tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

意味深なメール

2007-05-11 22:40:56 | lesson

会社の近くのコンビニもドトールも12時からしばらくは混雑するので、昼休みはいつも12時半頃まで時間をつぶしてから昼食を買いに出かける。12時半まではnetや雑談で過ごすことが多いが、ときどき、寝不足を解消するため昼寝をすることもある。以前はコンビニ弁当を食べた後に昼寝していたが、13時になって顔に跡がついたまま打ち合わせになってしまったり、ぼーっとしたままだったりした。そこで、食事と昼寝の順番を逆にしてみたら、顔についた跡はともかく、食後すぐに仕事をはじめても眠くならないので良さげだ。
今日も机につっぷして、たたんだハンカチを腕に乗せてそこを枕代わりにして寝ていたら、肩を揺すられた。驚いて顔を上げるとそこに総務の女の子。
「メル友から意味深なメールが来たんです」と彼女が言う。
「メル友って、例のペンパルサイト?」
「そう」
「意味深って・・・・・・。借金のお願いかなんかか?」
「ううん」
以前、英語の文献を読んでいるぼくを見て
「わたしも英語の勉強がしたいなあ」と言う彼女に、
「アメリカ人のボーイフレンド作れば一発だよ。英語も覚えられるし、1石2鳥」
「でも、アメリカ人なんて近くにいないじゃない」
そういう彼女に、昼休みにいっしょに行ったネットカフェでフリーのメールアドレスをとってあげて、海外のペンパルサイトを紹介したのは1ヶ月前だった。
その後、彼女から会社のぼくのメールアドレスにいくつかのメールが舞い込んだ。その度に、英語で返事を書いていたのだが、彼女からは一度もまともな英語で書いたメールは届かなかった。
彼女のメールは、最初のうちはどこからか手に入れたジョークウエアやら、動画のグリーティングカードだったり、あるいは、ウィルスだったりした。そのうち、日本語でLOLってどんな意味?とか、XXXOって文末にあったけど何のサイン?などと聞いてきた。だから、結構、盛んに海外のメル友とはメールのやり取りをしていたのかもしれない。
ちなみに、LOLはlots of laughとかlaugh out loudの略で、日本で使う"(笑)"とか"w"みたいな感じ。XXはKissで、XOXOでHugs and Kissesという意味かな。まちがっても、"executive officer"じゃないはず。

「で、意味深のメールってどういう意味?①ワケありっぽい、②なんとなくヤバそう、③意味わかんねー。このうちどれよ?」
むしろ、彼女の日本語の意味がよくわからないぼくは彼女に聞いた。すると彼女は
「3番目」と答える。
「英語の意味がわかんねーの?」
「そう」彼女はあっけからんと答える。
まあ、たしかに、ぼくは英語で何回か返事を書いたのだが、彼女から英語で書いたメールは一度も送られてこなかった。ちょっと顔を見ないと思っていたら、しょっちゅう海外旅行に出かけてた彼女のことだから英語なんてペラペラで、つまりは脳ある鷹なんだと思っていたけど・・・・・・。
「そのメールあとで転送してよ。訳したげる」
「プリントして持ってきたけど、読まないでね」 
彼女は最初からそのつもりだったんだ。
「読まなきゃ訳せないよ」
「じゃあ絶対誰にも言わないでね」
「こう見えても、対人恐怖症だから口は固いよ。ブログにはすぐ書くけど」
「絶対内緒にしてよね」
彼女にはぼくが最後に言った言葉は聞こえなかったみたいだ。もっとも、彼女に聞こえないように言ったのだが・・・・・・。

メル友からのメールは次のような内容だった。
Sorry that I didn't write again earlier but I didn't want too much and intrude on your personal time.
Have you ever been to the states?
It is alright here but I grow weary of it because of the president and the many rude and inconsiderate people.
Here is the neighborhood I live in ***.
P.S. Sorry I couldnt give you an even exchange with the japanese language

で、ぼくは訳してあげた。
”もっと前に返事を書かないでゴメンね。でも、君の時間をあんまり邪魔したくなかったんだ。君はアメリカに来たことがある?こっちは大丈夫だけど、大統領や、たくさんのヤンキー(不良ども)や、思いやりのない人々のために嫌になって来たんだ。私の住んでる***に、その隣人がいる・・・ったく!
P.S. 日本語でやり取りさえ、できなくてゴメン・・・。”

