tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

啓太の運動会

2007-05-26 17:46:45 | プチ放浪 都会編

<啓太、とぼとぼ一人でゴールに歩いていったんだよ>
別れた娘からのメールだった。今日は小学校に通う、別れた息子の5月の運動会だったらしい。運動だけが取り得の息子は、運動会だけが主役になれる日だった。心地よい5月の風に吹かれながらのかけっこ。当然、いつものように一等だったのだろう。

そして、借り物競争。啓太がひいた札には「お父さん」と書かれてたらしい。借り物競争だ。一番近いところにいる中年の男をゴールに連れて行けばいい。だが、啓太はどうやら自分の父親と一緒にゴールしなくちゃと勘違いしたみたいだ。しばらく、うつむいて。
でも、どうしようもなくて、ひとりでとぼとぼゴールに向かったんだろう。
俺は、その時の啓太の気持ちを考えると、心が締め付けられてしまう。唯一、他の子に勝てる自信があった運動会。この日だけが、かれがヒーローになれるときだった。だれからも、うらやましがられ、そして注目される日だった。しかし、借り物競争で引いた札には、かれにはどうにもならない父親の文字が記されていた。・・・・・・いない父親を探してみても始まらない。

ひとり、コースに取り残された啓太。
啓太よりも2歳上の中学生の娘は、目に涙を浮かべて啓太を応援する。ゴールで待っている教師は、一人で歩いてくる啓太をしかりとばす。たかが運動会で、幼い子は心を痛めた。
(inspired by 花田少年史 幽霊と秘密のトンネル)


情緒

2007-05-25 23:25:07 | lesson

夕方、帰宅途中の電車でのこと。電車の座席で隣に座った女の子と、その前のつり革に発つ女の子。2人は同じ制服だ。同じがクラスの友達なのかもしれない。もうすぐ試験が近いのか、お互いに問題集を手にして読んでいる。
座席に座っている女の子が、立っている女の子に話しかけた。
「檻に触れて湧き出す勘定ってなに?」・・・・・・って違った。もとい
「降りに降れて沸き出す艦上ってなに?」・・・・・・って違うちゅうに。もとい
「折に触れて湧きだす感情ってなんていう?」
と問題を出した。
聞かれた女の子は、なんだっけ・・・・・・じーっと考えている。
<即答しろよ。気になるじゃねーか>横で話を聞いていたぼく。
言葉の奇術師を謳っているぼくとしては、”ぢょしこうせい”ごときに日本語で負けるわけには行かない。

<折に触れて湧きだす感情かあ>・・・・・・なんだろう?
問題を出した女子高生のケータイがなって、しばらく解答はおあずけ。
<はやく答えを言えよ、電車が駅についちゃうだろう>
友達からの電話なのだろうか、電車の中の位置を確かめ合って、同じ電車に乗っていることを確認したみたい。
それで、答えは?
「えーと。じ ょ う ち ょ?」
「そう」
今の教育は、こんなことを教えてるんだ。ここ数年で「情緒」って言葉を使ったことのある大人は何人いるのだろう。学校関係者以外は、めったに使う言葉じゃないだろう。社会に出ても使うことのない言葉を学校では教えているんだ。恐らく1年後、彼女達は同じ問題を出されても、正解を答えられないだろう。<折に触れて湧きだす感情>と<情緒>という言葉は結びつかない。情緒を説明するのなら、<怒ったり、笑ったりする感情>のことと説明する方が自然だ。かわいそうだけど、彼女達の勉強はまるで無駄だと言わざるを得ない。

ところで、言葉に自信のある方、ぼくとゲームしませんか?最初にぼくから問題を出しますね。漢字2文字の熟語ですよ。
「研究・論議して解決すべき事柄は?」
調子に乗って第2問。
「こみいっていないことは?」
簡単ですよね?


(ノ^▽^)ノ~~~~『愛』

2007-05-24 20:22:00 | lesson

今日は、子供の誕生日だ。おめでとう♪勉強がんばれよ!今日という日に心から感謝してる。
君が生まれた日、世界ではいろんなことが起こったんだ。でもそのなかでいちばん素敵な出来事は君が う ま れ た こ と。
これからも、毎日たくさんの感動を積み重ねていってください。

それから、今日誕生日の方、おめでとうございます。お祝いの気持ちを込めて、各国の誕生日メッセージを。

イタリア語で ボン コンプリアンノ Buon Compleanno!

