WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

沖縄音楽旅(最終日) 沖縄発の新しい楽器 サンレレ

2024年05月22日 | 沖縄
読谷村の三線工房 町田屋さん
従業員であり、ポップス&沖縄音楽ユニット FUTARIGOTOのメンバーでもあるヨースケさん。

2人が手にしているのは町田屋さんで開発された三線とウクレレを良いとこどりで合体させた楽器「サンレレ」。
 私が持っているのは「海あしび」で濡れてもOKの海でも鳴らせるタイプ。
 ヨースケさんが持っているのが木製の本格的サンレレ
サンレレはシロートでも三線のような沖縄音階のユニゾン(単音弾き)とウクレレのようなコード弾きができる画期的な楽器。小さいので持ち運びにも便利。

沖縄音楽旅(6日目) 定期観光バス

2024年05月21日 | 沖縄

平敷屋港で出会った 沖縄民謡ユニット「じーまーみ」かよさんの相方でバスガイドのあっこさん乗車の定期観光バス 南部回覧Aコース。
事前に乗車日を調整いただいて何とか乗り合わせることができました。あっこさんは、沖縄ではタレント並み超人気のバスガイドさん。乗車してみてそのガイドの博識ぶり、地獄のような沖縄戦体験を長らく話したがらなかった自身のオバアへの想いと反戦への思い入れには聴いてるうちに涙が出そうになりました。この日は大雨でしたが 年配客ばかりの乗客に配慮した臨機応変の対応、そのプロフェッショナルぶりには感動しました。
その上、この愛らしいビジュアルで唄三線もうまい。そりゃ超人気出るわと納得。

同行中仲良くなった「仮想敵国?」中国からの観光客CHOさん、あっこさんと記念撮影。
バチバチ ガン飛ばし合ってるのは双方の政府の戦好きの困ったエライさんとその取り巻きだけ。
一般国民同士は何も問題ない。


観光Aコーススタートのオリエンテーション

大雨の中 首里城守礼門

動く車中での唄三線演奏 島唄 これはまさにプロガイドの技


沖縄音楽旅(4,5日目) 津堅島神谷荘よりライブ配信

2024年05月19日 | 沖縄
津堅島神谷荘にてセッション配信。様子はYouTubeアーカイブ動画でご覧ください。

 音楽ライブ配信で得た収益で過疎化する津堅島を盛り上げたい と4代続く民宿神谷荘の四代目若店長さんを中心にライブ配信を続けておられます。今回 その演者のお一人 ウクレレ奏者のあーきーさんの計らいで配信視聴者で来られる人が集まってセッションをしようという企画に参加させていただきました。ライブセッションの様子は下のアーカイブで観ることができます。

セッション参加者で記念撮影。

前列左から てるのさん(ウクレレ ハワイアン奏者 YouTuber) 與儀さん(パーカッションプレイヤー名Ulny)、
後列左から ヒナコさん(民宿従業員) あーきーさん(ウクレレ奏者) キョーヘーさん(店長) 私

甘いことで有名な島の特産ニンジン 収穫最終時期ですがまだあったので運良く生ニンジン食べられました。ほんとに甘くて柿のような甘味と食感でした。

民宿神谷荘の居候ニャンコたち
更け行く島の夜 日帰り客が多く宿泊客は私1人。誰もいない美しいビーチを前に一人黄昏る😊
 
津堅島へ渡るフェリーの出る平敷屋港にて。
中央はchacro okinawaさん。アロマ入り宝石石鹸を手作り販売されています。今回車の芳香剤にと購入したのですが、沖縄から送ると送料が結構かかるので、職場から近いからとこの機会にと港まで届けてくださいました。

宝石石鹸 ダッシュボードの置いてます。沖縄のビーチをイメージした配色 ジャスミンの香り。
 
帰りのフェリー港で 購入したニンジンを受け取りに来た沖縄民謡ユニット「じーまーみ」のかよさんと出会いました。一緒に来た娘さん達 とりわけお姉ちゃんのあんな(左)がとってもお茶目でカワイイ。
 
20日宿泊した読谷のゲストハウス琉球庵にて利き泡盛会😄

沖縄音楽旅(3日目)