彼女が言うような意味深なメールではないと思った。向こうの生活の状況を正直な感想で述べている。きっと、若い男の子なんだろう。アメリカのギャル特有の言い回しがない。彼の隣人はきっとDNQな奴なんだ。
ぼくは彼女に、日本の鯉のぼりのことでも返事してあげれば良いのではないかとアドバイスした。英語の勉強もかねて、できるだけ相手のペンパルを元気付けてあげれば、国際結婚も夢じゃない。・・・・・・と思う。彼女から、お礼にちっちゃな饅頭がたくさん入ったパックをもらった。
彼女のおかげで、午後の会議に顔に線をつけたまま出席しなくてすんだ。そのかわり、一日中、寝不足でぼーっと(ry。

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スライディング・ドアーズ

2007-05-10 20:01:00 | cinema

「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていただろう」パスカルの著書『パンセ』にある有名な言葉だ。フランス語がダメなぼくは原文を読めないので、英語で記述されたサイトを探してみると次のようになっていた。

"Cleopatra's nose, had it been shorter, the whole face of the world would have been changed" 
「クレオパトラの鼻がもう少し小さかったら地球の表情はすっかりかわっていただろう」

クレオパトラが美人であったかどうかを含めて、鼻の大小による顔の美醜の受け取り方の違いは民族間で違いがありそうだ。一般的には低い鼻は東洋人のコンプレックスと思うが、映画「クレオパトラ」を演じたエリザベス・テーラーが、若草物語でエイミー役として鼻の低さを気にしていることもあわせて興味深い。いつか記事にまとめてみようと思う。

さて、フランスの哲学者ブレーズ・パスカルは、クレオパトラ7世の美貌と色香がカエサルやアントニウスを翻弄して世界の歴史に影響を及ぼしたと主張しているようだ。このようにたかが鼻のサイズと言えるほんの些細なことが、その後の人生や歴史を大きく変えるというのは非常にドラマチックだよね。
Such is life, and it's getting sucher and sucher.
「人生なんてそんなものさ But they can't help you, because life is what it is.」 は、映画「僕のニューヨークライフ」でウディ・アレン演じるドーベルが言った言葉だ。
もし、クレオパトラがブスだったら世界はどうなっていたかをフィクションで書くとして、その世界が現実の世界とは異なることを読者は容易に理解できる。だから現実世界との対比をそのフィクションに書く必要はないだろう。しかし、この「もし」をクレオパトラではなく、現代社会のどこにでもいるような平凡な女性にした場合、あるいは、「彼女の美貌」ではなく、ごく些細な出来事に運命が転じるきっかけを設定した場合には、両者の結末の相違を対比して記述する必要がある。同じ女性でも、ほんの些細な出来事から彼女の人生は大きく変わるのだ。両方の世界の違いを、読者を混乱させずにうまく小説に書けるだろうか?

なんと、ピーター・ホーウィットはこれをやったのだ。しかも、2つの顛末のドラマを観客に分かりやすくするため、主演のヘレンを演じるグウィネス・パルトロウのロングヘアーをばっさりと切り落としたから、見事と言うしかない。

この映画のタイトルは、冒頭でヒロインの運命を分けるロンドンの地下鉄のドアから来ている。ある朝ヒロインは、地下鉄の駅で駆け込むのだが、その時に電車に乗れた場合と、乗り損ねた場合の2種類の因果が平行して描かれている。いくら運命を変えようとしても、どの道結果は同じになるとする運命論に基づくものではなく、小さな出来事がカオスティックな変化を引き起こすとする東洋的な発想に近い。
電車に乗れた彼女は、早く帰ったために同棲中の恋人の不実を知り、家を出る。一方、電車に乗れなかった彼女は、恋人の浮気に気づかず、それまでと同じ人生を送る。ふたつの世界の時間がときどき同じ場所で交差するのが面白く、異なる世界のふたりのヒロインがわずかな時間のズレの中で対照的な行動をとるのが脚本の妙だ。

