしまっている(だからこそ「京都議定書」を批准するわけがない)。
 欧州中心に高まる温暖化防止・環境保護の動きの中で、米国としては“同盟国”日本を巻き込んででも核化によるエネルギー確保と排出権捻出の一石二鳥が国家戦略とならざるをえない。実際、オバマの前、ブッシュの時代から「核燃料サイクル計画」は、(TPP、食料支配と並んで)米国の国家戦略の一つの柱となった。

 旧自民党政権のもとでこの米国の核サイクル戦略に組み込まれた「同盟国」日本は、民主党政権となってもその戦略を踏襲し、菅政権の所信表明でも新幹線売り込みと合わせて、米の核燃料サイクル計画に沿った核燃料サイクル含む原発売り込みが2大経済国家戦略として強調されていた。
 そしてこの間、日米の核関連大企業は、三菱・日本原燃・アレバグループ、東芝・住友・古川・ウェスティングハウスグループ 、日立・GEグループなどが日米核燃料サイクル計画提携の合従連衝と、中国、インド、旧ソ連圏諸国、中東諸国からの原発受注競争に狂奔しているのだ。
 そんな中、日本は核燃料サイクル施設(六ヶ所村、東海村)と原発売り込みのためのショールームと化してしまった。ショールームで不良品の展示など許されるはずもない。今回の原発(デモンストレーション展示品)の破綻は、あくまで想定外の地震・津波によってもたらされた不測の「事象」なのであって、絶対に「事故」であってはならないのだ。


小町手づくり市

2011年03月19日 | 手づくり市

3月19日、隋心院の小町手づくり市に初出店しました。

 この市では、出店ブース位置を前もって連絡してくれるので、当日場所取りのために早くから並んだり空きを探して右往左往することもないし、知らされた場所に合わせて事前にブースのレイアウトなどの準備もしておけるのがありがたい。

7時ころに現地入りし、8時前には設営完了しました。回りもまだ設営済みはまばらで(数店)、隣のブースもこれからノンビリ設営の様子。車もブース前まで入れられるのも助かる(搬入後は出店者用駐車場へ移動)。

開始時刻の9時を少し回ったころの様子。出店数は約60くらい。

隋心院は梅園が有名(入園料400円)ですが、「金を払わんやつにはゼッタイ見せてやるもんか」といった、よくある無粋な高い塀で囲ったりされていないので外からでも十分観賞させてもらえます。なかなかおおらかなお寺さんです。手づくり市は梅園のすぐ前で開催。

今日の来場者は、年配のおばさんグループ中心にやはり梅見のお客さんが多いようでした。

黄色い車はなんと「オムライス屋さん」。車出店もOKみたいです。

 この市は幼児連れの若いお母さんがママ友グループで来て、子供たちを遊ばせながら日がなおしゃべりや食事、買い物を楽しむ交流の場にもなっているようでした。わたし的には「手づくり市」に車出店は?ですが、お母さんと子供達が暖かいお昼を食べられるように、これもありかもしれないです。

 それにしても、山門の石段に座ってお昼食べながらおしゃべりに花咲かせているヤンママたちを見ていると、あらためて「おおらかで庶民的なお寺さんだなあ」と感じ入ってしまいました。山門でピクニックなんて、他のお寺や神社ならまず許されないでしょう。ヤンママさんたちも石段を汚すことなくきちんと片付けていました。
なんか微笑ましくてよかったなあ。これも手づくり市の一つの姿だと思います。

 もっとも、私の店の売り上げはイマイチでした。ま、それは、このママさんたちにマッチした商品を用意できていなかったこちらにも問題が。唯一マッチしたと思われる木の自動車は5個売れました。

 よく一緒になる切り絵の「刻紙庵」さん。今日はホームレス風ではなく、切り絵の師匠らしい和装姿でした。

 隣のブース(陶器と革製品のお店)で売られていたカエルの香炉。なかなかユニークで買ってしまいました。

そのお隣さんと「手づくり市」四方山話をしていて、あの謎が解けました。

あの謎とは、
『それにしても、百万遍の有名な外人パン屋さん、クッキー屋さん、メーンストリートの常連さん、なんで毎回(落選も無く)同じ一等地に出店できるのだろう?』