フランス語で ジュアヨウ・アンイベルセール Joyeux anniversaire

スペイン語で フェリス・クンプレアニョス i Feliz cumplean~os !

韓国語で センイル・チュッカハムニダ ?? ?????

ロシア語で ズドニョーム・ラジジェーニィヤ С Днём Рождения

中国語で シャンルィ クヮィラー 生日快楽

日本語で オタンジョウビオメデトウ お誕生日おめでとう

そして英語で アイラブユー I love you.
(ノ^▽^)ノ~~~~『愛』

(WEBで調べただけなので、間違っていたら教えてください。)


マッチ・ポイント

2007-05-23 20:02:26 | cinema

テニスの試合で、ネットにかかったボールがぽとりと相手のコートに落ちることはよくある。この場合にプレーヤーは、ゴメンねと相手プレーヤーに合図するのが一般的だ。コート上では目いっぱいの悪ガキだった、かのマッケンローも、ネットインした場合にはラケットを上げて相手に謝っていたし、ネットにかかったボールが自分のコートに落ちても、あるいは、相手のボールがネットインしても、感情を爆発させるのは見た事がない。同じボールゲームでも、ネットインして「サー」とガッツポーズを決めるような他のスポーツでは見られないしぐさだ。テニスは紳士・淑女のスポーツと言われるゆえんであろう。
ネットインは、試合の重大な局面でも当然起こる。試合が拮抗して、フルセットのタイブレークでわずかに1ポイント差で競ったゲームで、ネットインが試合の行く末を決定することもあり得ない話ではない。ぎりぎりの戦いをしている時ほど、ほんのわずかな運、不運が優劣をつけるものなのかもしれない。これは、スポーツのみならず、人生においても起こりえることなのだ。

ウッディ・アレンの映画「マッチ・ポイント」。ストーリーはかなり古典的だ。英国ロンドンを舞台に、上流階級の女性と結婚して社会階層の階段を上がろうとする青年クリス(ジョナサン・リース・メイヤーズ)が、同様に上流階級の生活を狙う米国女性ノラ(スカーレット・ヨハンソン)と運命的な恋に落ち、結婚後も情事を重ねる。その後、妊娠したノラから結婚を迫られたクリスは、上流階級の生活を手に入れるために彼女を殺害するに至る。そしてその後の警察の捜査を、それこそほんのわずかな運でかわしてしまうのだ。
映画のシーンの随所に、階級と伝統重視の国イギリス、ロンドンの上流階級の暮らしを象徴して、1930年代に録音されたノイズの多いノスタルジック・テイストなオペラが流れる。

上流階級の女性との結婚のために妊娠した愛人を殺すというモチーフは、セオドア・ドライサー原作の「アメリカの悲劇」を映画化した「陽のあたる場所」(ジョージ・スティーヴンス、1951)思わせる。「陽のあたる場所」では、ジョージ・イーストマン(モンゴメリー・クリフト)が恋人アリス・トリップ(シェリー・ウィンタース)をその手で殺めてしまい、裁かれ、最愛の令嬢、美しい、美しいアンジェラ・ヴィスカース(エリザベス・テイラー)と今生の別れになる。

妻との間に子供ができず、ノラとの間に赤ん坊ができたクリスが
「なぜ妻とは子供ができないのに、きみにはできるんだ」
と聞くと、ノラは答える。
「セックスするから子供ができるのではなく、愛があるから子供ができるのよ」
しかし妻との間にも子供はできる。上流階級の一員になるために、クリスが妻を愛するよう努力した結果なのだろう。

ほんのわずかな運で警察の追及をかわせたクリスだが、彼は幸せをつかむことができるのだろうか。クリスは本当に愛した女まで殺して上流階級の生活を得たが、それによって彼がつかんだ幸せは幻想に近いものなのかもしれない。ドストエフスキーの「罪と罰」は、19世紀のロシアの都市ペテルブルグを舞台に、「非凡な人間には自らの思想を実行する上で必要であれば、障害を踏み越える権利がある」と信じる貧しい元学生ラスコーリニコフが、金目当てのために強欲な金貸しの老婆を計画的に殺害する話である。しかしラスコーリニコフは殺害現場に居合わせた老婆の妹まで殺す羽目になり、そのため罪の意識にさいなまれることになる。
クリスは、妊娠したノラに対して「生まれてこないのが一番幸せだ」と言っている。この言葉は、彼自身に対する言葉でもあるのだろう。自ら犯した罪に対する罰を運良く免れることができたが、ほんのささいなきっかけで人生の運は反転する。

