WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

フェイスブック始めました

2016年01月27日 | 今日の出来事

軽い短文や写真の投稿は断然簡単で楽チンなので、日常近況お知らせ的な記事はFBを利用することにしました。

ただ、少々長文の時評やものの見方、考え方の大きく異なる方には相容れない情報発信等には向いていませんので、そういう投稿には今後もブログを利用するつもりです。この記事もある意味、FBを始めてみての経験から感じたSNSの光と陰の論評も兼ねています。

本ブログの拙い駄文を読んで下さっている皆様ありがとうございます。もし私の日常報告的な記事でもお読みいただけるなら、FBもご利用であれば、既にご存知のことと思いますが、私の名前を検索の上、「友達リクエスト」をお願いします。それを私が「友達承認」すれば私の投稿が見られるようになります。

FBをご利用でない方には申し訳ありませんが見られません。見つけられればタイトル画面だけは見られますが、googleなどのサーチエンジンで探しても引っ掛からない設定にしてますのでよほど勘と運が良くないとみつけられないはずです。もし見つかったらFBは嘘を付いているということでエライことですので是非ともお知らせ願います。

もしFBに登録してなくて、これから登録して見てやろうという方は、必要最小限の情報だけを登録してください。登録しただけでもあなたの情報はFBのみならず漏れ利用されます。ましてFB上で誰かと友達になった日にはあなたの情報は漏れ出す範囲がグンと上がります。まあ、漏れて困るような情報をなど持ち合わせていないビンボージジイの私やあなたには誰も見向きもしないから大丈夫でしょうけど😂。

FBは便利な反面、公開管理に気をつけないと情報ダダ漏れであるため、自分はともかく、知らないうちに他人に迷惑をかけてしまう危険が一杯です。なので、私の投稿は「友達」承認した方しか見られないように設定しています。「友達」も原則非公開にしていますのでリストには表示されません。ただし共通の友達だけはお互い見えてしまいます。「友達」の多さを見せびらかすように大公開しているお方とは「友達」にならないほうが賢明かもしれません。FB上での名前検索もできない設定にもできるのですが、それでは誰にも見つけてもらえないのでやってる意味がありません😅。まあ、自己満足の個人日記にはなりますがちょっとアブナイ人になってしまいます。

ただし、御注意いただきたいことがあります。

もしFBで私を見つけても、友達承認させていただいても、個人情報が漏れると困る方は[絶対に]🙅、「いいね」を押さないで下さい。「いいね」を押すという行為は押した相手の友達やその友達・・・と芋づる式に個人情報を手繰られることになることを覚悟してください。特に若い女性の方は注意が必要です。その人が注意深い人で、例え「友達」を非公開にしていたとしても「いいね」を押してしまったら公開されたと同じことになってしまいます。

「いいね」を押されない限り私には誰かが投稿を読んでくれたことは分かりません。でもいっこうに構いません。個人情報を漏らしたくない方に迷惑をかけるわけには行きません。

ただし、そこら辺のどこにでもいるシガナイオッサン、ドンドン「いいね」を押しまくり友達を増やしましょう。中には明らかに成り済ましと思われる、悩ましい写真を載せているページも有ります。そんなところに友達リクエストしているカワイソーなオジサン達もよく見かけます。(それを知ってるオマエも見に行ってるじゃねーか、って?😂)誰もあなたのことなど興味ありませんから。ただし、「いいね」を押した方や友達になってくれた人に迷惑をかけている可能性があることだけは自覚しておきましょう。

「いいね」はイジメで問題になったLINEの「既読」みたいなもんですが、FBの世界ではこの数が一つのステータスになっています。しかし、これこそがFBをはじめとするいわゆるSNSの最初の"罠"であることを十分ご理解下さい。

 


「人間の分際」(曽野綾子)

2016年01月03日 | 面白かった本

が売れているそうである。40万部近いらしい。
私がこの本に興味を持ったのは、帯のキャッチコピー、

「やればできる」というのは、とんでもない思い上がり。
「いくら努力したところでダメなものはダメ」という、学校の先生やPTA、スポーツや実業界、科学などでいわゆる"勝ち組"になれた方々が聞いたらひっくり返りそうな明快な“言い切り”であった。他の40万人もおそらくこのコピーに惹かれてこの本を手に取ったのだろう。

私は曽野綾子氏を嫌いである。しかし、私は心が広いので、嫌いなやつの書いた本でも興味を惹かれればちゃんと読む

共感できる部分も少しはあった。その第1番目が帯の言葉である。私は、氏の過去の言動から彼女は「"負け組"はただ努力が足りなかった結果である」という考え方のお方だと思っていた。なのでこの本の帯コピーに"?"となって、ついつい手を出してしまったのである。

しかし、その綾子はやっぱりその綾子だった。
「ただ、どんなに運命は不平等でも、人間はその運命に挑戦してできるだけの改変を試みて平等に近づこうとする。それが人間の楽しさである。」(P56-57)はまあ、いいとして、

「...社会主義の思想の強かった国では、自分で仕事を選ぶことも出来なかった。...日本では、何とか頑張れば自分の好きな職業に就ける場合が多い」
んん?今の世の中、「自分の好きな職業に就けている」人がどれほどいるだろうか?「頑張れば自分の好きな職業に就ける、などというほうがとんでもない思い上がり」なのが実態ではないだろうか。

読み進めてみるとことほど左様に、言っている中身が矛盾している場合があまりにも多いのだ。

実は、全体を通読して分かる氏の基本的間な考え方は、実に単純で「自分より恵まれない人々、下を見て自分は幸せだと思え」ということなのである。格差社会の「勝ち組」には都合の良いカビの生えた、ある種宗教特有のイデオロギーでしかない。(ちなみに氏は"ケイケンな"クリスチャン)

氏は、靖国神社に毎年参拝するという。
「あなた方のおかげで日本は戦後××年、平和にやってこられました」と戦没者に報告にいくのだそうである。「安倍首相もおそらくそういう気持ちで参拝しているだろうのに、靖国参拝に反対する奴は何をゴチャゴチャと文句を言うのか、思い上がりもはなはだしい。(P36-37要約、初出は産経新聞のコラム(だよね))」と毒づく。
 頭が良いはずなのに「靖国」の成り立ちとなぜ反発があるのかを理解していない(ふりをしている?)、思い上がりもはなはだしいのは、あなたでしょう。

靖国神社は「国体護持」を掲げるれっきとした“宗教法人”(神道)。
国体とは何か?「建国神話にもとづく皇国」のことである。「皇国の拡大で「アジア共栄圏」を構築する」というのが、当時国民を戦争に動員するためのイデオロギーであった。そんな理念を掲げる神社に時の権力者が参拝することに、酷い目にあわされた周辺諸国が反発するのは当然だろう。
ちなみに、「日本は戦後××年、平和にやってこられました」と純粋な気持ちで戦没者慰霊をしたいのなら、「千鳥ケ淵戦没者墓苑」が宗教ともイデオロギーとも無縁(今のところ)の施設としてあるのはご存知のとおり。

氏の慇懃傲慢な思想を再確認できたという意味では"面白かった"が、買って損したと後悔もさせられた本であった。