地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

cafe onsaya

2011年02月25日 | 食べ物
 


昨日は「cafe onsaya(オンサヤ)」でランチを楽しみ、のんびりと心を休めた

 過日友人と行き、のんびりとお茶の時間を過ごした奉還町中ほどにある「cafe onsaya(オンサヤ)」。昨日は「ランチセット タイム」(11:30~15:00、15時からはケーキセットタイムとなる)に行き、美味しい食事を楽しむとともに、心を休める時間とした。
 過日は一階のテーブル席としたので、昨日は2階に上がった。このお店は、内部の雰囲気がレトロな感じで、ずいぶんと落ち着く。
 そしてランチセットは、パスタとカレーと鶏とバジルのガーリックライス(720円)の三種類がある。食後のドリンクは+200円(コーヒー単品の半分のお値段)だ。「鶏とバジルのガーリックライス」は絶品だったし、コーヒーが格別美味しかった。
 奉還町は庶民の台所的な役割と雰囲気があり、私はとても好きなと通りだ。ただ、なかなか行く機会がないのが、少しだけ寂しい。
 ともあれ、この「cafe onsaya(オンサヤ)」は素敵な空間だ。一度行かれてみることをオススメする。

 
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“赤秋”を生きる

2011年02月24日 | 読書
 


仲代達也著『老いも進化』を読んだ、「炎の人」を見逃したことを悔やんだ

 今日駅地下一番街を歩いていると、「チューリップをプレゼントします」とのアナウンスが聞こえてきた。そこはミーハーの私であり、飛んでいって並んだ。ずいぶんと長い列が出来ていたが、1500鉢が用意されており、私もゲットできた。5本の黄色いチューリップは美しかった。

 ところで、昨日読んだ本について書く。仲代達也著『老いも進化』(2009年刊、講談社+α新書)だ。岡山市民劇場の昨年の12月例会は、その仲代達也主演の「炎の人 ・ゴッホ小伝」(無名塾)だった。この時の座席は結構いいお席だったが、悩んだ末に行かなかった。定年後ともあれは病気でもない限りは、欠かさず観に行っていたのだが。

 その舞台「炎の人」を観た友人が、感動して私に感想を話してくれた。そして、「77歳にもなるのに、とても元気で素晴らしかった」とも、付け加えた。見逃したことを悔やんだ。

 そして今、仲代達也の著書を読んで、その悔しさは増している。この『老いも進化』は、
妻・宮崎恭子(ペンネーム・隆巴)に先立たれた悲しみが書いてあることもあり、いつものように公民館経由で市立図書館から借りた。

 内容的には、妻・宮崎恭子との死別も書いてはあるが、仲代達也の過ぎてきた「役者人生」が書かれていて、とても興味深かった。それだけに、やはり「炎の人」は観ておくべきだったと今悔恨の情に苛まれている。

 この本には、とてもたくさんの素敵な言葉が書かれている。一つだけ書く。私もよく引用してきたが、中国には、「季節の移ろいに人生を重ね合わせた言葉」がある。それは「青春、朱夏、白秋、そして玄冬」だ。

 それについて、仲代達也は次のように書いている。「朱夏はいい仕事に恵まれ、体力も気力も溢れ、忙しさに追われながらも充実の明け暮れでした。そして、穏やかで、透徹した秋を迎えたのですが、私は自分で“赤秋”と言っています。真っ赤に燃える秋(中略)-私にとって今は“赤秋”の時です」と。

 「真っ赤に燃えた葉もいずれは落ち、朽ち果て、冬が訪れます。だからせめて、冬の来る前は真っ赤に燃える秋を真っ赤に生きたい……」「老いることは、ワインが琥珀色に熟成するようなもので、到達してはじめてわかる深い味わいいや素敵なこともある」とも書いている。

 1932年生まれの仲代達也が、「“赤秋”を生きる」のならば、それよりもずいぶんと若い私であり、「白秋を生きる」のではなく、やはり「“赤秋”を生きたい」と願う。元気をもらった本、それが『老いも進化』だ。
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思い出

2011年02月24日 | 松たか子
 


松たか子がCM出演中の「ヤマザキ 春のパンまつり」、少しだけ思い出がある

 今月の1日から恒例の山崎製パンの「春のパンまつり」が行われており、今回は点数シール24枚で、「白いスマイルディッシュ」がブレゼントされる。私もこのヤマザキの点数シールを集めて、お皿をもらったことも何度かある。

