tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

善き人のためのソナタ/Das Leben der Anderen

2007-12-26 23:59:57 | cinema

日本語の題名「善き人のためのソナタ」とそのキャッチコピー「この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない」に惑わされて、長いことこの映画の本質を理解するのに苦しんだ。なぜ国家保安省の精鋭である主人公が、任務の上、赤裸々な私生活を知ってしまった女優にほのかな恋心を抱いたのか、なぜ反体制活動をするその女優と脚本家の2人を自分の将来を犠牲にしてまで助けようとしたのか、なぜ東西ベルリンの壁崩壊の報を聞いても喜ぶことはなかったのか、そしてなによりも不思議だったのが、なぜ自分に報復人事をあてがった役人に対して復讐を考えなかったのか。映画を観終わってから、湧き出てくるこれらの疑問にしばらく悩んでいたのだが、ドイツ語の原題”Das Leben der Anderen”の英語訳が”The Lives of Others”であることに気づいてから、すべての疑問が氷解した。

職務に忠実であることが愛国心と信じ、仕事を冷徹に進めていた主人公の東ベルリン国家保安省(シュタージ)の大尉は、体制側で生きてきた人間だ。彼はその息詰まるような社会システムにどっぷり使っている。それまでに多くの反体制派を摘発してきた冷酷な彼が、業務で盗聴することにより他人である著名劇作家と彼の恋人の女優の2人の人生に触れ、自分の人生との圧倒的な違いに気がつく。彼の人生は、アパートの住民には陰口叩かれ、愛は手近の娼婦と惨めなセックス、組織の中では醜い政争の駒にしかすぎないというものだったから。だが、骨の髄まで社会主義に浸っている彼には、自分の人生を大きく変えて生きていくすべがなかったのだ。当時、東ドイツで与えられた自分の人生から逸脱することは死を意味した。せめてもの抵抗として彼にできたことは、女優と脚本家の2人を助けようとすることだけだったのだ。そして、その代償として彼は自分の人生を諦めざるを得ず、権力による報復措置に甘んじるしかなかったのだ。それが当時の東ドイツの社会システムなのだ。
彼は決してソナタを聴いて「芸術」や「自由」の空気に感化されたのではない。その壁を隔てた向こう側の人間の自分とは違う考え方や人生の中にかすかな自由の匂いをかぎとるだけだった。自由なんてものは”The Lives of Others:他人の人生”でしかない。こうしたものを求めるのは善き心でもなんでもない。社会システムを混乱させることが善きこととは言わないように。イデオロギーを捨てて、国を裏切った主人公を「善き人」とするのは、自由にどっぷりつかりきった西側の人間の傲慢な思い上がりだ。
自由に人生を選ぶことができ、自由な発言ができる我々にとって、自由に生きることが制限される、あるいは、毎日恐怖におびえて暮らすということがどういうことなのか本当に理解することは難しい。しかし、西側の世界に住むこの映画の33歳のドイツの映画監督・脚本家、フロリアン・ヘンケルス・フォン・ドナースマルクは、それを余すところなくミュンヘン映画映像大学の卒業修了作品として描いて見せた。若くしてその恐ろしいほどの恵まれた才能に嫉妬を感じぜずにはいられない。

”The Lives of Others:他人の人生”。どんなにあこがれても、けっして他人の人生を生きることはできない。女優は体制側と反体制側にある他人の人生に翻弄され、そして彼女も矛盾した思いの中で生きながらえることはできなかった。
東西の壁の崩壊と情報公開の流れの中で、明らかになったエージェントの数は10万人、暗号で書かれた文書リストは9億件に上る。まさに息の詰まる監視国家。冷戦が終わりまだ20年もたっていないが、こうした傷が癒えるにはかなりの時間が必要なのだろう。