将来の少子高齢化による労働力不足を補うために、政府は、“アベノミクス”の一環として女性の社会進出を促す施策をとっていくそうな。
そして政党は自民党から共産党まで、マスコミ、世論あげて女性が働きやすいように「保育園増設」や「待機児童の解消」だの「女性の子育てに配慮した職場作り」などと右へならえの様相だ。
世をあげての「女性応援の大合唱」は、一見、時代の流れで当然のようにも見える。しかし、なんかひっかかる。なんかおかしい。
「女性が子育てしながら働ける社会」?それって考え方の根本からして昔からの“男社会”となんら変わっていないんでないの?「子育ては女性(の仕事)」という男のエゴはな~んにも変わっていない。それはあの都議会、国会での「セクハラ」騒ぎの女性議員さんも、基本同じ立ち位置であることにすら気付いていない。
確かに乳児への母乳の授乳、これだけはどうがんばっても女性にしかできないからこれは女性にお願いするしか仕方ないだろう。
しかし、それ以外のあらゆる子育ての仕事は男性にだってできる。最も重要なのは女性と並んで男性も普通に子育てできる社会にすることではないのか。
“国づくり”の基本である“子育て”、“人づくり”は国民すべてが関わるべき最も基本的で重要なな、納税並みの義務ではないのか。「女性の社会参加どうのこうの」は本質ではない。国としてそれらの仕事自体がもっと正当な評価がなされてしかるべきなのだ。もっと言えばそれをとりまく「家事」という“仕事”についても同じことが言えるだろう。
トレーダーだの、パチンコ・競輪・競馬、くだらないTV番組にネットゲーム、弁護士、医者、不動産屋...、公務員その他、本質的になんら生産的でない「仕事」になど価値はない。ましてや「カジノで経済活性化」などもってのほかだ。
下衆な仕事への法外な報酬は規制して、家事、育児、教育、医療、人づくりに関わるすべての労働と経費は正しく評価し国が保障する。農林漁業、ものづくりといった実質を伴う価値を生む労働をこそ正当に評価する。「シルバー市場」ねらいがミエミエの長寿礼賛をあらため自然寿命を尊重する。
今必要なのは世の価値観を正しく大転換することではないだろうか。そのためには、場合によってはある意味での“強制力”も必要かもしれない。