tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

幸せになるためのイタリア語講座

2007-12-23 13:56:07 | cinema

市が主催する週に一度のイタリア語初級講座。日本でも、どこかの市町村でやっていそうな・・・・・・。年配のイタリア人教師がいて、そこに、イタリア旅行を夢見るOLやら、ボケ防止の老人、ネットカフェ難民のニート、語学の資格を夢見る学生など様々な人種が集ってくる。あんまり人気はなくて生徒数は規定の人数に足りてない上に、先生が突然倒れてしまって青色吐息。閉鎖寸前の講座。いかにもありそうな話だ。

妻を亡くしたばかりの新任牧師アンドレアス。どこからか流れてきたばかりで知り合いもなく、説教をするにもまったく自信がない。
アル中でしかもガンで入院中、病院を抜け出してきては、お金をせびる母親を持つ美容師のカーレン。独りでいることに慣れてしまっている。お客さんには「短く切り過ぎだ」とよく怒られる。
ユベントスが来た時に話をしたそれだけが自慢の、短気が災いしてクビになりそうなレストランの雇われ店長・ハル・フイン。
半病人の父親から当たり散らされてばかりいる娘オリンピア。不器用で、仕事で失敗ばかり。そのため、ひとつとして長続きした仕事がない。生まれて初めて父親の反対を押し切ってやっとの思いで参加したイタリア語講座では最初の授業で先生が倒れてしまうツキのなさ。
上司から自分の親友に首であることを伝えろとせまられ逡巡する冴えない性的不能のホテルマン、ヨ―ゲン。イタリア語を習っている理由は、イタリア人のウェイトレス、ジュリアと話がしたいから。40歳過ぎてもちろん独身。
登場する どの人にも共通するのは、それぞれに事情は違うけれどもコミュニケーションが取れないということ。みんな自分に自信が持てずに、自分の殻に閉じこもっている。そんな彼らが外国語を習おうと集まっている。
仕事や恋愛、家族関係にトラブルを抱え、うつむき加減に生きていた彼らが、人々との触れ合いの中で前に進む勇気を取り戻し、やがて自らの手で幸せを掴んでいく。白夜の国デンマークから、水の都へ。ベニスで起こる小さな奇跡が、大人になっても恋はできること、人生はやり直せることを、そっと思い出させてくれる。

自由にしゃべれない言葉。そんな自国語以外の言葉で話そうとすると、人はみんな素直になれる。不自由な言葉でウソを塗り固めることが困難だからだ。イタリア語講座でバラバラに座っていて特にコミュニケーションもなかった彼らの距離はどんどん縮まっていく。それでも、乗り越えなければならない壁がそれぞれにある。亡くなった妻への思いを整理し、ひとつの土地に落ちつくべき牧師。人に言いにくいことが言えず、また大切な好きな人への告白ができないホテルマンなど。そんな中で講座の仲間たちで行くイタリア旅行の話が持ちあがる。
ヨーロッパの人々がゲーテ以来見せるイタリアへのあこがれは、陽光あふれる太陽の国のイメージから来ているのかもしれない。昼なお暗い北欧とイタリアでは光の量がまるで違っている。太陽が万物を平等に照らすように、誰もがその気になれば生きる楽しさを得ることができるイタリアで、彼らはほんのちょっと足りなかった勇気を得て、超えたくても超えられなかった壁を乗り越えた。それがイタリアだからこそ、こんな奇跡が起こるのかもしれない。映画を観終わって幸せな気持ちになった。

デンマーク語をほとんど理解しないイタリア出身のジュリアへのヨーゲンのプロポーズの言葉
 「・・・・・・甘い言葉は苦手だ。どちらかと言えば鈍感で、君とは大違い。セックスには自信がない。言葉は通じなくても、今、言わなければ・・・・・・永遠に言えない。
君を愛している。いつまでも、君と寄り添っていたい。子供をつくり、君を見守りながら共に老いたい。朝起きてから寝るまで、一日中、君を愛す。結婚してくれないか?」


風を求めて(8)