 どうやら、百万遍さんにはウラで「常連出店者ギルド」があるらしい。先に来た仲間が他の仲間の場所も全部抑えてしまうらしいのです。ギルド部外者が良い場所を確保しようとしても、場所取り係のギルドメンバーに「そこはもう決まってるで!」と追い出されてしまうというのです。実際、お隣さんはそうして理不尽に追い出されたことがあるとのこと。なので「もう百万遍さんには出さない!」と言われてました。
 しかも、あろうことかその『ギルド』を主催者が知っていて黙認、というより後押ししているようなのです!。あの「お客さんが店を探し回らなくて良いように決まった場所を与えている店もある」という訳の分からない説明もこれで合点が行きました。
 まあ、実際リピーター客を集める店を優遇することで、増客→増出店→増客の好循環と市の肥大=出店料収入の増が見込めるわけですね。出店料3,000円×400店=120万円!
20数年前、シロートの手づくり発表の場をと始められたころは数店しかなくて苦労されたとか。大きくなって初心はどこかへ行ってしまい、残念ながら単なる「手づくり市ビジネス」に堕してしまわれたのでしょうか。 


百万遍さん 2回目

2011年03月16日 | 手づくり市

3月15日、2回目の百万遍さん。
今回はログハウス講習仲間だったFさんと共同出店。Fさん(下)は、私のようなワイルドな(雑な?)作り手ではなく、正統派家具職人。

早朝から並んで場所取りするも、例によってすでにいい場所は常連さんに抜け駆けで押さえられていて右往左往。まあ、この市は客は多いからとりあえず資金稼ぎのためには仕方ないとあきらめて。

しかし、天候に恵まれたわりには、昨年末の初出店のときより市全体のお客さんの出足も遅く、数も少ない印象だった。似たような木工品の出店も前より多く、売り上げも少なかった。2人合わせてようやく初回と同じくらいだった。

暖かいのは助かったが、花粉がすごかった。その夜は鼻がほとんど詰まって息をするのも苦しくなかなか眠れなかった。朝、目が覚めると目は開けられず、鼻水ダラダラ、クシャミ連発でエライ目に

さて、今後の出店予定です。♪おヒマなら来てよね。
3月19日(土) 小町手づくり市 隋心院(地下鉄東西線 小野駅すぐ)
                   (初出店、またレポートします)
3月29日(火) 醍醐市 醍醐寺(地下鉄東西線 醍醐駅から10分)
            (ちょうど桜がきれいなころです)
上賀茂神社、一番出したかったけれど落選しちゃいました
それにしても、百万遍の有名な外人パン屋さん、クッキー屋さん、メーンストリートの常連さん、なんで毎回(落選も無く)同じ一等地に出店できるのだろう?
 

 


地震

2011年03月16日 | 今日の出来事

訳も分からず津波に飲み込まれてしまった人たちの恐怖と無念さを思うと・・・・、ネットで書き込みすることさえ憚られる。

想定外ではすまない防災対策、「天罰」と吐いた東京のバカ殿、原発破綻への政府・東電の救いようのない対応と無策、あの日能天気に選挙カーを走らせていた無神経な候補者、言いたい事は山ほどあれど、今はとにかく被災した人たちに自分は微力ながら何ができるのか。とりあえず“貧者の一灯”。あとは現地からの要請を待つこと。スタンドプレーだけは絶対にしてはならない。

岩手県社会福祉協議会
宮城県 
福島県社会福祉協議会


虫歯

2011年03月05日 | 今日の出来事

山作業をするようになって風で寝込んだりすることもなくなった。とりあえずの悩みは花粉症。
と思っていたら、歯が痛くなってきた。久しぶりに虫歯

拷問は、例の歯医者さんの電動ヤスリで歯を攻めるのが一番効果的ではないか、と思う。どんな屈強強情意思堅固なヤツでも、たちまち「転向します」「白状します」と泣いて許しを請うだろう。


