子供の頃に読んだ本に、古代インカ文明の人身御供にされた子供ミイラの写真があって、それ以来トラウマだ。
帝国の繁栄のため太陽神へと捧げられた子供たち。これらの生贄は社会制度によって各村々から募集され、国によって保護されて、神への供物として一定年齢に達するまで大切に育てられていたという。
そういった人達を一ヶ所に集め、特別な教育がさたのがマチュピチュだったという説がある。
なので、遺跡を敬遠。マチュピチュは背後にそびえる太陽の門、マチュピチュ山へのハイキング。
マチュピチュには8本のインカ道があり、クスコからインカ道を通ってマチュピチュに行かれる。
いにしえのインカ帝国では、物資や情報を送り届ける飛脚が、駅伝方式でこのインカ道を行き来していたらしい。飛脚はコカの葉を噛みながら走ったので疲れ知らずだったとも。
マチュピチュから太陽の門までを往復。その後、ようやく受付が開いたマチュピチュ山へ。
”息が苦しく、空気が不足しているような感じで、心臓が今にも胸から飛び出さんばかりにはげしく鼓動していた。手足はふるえ、まったく力がなくなったように感じられた。
頂上まで半分ほど登った時、私は地上に身を投げ出すと、残っていたすべての力をふりしぼって言った。
「ぼくはここに残る、もう一歩も先には進めない」
「5分間休みなさい。話はそれからです。」” (アコンカグア山頂の嵐 チボル・セグリより)
遠くに5,000m級の山々を眺めながら、インカ時代に作られた石畳の道をふらふらになりながら歩く。誰もいない静かな道を歩いていると、インカ時代にタイムスリップした感覚に陥る。
がんばった者だけが観ることのできる景色。なんてね。
MACHU PICCHU - MONTANA SAGRADA
https://www.youtube.com/watch?v=AgRwOpgR43o
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