地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

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“赤秋”を生きる

2011年02月24日 | 読書
 


仲代達也著『老いも進化』を読んだ、「炎の人」を見逃したことを悔やんだ

 今日駅地下一番街を歩いていると、「チューリップをプレゼントします」とのアナウンスが聞こえてきた。そこはミーハーの私であり、飛んでいって並んだ。ずいぶんと長い列が出来ていたが、1500鉢が用意されており、私もゲットできた。5本の黄色いチューリップは美しかった。

 ところで、昨日読んだ本について書く。仲代達也著『老いも進化』(2009年刊、講談社+α新書)だ。岡山市民劇場の昨年の12月例会は、その仲代達也主演の「炎の人 ・ゴッホ小伝」(無名塾)だった。この時の座席は結構いいお席だったが、悩んだ末に行かなかった。定年後ともあれは病気でもない限りは、欠かさず観に行っていたのだが。

 その舞台「炎の人」を観た友人が、感動して私に感想を話してくれた。そして、「77歳にもなるのに、とても元気で素晴らしかった」とも、付け加えた。見逃したことを悔やんだ。

 そして今、仲代達也の著書を読んで、その悔しさは増している。この『老いも進化』は、
妻・宮崎恭子(ペンネーム・隆巴)に先立たれた悲しみが書いてあることもあり、いつものように公民館経由で市立図書館から借りた。

 内容的には、妻・宮崎恭子との死別も書いてはあるが、仲代達也の過ぎてきた「役者人生」が書かれていて、とても興味深かった。それだけに、やはり「炎の人」は観ておくべきだったと今悔恨の情に苛まれている。

 この本には、とてもたくさんの素敵な言葉が書かれている。一つだけ書く。私もよく引用してきたが、中国には、「季節の移ろいに人生を重ね合わせた言葉」がある。それは「青春、朱夏、白秋、そして玄冬」だ。

 それについて、仲代達也は次のように書いている。「朱夏はいい仕事に恵まれ、体力も気力も溢れ、忙しさに追われながらも充実の明け暮れでした。そして、穏やかで、透徹した秋を迎えたのですが、私は自分で“赤秋”と言っています。真っ赤に燃える秋(中略)-私にとって今は“赤秋”の時です」と。

 「真っ赤に燃えた葉もいずれは落ち、朽ち果て、冬が訪れます。だからせめて、冬の来る前は真っ赤に燃える秋を真っ赤に生きたい……」「老いることは、ワインが琥珀色に熟成するようなもので、到達してはじめてわかる深い味わいいや素敵なこともある」とも書いている。

 1932年生まれの仲代達也が、「“赤秋”を生きる」のならば、それよりもずいぶんと若い私であり、「白秋を生きる」のではなく、やはり「“赤秋”を生きたい」と願う。元気をもらった本、それが『老いも進化』だ。
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思い出

2011年02月24日 | 松たか子
 


松たか子がCM出演中の「ヤマザキ 春のパンまつり」、少しだけ思い出がある

 今月の1日から恒例の山崎製パンの「春のパンまつり」が行われており、今回は点数シール24枚で、「白いスマイルディッシュ」がブレゼントされる。私もこのヤマザキの点数シールを集めて、お皿をもらったことも何度かある。

 それにしても、山崎製パンのCMに松たか子が出演して、ずいぶん長い時間が流れている。今松たか子が現在出演しているのは、山崎製パン、パナホーム、三菱UFJモルガン・スタンレー証券 、そしてキリンの四社だ。一番新しいのキリンで、昨年からだ。そして最も長いのは山崎製パンで、1994年からだ。

 1994年といえば、松たか子が初めてテレビ出演した年だ。それは、NHK大河ドラマ『花の乱』日野富子役(少女時代) だ。そして、一躍人気女優となる契機となった奥沢涼子役の『ロングバケーション』が1996年の放映であることを考えると、山崎製パンの先見性には、頭を下げる以外にはない。それだけに、松たか子は同社のCMを続けて引き受けているのだろうと考えたりもする。

 その山崎製パンとの思い出もある。以前参加していた労働組合で、大地震などでたくさんの被害・被災者がある時などには、お昼休みの「チャリティコンサート」を開催していた。パンと牛乳を用意して、参加者に今で言うワンコイン(500円)を負担してもらい、それを義援金として送るという活動だ。

 そのパンを当時無償で提供してただいたのが、山崎製パンさんだ。ある年、お礼に総社の工場へご挨拶に伺った。その際、社内に松たか子のポスターが飾られてるのを見て、厚かましくも「お願い」をしてしまった。お願いはしてみるもので、運良く、それこそプレゼントしていただいた。そのポスターは、今も我が部屋に飾られている。それは10年以上も前の話だ。

それにしても、NZ地震での被災には心が痛む。とりわけて、不明となっている邦人のみなさんのご無事を願う。
コメント (2)
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