2024年05月18日 | 沖縄
夜 今回の旅のメインの1つ Ryutyさんのライブ。北谷のライブハウスMODS'にて
オキナワンポップスや伝統的沖縄民謡を県外の人にも親しみやすくアレンジした曲が心地よかった。芸人顔負けの掛け合いトークも抜群の間合いでどちらが本業か分からないくらい楽しかった。
ライブ終了後の撮影タイムにて。ライブは撮影禁止なので画像、動画ありません。
Ryutyさんについて知りたい方はRyuty HPへ。

夜のライブまでに まずは仲良しのパイナップル売り むっちゃんオバアに会いに金武町の石じゃゆんたく市場へ。今の季節はボゴールパインという種類の出始めとのこと。ご主人が収穫に行ってるそうで在庫は1個のみ。青くても甘い品種だそう。
「うるまげんまい」玄米を少し発酵させて作った甘酒とお粥の中間くらいの飲み物?食べ物?をいただく。
美味しくて栄養満点で大好きだそうでたくさん買い置きしてありました。
 
北谷への途中、沖縄に移住した里山整備友達のK君が運よく沖縄市に仕事で来ていて一緒にランチ。

ピラフ風の炊き込みご飯にチキンを散らしたタイ料理のような感じ。アジア風味で美味しかった。
 
北谷のアメリカンビレッジにあるボクネン美術館。
変わった建物でいつか行ってみたいと思っていましたが、経営が苦しかったらしく5月いっぱいで閉鎖されるというので これは行っておかねばと今回のメインの1つ。行っておいてよかった。無くなるのは本当に残念。


通称ネコの道。アメリカンビレッジより南にある運動公園の防波堤沿いにたくさんの野良ネコたちが暮らしています。


沖縄音楽旅(2日目)

2024年05月17日 | 沖縄

一週間の沖縄音楽旅に行ってきました。
合間に観光もしますが、今回は沖縄のミュージシャンのライブ鑑賞やSNSで知り合った沖縄の音も達との交流、セッションがメイン。初日と最終日はほぼ移動のみなのでNET6日の旅。
 2日目、パーカッション奏者の與儀さんと。SNSではよくお話させていただいてるのですが、直接お目にかかるのは初めて。

まずは與儀さんおすすめの宜野湾市のドラゴンラーメンでランチ。
Dセット ギョーザ&チャーハン定食 650円(税込715円)
近年は外食文化隆盛でお値段も高めの沖縄では安い、うまい、ボリューム満点の三拍子そろって 京都で言えば「餃子の王将」といったところか。

この後、現地在住の人しか分からないような穴場や米軍統治下から現在まで米軍基地の報道されない多数の事件・事故の負の現状などを案内・解説していただきました。
米軍普天間基地がよく見渡せる高台、天女の羽衣伝説の森の川公園、米軍統治時代からの米軍住宅街、普天間宮などなど。
與儀さんとは、この2日後、津堅島でのセッションライブでも共演させていただきました。

話が前後しますが、ランチ前の午前中に那覇の福州園を駆け足観光しました。
長い沖縄の歴史の中では最も縁の深い中国との友好を記念して作られた中国式庭園です。


伊良皆芸能保存会の京太郎(チョンダラー)公演

2024年05月11日 | 沖縄

 沖縄と縁の深い袋中上人創始と伝わる壇王法林寺(京阪三条駅前)で、沖縄読谷村伊良皆芸能保存会の「京太郎」(チョンダラー)芸能の公演会が京都で初めて開催されるというので、これは貴重な機会と鑑賞してきました。
 「京太郎」(チョンダラー)芸能の歴史的経緯や京都(袋中上人)と沖縄との深い縁については、2023年7月2日の投稿に詳しく紹介していますのでご参照ください。

会場の壇王法林寺


「伊良皆芸能保存会」のみなさん。
公演中は撮影禁止なので、公園の実際はYouTubeの動画を参照ください。



読谷村めぐり(3)

2023年10月13日 | 沖縄
「艦砲ぬ喰ぇ残さー」の歌碑
(艦砲の喰い残し)
読谷村の東海岸にある。周辺の海も沖縄らしい美しく穏やかなサンゴ礁の海の景観が楽しめます。
復帰直前に飲酒運転の米兵の車に追突されて夫人共々犠牲となった比嘉恒敏が作詞・作曲し、その娘の4姉妹・でいご娘が歌った名曲「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌詞が刻まれた歌碑。
(グーグルマップのKeitaさんの端的な解説を借用(盗用?😅))


