とある国の話だ。その国は多数の感染者によって社会的な抗体を作る「集団免疫」を目指した。
人としての責任を果たすと国民の自主性を尊重し、飲食店の閉店やマスクの義務化をせず、集団免疫を目指した。病床数確保のため、高齢の感染者を集中治療室に入れないよう『命の選別』をした。
人命を尊重しない経済重視の施策だ。
いろんな考え方がある。だから否定はしない。強いモノだけが生き残る。弱者を切り捨てる選択。それによって、長い目で見れば高齢者の高額医療財政も救うことができる。なによりも、コロナ禍が終息すれば、世界に先駆けていち早く国内経済を復活することができる。。。
否定はしない。国内経済の活性化のための「go to トラベル」も、多くの犠牲のもとで一定の成果を一部のモノにもたらした。そのおかげで多くの国民は苦しみを長く抱え込むことになったのだが。。
「経済重視」。オリンピックを邁進させる人たちは、自分は罹病しても手厚い看護を受けられると確信している。国にとって重要人物だからだ。まさか、自分が集中治療室に入れない事態などが起こるのなどとは想定していない。
そんなに経済が大切なのだろうか。搾取さえ止めさえすれば、もっと人々は自由に生きられそうに思える。オリンピックをやめれば、人は「搾取」を乗り越えた新しい次元に進むことができる。