「森を育てる技術」 -TPPの熱気?が冷めないうちに考えたいこと-

2011年03月05日 | 面白かった本

著者:内田健一  川辺書林  2007

 「太陽光線を(植物が光合成に)使って、食料(森)を作る」
  (人類繁栄の基礎の基礎は工業でも金融でもない。太陽光と植物による光合成だ)
 欧米諸国では、ほとんどの国で農林業が国の主要産業として機能している。
 (・・・第一次産業従事者のアイデンティティーが十分に確立されている・・・)     
 (日本では、肉体労働者の社会的地位がきわめて低く、雇用が不安定で収入が低い上に、仕事は苛酷で危険が伴うことが半ば当然とされている)
 実践的な森林作業者(補助金にぶら下がる山主やお役人的森林組合のことではない)の社会的な地位や収入の向上が進まなくては、日本の森林の荒廃をくい止め、実り豊かな健康な森をつくることはできないだろう。・・・社会システムの確立が必要なのだ。
 日本にはかなりの数の森林ボランティアがいるけれど、荒廃した日本の森林をすっかり再生、復活させるためには、質量ともにあまりに無力である。
(本書第11章より)
   (薄字部分はブログ筆者注)

わたし的には、久々に出会った良書である。

 環境・エコブームの昨今、里山整備、森林ボランティアもあちこちで取り組まれている。その動機も、単に「アウトドアを楽しむ」ことから荒れる日本の森林、里山を憂えるものまで様々だ。
 日本の森林・里山の現状と行く末に問題意識を持った取り組みでも、その切り口や内容、手法も様々で、ときには相反するような場合もままある。中にはリーダーの独善的思い込みや社会的・金銭的利益への思惑のもとに行われるのではないかと疑いたくなるケースもある。
 要するに「なんとかしなければ」の思いはあってもバラバラ、混沌とした状態で未だこれといった成果が得られていないのが現状ではないだろうか。

 私自身、縁あって「まつたけ山づくり」を通しての里山再生を目的とした取り組みに参加させてもらっている。まつたけ山作りでは、人による山の放置や鹿などの影響によって勝手に(自然に?)増えてきたソヨゴ、ヒノキなどの常緑高木や、落葉によって地面を富栄養化させる落葉樹はどちらかというと邪魔者扱いされる。

 林業を生業とする人たちと協力して行われる市民ボランティアでは、市民は、言葉は悪いが、枝打ち下刈りの手伝いか森林組合や山主の下働きとしか見えない場合が多い。売るための“商品”を作るのだからシロートに大事な仕事は任せられないのは、ある意味当然だ。
中には、行政や企業イメージ戦略の一環の補助金目当ての「森林体験教室」など首を傾げたくなる場合も多い。

 市民レベルの里山作りでもっとも多いパターンは、広葉樹中心のいわゆる「雑木林」に仕立てるやり方だ。自分達のアウトドア“遊び”を楽しむことが主目的の場合が多い。それはそれで悪くはないし何もしないよりはマシかもしれないが、日本の森林・里山が抱える問題の解決にはほとんど貢献しないだろう。

 そんな現状を見るにつけ、プロ、アマ(市民)の相互補完も含めて何かもっと総合的・政治・社会的な視点で森林・里山問題をとらえ直す必要があるのではないかと思っていた。そんなときに出会ったのが本書である。

 実は、タイトルどおり本書の大半は400ページ余におよぶ森づくりの技術書である。それも著者の実務体験に基づく、プロにも役立つであろうかなり実践的なノウハウが含まれている。他者のやり方を批判したり結構辛らつな部分もあるが、それぞれの主張に著者の実体験に基づく理由付けが述べられているので説得力は高い。市民ボランティアにとっても、いやむしろそれぞれの技術に体験的裏づけが語られているからこそ、市民ボランティアにこそ役に立つものであるといえる。
 一方で、私が里山ボランティアに関わるようになって考えるようになった問題意識と解決方向が、冒頭に一部引用したように、最終章わずか15ページほどに的確ににまとめられている。


2回目の醍醐市

2011年03月01日 | 手づくり市

2月28日、上賀茂に続き連チャンで醍醐市。2回目の出店です。

ぶっちゃけ、な~んにも売れませんでした。赤字です。どっかの保険会社で赤が出たときのために「フリマ保険」とか作ってくれないか知らん?