 それにしても、山崎製パンのCMに松たか子が出演して、ずいぶん長い時間が流れている。今松たか子が現在出演しているのは、山崎製パン、パナホーム、三菱UFJモルガン・スタンレー証券 、そしてキリンの四社だ。一番新しいのキリンで、昨年からだ。そして最も長いのは山崎製パンで、1994年からだ。

 1994年といえば、松たか子が初めてテレビ出演した年だ。それは、NHK大河ドラマ『花の乱』日野富子役(少女時代) だ。そして、一躍人気女優となる契機となった奥沢涼子役の『ロングバケーション』が1996年の放映であることを考えると、山崎製パンの先見性には、頭を下げる以外にはない。それだけに、松たか子は同社のCMを続けて引き受けているのだろうと考えたりもする。

 その山崎製パンとの思い出もある。以前参加していた労働組合で、大地震などでたくさんの被害・被災者がある時などには、お昼休みの「チャリティコンサート」を開催していた。パンと牛乳を用意して、参加者に今で言うワンコイン(500円)を負担してもらい、それを義援金として送るという活動だ。

 そのパンを当時無償で提供してただいたのが、山崎製パンさんだ。ある年、お礼に総社の工場へご挨拶に伺った。その際、社内に松たか子のポスターが飾られてるのを見て、厚かましくも「お願い」をしてしまった。お願いはしてみるもので、運良く、それこそプレゼントしていただいた。そのポスターは、今も我が部屋に飾られている。それは10年以上も前の話だ。

それにしても、NZ地震での被災には心が痛む。とりわけて、不明となっている邦人のみなさんのご無事を願う。
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その気になった

2011年02月23日 | 身辺雑記
 


「往きよりも食後に歩く方がダイエットになる」“と言われてその気になった”

 月曜日に1時間かけて、三野のエスプリまで歩いた。そのご褒美にと、エスぶりのランチを楽しんだ。そのことを聞いて、娘は「食後に歩く方がダイエットになのでは」、“と言われてその気になって”、今日は再度チャレンジした。

 エスプリまで歩く気になったのは、ウォーキングの延長であり、ダイエットというのはあまり考えてはいなかった。しかし、考えてみれば、歩いた後に食べるよりも、食後に歩く方がいいのは明白だ。

 そこで春が来たような暖かさに、今日もチャンレンジしてみた。まずバスで三野公園まで行った。その間、バス停は7つある。そして、今日もランチを美味しくいただいた。パニーニ風サンドは月曜日はサーモンだったが、今日はツナだった。どちらもとても美味しかった。その後、約1時間くらい読書をした後に、エスプリを後にした。

 歩き始めると直ぐに三野公園への上り口があり、久しぶりなので上ってみた。その階段の長さと急なのに何とも疲れて、降りてきたらバスがきたこともあり思わず乗ってしまった。ここらが意志の弱い、トホホの私だ。

 何のことはない、バスでエスプリまでランチに行った。それだけのこととなった。しかし帰りのバスの中で、少年隊の東山紀之がパーティなどで食べたら、10㌔の道を歩いて帰るという話を思いだし、せっかく歩くのなら今度は北方にある「吉備土手下麦酒 普段呑み場」でランチ&麦酒を楽しんだ後に歩こうと思った。

 
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三野公園

2011年02月23日 | 身辺雑記
 


桜の名所として栄え岡山県十勝地の三野公園に、40年ぶりに上った

 「この公園は、昭和6年、地元で生まれた小合金光氏が岡山市議会議員であった時、三野公園設立に尽力し、眺望の良い東側の旭川に臨む妙(明)見山の広さ21,770平方mに開設された公園です。頂上からは旭川は、まさに眼下にあって、岡山の市街地はもちろんのこと、遠く児島半島をのぞむことができます。特に春の桜は美しく、戦前には桜の名所として多くの人々に親しまれて、岡山県下十勝地に指定されました」。

 ネットで調べると、上のような説明があった。ただ、「岡山県十勝地」がどこどこなのか、浅学非才故に私は知らない。お恥ずかしい限りだ。

 ところで、「戦前には桜の名所」とあるが、私の子どもの頃には、桜見物と言えば三野公園だった。その三野公園に久しぶりに上ってみた。もういつ頃から行っていないだろうか。少なくとも働きだしてからは記憶がないので、40年ぶりくらいとなるだろうか。

