15世紀後半から16世紀にかけて繁栄したペルー・インカ帝都、クスコ。
北は今のコロンビアから、南はチリの中部までとボリビア。長さ約4000kmの海岸砂漠地域のちょうど真ん中。
択捉島の端っこから与那国島の端っこまで3328kmの中心にある東京ように、クスコはその中心に。人々はケチュア語でコスコ(Qozqo)と呼ぶ。「へそ」の意味だ。
町の中には神殿や歴代インカ帝国の宮殿が建てられている。建物は”剃刀の刃も通さない”と形容されるインカの石組みによる重厚なもの。
インカ帝国はメキシコから南下したスペイン人のコンキスタドール(征服者)によって滅亡されてしまう。
1650年、1950年、1986年にクスコを襲った大地震は、あとからスペイン人が建てた教会などに大ダメージを与えたが、インカの石組みはびくともしなかった。
石膏やコンクリートなどをもちいることなく、石面を直に密着させて積み上げている。しかも、両隣の石と段差をつけることにより、地震による建造物への歪を最小限に食い止めている。
巨石の加工方法は、今のところよくわかっていないが、硬い鉄器を持ってなかった当時の人々は、石切り場から切り出した石灰石をブロンズや青銅の小刀で切り出して加工した。
石を削るには、鉄分の多い石や隕石なども使われた可能性がある。
切り出した石は、丸太を何本も置いてコロにして運搬。インカの人々には車輪という知恵はなかったのだ。そうして、テコを利用して積み上げる。石と石をパズルのようにぴったりとマッチさせるには、分度器を使っって角度やカーブを合わせたらしい。
神殿や宮殿などの重要な建物については、直方体状の石を整然と積み上げている。
これらの石組みの建造物を作るのに多くの人力が導入されたわけだが、インカ時代に民衆を束ねた皇帝の力の大きさを感じずにはいられない。
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