2007-12-22 20:53:18 | 日記

今日が今年のラストフライトのつもりで山に向かうと、 風は9mオーバー。天気予報では夕方ごろから雨の予報。3連休の2日目の明日は、寒冷前線が通過するので日中は雨だろう。今年最後ののフライトをどうしても決めたくて、ずっと山の上の講習地で粘っていたが、風は一向に収まる気配はなかった。
痺れを切らし、せめて、キャノピーのライズアップの練習だけでもとインストラクターに恐る恐る許可を求めると、嫌な顔をされたが、ライズアップの練習用の小さなキャノピーを貸してくれた。翼面積は小さければ揚力が小さいので、キャノピーを立ち上げても体が浮き上がることはない。だから、風に飛ばされてなにかにぶつかって怪我をする心配がないからだ。
キャノピーって小さくなればなるほど、レスポンスが速い。ちょっと持ち上がったと思うと左右に走り出し、くるくる回転してしまう。これを片手でライザーを引きながらブレークコードを操作するのだが、操作は自分のグライダーよりも何倍も難しい。風待ちしている上級者達がいろいろアドバイスしてくれるのだが。
キャノピーを完全に上げずに、ちょっとだけ浮かせてまっすぐに上がるかどうか、納得するまで試してみるだけで充分に楽しい。だが、傍らで見ていると、キャノピーが全然上がらないから、何やってんだろうと思ってしまうのかもしれない。とにかく、外野がうるさくて、そのプレッシャーに耐え切れずにキャノピーをもうちょっと上に上げては地面に落として・・・・・・。結局、自分の技術のなさをことさら自覚させられた。結局、風は収まらずフライトは諦めて下山。今年のフライトは終了。来年は正月明けから練習に励み、ライズアップの課題を克服するぞ。

LAST CHRISTMAS / WHAM!

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ジングルベルの鈴が鳴る(2)

2007-12-21 23:14:12 | プチ放浪 都会編

毎年、クリスマスが近づくと、男は亡くなった父親のことを思い出してしまう。男は当時の父親に近い年齢になった。父親の店を引き継いだ母親が引退し、その後は男が経営していた。店を受け継いでから、男は父親の気持ちが痛いほどわかるようになった。家族のために店を守る・・・・・・。男は気づかないうちに、彼の父親の生き方をトレースして生きているのだっだ。
<今日はクリスマス・イブか・・・・・・> 男はふと気になって、さきほどのサンタクロースの格好をした男から渡されたチラシを見た。それは、チラシではなかった。古ぼけた一枚のクリスマス・カードだった。プレゼントを抱えたサンタクロースが描かれたその絵柄は、ひどくレトロな感じがした。カードを開くとそこには、古ぼけたインクの文字。どこかで見たような気がする手書きの几帳面な文字が並んでいた。
『メリー・クリスマス。いつも見守っているよ。だからがんばれ。文男へ』
男は、なぜ、自分の名前がそこに書かれているのかわからなかった。だれかが亡くなった父からのクリスマスカードを偽造して、物陰から男の反応を見て楽しんでいるのだろうか・・・・・・。あわてて周りを見渡したが、どこにも、どっきりカメラがありそうな気配はない。男は、さっきのサンタクロースがチラシを配っていたところまで引き返した。<ヤツを捕まえてとっちめてやろう。冗談がすぎる> しかし、サンタクロースはもういなかった。男はその古ぼけたカードをもう一度見た。そして、呟いた。
「親父か・・・・・・?」
男は狐につままれた思いで、その場に立ち尽くした。そして男はいつか映画で見た古いアメリカ映画を思い出していた。映画では、落ちこぼれの天使が案内する“もし彼が生きていなかったら”という仮定の世界で、主人公は自分の存在理由をかいま見て人生の素晴らしさに気が付く。<・・・・・・落ちこぼれの天使?>
男はこれまで奇跡など信じることはなかった。だがこの時はこの広い世界で、見習いのどんくさい天使が一人ぐらいいてもいいかと思いはじめていた。男は、腕時計を見た。7時だった。<クリスマス・イブか!> 男は帰って今日はもう店を閉めようと思った。俺にはかけがえのない家族がいる。家族のもとに帰ろうと。街角にはジングルベルが鳴り響いていた。

おわり

クリスマスキャロルの頃には

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ジングルベルの鈴が鳴る(1)

2007-12-20 20:14:27 | プチ放浪 都会編

Jingle, bells. Jingle, bells. Jingle all the way !
Oh, what fun it is to ride, In a One horse open sleigh !!

クリスマスソングとして有名な『Jingle, Bells』は、1857年の9月16日にJames Lord Pierpontによって『One Horse Open Sleigh』という題名で米国のボストンにある日曜学校の感謝祭の式典のために作られた歌であって、クリスマスソングとして作られたものではない。題名のJingle bellsも、りんりん音がする鈴の音を意味するものであり、雪の中を1頭のウマが曳くソリに乗って楽しむ様子を歌った単なる冬の歌だった。そんなこの歌の経歴に関係なく、この曲を耳にした誰しもが、「ああ、クリスマスが近いんだな」などと思い心が弾んでしまうものだが男は違った。この曲を耳にするたびに、ひどくつらい気持ちになった。男はクリスマスが苦手だったのだ。
「うちはクリスマスもサンタもないからな」
彼は小さい頃から子供にそう言って聞かせた。だから、遠慮しているのか子供はクリスマスに何も欲しがらない。ただ、クリスマスが近づくと寂しげな顔つきになり、夕げの食卓で目を合わせることがなくなった。そんなことも煩わしく、彼をいやな気持ちにさせる一因でもあった。

