リマ(Lima)は、人口約800万人のペルー共和国の首都。
太平洋に面したリマク川の畔のリマは、16世紀から17世紀を通して、スペインによる南米植民地支配の拠点として、アルト・ペルーのポトシや銀山の銀がヨーロッパに輸出されるための中継地点となったことで栄えた。
リマの街中には植民地時代の面影を残す建築物やヨーロッパ文化とインカ文化の織り成す情緒ある町並みがひしめきあっている。
一方、都心を過ぎると、じきに、乾燥した赤茶けた地面がかなたまで広がり、その中にぽつりぽつりとマッチ箱のような素朴な家が点在する。
家を持たぬ貧しい人々が、自分で好き勝手な場所に、エステーラというみずがやで編んだシートで一部屋作って家族全員が住んでいる。雨が降らないから屋根もないらしい。
インヴァシオン(侵入)と呼ばれるこの行為は1980年代から非常に活発になり、私有地だろうが国有地だろうが勝手に侵入。
最初は何の設備もないが、ある程度の戸数がまとまれば、井戸が掘られ、さらに電気がひかれるようになる。そうやって、集落ができていく。
砂丘にはアドレスだろうか、ペンキで地域の名前が書かれてある。
ペルーでは、アンデス山岳地帯の耕作限界地域に極貧の農民が多く、ペルーの最も貧困な10%の人口のうち、59.8%はシエラと呼ばれる山岳地帯の農村部に集中している。1970年代に入ってから、農村部の貧困問題が深刻化し、農業失業者がリマ・カヤオ首都圏などの都市へ職を求めて移住した結果、都市部の移住者の人口が急激に増えた。
しかし、都市のフォーマル・セクター(Formal Sector)における工業やサービスなどの経済部門に移住者の労働力を吸収する力がなく、農村地域からの移住者は非合法生活を余儀なくされ、都市部スラム居住区の人口(貧困層住民)が増大した結果だ。
そしてペルーでは生活保護のような仕組みはないようだ。その代わり、生活に困っている人は施しを求めて物乞いをしている。
現地の人は割りと物乞いに対して親切で、小銭を施している様子を目にする。
路上には、露天商、靴磨きをする子供。ペルーの義務教育は11年間。だが、公教育は余り普及しているとはいえない。
ペルーでは200万人以上の子どもたちが労働に参加。都市部に暮らす子どもの5人に1人、農村部では5人に4人が何らかの形で働いているそう。
その多くが経済的な問題を抱えており、学費が払えない、家族を養うために働く必要がある、といった事情から義務教育を放棄せざるを得ないケースも少なくないらしい。
ペルーでは、正月休みというのはなく、1月1日だけが休み。
リマの大晦日は、普段通りに仕事。早めに切り上げて、みんな帰宅するようだ。だから、31日の午後は道路が車でめちゃ込み。
というのも、リマにはほとんど電車が通っていない。だから基本的な移動手段はバスか自家用車。
黄色いものを身に着けていると健康に過ごせるという言い伝えがあるそうで街はそこら中ハデに黄色だ。
帰宅してからは、家族みんなで新年のパーティーの準備。そして、夜には、みんなが黄色いパンツ(街角のあちこちの屋台とかで売っている)を身に着ける。
リマの新年。大晦日のカウントダウンから気の早い花火が上がり始め、新年を迎えるその瞬間は、リマの夜空が花火で埋まるほどあちこちで花火が打ち上げられる。
パンツをかぶった外国人観光客やそれを売る人々、それからところ構わず鳴る爆竹とロケット花火。その後は音楽が流れ、朝まで踊り続ける。
また、ホテルの部屋にはひと房のブドウ。ウエルカムフルーツ?とか思ったが、この地では新年にお願いをしながらブドウを12粒たべるのが習慣とのこと。
恋人たちの公園(Parque del Amor)。ミラフローレスの海を望む公園。中央には、恋人が抱擁しキスをする巨大なオブジェが設置されている。
南米の恋愛スタイルのストレートさを実感する。実際、人目もはばからず、あちこちで若い男女が抱き合っている光景を目にする。
ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村