(大意)
米軍は、地形を変えてしまうほどの(軍人と一般住民を区別しない)無差別艦砲射撃(今のロシア・ウクライナや中東の紛争と一緒)で多くの住民を殺しつくした(喰い尽くした)。”生き残ってしまった”私たちは艦砲射撃の喰い散らかした残り物。生き残ってもこんな辛い思いで生きて行かねばならないのか。こんな理不尽なことはもう絶対に起こさないでくれ。
五番まであるが、とりあえず二番まで引用。Youtubeでも聴けるのでぜひお聴きください。
一、若さる時ね戦争の世 若さる花ん咲ちゆさん
家ん元祖ん親兄弟 艦砲射撃の的になて着るむん喰えむんむるねえらん スーティーチャー喰で暮らちゃんや 
※ うんじゅん我んにん 汝ん我んにん艦砲ぬ喰ぇ残さー
(意味)若い時は戦争の世の中 若い花は咲くことが出来なかった
家もご先祖様も親兄弟も艦砲射撃の的になり 着るもの食べるものも全くなかった。ソテツを食べて暮らしたよ。
※ あなたもわたしも 君も僕も艦砲射撃の食い残し
ニ、神ん仏ん頼ららん 畑やカナアミ銭ならん 家小や風ぬうっ飛ばち戦果かたみてすびかって うっちぇーひっちぇーむたばって肝や誠どやたしがや
(意味)神も仏も頼られない 畑は(米軍基地の)金網で入れず銭にはならない。家は風が吹っ飛ばし戦果担いでしょっびかれて ひっくり返し返され弄ばれ それでもは誠実に頑張ってきたのに
※ 繰り返し

読谷村めぐり(4) 「艦砲ぬ喰ぇ残さー」の歌碑

2023年10月13日 | 沖縄
「艦砲ぬ喰ぇ残さー」の歌碑
(艦砲の喰い残し)
読谷村の東海岸にある。周辺の海も沖縄らしい美しく穏やかなサンゴ礁の海の景観が楽しめます。
復帰直前に飲酒運転の米兵の車に追突されて夫人共々犠牲となった比嘉恒敏が作詞・作曲し、その娘の4姉妹・でいご娘が歌った名曲「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌詞が刻まれた歌碑。
(グーグルマップのKeitaさんの端的な解説を借用(盗用?😅))


(大意)
米軍は、地形を変えてしまうほどの(軍人と一般住民を区別しない)無差別艦砲射撃(今のロシア・ウクライナや中東の紛争と一緒)で多くの住民を殺しつくした(喰い尽くした)。”生き残ってしまった”私たちは艦砲射撃の喰い散らかした残り物。生き残ってもこんな辛い思いで生きて行かねばならないのか。こんな理不尽なことはもう絶対に起こさないでくれ。
五番まであるが、とりあえず二番まで引用。Youtubeでも聴けるのでぜひお聴きください。
一、若さる時ね戦争の世 若さる花ん咲ちゆさん
家ん元祖ん親兄弟 艦砲射撃の的になて着るむん喰えむんむるねえらん スーティーチャー喰で暮らちゃんや 
※ うんじゅん我んにん 汝ん我んにん艦砲ぬ喰ぇ残さー
(意味)若い時は戦争の世の中 若い花は咲くことが出来なかった
家もご先祖様も親兄弟も艦砲射撃の的になり 着るもの食べるものも全くなかった。ソテツを食べて暮らしたよ。
※ あなたもわたしも 君も僕も艦砲射撃の食い残し
ニ、神ん仏ん頼ららん 畑やカナアミ銭ならん 家小や風ぬうっ飛ばち戦果かたみてすびかって うっちぇーひっちぇーむたばって肝や誠どやたしがや
(意味)神も仏も頼られない 畑は(米軍基地の)金網で入れず銭にはならない。家は風が吹っ飛ばし戦果担いでしょっびかれて ひっくり返し返され弄ばれ それでもは誠実に頑張ってきたのに
※ 繰り返し