この時期になると、通りの街路樹はオレンジ色のイルミネーションに彩られ、どこからともなくクリスマス・ソングが流れてくる。仲良さそうに寄り添うカップルたち。どいつもこいつも浮かれやがって・・・・・・。
月末の仕入れ代金の手形払いに行った銀行からの帰り道。足早に駅前の喧騒の中を歩いていると人にぶつかりそうになった。大きな袋を抱え、サンタクロースの衣装を身にまとった男だった。顔中が真っ白なひげで覆われていて、若いのか年寄りなのかその男の年齢はさっぱり見当がつかない。サンタクロースの格好をしたその男は笑顔でチラシの紙を差し出してきた。どうせ配るならティッシュにしろよ。いつもなら、差し出されたチラシを無視するのだが、どっかの店のバーゲンの宣伝かと思い直して黙ってひったくった。サンタクロースの男は、とびきりの笑顔で会釈した。ジロリと男はにらみ返した。だが、なぜか、サンタクロースの男の笑顔を見て懐かしいような気がした。

もうとうの昔に亡くなった男の父親は、商店街の一角にある小さな本屋の店主だった。当時、古マンガ本を買い求める学生たちがたまに来店はするものの、一冊の売り上げ利益があまりにも小さすぎて店の景気はてんでふるわなかった。赤字がかさむ一方で、店もつぶれそうだった。だから、早朝から酔っ払いたちが冷やかしに来る深夜まで、店を開けて客を待った。小学校にあがって間もない彼の息子(つまり、この物語の子供の頃の主人公)を思い浮かべると、週末ぐらいは一緒にいてやろうと思うのだが、生活のためには店を閉めるわけにはいかない。男の父親は来る日も来る日も年中無休で売れない本を売って働いた。
そんなある日、男の父親は来ない客を待って店のレジの前でつい、ウトウトまどろんでしまった。そして、そのまま帰らぬ人となった。原因は足元に置いた練炭。一酸化炭素中毒だった。30年前の昨日。クリスマス・イブの前日のことだった。

明日へ続く。

マイ・ラク?シ?ュアリー・ナイト- 椎名林檎

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夜のピクニック

2007-12-19 19:59:33 | cinema

<ついに来たか、この日が。
 貴子は坂を降りながら考えた。
 高校最後の行事。
 彼女は眩しそうに空を見上げる。
 そして、あたしの小さな秘密の賭けを実行する日が。
 坂のガードレールの下を、ゴトゴトと貨物列車が走っていく。
 もう走り出してしまったんだから、後には引き返せない。
 貴子は、遠ざかる貨物列車を横目で見送った。>

恩田陸著「夜のピクニック」の中の一節だ。夜を徹して80キロを歩き通す高校生活最後の一大イベント「歩行祭」。朝の8時から翌朝の8時まで歩くというこの行事は、夜中に数時間の仮眠を挟んで前半が団体歩行、後半が自由歩行と決められている。前半は文字通り、クラス毎に2列縦隊で歩くのだが、自由歩行は全校生徒が一斉にスタートし母校のゴールを目指す。そして、ゴール到着が全校生徒中何番目かという順位がつく。
全校生徒がぞろぞろとスタートしていく中、貴子は西脇融の、すっかり慣れっこになった一瞬の刺すような視線を思い出しながら歩いていく。

なかなか話しかけることのできない貴子の動向を追いつつ、気まずそうな2人の雰囲気を勘違いし、貴子と西脇をくっつけようとする友人たち、西脇を誘惑する典型的ブリッコ系女子高生、すぐに歩き疲れて音を上げる男子ら、高校生たちの姿を生き生きと活写していく。みんなで、夜歩く。たったそれだけのことだ。生徒たちは、親しい友人と恋の話をしたり、将来への気持ちを打ち明け合ったりして思い思いに一夜を過ごす。
・・・・・・なんか懐かしい気分にさせてくれる。特に盛り上がりも無く、淡々と歩くなかでの高校生同士の会話、行動など、自分の高校生時代と重ね合わせてしまう。昔も今も高校生と言う存在は兎角過激に扱われがちだが、自分たちの過ごしていた高校生活って少なくともこんな感じだった。些細なことで悩んではしゃいで堂々巡り。
一つだけ違う点。それはここに描かれている、誰にも知られずにおきたい関係である主人公2人の心の中の頑なさだ。それでも、2人は動き出し感動へと導いていく。穏やかで癒される青春映画だった。