まだまだ無名の醍醐市、しかも時はまだ寒い2月、月曜、追い討ちをかけるような雨降りと、これでもかとそろえばさもありなん。これ以上の悪条件はもうないでしょう、あとは良くなるのみ、とあくまでラク天ノー天気、前向きな私です。次回3月29日の醍醐寺はちょうど桜の季節。期待しましょう。

無情なキャンセルも多かったそうであまりに出店者も少なく場所がら空き。前回お友達になったホームレス風にして実は天才切り絵作家さんのお誘いで隣に出店させていただきました。

禁煙中の相方Mさんは間が持たず、ニコチン切れであっちへウロウロこっちへウロウロ、行方不明になってばかり。私も他の出店者さんも間が持たず、うちわで世間話と情報交換に花が咲きました。これもまた「手づくり市」の醍醐味ではあるかも。

「ホームレス風切り絵の巨匠」を挟んで隣に出店のアクセサリー屋さんからアクセサリーの材料パーツ調達のノウハウをご教示いただけたのは収穫だった。木工の端材など小さな木片もムダにならないようアクセサリーにでも加工してみようと考えていた矢先だったので。

はるばる神奈川県から来られたという方も。醍醐市のHPの写真を見てその雰囲気に惹かれて来られたんだそうで。確かに桜のころはとても雰囲気よさそう。
流木をツルツルになるまで磨いた素朴な作品が手作り感満点でとっても良かった。木を扱ったことのある者なら分かるけれど相当手間暇かかってます。とてもあの値段では採算取れませんっていう、ビックリする安値を付けておられました。儲けは二の次、ほんとうに流木の魅力にのめりこんでおられ、他の人にも分かち合いたいという想いがひしひしと伝わってきました。素材としてもぜひ買おうと思っていたのに買いそびれてしまいました。次ぎお目にかかったらゼッタイ買います。

食品ブースでツバメソースなる京都の「地場ソース!?」を売っておられました。カゴメならぬツバメソース!京都生まれの私も知らんかった。ツバメのようなシャープな味がするのか知らん?試食はなかったのでソースの味は分かりませんが、昭和風のラベルがいい味出していました。写真撮っておけばよかった。

少ない店舗の中にコーヒー屋さんが2店!あまりにヒマなためか、残ってももったいないからか、どちらからもコーヒーの差し入れをいただきました。どちらもおいしかったです。

そんな中、ちょっとしたハプニングが。
足の悪いおばあちゃんが、私のブースにやってこられたところで歩けなくなって、ちょうどゴザ敷き床机をしつらえていたので休んでもらいました。近くで配られていた無料の薬膳がゆを食べて元気も回復されたので良かったです。
こんなこともあるので(特に醍醐寺は年配の参拝者が多い)、上賀茂のように「市」の中にも休憩所があれば、と感じました。

そうそう、「巨匠」、いつも一緒のお嬢さんがお休みだったのでお尋ねしたら、つい先日お嫁に行かれたんだとか。おめでとうございます。もっとも貴重な伝統行事「赦免地踊り」の切り絵の跡継ぎがいなくなったとお嘆きでしたが。


上賀茂手づくり市

2011年03月01日 | 手づくり市

上賀茂手づくり市(2月27日(日)、上賀茂神社)レポートです。
一言で言ってファミリーで楽しめる理想的な「手づくり市」でした。強くおすすめ。

マイブース


前回百万遍、醍醐の教訓から持ち帰りやすい商品を増やしました。ミニスツール、キノコ小物、靴べらなど。

ところが、大きめのラックやベンチはそこそこ売れたのにミニスツールは売れませんでした。分からんもんですね。ま、キノコ小物、靴べらも売れ、米袋エコバッグも「百万遍さん」でのように完売!とはいきませんでしたが7個売れました。まんべんなく売れたというところ。売り上げは「百万遍さん」の半分弱でしたけれど総合的な満足度はずっと高かったです。

出店場所が指定されているので、「百万遍さん」のようにまだ暗い早朝から並んでの場所取り合戦で右往左往、神経をすり減らすこともないし。

「百万遍さん」では出店規則に、

1-4 当日の出展場所について
○ 各出展者に出展場所として決まった場所はありません。指定もしておりません。
何回も出展されておりましても、いくら馴染みの出展場所でありましても貴方の指定された、又、決まった場所ではありません。
○ 百万遍知恩寺会場の場合・・・午前6時少し前に境内に入れます。
午前6時の合図(笛)と同時にそれぞれお好みの出展場所へ向かっていただきます。
確保した処がその時点での当日の出展場所になります。遅れて来て「ここは以前から
私の出展場所であるから他へ移動しろ」との要求は許されるものではありません。
○ 午前6時の合図以前にブルーシートや手荷物などを用いて場所を確保することはできません。
発見次第、排除いたします。

とあるのに、6時前に行ったらもう、ブルーシートなどで場所取りがされていました。しかも「発見次第、排除」もされていません。
訳が分からず主催者に尋ねると、「常連の出店者に付いている客が店を探さなくてもいいように、常連出店者には決まった場所を与えている。お客さんのためだから理解してくれ」などと訳の分からない説明をされた。だったら出店規則にも最初からそう書いておくべきではないですか!

