市が主催する週に一度のイタリア語初級講座。日本でも、どこかの市町村でやっていそうな・・・・・・。年配のイタリア人教師がいて、そこに、イタリア旅行を夢見るOLやら、ボケ防止の老人、ネットカフェ難民のニート、語学の資格を夢見る学生など様々な人種が集ってくる。あんまり人気はなくて生徒数は規定の人数に足りてない上に、先生が突然倒れてしまって青色吐息。閉鎖寸前の講座。いかにもありそうな話だ。
妻を亡くしたばかりの新任牧師アンドレアス。どこからか流れてきたばかりで知り合いもなく、説教をするにもまったく自信がない。
アル中でしかもガンで入院中、病院を抜け出してきては、お金をせびる母親を持つ美容師のカーレン。独りでいることに慣れてしまっている。お客さんには「短く切り過ぎだ」とよく怒られる。
ユベントスが来た時に話をしたそれだけが自慢の、短気が災いしてクビになりそうなレストランの雇われ店長・ハル・フイン。
半病人の父親から当たり散らされてばかりいる娘オリンピア。不器用で、仕事で失敗ばかり。そのため、ひとつとして長続きした仕事がない。生まれて初めて父親の反対を押し切ってやっとの思いで参加したイタリア語講座では最初の授業で先生が倒れてしまうツキのなさ。
上司から自分の親友に首であることを伝えろとせまられ逡巡する冴えない性的不能のホテルマン、ヨ―ゲン。イタリア語を習っている理由は、イタリア人のウェイトレス、ジュリアと話がしたいから。40歳過ぎてもちろん独身。
登場する どの人にも共通するのは、それぞれに事情は違うけれどもコミュニケーションが取れないということ。みんな自分に自信が持てずに、自分の殻に閉じこもっている。そんな彼らが外国語を習おうと集まっている。
仕事や恋愛、家族関係にトラブルを抱え、うつむき加減に生きていた彼らが、人々との触れ合いの中で前に進む勇気を取り戻し、やがて自らの手で幸せを掴んでいく。白夜の国デンマークから、水の都へ。ベニスで起こる小さな奇跡が、大人になっても恋はできること、人生はやり直せることを、そっと思い出させてくれる。
自由にしゃべれない言葉。そんな自国語以外の言葉で話そうとすると、人はみんな素直になれる。不自由な言葉でウソを塗り固めることが困難だからだ。イタリア語講座でバラバラに座っていて特にコミュニケーションもなかった彼らの距離はどんどん縮まっていく。それでも、乗り越えなければならない壁がそれぞれにある。亡くなった妻への思いを整理し、ひとつの土地に落ちつくべき牧師。人に言いにくいことが言えず、また大切な好きな人への告白ができないホテルマンなど。そんな中で講座の仲間たちで行くイタリア旅行の話が持ちあがる。
ヨーロッパの人々がゲーテ以来見せるイタリアへのあこがれは、陽光あふれる太陽の国のイメージから来ているのかもしれない。昼なお暗い北欧とイタリアでは光の量がまるで違っている。太陽が万物を平等に照らすように、誰もがその気になれば生きる楽しさを得ることができるイタリアで、彼らはほんのちょっと足りなかった勇気を得て、超えたくても超えられなかった壁を乗り越えた。それがイタリアだからこそ、こんな奇跡が起こるのかもしれない。映画を観終わって幸せな気持ちになった。
デンマーク語をほとんど理解しないイタリア出身のジュリアへのヨーゲンのプロポーズの言葉
「・・・・・・甘い言葉は苦手だ。どちらかと言えば鈍感で、君とは大違い。セックスには自信がない。言葉は通じなくても、今、言わなければ・・・・・・永遠に言えない。
君を愛している。いつまでも、君と寄り添っていたい。子供をつくり、君を見守りながら共に老いたい。朝起きてから寝るまで、一日中、君を愛す。結婚してくれないか?」