1980年12月8日。ニュー・シングルの為にレコーディング・スタジオに行っていたジョン・レノンは、夜ふけのセントラル・パーク近くにある高級アパートのダコタにリムジンで帰って来た。 彼の帰りを待っていたのは少し前にジョンにサインをしてもらったマーク・デヴィッド・チャップマンという25才の男だった。ジョン・レノンの熱狂的なファンのチャップマンは、ミスター・レノン、と叫びながら近寄り、拳銃より5発の銃弾を発射。4発がジョン・レノンに。そして彼は帰らぬ人になった。ジョン・レノンを射殺後、警察が現場に到着するまでの間、チャップマンはソワソワしながら小説『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいたというのは有名な話だ。
なぜチャップマンがジョン・レノンを射殺したのか?いくつかの仮説を立ててその理由を理解しようとしても、その燐片すら想像できない。12月14日。殺害現場に居合わせた妻のヨーコの呼び掛けに、セントラル・パークで開催されたジョン・レノンの追悼集会には、10万人もの人々が参集して10分間の黙祷を行った。そこには、「NewYorK City」と書かれたTシャツを着ていたジョン・レノンの写真があった。ジョン・レノンの殺害は、彼のメッセージとは正反対の暴力の所産だった。そして彼の死はある一つの時代が終わりを告げた瞬間だった。
今でもネットを探せば、日本でジョン・レノンの訃報を聞いた時の衝撃を記載したブログが多く見つかる。当時、ぼーっとしてて、何が起こったのか理解できなかったぼくも、それらの記述を読んであらためて彼のカリスマ性を認めざるを得ない。ただ、ベトナム戦争は終結した。しかし、世界各地でいまもなお、テロや内戦が後を絶たない状態だ。世界平和への動きは当時から進んでいないように見える。人類は彼の死からいったい何を学んだのだろうか。
「イマジン」。30年近い月日が過ぎようとしている。いまだに、いつか世界が平和になればと思いつつも、それがどうすれば達成されるなのか想像すらつかない。音楽にすら限界があるとすれば、ぼくらにはもう道が残されてはいないのだろうか。
もうすぐ12月8日がやってくる。今年は26章で構成された小説『ライ麦畑でつかまえて』にちなんで"Chapter 27"と題された映画が発表される。
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