読谷村めぐり(3) アカヌクー、サンゴ畑、三重城

2023年10月13日 | 沖縄
アカヌクー
15世紀、沖縄で唄三線を広め三線の祖と称される赤犬子が亡くなり葬られた地として祀られている。
その昔、読谷に絶世の美人を嫁とした男が回りから妬まれ殺されてしまった(これもたいがい無茶苦茶な話だが、なぜかそこはあまり追究されていない🤣)。
で、その美らカーギー嫁は津堅島まで逃げてシヌグガマで赤犬子を産んだという伝説が残されている。
その後、三線片手に沖縄を放浪して回った赤犬子は、最終的に両親が暮らし父親が理不尽に殺され母親が追われた地に戻ってきたことになる。そのときの赤犬子の気持ちやいかに。
赤犬子について(クリックで拡大)
 
さんご畑
近年、減少が危惧されているサンゴの保護・育成に尽力されている、サンゴに特化した超ミニ水族館。
個人で立ち上げられ!協力者を募って何とか運営されているとのこと。99の岡村さんも出資されているらしい!


 
三重グスクロケ地(サンゴ畑のとなり)
NHK大河ドラマ「琉球の風」で、当時は那覇にあった三重グスクを再現、ロケ撮影を行った。その三重グスクの再現石垣が残されている。

読谷村巡り(2) 地球雑貨ウェアハウス

2023年10月13日 | 沖縄
地球雑貨ウェアハウス@読谷村
インドネシア中心にアジアン雑貨が所狭しと並ぶ。
天然木家具系(私ならもっと安く作れるかな😃)はまあ、結構なお値段だが、木工小物と木彫品は驚くほど安い。私ならこんな価格ではよう作りません。
やはり東南アジア諸国の木工職人達は良い腕なのにまだまだ搾取されている。

読谷村巡り(1) さとうきび畑のうた、 ザネー浜

2023年10月12日 | 沖縄
「サトウキビ畑のうた」の歌碑。
周囲一面サトウキビ畑で、まさに「ざわわ、ざわわ」と聞こえてくる。背筋が寒くなった。
作者を森山良子と勘違いしているお方も多かろう。恥ずかしながら私もその1人だった。
本当の作者は寺島尚彦というお方。
サトウキビ畑を1人歩いていた時、戦慄と旋律が浮かんだという。さらに3年の推敲を経て世に出、沖縄戦の非道、悲惨を今に伝える代表曲の1つとなっている。

 
ザネー浜。@恩納村真栄田。
きれいな海でダイビング、見事な浸食景観を見たいなら、なにもお金のかかる石垣島、宮古島や慶良間などの離島に行かなくても本島にもたくさんある。
78年前、米軍は、民衆を捨て置いて亀のように首里に引きこもる皇軍を尻目に、この浜からも悠々と上陸した。
浜の様子動画は下の画像をクリック。

浜の横手にある洞窟と海を臨む”窓”?
沖縄観光案内のパンフレットなどに必ずと言っていいほど登場する映え写真スポット。この日も若い女性たちが大勢訪れていた。




あっこさん唄三線ショー@琉球村、 チビチリガマ

2023年10月12日 | 沖縄

じーまーみあっこさんの唄三線ショー@琉球村。

チビチリガマ
本土決戦準備の時間稼ぎの生け贄とされ、信じて頼みとした皇軍に見捨てられた住民たちは、このガマであまりにもむごい集団自決を強いられた。

近くにあるシムクガマではハワイ帰りの男性が「アメリカ人も同じ人間。鬼畜のような仕業はしないから命を無駄にせず投降しよう」と説得し全員が助かった。鬼畜なのは皇軍の方だった。
チビチリガマ入口

ここから階段を下りて行く。






琉球と倭寇のものがたり展(沖縄県立美術館博物館)

