末安哲著『わたしの高校演劇』は、愛してやまない「高校演劇」へのエールの書
一昨日のことだ。一冊の本が届けられた。末安哲著『わたしの高校演劇』(非売品)だ。私は岡山には高校演劇を支えた三人の先生がおられると理解しており、末安先生はそのお一人だ。
他のお一人は先に『おかやまの歌舞伎 ~宮内芝居を中心に』を出版された赤木愼平先生であり、既に『高校演劇50年』や『岡山操山高校演劇部史』も執筆・発刊されている。もう一人はT先生で、共同でだが、『鬼から鬼へ 玉野高校演劇部創作脚本集』を発行されている。
赤木先生は24年間も操山高校の演劇部顧問であり続け、T先生は実質23年間玉野高校演劇部の顧問をされている。スゴイの一語だ。
ところで、末安先生は、笠高、岡工、朝日、一宮高校の計4校・24年間、高校演劇の顧問をし、今回の著書ではプラス2年の自らの総山高校演劇部時代を含めて、「5校26年、顧問と部員のときめきの日々」を書き綴っている。
私も一時期、高校の演劇部に在籍したことがあり(舞台に立ったのは木下順二作「三年寝太郎」の「百姓1」のみ、セリフなし)、その岡山の高校演劇を支えた三人の先生方に、個人的にも親しくさせていただいてきた。
そして、その三人に加えて山陽女子高校の顧問をされていたS先生の存在も大きい。そうした方々の大変な努力があればこそ、今日まで岡山の高校演劇は発展してきたと言えよう。
山陽女子高校と言えば思い出もある。我が校の顧問の先生と山陽女子のS先生が仲良しということもあり、両校の文化祭には、部員たちはお互いにお手伝いに行った。女子校へ行くということだけでワクワクし、私はその部員の一人に密かに憧れており、とても楽しみに訪問した。しかし、田舎者の高校生故に、話しかける勇気すらなかった。ビターな思い出だ。
さて末安先生のご著書は、B5判で300ページを超える大著である。「まぁ、ようやる」と感心するほどで、とてもたくさんの資料や写真、それに元部員たちの回想録などが満載だ。まさに頭が下がる思いだし、高校演劇協議会などの記録もあり、高校演劇にとってとても貴重な資料となっている。
本の中にも書かれているが、1965(昭和40)年に地元岡山で開催された「第11回全国高等学校演劇全国大会」の模様が詳しく描かれており、私も少しだけお手伝いした関係で、うっすらと記憶にある。記念講演は宇野重吉で、舞台袖でそのお顔を見た思い出もある。
末安先生は、今回のご本を「高校演劇讃歌」と表現している。私が存じ上げている多くの方々が、自分史やご自身が関わったことを記録に残されている。素晴らしいことだ。私のように残すべき何物もない者には、垂涎の行いだ。そうした方々に励まされながら、せめて日々を大切にして生きていこうとだけは思う。