相手に握られたマッチポイントは、たまたま運が良かったことで逃れることができた。しかし、人生の試合は振り出しの戻ったわけではない。彼にはこの先、マッチポイントをずっと握られて、いつゲームセットになるのかおびえて暮らす毎日が待っている。人生は運によって左右されるというアレンの哲学だ。

ところで、今日は「キスの日」。
1946(昭和21)年の今日、日本で初めてキスシーンが登場する『はたちの青春』(佐々木康監督)が封切りされた。
当時、映画製作もGHQの検閲下にあり、民間情報教育局(CIE)のコンデが、完成した脚本を校閲しキスシーンを入れることを要求したらしい。主演の大坂史郎と幾野道子がほんのわずかに唇を合わせただけだったらしいのだが、それでも映画館は連日満員になったそうだ。なんか、ニュー・シネマ・パラダイスを思い出すなあ。


雪山の道化師

2007-05-22 20:06:06 | 日記

もう、2ヶ月以上も過ぎたから、話題にしたところでヤバイ状況にはならないと思う。かなりローカルな話で登場人物が特定されたとしても、あくまでも本作品はフィクションだ。実際のイキモノとは関係がない。
個人情報の守秘義務に関する苦情は一切受け付けない。また、どんな圧力にも負けずに表現の自由を守る・・・・・・守りたいです・・・・・・守 れ ん の か よ。

3月に入って間もなくのことだ。3月いっぱいで退職する職場の先輩へ、お餞別として旅行ギフト券を贈ろうと帰宅途中に駅前のJTB窓口へ寄った。春休みの旅行シーズンを控え、JTBの店の中は学生やら帰省客やらで激混みだった。窓口にずらーと並んだ行列。夕刻の買い物時スーパーのレジや銀行のATM、はてまた人気のすし屋やラーメン店に並ぶ人々による行列は、現代日本の風景と言ってよいのかもしれない。列車の切符に限らず、ほとんどのモノがネットで買えるこの時代において、わざわざ行列に並んでチケットを買うのは、窓口でしか得ることのできない情報を求めるためなのだろう。
以前は、JTBやみどりの窓口でチケットを購入する場合、それぞれの窓口に人が並び、窓口の数だけの行列を作っていた。並ぶ方は、当然、短い行列を瞬時に見極めて最後部に並ぶ。ところが、窓口で抱えた物件により列の進行速度が異なる。後から来て隣の列に並んだ人が用事を済ませて店から出ていくのに、自分の順番はまだ数人待ちなどといった事態が起こった場合は、・・・・・・ひたすら泣く。なんて、オレは不幸な星の下に生まれてしまったんだろう。いや、泣くよりも前に、窓口カウンターで長々とあーでもない、こーでもないとワガママを言っていそうなヤツに対し、そのケツのアナをめがけて2本の人差し指をまとめてつき立て、<テンチュウー!>と叫びたい要求に駆られる。・・・・・・人もいるだろう。もちろん、理性のあるオレはじっとがまんするが。
まあ、行列で待たされるのは日本に限ったことではなく、イタリアの主要駅の窓口などは<カンチョー!>の声がかれてしまうぐらいものすごい強敵である。
ところが、この行列は進化した。いわゆるフォーク型の列の発現である。行列民主主義と言えるのかもしれない。このフォーク型により自分の運の悪さをひたすら嘆く機会がなくなった。ただし、この行列民主主義と引き換えに、かわいい女の子が受け付けている窓口をねらっていても、いつも、自分の番が来ると<え゛ー。おっさんかよ!>と自分の運の悪さをひたすら嘆く機会が新たに増えてしまった。