と、思わず愚痴ってしまいました。気を取り直して、

今回の市では、木工品の出店が比較的多かった。いろんな作風にわたって少なくとも10店はあったように思います。スツール、イスの類がそのうち半分くらい。ちょっと“競合”が多かったことも影響したでしょうかね。

“競合”?の一つ。古材を再利用したスツールのお店。手づくり市業界では老舗常連さんのようで「百万遍さん」でも毎回見かけます。

うちは間伐自然木無塗装もしくは自然素材塗装(エゴマ油など)で“差別化”しております
(殺伐とした競争社会から人間性を取り戻したくて木工の道に入ったのに、“競合”だの“差別化”だの、どうも昔の営業職時代の発想が染み付いて抜けませんナ。悲しき性です。)

さて、市全体の様子です。
出店数はざっと250店舗くらいでしたでしょうか。どこかの「手づくり市」のように「手づくりの皮をかぶった業者」みたいな店は少なく、「アマチュアの手作り感」度は高いと感じました。ま、100店舗を超える規模になると、残念ながら「市」の集客力だけが目当ての「業者」が紛れ込んでくるのもコントロールしきれない面はあるでしょうが。

店舗のカテゴリーも様々でユニークなお店も多く、会場も広くゆったりとしていて、小川が流れ芝生広場では子供達が歓声を上げていて、「手づくり市」への私の理想に近い雰囲気で大変好感が持てました。会場に照らして店舗数は現状が適正規模でこのよい雰囲気を壊さないように続けていってほしいものです

通路もゆったりした感じで、狭い敷地に大半が業者と思われる400店あまりを詰め込んでゆっくり買い物を楽しむこともままならないどこかの「市」と違って、「手づくり」そのものをノンビリゆったり楽しめると思います。

某有名「手づくり市」では、こんなお父さんはゼッタイ身動き取れなくてくたびれ果ててしまうと思いますね(実際見かけたことない)。子供も一緒にファミリーで楽しめる「市」、これこそ「手づくり市」本来の姿ではないでしょうか?

通路の真ん中には毛氈を敷いた休憩用の床机も用意され、お年寄りや小さな子連れファミリーへの心遣いも嬉しい。しかもパラソルまでかけてあり、この日はそれほどでもありませんでしたが、日差しの強い日などにはありがたい心配りです。

はるばる大江町からの出店。どっかで見たことある人だと思ったら、大江町二箇のホタル祭り
でお世話になったSさんでした。地元特産品のお店。大繁盛でお忙しそうであまりお話もできませんでしたが。よく出店されているとのこと。次回またゆっくりと買い物方々お話したいと思います。

印象に残ったユニークなお店。
昔懐かしいゴム鉄砲屋さん。
 私が小学校のころ、校門前でおじさんが針金で作ったゴム鉄砲の店を出していたものでした。他にも「砂絵」だの「針金細工」だの「日光写真」だの、よく子供相手の「ミニ手づくり市」が出ていた。
当時は学校もPTAも「門前に子供相手の店など出すな」、「教育上よろしくない」などと野暮なことは言わず大目に見ていた、のどかなよき時代でした。
こんなお店は某有名「手づくり市」では成立しえませんね。


ガラス工芸品のお店。空き瓶のリサイクルみたいでした。

ガラスのキノコが私のツボにドンピシャリ、来てしまいました。また出されていたらゼッタイ買います。

バーニングアートのお店。

バーニングアートとは、木板にバーニングペンというハンダゴテみたいなペンで焼き絵を描くアートです。うちでも輪切り丸太の値札をこの方法で描いています。そのうち製品にも使ってみようかと思っていた矢先、やられちゃいました。でもうまかったです。やらなくてよかったかも

上賀茂神社の神馬。

最後になりましたが、軽トラを貸していただいたMさん、搬入でお手伝いいただいたAさん、店番と片付けを手伝ってくださったYさん、Hさん、Oさん、ムスメ、コーヒーを差し入れていただいたOさん、ただの冷やかしのNさん、ありがとうございました。