著者:内田健一 川辺書林 2007
「太陽光線を(植物が光合成に)使って、食料(森)を作る」
(人類繁栄の基礎の基礎は工業でも金融でもない。太陽光と植物による光合成だ)
欧米諸国では、ほとんどの国で農林業が国の主要産業として機能している。
(・・・第一次産業従事者のアイデンティティーが十分に確立されている・・・)
(日本では、肉体労働者の社会的地位がきわめて低く、雇用が不安定で収入が低い上に、仕事は苛酷で危険が伴うことが半ば当然とされている)
実践的な森林作業者(補助金にぶら下がる山主やお役人的森林組合のことではない)の社会的な地位や収入の向上が進まなくては、日本の森林の荒廃をくい止め、実り豊かな健康な森をつくることはできないだろう。・・・社会システムの確立が必要なのだ。
日本にはかなりの数の森林ボランティアがいるけれど、荒廃した日本の森林をすっかり再生、復活させるためには、質量ともにあまりに無力である。
(本書第11章より)
(薄字部分はブログ筆者注)
わたし的には、久々に出会った良書である。
環境・エコブームの昨今、里山整備、森林ボランティアもあちこちで取り組まれている。その動機も、単に「アウトドアを楽しむ」ことから荒れる日本の森林、里山を憂えるものまで様々だ。
日本の森林・里山の現状と行く末に問題意識を持った取り組みでも、その切り口や内容、手法も様々で、ときには相反するような場合もままある。中にはリーダーの独善的思い込みや社会的・金銭的利益への思惑のもとに行われるのではないかと疑いたくなるケースもある。
要するに「なんとかしなければ」の思いはあってもバラバラ、混沌とした状態で未だこれといった成果が得られていないのが現状ではないだろうか。
私自身、縁あって「まつたけ山づくり」を通しての里山再生を目的とした取り組みに参加させてもらっている。まつたけ山作りでは、人による山の放置や鹿などの影響によって勝手に(自然に?)増えてきたソヨゴ、ヒノキなどの常緑高木や、落葉によって地面を富栄養化させる落葉樹はどちらかというと邪魔者扱いされる。
林業を生業とする人たちと協力して行われる市民ボランティアでは、市民は、言葉は悪いが、枝打ち下刈りの手伝いか森林組合や山主の下働きとしか見えない場合が多い。売るための“商品”を作るのだからシロートに大事な仕事は任せられないのは、ある意味当然だ。
中には、行政や企業イメージ戦略の一環の補助金目当ての「森林体験教室」など首を傾げたくなる場合も多い。
市民レベルの里山作りでもっとも多いパターンは、広葉樹中心のいわゆる「雑木林」に仕立てるやり方だ。自分達のアウトドア“遊び”を楽しむことが主目的の場合が多い。それはそれで悪くはないし何もしないよりはマシかもしれないが、日本の森林・里山が抱える問題の解決にはほとんど貢献しないだろう。
そんな現状を見るにつけ、プロ、アマ(市民)の相互補完も含めて何かもっと総合的・政治・社会的な視点で森林・里山問題をとらえ直す必要があるのではないかと思っていた。そんなときに出会ったのが本書である。
実は、タイトルどおり本書の大半は400ページ余におよぶ森づくりの技術書である。それも著者の実務体験に基づく、プロにも役立つであろうかなり実践的なノウハウが含まれている。他者のやり方を批判したり結構辛らつな部分もあるが、それぞれの主張に著者の実体験に基づく理由付けが述べられているので説得力は高い。市民ボランティアにとっても、いやむしろそれぞれの技術に体験的裏づけが語られているからこそ、市民ボランティアにこそ役に立つものであるといえる。
一方で、私が里山ボランティアに関わるようになって考えるようになった問題意識と解決方向が、冒頭に一部引用したように、最終章わずか15ページほどに的確ににまとめられている。