ぼくはこの映画の監督は、ウッディ・アレンだとずっと勘違いしていた・・・・・・orz。それぐらい凝ったストーリーとセリフだ。
モンティ・パイソン(Monty Python)は、イギリスの代表的なコメディユニットだが、同性愛や民族・宗教上の差異を扱ったきわどいネタも多く、そのナンセンスさと毒の強さは以後コメディにとどまらず多くの欧米文化に影響を与えている。このモンティ・パイソンはイギリスではものすごい人気なのだが、実はぼくはあまり良い印象を持っていない。というのも、英語のジョークを無理やり日本語で面白くしようとしているが、どうもすべりぎみなのだ。広川太一郎さんなど声優の方々の熱演にもかかわらず、セリフが浮いていて面白くない。どうも、ここで笑わせてやろうとする意図が見え見えだと、逆に笑えないシニカルな状況になってしまうのかもしれない。・・・・・・おっと、話が脱線。

この映画にもモンティパイソンのセリフが出てくる。落ち込んでいる彼女を見かねて、通りすがりのジェームスが彼女にかけた言葉
James:  Cheer up. You know what the Monty Python boys say.
元気出せよ。モンティ・パイソンの奴らがなんて言ったか知ってるだろう。
Helen: What, "Always look on the bright side of life"?
ナンだっけ。「いつもいい方向に考えよう」かな?
James: No, "Nobody expects the Spanish Inquisition."
いや、「何事もスペイン宗教裁判よりマシ」だよ。

ジェームズに聞かれたヘレンは、覚えているモンティパイソンのコントの中で「元気が出るようなセリフ」を選んで言う。しかし、ジェームズの返事は「ブー」。「どんな辛いことがあっても、ひどい拷問で有名なスペイン宗教裁判にかかるよりはマシ」が正解だったわけだ。

それで、別の結末の世界。そのラストシーン。ヘレンと知り合うことのなかったジェームズは、精神的にボロボロのヘレンの姿を見かねて彼女に声をかける
James: Hey, you know what the Monty Python boys say...
ヘイ! モンティ・パイソンの奴らがなんて言ったか知ってる?
Helen: "Nobody expects the Spanish Inquisition." I know.
「何事もスペイン宗教裁判よりマシ」でしょ。知ってるわよ。(´д`)
James:  Exactly!
そのとおり ( ・ω・) エ・・・

ジェームズが"Nobody expects the Spanish Inquisition." と正解を言うつもりでいたら、ヘレンからその正解がポンと出てきた。驚きとうれしさが入り混じったような表情で、次の言葉を探してヘレンを見つめるジェームズ。何で言おうとしたことがわかった? という驚きと、お気に入りのこのネタで初めてこういう返答があったといううれしさが混在したのだろうね。で、ヘレンは「この人はなぜ驚いているのか」といぶかしげにジェームズを見る。たぶん、2人は良い方向に進むんジャマイカと観客に期待を持たせるしゃれたエンディングだ。

ところで、チョコレート・ミルクシェーク。おいしそうでしたね。
Gerry, for God's sakes, I asked a simple question. There's no need to become Woody Allen.
-Thanks, James. I'm sorry if you had a lousy time.
Are you kidding? In my book, getting to drink two chocolate milkshakes in one sitting represents social splendour. It's one of the perks of being shallow. Take care, Helen. You'll be fine.
-Thank you very much.

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ステーション・エージェント

2007-05-09 19:58:39 | cinema

低身長をきたす様々な疾患が、いわゆる小人症と呼称される。その95%は原因不明であり、特発性低身長 (ISS:idiopathic short stature) である。発症は、家族性と孤発性があるが、遺伝的要因はあまり高くないらしい。残りの5%は、内分泌性低身長のほか、奇形、骨系統疾患、慢性疾患、ステロイド治療など医原性の低身長や、情緒障害、心身症、また虐待・低栄養のような劣悪な発育環境による低身長など各種要因がある。この映画は、小人症の青年が主人公だ。彼は自分のことを自ら“ドワーフ”と呼ぶ。

