tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

幸福な食卓~しあわせのはね~

2008-10-07 23:34:36 | cinema

「父さんは、今日で父さんをやめようと思う」
第26回吉川英治新人文学賞を受賞した瀬尾まいこの代表作「幸福な食卓」の出だしだ。
父親は5年前に自殺未遂。そして今回は突然父親を辞めると言い出したうえに中学校の教師まで退職。一方、母親は家を出て近所に一人住まい。
父さんが父さんを止める理由、それは実は教師と言う仕事のつらさに他ならない。仕事からの逃避。彼は医学部を受験して、人生をやり直そうとしている。そう、医者なら、他人とのコミュニケーションがたやすく、孤独に陥ることはない。
原作者の瀬尾まいこは、京都府内の中学校の現役国語教師だ。だから、“うつ病”や“神経症”などの精神疾患で休職する教師が増えている教育の現場をよく知っている。毎日、生徒と会話するはずの教師たちは、実は、生徒以外に会話する相手もなく、自分を理解してくれる他人の存在がないため、孤独に陥ってしまっているのだ。自分を理解してほしい妻さえも、一方的に理想の家族を強要したあげく、それに耐え切れずに自殺未遂を起こすと、今度は家を出て近所に一人で逃避。ここに、男女含めて中高年の孤独さがよく描かれている。

この物語の特徴的なところは、家庭の中心の存在である母親を、あたかもピンセットで圏外につまみだしたように、家庭から退場させているところ。母親がいれば、種々の不調和音が渦巻く中、もっと別な展開になっていただろう。母親が介在しないことで、親子の微妙な心のバランスが保持されている。むろん、この設定がなければ、ストーリーとして成り立たない。携帯を持たない主人公が、「会えば済むでしょう」と言い放つ場面も含めて、ある意味、原作者の願望が現れているのかもしれない。

それでも、家族を守らなくちゃいけない。
幸福な食卓。それは家族との会話を意味する。大昔から、人は一緒に食事をすることで心を通わせてきた。中原家の食卓。残念ながら、母親はあいかわらず不在なものの、父親と、兄と、主人公の佐和子は、毎朝、そろって朝食を食べている。たぶん、この家族は、こうして再生して行けるんだろうなと思わせる。
このストーリーは、佐和子のボーイフレンドの死で急展開を迎える。だが、この作品の良いところは、お涙頂戴の昨今の映画と違って、それを淡々と処理しているところ。思春期の主人公にすれば、生まれて初めてのつらい別離であったはずと思われるのに、さらっと流している。そのぶん、新しいスタートを予感させ、すがすがしい気持ちにさえさせてくれる。
そう、人は気付かないところで、自分以外の人に守られてる。だから、佐和子。思いっきり甘えていい。どんなに、傷つくようなことを言っても、父親はそれを許してくれる。また、家族はそれを許してくれる。

Mr.Children - くるみ