 螺旋状に整備された道を上っていくと、急なそして長い階段がある。息を切らせて上ると、芝が植えられ整備されたそして見晴らしのよい公園に着く。そこには、小合金光氏や「岡山県十勝地」の碑が建てられている。

 三野公園はとてもキレイに整備されており、桜の木も植えられており、春にはのんびりとお花見するには絶好のスポットだ。ただ、難を言えば、上るのに息切れすることだ。実に40年も以前に最後に上った際の記憶はないが、それでも子どもの頃に上った記憶は蘇った。懐かしく、少しだけ感慨深いものがあった。

 
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パンダ人気

2011年02月23日 | 身辺雑記
 


パンダ人気で湧いている上野動物園での「待ち合わせ」を思い出した

 「1月はいぬ、2月は逃げる、3月は去る」という言葉があるが、このところ時間の流れの速さを痛切に感じている。寒い、寒いと今年の冬の厳しい寒さに震えてきたが、このところは暖かい気温が続いていて、春の訪れが間近いことを教えてくれている。

 そんな今日この頃、様々なところから嬉しい花のお便りが聞こえてくる。春を告げる福寿草や節分草が美しく咲いているとのことだ。福寿草は半田山植物園に咲いているとのことで、できたら見に行きたいと考えたりもしている。(画像はお借りした、感謝)。

 さてそんな中で、このところパンダの話題を、マスコミは連日報道している。さる21日には、「東京・上野動物園が受け入れるジャイアントパンダのつがい2頭が21日、中国・成都から同動物園に着いた。新しい環境に慣れさせた後、健康診断などを経て3月中にも一般公開する予定。約3年ぶりのパンダ復活に、関係者は来園者増加へ期待を寄せている」との報道がある。今上野公園周辺のみならず、日本国中がパンダ人気に湧いているようだ。

 その人気のパンダ&上野動物園では、私も遠く懐かしい思い出がある。私がまだ若かった頃(20歳台であったように思うが、何しろずいぶんと遠い昔なので・・・)に、東京に住む友人と上野動物園で待ち合わせたことを思い出した。今では2人とも結婚しているが、その友人は私にとっては以前からの憧れの存在だった。

 来月にはパンダの公開も始まるとのことなので、今度上京した際には上野動物園に行ってみようと思う。「思い出に生きる」わけではないのだが・・・。
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長期失業者

2011年02月22日 | ひとりごと
 
 

労働者の中で1/3が非正規、一年間も失業状態の方が121万人とは!

 今朝の山陽新聞に、昨日総務省が発表した「2010年平均の労働力調査」の結果について、報じているのを読んだ。少しだけ切なくなっている。
 今の私が敏感に反応するキーワードはいくつかある。いじめ・虐待そして子どもの問題、老いと死、雇用と貧困等々だ。いずれも私が直面してる問題であり、頭を悩ましている課題でもある。
 さて山陽の記事では「完全失業者のうち、失業期間が1年以上の長期失業者は前年より26万人増の121万人と、比較可能な02年以降で最多となった。(中略)10年平均の非正規社員数は34万人増の1755万人。(中略)雇用者に占める非正規の割合は0.6ポイント上昇の34.3%となり、02年以降で最高となった」とある。
 労働者の中で1/3が非正規、しかも増大しつつある。加えて、一年間も失業状態の方が121万人とは。何とも息苦しくなる。何とかならないか?怒りにも似た気持ちだ。
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人口減少

2011年02月22日 | ひとりごと
 


2050年には人口は約26%減少、半数以上減る区域は2/3と見込まれる

 もう一つ、ショックな記事に出会った。ナント、これから40年後には、日本の人口が3/4に減少、つまり3千万人余が減り、2/3の地域が現在の半数の人口になるとの推計に接した。

 「2050年の日本の国土の姿について、過疎化や少子高齢化の傾向が継続した場合、05年に人が住んでいた国土の約20%で、住民がいなくなるとの推計を盛り込んだ中間報告をまとめた。過疎化が進む地域では人口減少率が61%と、全国平均(26%)を大幅に上回っており、大都市と地方の人口格差が過度に進むことになる。(中略)推計では、全国の人口は05年の約1億2800万人から50年は9515万人と約26%減少。人口が50年には半数以上減っていると見込む区域は、無居住化のケースを含め全体の約3分の2に達する」とのことだ。国土交通省の国土審議会長期展望委員会が、昨21日に発表したものだ。