働いていた模型店の店主が亡くなり、遺言でニューファンドランドの旧駅舎を譲り受けた小人症の青年フィンと、愛する息子を不慮の事故で亡くして以来情緒不安定に陥ってなかなか抜け出せないオリヴィア、そして駅舎の側でホットドッグ・スタンドを開いているジョーの3人の友情を描きあげたロードムービーである。
いつも好奇の目でみられる事から、出来るだけ外界との接触を拒んできていたフィンは、同じように世間とそっと距離を置いて生きていきたいと思っていたオリヴィアと出会って徐々に外向きになってくる。二人を結ぶのは、陽気で話し好きなプエルトリカンのジョーだ。
小人症の彼に対する世間の視線。そのぶしつけな振る舞いは、性別や年齢などに関係なくどこにでも存在する。たとえば、ガイジン。日本社会でガイジンが生きていくうえで好奇の目にさらされるのは、かれらガイジンがいつも訴えることである。辺鄙な外国の地にいる東洋人も同じかもしれない。ほっといてほしいと思ってはいるが、46時中容赦なく好奇の目が降り注がれる。

幼馴染に言われたことがあった。彼女は、右足に麻痺があり、小さい頃から片足が不自由だった。
「あれだけ皆に見られて、何も感じないと思う? 時々ユッコはこんなオッパイを持っている! とシャツを捲り上げて見せてやったら、どんなに気分がスーッとするかと思うわ・・・」
久しぶりに会った彼女を見て、小学校の時のいじめを思い出し胸が痛くなった。何にもしてあげられなかったぼくも、いじめの加害者ということだ。

ニュージャージー州。ガーデン・ステート(庭の州)というニックネームのあるNJは、ニューヨーク市マンハッタンから、ハドソン川をまたぐジョージ・ワシントン・ブリッジを西に渡渡ってすぐ隣だ。タクシーで30分も走れば、なんにもない田舎になる。Jazzを好きな人ならば誰しも知っている伝説のレコーディングエンジニアRudy Van Gelderは、NJのJersey City生まれ、Hackensack育ちだ。ジョン・コルトレーンやセロニアス・モンクといった巨匠たちが居間を改造した彼のスタジオで、後に銘盤と呼ばれるアルバムを録音したという。

引きこもっていた心の壁が取り除かれたかと思うと、人の言動や、それを気に病んで自分との戦いがはじまる。しかし、分かり合える仲間がいるって自信を持つことで他人との壁を取り除けるようになるのだろう。3人の友情がだんだん確固たるものになっていく様子に加えて、フィンに何の偏見も持たず自然と友だちになる小学生の女の子。見終わったあとにすがすがしい、カラっとした風が吹き抜けるような作品だ。

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ミスターDJ プリーズ

2007-05-08 19:59:48 | プチ放浪 都会編

このゴールデンウィーク中のドライブで、FMラジオを聴いていた。
今、FMラジオの機能が変わったのだろうか。どのチャンネルにあわせても、聞こえるのはゴールデンウィーク中の過ごし方の情報ばかりで、しかも、どこにも出かけないというリスナーのメッセージだらけだった。いい音楽を聴きたくても、チャンネルを頻繁に変えても、周波数をAMラジオに変えても、音楽なんてこれっぽちも聞こえてこなかった。

今は、MP3プレーヤーなどモバイルミュージックが簡単に利用できる時代だから、好きな音楽は自分で用意して車に持ち込んでドライブすべきなのだろう。音楽を聴くのに飽きた時にFMラジオのDJの語りに耳を傾けるということらしい。車に音楽を用意しなかったぼくがバカだった。
ということで、往復16時間近く車を運転して、聞けた音楽がわずかに数曲。その間、ラジオのチューニングを回しまくって、何回か前を走る車に衝突しそうになった・・・・・・。

ジュリエット・ルイスだったのだろうか。
どの映画なのか思い出せないでいる。たしか、その映画のワンシーンに、カレシの運転する車の中でちっとも音楽のかからないカーラジオに対してマジ切れして、カノジョが狭い車の中で感情を爆発させるシーンがあった。運転していたぼくも、こんな感じだった。のかな・・・。

昔は、FMラジオが新しい音楽の情報源だった。最近は、last.fmかな。昔は、マニアックなレコードショップを頻繁にチェックしたり、アーティストがどのグループやレーベルに移ったかをフォローしないと見つけられなかったような曲に、かなり楽に辿り着くことができる。