2023年10月11日 | 沖縄
琉球と倭寇のものがたり展
大変勉強になりました。11月までやってるので来れる方はぜひ。以下、展示から受けた私の独善的解説です。ご参考まで。本当は管内の素晴らしい展示を掲載したいのですが、当然ながら撮影禁止。
〈前期倭寇〉
倭寇とは、1,300年代以降、東シナ海周辺地域で略奪などをして回ったいわゆる海賊。西部開拓時代のアメリカのアウトローのようなものか。中には集めた財を元に交易でさらに財をなす者達もいた。
この頃から大和を日本と呼んでいる古文書が見られ出す。
明朝も倭寇には手を焼いていたようで鎌倉幕府に日本国王であることを認めるかわりに倭寇対策への協力を要請している。
同時に琉球はもちろん、朝鮮半島や東南アジア諸国にも同様の要請を行っている。いわゆる冊封制度である。ある意味、軍事同盟のはしりと言えるかもしれない。
1,400年代に朝鮮王朝が倭寇の拠点であった対馬を平定し、倭寇の活動は沈静化した。ここまでを前期倭寇としている。
〈後期倭寇〉
しかし、1,400年代後半になると治安部隊の軍規の乱れや新たな参入者により再び活発化していく。後期倭寇の始まりである。
さらにこの頃、ポルトガルがマレーシアから中国沿岸部に進出。
1,500年代になると室町幕府による勘合貿易が始まる。幕府は大内氏の博多と細川氏の堺に勘合符を交付したため両氏の間で争いも起こった。
こうしてステイクホルダーそれぞれの思惑が入り乱れたカオス状態となって行った。
両方に権益を約束、あるいは曖昧にしてしまったために後年、争いのタネになってしまうのは歴史の常で、イスラエルとパレスチナ、ウクライナとロシアなどよい例である。
さてわが琉球はこの頃どうしていたのだろうか?倭寇の8割弱は中国人で、日本人は2割弱、残り少数がその他で、琉球から倭寇に加わって悪事を働いていた者は少なかった。
琉球王府は、明朝からの朝貢要請を巧みに利用して上手く立ち回っていたようだ。
朝貢に応じれば明朝からは倍返しどころか”3倍返しの「頒賜品」が与えられたという!
なので明朝の倭寇狩りから逃れてやって来た倭寇残党の取り締まりもしっかり行っていた。
首里城守礼門「守礼之邦」扁額にあるように「礼節を重んじる国」として無法行為には厳しかったのかもしれない。
これこそ孤島の小国でありながら徳川幕府を上回る400年以上もの長期にわたって琉球王府が存続し続けることができた所以である。もっとも民衆は重税でそれなりに苦しめられてはいたようだが。
阿麻和利が、地元うるま市の伝承に伝えられるように民衆を大事にした賢君で、天下を取っていれば琉球の歴史はもっと輝くものになっていたかもしれない。
ところで、戦前から戦後にかけてこうした琉球の遺跡発掘と歴史解明に多大な功績を残した人物にジョージ・ヘンリー・ケアというアメリカ人がいたのは歴史の皮肉かもしれない。
テキストのポップアートのようです
 
 
 

泊いゆまち、マルサ商店、「東風平町史戦争編」

2023年10月10日 | 沖縄
泊いゆまち(那覇)
「いゆ」はウチナーグチで「魚」のこと。


マグロ解体。


マグロ安っ!

居酒屋に必ずあるグルクンの唐揚げ。大体500円~1,000円くらい。美味しいけどこの値段見たら居酒屋で注文するのがなんだかバカバカしくなってしまった。

下のトロ箱のグルクン、15,6尾入って2,000円!1尾130円くらい!

タコの頭500円!


高級魚と言われているミーバイの全体像を初めて見た。海音で刺し身は食べたけど、脂ののったタイみたいですごく美味しかった。左上の赤っぽくて点々のある魚がミーバイ4,800円。クリックで大きい画像が見れます。

他にも見たことのない魚介類がいっぱい。


ウナギ!?
 
SNSに溢れ返っている食レポはしないつもりだったが、600円(3パックだと1500円!)のにぎりはお勧めするしかないです。とにかくネタがデカくておいしかった。
ここだけは沖縄ナンバーの一般車ばかり。ウチナンチュ御用達?で、レンタカーの観光客はほとんどいない。もっとも台湾、韓国方面からの観光客と思われる方々は多かった。

次は野菜😀。沖縄産と他府県産、台湾、中国、フィリピンなどの近隣アジア諸国産ですごく値段が違う!

大根450円!!