それで、この3月のJTB。店の自動ドアの前に、その2人の女の子がいた。通りすがりの誰もが珍しそうに、あるいは懐かしそうに2人を見ていた。そして、その子たちにジロリと睨み返されるとあわてて目をそらすそんな感じだった。彼女達のまだらに光る白色のヘアーが、より一層、ガングロをよりガングロにひきたてている。口紅の白は、縁辺対比で唇に立体感を強調しまさにメダツ。ミニスカートにお馴染み「厚底ブーツ」のいでたち。あの渋谷で死に絶えた山姥ギャルが、どういうわけか会社帰りの人であふれた駅前のJTBの入り口にいたのだった。彼女たちをかき分けてJTBに入っていく度胸はない。やはり、未知の生物と遭遇する恐さが先に来る。
どうしたものかと迷っていると、なんのことはない。ヤツらはJTBの店の中へ。そして、フォークの柄の元に2人が並んだ。続いて店に入ったぼくは、その後に並ぶことになる。もし、話しかけられたらどうしよう。あいさつは<ジャンボ!>だったけ?などと非常に心細い想いをしていた。
結論を言えば、順番待ちの間ぼくは彼女たちから喰われて命を落とすこともなく、無事に用事を済ませることができた。並んでいる間、彼女たちの会話が聞こえていた。彼女たちの会話は理解が可能な日本語だった。・・・・・・あたりまえか。

「バスツアーって、チョー、ダルくねー?」
「ヤスいし、ネてりゃあ、スキー場にツクからラクじゃん」
「ショシンシャでもスべれんの?」
「たぶんスクールつきのツアーがあるからダイジョウブ。ボードもレンタルできるしー」
「バイト代、ウエアー買ったらナクなっちゃうよ」
「えー、まじ?そんな高いのかうの?」
「で、モチモンはあとなにが必要なの?」

どうやら、彼女達は、東北方面でスノボかスキーのバスツアーを探しているようだ。歳のころからすると、ヤツらが地球の生物で日本の学校に行っているとした場合だが、高校の卒業旅行なのだろうか。一生懸命バイトして貯めたお金で卒業旅行とは、なかなか感心な生物たちだ。
ぼくは、思わず、必需品として<ケツパッド入りのスパッツ>を彼女たちに勧めたくなった。こけたときに衝撃が和らぐし、暖かいし。が、下手に声を掛けても、厚底のブーツでケリを入れられるのがオチなので、踏みとどまる。
そうか、ヤツらバスツアーでスノーボードしに行くんだ・・・・・・。ぼくはその光景を思い浮かべていた・・・・・・・。

東京駅発の3泊5日のそのツアーバスに乗ろうとすると、バスの中央はすでにヤツら地球外生物で乗っ取られていた。天井に光る車内灯にまだらの白髪やらピンクの髪が反射する。その生物達は4つの個体でコロニーを作っていた。顔が異様に黒いため、車内灯が消されるとヤミに紛れて分からなくなるかもしれない。ただ、異様にデフォルメされたようなパンダ目だけがヤミの中で光るだろう。一晩同じバスで夜を明かすことになるオレは自分の不幸をのろった。

ゲレンデに到着すると、ヤツらは滑るより雪合戦とかに燃えていた。スクールのインストラクターは、恐る恐る・・・・・・すべり方を教える。でも、さすが初日はいくらやっても滑れなくて、段々とスピードがついて、ついに転倒。それも前方1回転!気を取り直してさらに滑ると、今度はあまりに勢いがなさ過ぎで途中のコブの上で立ち往生して、斜面のど真ん中で途方に暮れている。下にも滑れないし上に引き返せもしない・・・・・・。スノボのインストラクターから突き落とされて、ゲレンデを転がるヤツら。転がって転がって、最後は大きな雪玉から顔と手足だけが出てる・・・・・・。

しかし、アイツらのガングロは、意外と雪山にマッチするかもしれない。ゲレンデでスキーウェアって、誰でもかっこよく見える。俺もゲレンデではいつも、自分で「今ならいけるんじゃないか」って思ってしまってる。バカンス効果ってやつなのだろうか。

「次の方・・・・・・。お客さん!お客さん? お き ゃ く さ ん!!」
JTBの窓口のおっさんが、ぼーっとしていたぼくを呼んだ。少し怒った口調だった。見ると、地球外生物達ははじっこのカウンターで、窓口のかわいいねーちゃんと和気あいあいで相談中だった。その隣りのイスが空いていて、くたびれたネクタイのおっさんがこちらを見ていた。
・・・・・・なんて不幸なオレなんだ。