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たんぽぽの花

2007-05-07 19:49:01 | herb, plant

「たんぽぽの花をいっぱい摘んできて」
「わかった」
母にたんぽぽの花を摘んでくるように頼まれ、その昔、子供たちが小さかった頃に近くの川の土手でいっしょにたんぽぽの花を摘んだ時のことを思い出した。ヨチヨチ歩きの散歩がてら、よく道端の花を摘んできたっけ・・・・・・。摘んできたたんぽぽの花は、乾燥させずにそのまま煮出してお茶にした。たんぽぽの根を煎じたものはコーヒーの味がするらしい。生のたんぽぽの花は、ほろ苦い田舎の春の味がした。
タンポポの花を摘みに行こうと車のイグニッションをまわした時は、近くの川原で探すつもりでいたが、せっかく田舎に来たのだから山に向かって走ってみることにした。車で20分も山に向かえば、そこは別世界だ。山頂に雪をいだいた青い山脈がすぐ近くに見えて、見渡す限りの緑の大地。黒くシルエットをまとった木々の枝に、緑の若葉が燃えている。風が香る5月の農道沿いのあぜ道には、たんぽぽの群生が黄色の花をつけて咲き誇っていた。どのアングルで切り取っても、印象派の絵画を思わせるように踊るような光の動きで満ち溢れていた。

タンポポはすべての部分をお茶として使う事ができ、特に根にはカリウムを豊富に含み、利尿作用、便秘解消の効果がある。その為、ダイエット効果も期待できるらしい。また、胃腸の調子を整えたり、発汗作用・解熱作用がある。

レイ・ブラッドベリは『たんぽぽのお酒』で、「金色の潮流、澄みきって晴れあがったこの6月のエキスが流れ出し」と書いた。タンポポを英語で“dandelion” というが、これはフランス語の“ dent de lion”(ライオンの歯)が転訛したものだといわれている。葉の形がライオンの歯を連想させるからだという。
「庭に咲くライオンの誇りだからな。じっと見つめてごらん、網膜が焦げて穴があくから。ありきたりの花さ。だれも目にとめようとしない雑草だ、たしかに。しかし、わしらにとっては、気高いものなんじゃ、たんぽぽは」
「たんぽぽのお酒 この言葉を口にすると舌に夏の味がする。夏をつかまえてびんに詰めたのがこのお酒だ。」
(レイ・ブラッドベリ『たんぽぽのお酒』)

たんぽぽのお酒ってのは、たんぽぽを漬け込んだ汁に砂糖を入れて、酵母菌で発酵させて作るものらしい。その為にはタンポポが3.6L必要だ。アメリカでは結構ポピュラーに作られているようだ。たんぽぽ酒の他にも、ネットで調べるとたんぽぽの花の調理法なども見つけることができる。温サラダはもちろん、衣をまぶしてカリカリのソテーのようにして食べたりするらしい。

ブラッドベリの『たんぽぽのお酒』(晶文社)。以前に読んだのが高校生の時だから、内容なんてほとんど覚えていない。印象的なシーンがいくつか頭に浮かぶのだが、それらをつなぐ物語の縦糸がすっかり抜け落ちている。たしか、イリノイ州グリーンタウンに住む12歳の少年ダグラス・スポールディングが、一夏に体験し、感じたことのすべてが描かれていたと記憶している。貫流する大テーマは「時間よ止まれ!」。12歳の輝かしくもほろ苦い夏を忘れずにいたい。その願いだけが横溢していたように思う。
過ぎ去った夏の日々は、実はダグラスの祖父が毎日たんぽぽの花を摘んで作る「たんぽぽのお酒」の中に保存されていた。この黄金色の夏のエキスは一日ごとにケチャップの瓶に詰められて地下室に並べられ、あとになってそれを少し口に含むだけで、その日をよみがえらせるのだ。ダグラスは夏の最後の日に地下室を訪れ叫ぶ。「まだほんとは終わっていないんだ」と……。

ブラッドベリは作品を通して「幸福って、もっとも身近にあるものなんだ。いまが一番いい、高望みをやめて、ふつうの人並みの生活で満足さえすれば、田舎町で平凡で小さな幸せを手に入れられる。」と訴える。そして、心だけはいくらでもその時にもどることができる。細部をおぼえていさえすればと・・・・・・。小さな町に起こった、夏のあいだの小さな、そしてふしぎな出来事の数々。そこには、人びとの心と心がやさしく行きかっていたのだ。

母と話をしていると、ゆったり過ぎていく時間の中で、都会の生活って何なのだろうと思う。でも、ぼくには勇気がない。選ばなかった人生に別れを告げて、今がぼくの人生となっている現実の世界に返ってこざるを得ない。

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