科学をちょっとでもかじった人なら、あるいは、西洋の学問を学んだことがある人なら、「100%という言葉」はかなりその実現が難しいことを頭に刻み付けている。
だから科学論文では「100%」という言葉は、よほどの真実である限り使われない。西洋の政治家も「100%」という言葉は敬遠するようだ。使えば、即、「うそつき」になってしまうからだ。あの傲慢なIOCでさえ、「100%の安全はほしょうできないから自己責任で」と言っているのはそれだ。
ところが、日本の政治家ときたら、やたらと「100%」を使いたがる。どうやらその意味することりは、「100%の力を出し切って金メダルをねらう」といったニュアンスで使うようだ。だから「100%安心安全な」とか「100%実施する」とか、国民が全く信じられない言葉が平気で出てくる。
もちろん、意味するところは、「100%の力を出して金メダルを取れなくてもしょうがない」であり、コロナがいくら蔓延しようが、「100%の責任を取る」つもりはないし、コロナが蔓延しても「100%の国民が死ぬわけじゃないし」とか思っているとしか思えない。
科学立国を国策としてきた日本だが、ここに来て科学に対する教育レベルが他の国よりも劣ってしまった。なので、科学で最初に倣う「真実=100%」を理解しないで大人になってしまった人たちが多いようだ。科学者の言葉を聴けない人間が多くなってしまった。
危険な化学品を扱う時は特別教育が必要となる。せめて政治家になるのなら、国民と言葉の理解があうように「使ってはいけない言葉」といった特別教育を受ける必要があると切に感じる。
政治家の言うことが1%も理解できない状況であれば、我々国民は政治家に対して「嘘をいってはいけないよ」を壊れたレコードのようにくりかえすしかない。
「緊急事態」に対しては、「うそを言ってはいけないよ」。「家でオリンピックを観戦して」に対しては「嘘を言ってはいけないよ」。「大勢でお酒を飲んではいけません」に対しても「嘘を言ってはいけないよ」。国民の我慢もこれまでだ。