 引き続いて少子化が進行することは想像に難くなく、かつ現在の働き盛りの方は高カロリー食とストレス、運動不足により今ほどの長寿は難しいとも考えられる。そうすると、人口が減少していくことは明白とは考えるが、これからわずか40年で3/4に減少するとは。

 そんな急激な変化に、この国は対応していけるのだろうか。その頃私は生きてはいないが、この国の宝である子どもたちのことを考えると、心配で少しだけ落ち込んでいる自分がいる。
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その瞬間まで

2011年02月22日 | 読書
 


桜井和馬著『妻と最後の10日間』を読んだ、とても感銘深い好著だ

 「世界各国の紛争地域を取材してきた著者が、最愛の妻をくも膜下出血で亡くすまでの看取りの10日間を記録したノンフィクション。(中略)回復の兆しはなく、意識も戻らぬまま、脳死に陥る妻。著者は、『その瞬間』までを詳細に記録することで、過酷な現実と向き合うことを選ぶ」。

 表紙裏にそのように書かれている桜井和馬著『妻と最後の10日間』(集英社文庫)を読んだ。パートナー(=妻)がその朝出勤して、会社で倒れてそのまま意識不明から脳死へ。そんな過酷な事実を、著者は克明に書き綴っている。情報公開制度の中で開示請求して、妻のカルテ記録も取り寄せて、書き込んでいるだけに、いっそうの臨場感がある。とても感銘深い好著だ。

 今、愛する人を失った方々への「グリーフケア」がとても重要となり、そのための診療科も新設されているとも聞く。

 私のパートナーも、一度は心臓手術で、二度目は入院中に心筋梗塞で心停止を経験している。とりわけて二度目の心筋梗塞の際には、明け方頃病院から「至急に病院に来てください」との電話があり、病院へ急いだ経験がある。その際には担当医師から「心臓は動き出したが、意識が戻らない」と言われたことがある(幸い、その後意識は回復した)。

 そんな経験があるだけに、妻の働く会社から連絡を受けた著者が、病院へ行く途中に「突発性の意識障害」になるなどの経験はとてもよく理解でき、読み進むのも辛かった。

 愛する人を失う悲しみ、その喪失感がどうようなものか、私にはまだ経験がないが想像は出来る。それに絶えられるかは、別として。

 ともあれ、長年連れ添ってきたパートナーを失う悲しみに、いつかは遭遇するかも知れない。逆にパートナーが私を失う悲しみに襲われるのかも知れない。『妻と最後の10日間』を読み、いろんなことを考えさせられた。
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1時間

2011年02月21日 | 健康
 


ウォーキングを再開して一ヶ月が経過、エスプリまで1時間かけて歩いた

 このところの暖かさは、今年の冬の厳しい寒さに耐えてきただけに、とても嬉しい。そんな暖かさに誘われて、今日は三野のエスプリまで1時間かけて歩いた。

 先月の21日にウォーキングを再開して、ちょうど一ヶ月が経過したので、記念にと思い立って、少しだけ長い時間を歩いた。ただ歩くのでは頑張れないので、エスプリのランチを楽しみにした。

 我が家からエスプリまでは何㌔あるだろうか、ま、4㌔程度かなと思うのだが。中原橋までは自転車道が整備されていて、とても歩きやすい。その後、三野公園までが危ないので、土手下の道を歩く。今日の暖かさもあり、後半は汗が流れてくる。それでも美しく流れる旭川の景色が励ましてくれて、なんとか行き着くことができた。

 今後は一週間に一度くらいは、1時間程度の距離を歩こうと思うのだが、エスプリまでの道以外には、なかなか適当な道路が見つからない。道路はあっても、ご褒美をいただくお店がエスプリ以外には見あたらないのだ。廣榮堂藤原店は少しだけ遠すぎるし、山陽町の珈琲館であろうかとも考えたりもするのだが。

 それにしても、今日はよく頑張ったと自分自身を褒めてあげようと思う。それでも私の存じ上げている方は、毎日1時間歩いてる方もおられる。みなさん、ご自身の健康のために頑張っておられる。私も頑張ろうと思う。
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