モヤシ特売でも100円!!!は即完売😮


与那原町のマルサ商店。
年季の入った雑貨店。初期団塊世代の店主に戦中戦後の苦労話を聞かせていただきました。

敗戦からの復興途中でまだガスが普及していない頃、石油コンロが煮炊きに使われた。
今でも需要があり、年に1台位は売れるという。

墜落した飛行機のアルミ製燃料タンクで作った木炭アイロン。

音量調節ダイヤルのみで選曲つまみが無いラジオ。
終戦直後は米軍占領下で米軍のラジオ放送1曲しかなかったから選曲つまみは不要だった。

足踏み式ミシンにモーターをつけて電動ミシンに改良。先代の店主(御父上)が作ったという。
先代はかなりアイデアマンで器用な方だったようだ。


店主のお父上が、沖縄戦で焼け野原になった実家跡に周辺からかき集めた木材や米軍が破棄した資材でウージ(サトウキビ)葺き屋根の掘っ立て小屋(写真下)で金物店を始めた。数年後、貯えに復興援助金貸付を足してリニューアルし今に至る(写真上、右)。

復帰前、車は右側通行。

(左)破壊しつくされた与那原駅舎跡。
(右)沖縄戦前の崎山家があった場所。周囲含めて何も残っていない焼け野原。
リニューアル時は米軍統治下のため、地場銀行の承認と米軍の承認が必要だった。そのための申請書類などが展示されています。物不足で印鑑証明書や承認書類が手書き!最初の資金調達は米軍の軍票だった。もちろんドル建て。本土復帰時には円建てに変わった。


現店主が店を継いだが、老齢と建物も雨漏りしだすなど老朽化が進んでしまったので数年内には店を畳まざるをえない。戦後復興の記録として何とか資料を残したいが援助もなく難しいとのこと。
こうした記録、記憶がこれから急速に失われて行くのだろう。店主は時代の流れで仕方ないと諦めておられるが残念なことだ。

「東風平町史戦争編」
八重瀬町(旧東風平町)では町を挙げて二度と不毛で不幸な戦争をしない、させないために戦争の記録を残し後世代に平和の願いを伝え託す活動が官民挙げて行われている。日本中が見習うべきだと思う。
最新の町史戦争編(右)は市販されていませんが八重瀬町のサイトでオンラインで見ることができる。
画像をクリックすると八重瀬町電子書籍サービスの八重瀬町史戦争編のサイトにリンクします。そこで[読む]をクリックするとご覧いただけます。
この町史戦争編を知ったきっかけは「すくぶん」というYoutubeチャンネル。八重瀬町出身のお若い同級生女性2人の平和ユニット?お1人は唄三線奏者、もうお1人は平和教育コーディネーターをされているそう。
玉石混交のSNSの世界ではキラッと光ってるチャンネル。ぜひ視聴してみて下さい。

首里城再建の進行と新発見、うたバスライブ 

2023年10月09日 | 沖縄
首里城 再建工事の進行状況、
素屋根ができてすでに木材加工作業が行われている。3階まであって作業の様子を見られる。
 
ところで首里城も4回目になりますが、また新発見がありました。
歓会門の石組みアーチはクランク状の組み方で強化されています。護佐丸築城の座喜味城では頂点にくさび形の石をはめ込んで強化されていました。おそらくクランク状の組み方の方がより強固だろう。てことは首里王府にも護佐丸に負けず劣らずの築城技術者がいたということになりますね。
城門の石組みについては、後日の「あがりうまいツアー」と護佐丸改修の「中城城」でも後日談あり。
 
首里城の休憩施設、首里杜館にある「カフェ龍樋」の「龍樋サンデー」。
ネット情報などで美味いと評判だったので試食してみた。
底にサータアンダーギー、その上にバニラアイス、ミックスベリーソースのトッピング。
けっこう濃厚で食べ応えあり。うわさにたがわず美味しかった。550円。


首里城近くの山城まんじゅう。
老舗で美味しいとの評判だったので試食してみたかったが本日休業。残念。
場所が焼肉屋さん横の路地の奥で、うっかりすると見逃してしまいそう。
 
夜は「じーまーみ」の片方、かよさんが所属する「うたバス」のライブ。「うたバス」は琉球バスのバスガイドさんで構成する歌三線ユニット。国際通りの「おばあの店海音」。