【撮影地】千葉県佐原市伝建地区(2008.11月撮影)
Copyrights© 2006-2009 TETUJIN
all rights reserved.
ヤンキー風の若い男たちが、ひっきりなしに病室に見舞いに来ては騒いでいくし、ベッドでは携帯を使い放題だし、しょっちゅう、タバコを吸いに病院の外へ抜け出してしまうしで、電柱に勝ったヤンキーは、病院からにらまれていた。あまりにも、態度がひどすぎた。だから、一人のナースが彼の母親に苦情の電話をかけたのは当然のことだろう。
一方、彼は個室を希望していた。彼なりに、4人部屋での自分の身勝手な態度に心苦しさを覚えていたのかもしれない。
個室が空いた際に、彼はベッドからの携帯電話で、個室へ移動する相談を母親にした。
彼の母親は、ナースからの苦情もあって、彼が病院から追い出されることを心配していた。個室に移ったら、一人をいいことに、今度は何をするか分からない。大部屋の方が、少しは安心とでも思ったのだろうか。1時間ぐらい、電話で大声でやりあった後、結論は、4人部屋に居続けることに。。
ヤンキーの隣のベッドの歯ぎしり男は、とうの昔にその部屋を逃げ出していた。彼の奥さんが、その病院のほかの病棟に勤務していることもあって、夜は、そこのナースステーションに避難していたらしい。また、もう一人の入院患者は、タイミングよく退院して行った。
だから、手術を終えた週末、4人部屋は、ヤンキー男とぼくの2人きり。
ナースたちが、心配してぼくに声をかけてくる。手術のすぐ後だし、ヤンキーと同室は、気が重くなるのを感じていなかったといえばウソになる。だけど、ナースたちのつらい仕事を考えれば、わがままな若者とのつきあいなど、たやすいことだと自分に言い聞かせていた。
「彼は手術のとき、びびってブルブル震えていたんですよ」
ようやくナースに当り散らすことがなくなったヤンキーが留守のときに、ナースの一人がぼくにそう言った。恐怖心が薄れてきたから、他人とのコミュニケーションがとれるようになったのだろうと。
ぼくはぼくで、どうしていつもナースたちにへりくだっているかと彼に聞かれ、現状の医療機関の問題点、すなわち、老人福祉のための看護とまかないを看護士に押し付けたそのひずみを説明していた。賃金が抑えられ、しかも、考えられないほど重労働であることを。
少しでも彼らの負担を軽くするために、自分でできることは自分ですべきと言うぼくの意見を彼は黙って聞いていた。
ナースたち、ヤンキー男、そしてぼく。三者三様の心がそれぞれ作用しあった。ぼくはこの三者の心のゆるやかな変化を十分に描けるほどの才能がない。ひょっとしたら、死ぬまで文章を考え続けても、書ききれないのかもしれない。「小説を書く」とはそんなものだ・・・・・・と入院中に読んだ川端康成の「掌の小説」に書いてあった。。
ナースたちの手をできるだけ煩わせないようにしているぼくの姿を見て、何かを感じ取ったヤンキーは徐々にわがままな態度を変えていった。だが、なにをどう間違えたのだろう。何かに目覚めたヤンキーは、病棟で一番若いナースを病室でナンパしていた。
「仕事大変だろ。。少しは息抜きしなきゃ。退院祝いしてよ。今度焼肉食いに行こう」・・・・・・鬱。