地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

高校演劇讃歌

2011年02月10日 | 読書
 


末安哲著『わたしの高校演劇』は、愛してやまない「高校演劇」へのエールの書

 一昨日のことだ。一冊の本が届けられた。末安哲著『わたしの高校演劇』(非売品)だ。私は岡山には高校演劇を支えた三人の先生がおられると理解しており、末安先生はそのお一人だ。

 他のお一人は先に『おかやまの歌舞伎 ~宮内芝居を中心に』を出版された赤木愼平先生であり、既に『高校演劇50年』や『岡山操山高校演劇部史』も執筆・発刊されている。もう一人はT先生で、共同でだが、『鬼から鬼へ 玉野高校演劇部創作脚本集』を発行されている。

 赤木先生は24年間も操山高校の演劇部顧問であり続け、T先生は実質23年間玉野高校演劇部の顧問をされている。スゴイの一語だ。

 ところで、末安先生は、笠高、岡工、朝日、一宮高校の計4校・24年間、高校演劇の顧問をし、今回の著書ではプラス2年の自らの総山高校演劇部時代を含めて、「5校26年、顧問と部員のときめきの日々」を書き綴っている。

 私も一時期、高校の演劇部に在籍したことがあり(舞台に立ったのは木下順二作「三年寝太郎」の「百姓1」のみ、セリフなし)、その岡山の高校演劇を支えた三人の先生方に、個人的にも親しくさせていただいてきた。

 そして、その三人に加えて山陽女子高校の顧問をされていたS先生の存在も大きい。そうした方々の大変な努力があればこそ、今日まで岡山の高校演劇は発展してきたと言えよう。

 山陽女子高校と言えば思い出もある。我が校の顧問の先生と山陽女子のS先生が仲良しということもあり、両校の文化祭には、部員たちはお互いにお手伝いに行った。女子校へ行くということだけでワクワクし、私はその部員の一人に密かに憧れており、とても楽しみに訪問した。しかし、田舎者の高校生故に、話しかける勇気すらなかった。ビターな思い出だ。

 さて末安先生のご著書は、B5判で300ページを超える大著である。「まぁ、ようやる」と感心するほどで、とてもたくさんの資料や写真、それに元部員たちの回想録などが満載だ。まさに頭が下がる思いだし、高校演劇協議会などの記録もあり、高校演劇にとってとても貴重な資料となっている。

 本の中にも書かれているが、1965(昭和40)年に地元岡山で開催された「第11回全国高等学校演劇全国大会」の模様が詳しく描かれており、私も少しだけお手伝いした関係で、うっすらと記憶にある。記念講演は宇野重吉で、舞台袖でそのお顔を見た思い出もある。

 末安先生は、今回のご本を「高校演劇讃歌」と表現している。私が存じ上げている多くの方々が、自分史やご自身が関わったことを記録に残されている。素晴らしいことだ。私のように残すべき何物もない者には、垂涎の行いだ。そうした方々に励まされながら、せめて日々を大切にして生きていこうとだけは思う。
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コロンバージュ

2011年02月10日 | 食べ物
 


「 ブランジェリー コロンバージュ 」、パンも美味しいが豚まんも抜群だ

 対面式のパンの販売で知られる岡山市浜にある「 ブランジェリー コロンバージュ 」。パンも美味しいが、豚まんも抜群だ。
 岡山の地で豚まんと言えば、内山下にある「山珍」。そのヴォリーム感で圧倒され、美味しさに二度驚く。
 その「山珍」の豚まんは皮が少しだけしっかりしているが、ここ「コロンバージュ」のそれは、皮がやわらかくかつとてもジューシーだ。
 今日は、その「豚まん」と「あんまん」を各一個、楽しんだ。豚まんだけでなく、あんまんも食べるところが私らしいと、苦笑した。
 寒いこの時期に、温かい豚まんは嬉しい。「コロンバージュ」は、イートインできる。「店内の撮影はご遠慮願っています」とのことで、店内のご紹介ができないのが残念だ。是非とも一度行かれることをオススメする。
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木枯らし吹く

2011年02月10日 | 身辺雑記
 


この季節花が咲かず寒さが厳しい、いつも木枯らし吹く我が身をふり返る

 このところ頑張ってウォーキングを続けているが、以前も書いたが、咲いている花が見られないのは何とも寂しい。「花が咲かず、木枯らし吹く寒さに震える」、まさにわが人生みたいだ。そんな人生を時々だが、ふり返ったりもしている。

 さて、何が書きたいかというと、我がブログに貼る花の写真がないので困っているということだ。同じ花を何度も何度も使うのもと躊躇われ、困り果てている。そこで、今後は私が収集している「土鈴」を、少しの間だけだが貼らせていただくこととした。

 私は47都道府県の全てに足を踏み入れたことがあり、駅前などで「土鈴」を、そして神社などに行き「絵馬」を買い求めてきた。そんな私は友人たちに、「ドレイ(奴隷)商人」と揶揄されたこともある。そんな収集品が、我が部屋を占拠している。今では、ほとんど買うことはないのだが。

 そうした「土鈴」や「絵馬」には、ずいぶんと思い出があるものもある。いつ、誰と行き、どんな思い出があるかを書けばよいのだが、そんなことは「墓場」まで持って行くこととしている。本音を言えば、何も記録していないので、何もかけないだけなのだが。

 ともあれそんなことで、今後少しの間だが本文と関係なく、まずは「土鈴」の写真を貼ることをお許しいただきたい。花が咲き誇る季節になると、やはりお花を貼らせていただこうと思っている。
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